ベルナルト・ハイティンク 作曲家別録音歴
■マーラー篇■(文:青木さん)
ハイティンクのマーラー録音は、大別すると次の6グループに分類できます。
- コンセルトヘボウ管との交響曲全集(フィリップス)
- コンセルトヘボウ管との交響曲再録音及び歌曲集(フィリップス)
- コンセルトヘボウ管との交響曲選集(クリスマス・マチネーのライヴ録音)
- ベルリン・フィルとの交響曲全集(中断/フィリップス)
- ベルリン・フィルとの映像版
- その他のライヴ録音
以上、これは大変なボリュームであり、少なくとも録音量に関していえば、ハイティンクはバーンスタインと並んで世界一のマーラー指揮者といってよいでしょう。
1.コンセルトヘボウ管
ではまず、コンセルトヘボウ管との録音をみていきましょう。録音順に並べた表を作成しました。大きな傾向としては、1960年代にフィリップスで交響曲全集を完成し、1970年代前半に管弦楽伴奏の歌曲を録音、そして1970年代後半から1980年代にかけてクリスマス・マチネーのライヴ収録とフィリップスへの再録音がなされています。
1-1 交響曲全集
ここで問題は、交響曲全集に含まれるべき第1番「巨人」は1962年録音と1972年録音のどちらのものか、という点です。この間の経過を見ますと、前者の次に第3番が録音されるまで4年も間があるのに対して、後者は第8番の8ヶ月後の録音でスムーズにつながっています。1962-63年のシーズンはコンセルトヘボウ創立75周年の節目に当たり、ヘボウ創立と同じ1888年に完成したこの交響曲第1番も75周年で、さらに1962年にはハイティンクが国際マーラー協会の名誉会員に推薦されています。1962年盤はこういったことを記念しての録音だったとすれば、この時点ではマーラーの交響曲を全曲録音しようなどという(当時としては大それた)野望は、フィリップス社にもハイティンク個人にもまだ芽生えていなかったように思われます。
こう考えると、1972年盤は全集用として改めて録音されたという可能性が濃厚です。またハイティンクは1971年に国際マーラー協会から金メダルを贈られていますので、この再録音はそれを記念する意味(あるいはその名誉にふさわしいレベルにまで全集の完成度を高める目的?)もあったのかもしれません。しかしながら、1994年に発売されたCDの全集(PHCP10090-99)には1962年盤が収録されました。LPの全集(PC5559-74)は不明です。
また、その全集には「大地の歌」が入っていません。個人的にはこの曲を含めてこその「交響曲全集」だと考えますが、ハイティンクの録音は「嘆きの歌」と「子供の不思議な角笛」の間に行われていることからして、交響曲全集を完成したあとの「管弦楽付き歌曲チクルス」の一環だったようですので、ここでは制作意図を尊重することにしましょう。
ということで、ハイティンク指揮コンセルトヘボウ管によるマーラーの交響曲全集は、1966年5月から1972年5月までの6年間で録音された、というのが本稿での結論?です。ちなみに『作曲家別名曲解説ライブラリー1 マーラー』(音楽之友社,1992)の巻末にあるマーラー交響曲全集のリストでも、ハイティンクの全集は(66〜72)と記載されています。
この全集は1972年度のフランス・ディスク大賞、同年のオランダ・エジソン賞を受賞しているとのこと。欧米では現在もたいへん高い評価が与えられています…という一文が、国内盤CD全集発売時の広告の中にありました。日本での評価は決して高くないことをレコード会社自身が前提として宣伝しているわけで、これがわが国におけるハイティンクの世評の典型例であります。某国レコード・アカデミー賞は受賞しておりませぬ。
1-2 交響曲再録音及び歌曲
全集録音は1966年スタートということにしましたので、それ以前に第1番「巨人」だけが別に録音されていたことになります。ベートーヴェンでも第8番だけが初期に単独録音されていましたが、1962年ということはそれと同年です。
