短期集中連載 An die Musik初のピアニスト特集
アルフレッド・ブレンデル
ベートーヴェン「ハンマークラヴィーア」を聴く【第4部「ベートーヴェンのピアノソナタ」覚え書き】(その3)
語り部:松本武巳
■ 《そもそも「ベートーヴェン」の典型的な演奏は存在するのか?》
ブレンデルと師弟関係にあった2人の大家の、ハンマークラヴィーア・ソナタに関する言葉で、このテーマの冒頭説明を代用しようと思います。まず、エドウィン・フィッシャーは「この曲の意味をすっかり汲み尽くすことは誰にでも出来ることではない。そのためには我々はベートーヴェンの全生活を彼と共に遍歴し、彼の精神の世界創造の働きをみまもらねばならない」と述べ、次に、ウィルヘルム・ケンプは「まことにこの曲は白雪皚皚たる氷河の上に、否、さらに高い層にその故郷を持つものであるでしょう」と言っています。
さて、ベートーヴェンを演奏する際に、まず、ベートーヴェンのテンポ指示に出来るだけ忠実に従うことに苦労するピアニストがおります。次に、テンポ指示は百も承知の上で、その指示に対してまったく無頓着に、自分の主観を中心としてベートーヴェンを演奏するピアニストもいます。そして、その両者の中間をゆく折衷案を、演奏や曲の解釈に採用するピアニストがいます。しかし、これらは煎じ詰めると、要するにベートーヴェンの作品を把握すること自体の難しさ、つまり技術的に克服することの困難さをまずは意味すると思います。同時に、音楽的な意味で作品が理解し難いと言うことも、意味するであろうと考えられます。
しかし、翻って考えてみますと、そもそも、これらのスタンスのどれが正しいなどと、そんな風に言い切れるものでも到底ないと思うのです。つまり、ベートーヴェンであっても、どんな作曲家の作品であっても、結局は、まずは楽譜を手がかりとして、練習はスタートします。その後、どの程度まで、自身の解釈を挿入するかにかかっていると思います。もちろん、解釈の余地の範囲は、多かれ少なかれ存在すると思いますが、一方で楽譜への忠誠心を、ベートーヴェンに限らず、少なくとも古典派から近代あたりまでの作曲家は、そもそもそんなに多くを求めてはいないのです。なぜなら、当時は、楽譜そのものの理解がし難いということは、作品に特異なまたは特別な音楽的表現が多く使用されている場合であるとか、もしくは、極端に複雑な構造様式とか楽曲様式を採用した曲であるとか、そういう風な特殊な場合を除きますと、決して理解困難な場合は多くないと言えるでしょう。
そうしますと、ベートーヴェンはかくあるべきだ、と言う教条的な考えを決して否定するものではありませんが、そのことを遵守するよりも、楽譜に残されたとおりに弾くことのほうが、むしろはるかに技術的に困難が生じることの方が実際には多いであろうと考えられます。そこで、以下のようなエピソードを読者の皆さまに紹介しておこうと思います。ベートーヴェンが出版社の要求に応じて、譜面にメトロノームの速度記号を書いて送ったところ、なぜか手違いでそれが出版社に届かず、出版社からの再度の要求で、ベートーヴェンは改めて速度記号を記して送ったのですが、2つのベートーヴェン自筆の速度記号による楽譜が出版社に届いてしまったのですね。それで出版社はそのいずれが正しいかをベートーヴェンに尋ねたところ、彼は激怒して、「メトロノームなど悪魔に食われてしまえ」と、このように言い放ったという言い伝えがあるのです。
確かに上記の例は、極端なものかも知れません。ですが、そんなことよりも、弾き手が自由に解釈した音楽を、聴き手に提示したものが、聴き手にもベートーヴェンらしく聴こえたなら、少なくとも、両者はベートーヴェンの世界で共通の価値観を有したと言えるのではないでしょうか。そして、その価値観が、演奏者の現に生きている時代において、多くの聴衆の価値観と共有するものがあったならば、その時代における、ベートーヴェン演奏の典型の一つとして、後世に残ることを意味するのではないでしょうか。よほどの恣意的な演奏で無い限り、このように考えるのが穏当であると思います。まだまだ、ベートーヴェンの生きた時代は、作曲家が演奏者や聴衆を拘束するような解釈を、少なくとも楽譜上に書き残しておりません。もっとおおらかな楽譜が残されているのです。
むしろ、ベートーヴェンの演奏で、もっとも困難な点は、作品の長さだと思います。特にハンマークラヴィーア・ソナタは、40分を越える全楽章を通じた緊張の持続に留まらず、アダージョだけでも20分にも及ぶ膨大な楽章構成でもあり、さらに最後に現れる壮大なフーガに至るまで、精神的な緊張を維持しつつ、充実した生命の横溢や情熱の奔流など、一般的にこのハンマークラヴィーア・ソナタの本質であるとされている内容を完全に弾きこなすことは、演奏者に想像を絶する精神の集中力と、超人的な体力ならびに気力を必要とすることであると考えられます。それこそがベートーヴェンを演奏する際の「困難」であると思われるのです。また、言い換えれば、この緊張感と精神力を持続することができる演奏であれば、それこそベートーヴェンにおける典型的演奏であると評価される資格がある、そんな演奏なのだと思います。
(2008年12月7日記す)
《シンドラーの伝記は「ウソ?」》
(2008年12月19日、An die MusikクラシックCD試聴記)