■アメリカ東海岸音楽便り〜ボストン響のコンサート・レポートを中心に

2003年タングルウッド音楽祭
バッハ「無伴奏バイオリンのためソナタとパルティータ全曲」を聴く

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バイオリン:クリスチャン・テツラフ

2003年7月9日 午後7時〜
マサチューセッツ州レノックス、タングルウッド、セイジ・オザワ・ホール

バッハ:無伴奏バイオリンのためソナタとパルティータ全曲

私たちにとって今年初めてのタングルウッドは上記のコンサートです。曲目はなんと、バッハの無伴奏バイオリンのためのソナタとパルティータ全曲です。演奏する方も大変ですが、聴く方もかなりの精神力、体力を要求されそうです(苦笑)。個人的なことですが、わたしの妻は有名なシャコンヌが大好きです。妻の愛聴するCDはヒラリー・ハーンさんのものです。何でも1997年当時、街を歩いていて突然シャコンヌが聴きたくなって買ったCDだとか。ハーンさんのことを知っていたわけではなく、ただジャケットに移っている女の子の写真がかわいいので買ったそうです(笑)。しかしそれからというもの妻のすっかりお気に入りの演奏になったというわけです。ところが妻がこのCDを所有していることにわたしが気が付いたのはつい最近のことです。妻のCD棚にミスチル等のポップスと並んで置いてありました(笑)。昨年、わたしがハーンさんのブラームスの協奏曲を買ってきた際、妻が「この人、わたしのシャコンヌの人や。」と言い、しかも現在、ヒラリー・ハーンさんが大変な話題になっていることをわたしが説明すると、「最初に彼女のことを見いだしたのはわたしに違いない。」とまで言い出す始末でした(苦笑)。

今回のコンサートの演奏者、クリスチャン・テツラフさんも今やその実力が認められ、世界で活躍中の一人ではないかと思われます。わたしは今回のコンサートまで、彼のCDや生演奏に接したことはありませんでしたが、テレビで彼のインタビューは聴いたことがあります。その中で彼は興味深いことを話していました。彼の使用楽器はまだ制作されてたった五ヶ月だというのです。世の中の著名なバイオリニストの多くがストラディヴァリウスやグァルネリ・デルジェスなどの数百年前に作成された楽器を使用する中、これは非常に珍しいことだそうです。しかし彼はこのインタビューの中でこの五ヶ月前に作成された楽器が彼にとってベストであると述べています。

演奏はバッハの作品番号順に行われていきました。よって一曲目はパルティータ第一番です。彼の演奏を聴いた第一印象は『全くよどみがない』ということです。基本は速いテンポなのですが、さらさら流れるといった感じはなく、結構独特のリズム感覚で今まで聴きなじんできたどのCDとも違っていたと思います。またちょっとしたフレーズの最後に装飾音が付けられているのがしばしば見受けられました。ちょっと驚いたのは速いところがめちゃくちゃ速いことです。例えば、二番目に演奏されたパルティータ第一番の第4曲に当たるダブルはものすごい速さで弾ききってしまいました。あまりの速さに技巧曲に聴こえたほどで、この部分が終わったとたん思わず会場から一斉にため息が漏れました。

一回のコンサートで無伴奏ソナタとパルティータすべてを演奏するためでしょう。今日の休憩時間はちょっと変則的で2曲目(パルティータ第一番)と3曲目(ソナタ第二番)の間で10分、3曲目と4曲目(パルティータ第二番)の間で60分、4曲目と5曲目(ソナタ第三番)の間で10分の休憩時間がそれぞれとられました。

最初の休憩後のソナタ第二番はアンダンテが白眉の出来でした。その前のフーガ後半から次第に演奏に熱がこもってきて素晴らしい響きを聴かせてくれていたのですが、アンダンテは低音のリズムを刻む音が絶妙にメロディーに絡み、しみじみとした名演でした。このフーガとアンダンテの間でテツラフさんは指先が乾いたのか、観客席に背を向けてちょっと指をなめたのですがそれが利いていたのでしょうか(笑)。ちなみに私たちの座席は第一バルコニーのテツラフさんのちょうど左横ぐらいでその仕草がよく見えたのです。

さて60分の休憩後はパルティータ第二番からです。ここでもテツラフさんの曲に対する姿勢は変わることなくやや速めのテンポで弾いていきます。そしてシャコンヌです。その冒頭は重々しく演奏するやり方もあるでしょうが、テツラフさんはあっさり、すっきりと始めました。妻の言葉を借りれば、『潔い演奏』で始まりました。そうかと思えば途中素晴らしい深々とした和音が聴こえてきたりして心に染み入るものがありました。この曲でバッハは一艇のバイオリンによって宇宙をも描いたとよく言われますが確かにその通りだと思います。素晴らしい演奏でした。

最後の曲、パルティータ第三番はちょっと座席を変えて聴いてみました。係りの方が親切にも「今日は満席ではないので空いている席に移ってもいいよ」と言ってくれたからです。しかもこのホールで一番音がいいのは第二バルコニーのセンター部分だと教えてくれました。確かにこの席で聴いてみると響きがずいぶん豊かになります。ただ私たちにとっては直接音がよく聴こえた先ほどの席のほうが好みでした。オーケストラの演奏ではこの席のほうが確かによいかもしれませんが・・・。演奏はさすがに最後の曲で、今まで感じられなかった疲れがちょっと出ていたように思われます。7時から始まったコンサート、終了したのは10時50分、テツラフさんお疲れ様でした。

最後に彼の使用している楽器による音色ですが、決して豊かな輝かしい音色ではありません。どちらかと言えば地味な音色です。しかしその誠実な音色はバッハの音楽に合致し素晴らしいものでした。

《私のお気に入りCD》
CDジャケットバッハ:無伴奏バイオリンのためソナタとパルティータ全曲
バイオリン:ナタン・ミルシテイン
Deutsche Grammophon 289 457 701-2 (輸入盤)

妻の強力に推薦するハーン盤を押しのけて、ここはわたしの好きなこの演奏を紹介したいと思います(一応言っておきますが、わたしもハーン盤は好きです。伊東様のCD試聴記があるので許してください)。ここでのミルシテインの演奏は一見淡々としていますが、厳しさをも感じさせる素晴らしい演奏だと思います。わたしの持っているのはOIBP盤で録音も十分満足できます。


(2003年7月19日、岩崎さん)