1970年代の中盤には、前述のようにオーケストラ伴奏付きの歌曲が録音されました。プライとの「亡き子をしのぶ歌」と「さすらう若人の歌」は交響曲全集の合間の録音ですが、「嘆きの歌」「大地の歌」「子供の不思議な角笛」は1973年〜1976年の録音です。初出LPでは、「亡き子〜」と「さすらう〜」はこのカプリングで、他はそれぞれ一曲ずつ、単売されました。このうちカンタータ「嘆きの歌」は、CDの表記は「第1部・第2部」となっていますが、実際に演奏されているのは第2部と第3部です。解説書によると、マーラーは当初三部構成で作曲したものの初演時に第1部を削除し、彼の死後に元に戻されたとのことですので、本盤ではマーラーの意図を尊重した選曲・表記になっているものと考えられます。もっとも選曲については、全曲となるとLP一枚には収まらないため、このような珍しい曲がLP二枚組では売れ行きが心配される…との判断があったためかもしれません。CD時代に録音されたものは全曲盤ばかりですので、今となっては紛らわしい表記です。
1980年代に入ってデジタル・レコーディングの時代を迎えると、ハイティンクとコンセルトヘボウ管はマーラーの再録音にとりかかります。といっても結果的には、1982年の第7番(左ジャケット写真)と翌年の第4番しか残されていません。そして1987年には、ベルリン・フィルとのマーラー・チクルスが始まるのです。この二曲は単発の企画だったのか、再録音シリーズとして開始された後にハイティンクがヘボウ退任となったためオーケストラが変わったのか、真相は不明です。演奏も録音も極上の仕上がりとなっているだけに、二曲だけというのは実に残念です。
これらのCDですが、全集に含まれない1972年録音の交響曲第1番は、レギュラー盤で出た後1989年に「グロリア・シリーズ」、1999年に「エロクァンス・シリーズ」で国内再発されています。第4番もレギュラー盤で出た後、1991年に「カスタム2000シリーズ」で国内再発されています。第7番は1984年に出たきりのようで、現在は入手困難です。
歌曲については、「大地の歌」は単売されていましたし、他の曲は交響曲の単独盤に併録されていましたが、輸入盤ならば"DUO"シリーズに格好の一組があります。「大地の歌」「子供の不思議な角笛」「亡き子をしのぶ歌」「さすらう若人の歌」がCD二枚に収められたもので、交響曲全集を補完するのにぴったりです。残る「嘆きの歌」のCDは、交響曲第3番と組み合わされたものしかないようです。
1-3 クリスマス・マチネーのライヴ録音
1999年、フィリップス輸入盤「ダッチ・マスターズ」シリーズで、ハイティンクとコンセルトヘボウのマーラー選集が登場しました。過去の録音の再発売かと思いきや、すべてライヴの別録音。いちばん古い第1番が1977年ですので、時期的にはスタジオ録音の交響曲全集(1966〜1972)、歌曲集(1970〜1976)に続くものです。6番と8番を除く7曲の収録が10年間に渡って密かに続けられていて、その日付はすべて12月25日。これはいったいなんなのか。
どうやらコンセルトヘボウでは、クリスマスの午後にマーラーの演奏会が行われ、それがテレビやラジオでオンエアされる、という習慣があったようなのです。つまりこれはフィリップスの商業録音ではなく放送用録音で、NPS-Radioの提供によるものです。また1990年にLDで発売された第3番と第4番の映像版も、このクリスマス・マチネーを収録したもののようでして、こちらはNOS-TVの提供です。他の曲にもテレビ用の映像が残されているのでしょうか。1979年と1980年が抜けていますが、1979年にはマーラーではなくベルリオーズの「幻想交響曲」がとりあげられていたようです(LDで出ていました)。
さてこのセットには、フィリップスが再録音した2曲(第4番と第7番)も含まれていますが、両者の録音年月を比較する限りでは、後述するベルリン・フィルとの録音のようにコンサートに合わせて録音を行う、という方式ではなかったようです。もしフィリップスがハイティンクとコンセルトヘボウ管の新全集を企画していたのであれば、12月25日の前後にレコーディング・セッションを組むことにより、リハーサル等の時間と経費を節約しながら毎年一曲ずつ制作していくこともできたわけで、そう考えるとやはり4番と7番の再録音は単発企画だったような気もします。クリスマスの時期に録音の仕事をすることなど、オランダ人にとっては考えられないことなのかもしれませんが。
