コンセルトヘボウ管のページ
クラシックドキュメンタリー
「リッカルド・シャイイ 愛の誘引 〜R.シャイイとロイヤル・コンセルトヘボー〜」 (1998年オランダ)
クラシックドキュメンタリー「リッカルド・シャイイ 愛の誘引
〜 R.シャイイとロイヤル・コンセルトヘボー〜」(1998年オランダ)
NHK-BS2〔クラシック倶楽部〕(2003.9.2. 10:00〜10:55)でオンエア(再放送)このプログラム、番組表には「愛の誘引」とあるだけで内容不明でしたが、観はじめますと冒頭すぐに「R.シャイイとロイヤル・コンセルトヘボー」というサブタイトルが出ました。なんと、テーマは〔シャイーとヘボウ〕だったのです。画面はコンセルトヘボウ大ホールの内観で始まりました。
本編は、普段着姿のシャイーが大きな楽譜を広げているところからスタート。メンゲルベルクが使用したものとのことで、シャイーはまずメンゲルベルクについて語り始めます。
(以下、発言は要旨のみ採録)
シャイー
「メンゲルベルクの演奏には批判的な意見も多いが、自分は気にしていない。彼は研究に値する指揮者だ。メンゲルベルクといえばマーラーだが、彼はそれだけでなく当時の現代音楽を多くとりあげた。それを蘇らせることが、その数十年後にコンセルトヘボウに来た自分の目標の一つだった」ここで、マーラーの交響曲第5番の演奏場面となります。マーラーのこの曲を核として番組全体が構成されているのです。まずは第1楽章の冒頭。首席トランペットのペーター・マスーズを中心にした画面を、シャイーはこう解説します。
シャイー
「このトランペットのフレーズは技術的に正確に吹くだけではダメで、その背後にあるものを表現する必要がある」次の場面では、〔ハーグ市立美術館〕とクレジットが出ます。シャイーと学芸員が見ているメンゲルベルクの書き込みがあるスコアは、そこに収蔵されているらしいのです。そして「トランペット・ソロは問題ないが、この三連符がオーケストラ全体で揃うように演奏するのが難しい」というシャイーの言葉に続いて、第1楽章のリハーサル場面となります。楽譜の指示を守らずに音を弱めない第1ヴァイオリンに対し、シャイーはかなり丁寧に指示を与えていました。いかにマーラーの伝統を持つヘボウといえど、リハーサルが簡単に進むというわけではないようです。
次に「マーラーはモーツァルトの名演奏者だった。マーラーのこの曲に近いのはピアノ協奏曲ニ単調」とナレーションが入り、その曲の演奏場面となります。ピアノはマリア・ジョアン・ピレシュ(画面表記のまま)。客席には人が大勢座っているもののシャイーはラフな格好で、指揮をしながらピリスに話しかけたりしています。これは公開リハーサルか何かなのでしょうか。見るからに不安げな様子のピリスを「君ならできる」などと励ましているシャイー。どうやらもともと予定されていなかったこの第20番を急に演奏することになったようで、準備をしていないピリスは「でも用意がないので…」ためらっていたものの、結局は「彼女は完璧に演奏した」とのことです。予定変更の経緯などは説明されなかったのですが、なんだかすごい場面でした。彼女が同行した1996年のシャイー&へボウの来日公演で、予定されていたピアノ協奏曲第9番が第27番に変更されたのは、このことと何か関係があるのでしょうか。
再びマーラーの第5番に戻り、今度は第2楽章です。メンゲルベルクの楽譜への書き込みが紹介され、リハーサルの場面となります。
シャイー
「指揮者には楽譜の指示を守るものとそうでないものがいるが、自分は楽譜を尊重する。マーラーの楽譜には細かい書き込みが多く、指揮者を信用していなかったようだが、自分はその指示をありがたく思う。しかしそれらは技術的な一面を示すだけであり、指示に従うだけではマーラーの真髄に迫れない」このリハーサル場面の後、ルチアーノ・ベリオが登場します。彼によるとシャイーは、マーラーを深く掘り下げようとする過程でさまざまな構成要素をうまく組み合わせることのできる指揮者だとのことです。調和が取れていて、幅広い見地に立っているとも評価していました。