最後の第9番は1987年のクリスマス。彼らのベートーヴェン交響曲全集は、その二週間前の同年12月10日〜11日に録音された第8番をもって完成しています。つまりこのマーラー第9番は、現時点で正規発売されている音源としては、ハイティンクとコンセルトへボウ管のラスト・レコーディングなのです。そしてその後を引き継いだシャイーも、同じくマーラーの第9番をもってデッカへのマーラー・チクルスを終える予定であり、それがコンセルトヘボウ管との最後の録音になりそうです。たしかにヘボウとの別れにこれほどふさわしい曲は他に考えられないのですが、それにしてもちょっとできすぎのような話ではあります。ちなみに、翌1988年4月のヘボウ創立100周年記念コンサートで、このセットに入っていない第8番がハイティンクの指揮によって演奏されました。
1-4 その他
彼らのマーラーは以上のほかに、1960年代の放送音源が一曲だけ公式発売されています。蘭NM Classicsから1999年にリリースされたハイティンクとコンセルトヘボウ管の放送音源集 "LIVE The Radio Recordings"に収録されている交響曲第6番で、フィリップスへの録音の数ヶ月前の演奏会のライヴ録音です。
非正規盤では、コンビ復帰後の1993年の録音である第1番「巨人」と1995年の第2番「復活」があるようです。「巨人コンビが復活」、であります。
またハイティンクとコンセルトヘボウ管の来日公演でもマーラーの交響曲はよくプログラムに組まれており、1968年9月の第2回公演で第1番「巨人」、1974年4〜5月の第3回公演では第10番のアダージョ、1977年5月の第4回公演では第4番が演奏されています。1997年10月のウィーン・フィルとの来日公演で第9番がとりあげられていたのは記憶に新しいところでしょう。2003年7月に札幌と旭川で行われる予定のPMFオーケストラ演奏会でも、ハイティンクが交響曲第9番を指揮することになっています。
【演奏者】
- アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
- エリー・アメリング(S) 〔第2番(1968),第4番(1967)〕
- オランダ放送合唱団(合唱指揮:カレル・ラオート)/アーフェ・ヘイニス(A) 〔第2番(1968)〕
- ロバータ・アレグザンダー(S) 〔第2番(1984Live),第4番(1983)〕
- NOS合唱団(合唱指揮:ロビン・グリットン)/ヤルト・ヴァン・ネス(A) 〔第2番(1984Live)〕
- オランダ放送女声合唱団(合唱指揮:マインデルト・ブーケル)/モーリン・フォレスター(A) 〔第3番(1966)〕
- 聖ウィリブロード教会少年合唱団(合唱指揮:トーン・ヴランケン) 〔第3番(1966),第8番〕
- NOS女声合唱団/北オランダ少年合唱団/キャロライン・ワトキンソン(A) 〔第3番(1983Live)〕
- マリア・ユーイング(S) 〔第4番(1982Live)〕
- アムステルダム・トーンクンスト合唱団(合唱指揮:フランス・モーネン)/デ・シュテム・デス・フォルクス合唱団(合唱指揮:アントーン・クレラーヘ)/アムステルダム・コレギウム・ムジクス合唱団/聖ピオ10世教会児童合唱団(合唱指揮:トーン・ヴランケン)/イレアナ・コトルバス(S)/へザー・ハーパー(S)/ハンネーケ・ヴァン・ボルク(S)/ビルギット・フィニレ(A)/マリアンネ・ディーレマン(A)/ウィリアム・コクラン(T)/ヘルマン・プライ(Br)/ハンス・ゾーティン(Bs) 〔第8番〕
- ジャネット・ベイカー(Ms)/ジェイムズ・キング(T) 〔大地の歌〕
- ジェシー・ノーマン(S)/ジョン・シャーリー=カーク(Bs) 〔子供の不思議な角笛(1976)〕
- トム・クラウゼ(Br) 〔子供の不思議な角笛(1981Live)〕
- ヘルマン・プライ(Br) 〔亡き子をしのぶ歌、さすらう若人の歌(1970)〕
- ベンジャミン・ラクトン(Br) 〔さすらう若人の歌(1978Live)〕
- オランダ放送合唱団(合唱指揮:マインデルト・ブーケル)/へザー・ハーパー(S)/ノーマ・プロクター(A)/ヴェルナー・ホルヴェーク(T) 〔嘆きの歌〕
【レコーディング・リスト】(録音順、ライヴ以外はすべてPhilips)
曲目 録音年月日
(L):Live
Philips
全集
Philips
その他
クリスマスマチネ
その他 交響曲第1番 1962.9.
○ 交響曲第3番 1966.5.
○ 交響曲第4番 1967.12.20-22.
○ 交響曲第2番「復活」 1968.5.26-29.
○ 交響曲第6番「悲劇的」 1968.11.7.(L)
○(NRU) 交響曲第6番「悲劇的」 1969.1.29-2.2.
○ 交響曲第9番 1969.6.23-26.
○ 交響曲第7番「夜の歌」 1969.12.
○ 「亡き子をしのぶ歌」 1970.5.27-28.
○ 「さすらう若人の歌」 1970.5.27-28.
○ 交響曲第5番 1970.12.1-4.
○ 交響曲第10番〜アダージョ 1971.9.10.
○ 交響曲第8番「千人の交響曲」 1971.9.16-20.
○ 交響曲第1番 1972.5.18-20.
○ カンタータ「嘆きの歌」第1・2部 1973.2.17-18.
○ 「大地の歌」 1975.9.1-2.
○ 「子供の不思議な角笛」(12曲) 1976.4.27-29.
○ 交響曲第1番 1977.12.25.(L)
○ 「さすらう若人の歌」 1978.12.25.(L)
○ 「子供の不思議な角笛」より(4曲) 1981.12.25.(L)
○ 交響曲第7番「夜の歌」 1982.12.6,13.
○ 交響曲第4番 1982.12.25.(L)
○
Video 交響曲第4番 1983.10.3-4.
○ 交響曲第3番 1983.12.25.(L)
○
Video 交響曲第2番「復活」 1984.12.25.(L)
○ 交響曲第7番「夜の歌」 1985.12.25.(L)
○ 交響曲第5番 1986.12.25.(L)
○ 交響曲第9番 1987.12.25.(L)
○ 【国内盤初出】(< >内は発売年月、特記以外はすべてLP/日本フォノグラム)
- 交響曲第1番(1962)
- 交響曲第3番 SFX7665-6 <1968.9.>
- 交響曲第4番(1967) SFX7675 <1969.1.>
- 交響曲第2番 SFX7680-1 <1969.2.>
- 交響曲第6番(1969) SFX7737-8 <1970.2.>
- 交響曲第9番(1969) SFX7840-1 <1971.1.>
- 亡き子をしのぶ歌+さすらう若人の歌 SFX7884 <1971.7.>
- 交響曲第8番 SFX8526-7 <1972.8.>
- 交響曲第5番+第10番アダージョ SFX8535-6 <1972.9.>
- 交響曲第1番(1972) X5593
- 嘆きの歌 SFX8653 <1974.9.>
- 大地の歌 X7603 <1976.4.>
- 子供の不思議な角笛 X7729 <1977.7.>
- 交響曲第7番(1982) 28PC96-97 & 35CD72-3(CD) <1984.7.>
- 交響曲第4番(1983) 28PC5089 <1984.10.>
〔輸入盤〕
- クリスマス・マチネーLive:国内盤未発売;"EUROVISION CHRISTMAS MATINEE CONCERT" (CD:NPS-Radio - Philips Dutch Masters Volume 50 464321-2) <1999.>
- 交響曲第6番(1968Live):国内盤未発売;"LIVE The Radio Recordings" (CD:NRU - NM Classics 97014) <1999>
〔Video〕
- 交響曲第3番(1983,Live) LD:パイオニアLDC(RMアーツ) SM065-3641 <1990.1.>
- 交響曲第4番(1982,Live) LD:パイオニアLDC(RMアーツ) SM065-3642 <1990.1.>
2.ベルリン・フィル
ベルリン・フィルのマーラー・チクルスは、ハイティンクにとっての新全集となるはずでしたが、第8番と第9番が録音されないまま中断されて、10年が経過しました。彼はその後フィリップスとの契約を打ち切られたため、中断というより実質的には中止です。あと2曲だけ録音すれば全集が完成するのに、それもしないで中止するというのは、だれが考えてもすっきりしません。
たとえばマゼールとウィーン・フィルは、1982〜1985年にマーラーを集中的に録音したのち、一曲だけ残っていた第8番を1989年に録音して、全集を完成させました。ハイティンクも、いかにも費用がかかりそうな第8番を早いうちに録音していれば、あるいは違った結果になったかもしれません。あるいは、コンセルトヘボウ管との再録音があった4番と7番を後回しにしていれば、二大オーケストラによるデジタル録音の新全集が曲がりなりにも完成した可能性が大です。というより、ベルリン・フィルによるマーラーはアバードに任せ、ヘボウを離れた後も録音上の関係を継続していればよかったのでは…。