次はまたリハーサル場面となり、シャイーの「演奏者は音符の背後にあるものを読み取らなければならないが、コンセルトヘボウはメンゲルベルクから綿々と続く伝統を持っており、それができる」という言葉に続いて、コンサート・マスターのアレグサンダー・カー(画面表記のまま。ケールと表記される場合もあり)が登場。「シャイーは曲を解釈する上で団員の感覚を加えている。自分と楽団員との融合ということを彼は考えているのではないか」との発言でした。
曲は第3楽章に入りますが、ここで、運河を走る船の上で演奏している小楽団に対してシャイーらが拍手をしているという意味不明の場面がはさまり、続いてシャイーが最初にコンセルトヘボウを指揮したときのことを語り始めます。
シャイー
「1985年の1月に初めて指揮台に立ったとき、舞台には団員が並び、合唱団席には白い髪の男が一人だけ座っていた(註:楽団マネージャーのことなのでしょうか?)。それまで彼らはブソッティもベリオも演奏したことがないに違いない、自分がここに立つのは今日が最初で最後のような気がした。しかし彼らは理解をし始め、自分と彼らはぴったり息が合うと感じた。客演指揮者としてそれなりの結果を残せたと思う」リハーサル場面の後、オーボエのウェルナー・ヘルベルス(画面表記のまま)がシャイーについて語ります。これは自分の考えだがと断りつつ、「当初の楽団員の反応は、彼にはどこか深みがない、表面的な華やかさを重視しているようだ、というものだった」とのことです。
続いてトランペットのペーテル・マシュールス(同。ペーター・マスーズのこと)は、シャイーのエネルギッシュさに言及し、「彼は我々の控えめさを一蹴した。我々はそのエネルギーに応えなければならなかった」と語ります。なお、素顔のマスーズは、俳優のアンソニー・ホプキンスにそっくりでした。
画面はストラヴィンスキーの〔ペトルーシュカ〕のリハーサル場面となり、シャイーはオーケストラについて語ります。
シャイー
「コンセルトヘボウ管弦楽団は、自分の知る限りもっとも批判精神が旺盛なオーケストラだ。オランダ人らしく何かにつけて批判ばかりしていて、息が詰まりそうになることもある。付き合っていくのはたいへんだが、彼らもそうだったと思う」再びオーボエのウェルナー・ヘルベルスが登場。「シャイーの要求はテクニック重視で、完璧なテクニックがまずあり、その後で中身を考えさせてくれる」とのことで、彼はシャイーに対してちょっと厳しい意見をお持ちのようです。続いてファン・ケウレン(たぶんクラリネット)が出てきて、シャイーの指揮法は左手のテクニックが進歩したと語ります。「多くの指揮者は左手と右手が同じだが、シャイーはそれぞれが独立して別の役目を持っていて、左手は左手で大いに語っている」。
〔ペトルーシュカ〕のリハーサル場面をはさんで、ウェルナー・ヘルベルスが再度現れ、[オーケストラは複雑な装置だがそれをうまく動かせるようになったら、うれしくなって遊びたくなるのでは…]などと話します。次いでペーター・マスーズも再登場し、マーラーを集中的に取り上げたときにシャイーは壮大な音楽を作り上げたと語ります。「特に第8番は壮大な曲だが、シャイーは室内楽的な要素を取り入れた。そして澄み切った安らぎのある音楽にした」。見事です、と彼は締めくくりました。
画面はその第8番のリハーサル風景となり、シャイーの語りが重なります。
シャイー
「コンセルトヘボウ管は屈指のテクニックを持つオーケストラで、音楽のためにオーケストラが奉仕することを旨としている。だから反対の方向を示そうとすれば彼らはきっと拒否するだろう。自分たちの理想を貫こうとする姿勢は素晴らしい。私はそれを恐れはしないが、指揮することは自分への挑戦でもある」次に音楽は第4楽章のアダージェットに入ります。リハーサルではなく本番の光景に乗せてシャイーが語るのは、楽譜の解釈の説明です。