と、そんなことをいまさら言っても仕方ありません。ベルリン・フィルとのチクルスが開始された1987年には、ハイティンクはもうコンセルトヘボウを離れることが決定していたわけですが、その理由はけっして自らの意思ではなく、楽団マネージメントとの軋轢だったとのことです。それでもハイティンクとしては名誉指揮者や桂冠指揮者という肩書きを得て楽団とのつながりを残しておきたかったのらしいのですが、コンセルトヘボウ当局は彼を無冠で送り出しました。これではほとんど喧嘩別れも同然で、以後5年間、ハイティンクはコンセルトヘボウを振る機会を持てなかったといいます。このような状態では、レコーディングだけといえど関係を継続することは不可能だったのでしょう。(※)
たとえばショルティはシカゴ交響楽団を円満退職した後も、シカゴ響との演奏会やデッカへの録音を続けました。しかしハイティンクの場合は別のオーケストラと組まざるを得ず、マーラーの録音にはベルリン・フィルが選ばれたのでした。シリーズ最初の録音である第1番「巨人」は、ハイティンク指揮ベルリン・フィルの初録音です。
では彼らのマーラー録音を見ていきますと、フィリップスへのスタジオ録音が第1番〜第7番と第10番アダージョ及び「さすらう若人の歌」、コンサートの映像収録が第1番〜第4番及び第7番の5曲。正規盤はこれだけです。
録音版と録画版の年月日を付き合わせますと、第2番、第3番(左ジャケット写真)、第7番については録画の行われた演奏会と同時期に、フィリップスのレコーディング・セッションが組まれていたらしいことがわかります。ただ、第2番は合唱や独唱も同じ顔ぶれですが、第3番は合唱指揮者とアルト独唱者が異なっています。逆に第4番は時期が半年空いていますが、ソプラノ独唱者は同じです。CDのジャケットには"Also available on Laserdisc and VHS"とあるので、同一音源の映像版があるのかと錯覚しますが、これは演奏者が同じだというだけなのでした。第4番の場合は会場も異なっていて、映像が収録された演奏会はベルリンのシャウシュピールハウス、その他はすべてベルリンのフィルハーモニーとなっています。
ちなみにフィリップスでは、最初の第1番が録音される4ヶ月前、第8番だけが1980年に録音されていた小澤指揮ボストン響のマーラー・チクルスが再開されており、こちらはハイティンクの再録音が中断した1993年に、全集完成に至っております。そして、ハイティンクがベルリン・フィルと第1番、第5番に続いて1989年4月に第6番を録音したその半年後、古巣のコンセルトヘボウでは新シェフのシャイーが、その同じ第6番をもってマーラー録音シリーズに着手するのでした。
さらにちなみに、ベルリン・フィルによるマーラーの交響曲シリーズは、DGにおけるアバードの録音も全曲録音には至っていません。彼のマーラー交響曲全集は、長い期間に複数のオーケストラで録音してきたものを寄せ集めただけという印象を否めないものです。メジャーのレコード会社が録音量の絞り込みや経費の削減を図っている昨今では、スタジオ録音によるマーラーの交響曲全集などというものは実現至難のプロジェクトに相違なく、デッカがシャイーとヘボウでそれを近々完成させるということの意味は、非常に大きいといえるのではないでしょうか。
(※ ハイティンク辞任の顛末は、『レコード芸術』誌1994年5月号掲載の「スクラムサイド―三浦淳史の音楽切り抜き帖」に基づきました)
【演奏者】
- ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
- エルンスト・ゼンフ合唱団(合唱指揮:ジーグルト・ブラウンズ)/シルヴィア・マクネアー(S)/ヤルト・ヴァン・ネス(A) 〔第2番、同Live〕
- エルンスト・ゼンフ女声合唱団(合唱指揮:ヘルヴァート・マットヒーセン)/テルツ少年合唱団(合唱指揮:ヴォルフガング・シャディ)/ヤルト・ヴァン・ネス(A) 〔第3番〕
- エルンスト・ゼンフ女声合唱団(合唱指揮:ヘルヴァート・マットヒーセン)/テルツ少年合唱団(合唱指揮:ゲルハルト・シュミット=ガーデン)/フローレンス・クイヴァー(A) 〔第3番Live〕
- シルヴィア・マクネアー(S) 〔第4番、同Live〕
- ジェシー・ノーマン(S) 〔さすらう若人の歌〕
【レコーディング・リスト】(録音順、すべてPhilips)
- 交響曲第1番ニ長調 1987.4.1-2.