シャイー
「〔感情を込めて〕という指示は、感傷的にならずに思い入れたっぷりと、という意味だと考えている。この楽章は飾り気のないシンプルさが大切で、情感に溺れすぎるとそのシンプルさが失われてしまう」ここで画面はオペラの一場面になります。「マーラーにだれよりも近い作曲家はプッチーニ」とシャイーが語り、〔トスカ〕の第一幕が映し出されます。
シャイー
「イタリアオペラはまさにイタリアの管弦楽の音がする。〔トスカ〕はイタリアの様式研究のハイライトだった。1998年に演奏したとき、楽団員はリハーサルの最初の瞬間から魅了されたようで、この大いに劇的な音楽を彼らは意外にも気に入った」この番組のエンド・クレジットで、〔演奏 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 ミラノ交響楽団〕と出ましたので、ここで言う楽団員(及びこの場面で演奏するオーケストラ)がヘボウのことなのかどうかはわかりません。
またマーラーの第5番に戻り、第5楽章の場面に続いて、ベリオの〔テノールと管弦楽のための8つのロマンス〕の演奏場面となります。ベリオは、「自分の知る限りシャイーは最もバランスの取れた音楽家の一人だ」と語ります。過去の音楽に対する見識と現代の音楽に対する熱意が両立している、とのことでした。
シャイー
「音楽以外の芸術はどれも具体的な形を伴っている。しかし音楽に関して具体的なものは、楽譜を検討するときだけだ。空中の沈黙から音楽を紡ぎ出すという、抽象的なところが特徴だ」そして画面はヴァレーズの〔アメリカ〕に。ここで名前のわからない人(ハーグ美術館の人?)が現れ、「かつてコンセルトヘボウは世界最高の博物館だと思われていた」と語ります。つまり古典の傑作が並ぶ国立博物館のようだったが、今ではゴッホやモダンアートも取り入れている、というわけです。特にアメリカでは、コンセルトヘボウといえばマーラーとブルックナー、ベートーヴェンにブラームスだと思われていたとのことで、「ストラヴィンスキーもやるかもしれないが、ベルクやヴァレーズ? まさかやるわけない」という認識だったそうです。
そしてシャイー自身も、最初はヴァレーズを評価していなかったと言うのです。
シャイー
「でもよく研究すると、評価するようになった。彼の音楽は古い感じがなく、時代より半世紀先に行っている。記憶されるべき天才であり、2010年には誰もが彼を知っていて作品を聴くようになってほしい」このあたり、〔アメリカ〕の指揮をするシャイーの映像も、曲に合わせて動きの多いカメラワークになっていました。
ここでまた〔トスカ〕の場面になり、ブリン・ターフェルが歌います。
シャイー
「オペラは過去の上演の研究が不可欠で、自分も伝統に近づくための終わりない努力を続けている。伝統を軽視する今の若い人には辟易している。伝統を知らなくては新しいこともできない。特にオペラで、目新しいことに走る傾向を苦々しく思う」シャイー
「もし、真に普遍的で重要と思われる音楽作品は何か?と訊かれたら、二つまではすぐに答えられる。バッハの〔マタイ受難曲〕とモーツァルトの〔ドン・ジョバンニ〕だ。この二曲でほとんどすべては表現され尽くしたと思う。その後の音楽はこれらの発展形でしかない」流れる音楽は〔マタイ〕となり、曲の終わりに合わせてシャイーがスコアをそっと閉じます。そして、番組も終わりました。
ところでタイトルの「愛の誘引」とは、結局なんのことだったのでしょうか? やはり、シャイーとヘボウの関係を表していたのでしょうか。この番組が制作されたのは5年前。シャイーとヘボウのコンビはまだまだ続いていくものと思われていた頃です。それを考えると、少し切ない気持ちになってしまったのでした。
(An die MusikクラシックCD試聴記)