- 交響曲第5番嬰ハ短調 1988.5.15-17.
- 交響曲第6番イ短調「悲劇的」 1989.4.6-8.
- さすらう若人の歌 1989.4.6-8.
- 交響曲第3番ニ短調 1990.12.12-16.(Live,Video)
- 交響曲第3番ニ短調 1990.12.16-18.
- 交響曲第4番ト長調 1991.12.12-15.(Live,Video)
- 交響曲第7番ホ短調「夜の歌」 1992.5.29-30.(Live,Video)
- 交響曲第7番ホ短調「夜の歌」 1992.5.30-31,6.3-4.
- 交響曲第10番嬰ヘ短調〜アダージョ 1992.5.30-31,6.3-4.
- 交響曲第4番ト長調 1992.6.8-10.
- 交響曲第2番ハ短調「復活」 1993.1.20-22.(Live,Video)
- 交響曲第2番ハ短調「復活」 1993.1.21-24.
- 交響曲第1番ニ長調 1994.1.30-2.1.(Live,Video)
【国内盤初出】(< >内は発売年月、すべてCD/日本フォノグラム)
- 交響曲第1番 28CD3231 <1988.9.>
- 交響曲第5番 PCD7002 <1989.5.>
- 交響曲第6番+さすらう若人の歌 PHCP137-8 <1991.2.>
- 交響曲第3番 PHCP192-3 <1991.12.>
- 交響曲第4番 PHCP5191 <1993.11.>
- 交響曲第2番 PHCP328-9 <1994.5.>
- 交響曲第7番+第10番アダージョ PHCP330-1 <1995.2.>
〔Video〕
- 交響曲第4番(Live) LD:PHLP4814 <1993.11.> / DVD:UCBP1009 <2001.7.>
- 交響曲第3番(Live) LD:PHLP5834 <1994.3.> / DVD:UCBP1020 <2001.10.>
- 交響曲第1番(Live) LD:PHLP5841 <1995.3.> / DVD:UCBP1015 <2001.9.>
- 交響曲第2番(Live) LD:PHLP5842 <1995.4.> / DVD:UCBP1016 <2001.9.>
- 交響曲第7番(Live) LD:PHLP5843 <1995.5.> / DVD:UCBP1021 <2001.10.>
3.その他・まとめ コンセルトヘボウ管やベルリン・フィル以外にも、ハイティンクにはマーラーの録音があります。
- 交響曲第9番 ECユース管弦楽団 1993.3. Live Philips
- 交響曲第6番 フランス国立管弦楽団 2001.10.24,27. Live(シャンゼリゼ劇場、パリ)仏naive V4937 <2002.>
第6番 第8番 またも第6番(左ジャケット写真)。ハイティンクはこの曲を何回録音しているのか? では最後に、以上の録音を曲目別にまとめ直してみましょう。正規盤だけで延べ44曲。今後さらに増える可能性もあります。映像版を含めて三種類の交響曲全集をつくったバーンスタインに、トータルでは匹敵する録音量ではないでしょうか。
ただし、交響曲第8番は一種類しかありません。このハイティンク盤の録音には実際に千人が参加したと言われており、さすがにそれを何度も繰り返すことはできなかったのでしょう。
・交響曲第1番
1. 1962.9. コンセルトヘボウ管
2. 1972.5. コンセルトヘボウ管 (全集)
3. 1977.12.(Live) コンセルトヘボウ管 (クリスマス・マチネー)
4. 1987.4. ベルリン・フィル
5. 1994.1.(Live,Video) ベルリン・フィル・交響曲第2番「復活」
1. 1968.5. コンセルトヘボウ管 (全集)
2. 1984.12.(Live) コンセルトヘボウ管 (クリスマス・マチネー)
3. 1993.1.(Live,Video) ベルリン・フィル
4. 1993.1. ベルリン・フィル・交響曲第3番
1. 1966.5. コンセルトヘボウ管 (全集)
2. 1983.12.(Live) コンセルトヘボウ管 (クリスマス・マチネー)
3. 1990.12.(Live,Video) ベルリン・フィル
4. 1990.12. ベルリン・フィル・交響曲第4番
1. 1967.12. コンセルトヘボウ管 (全集)
2. 1982.12.(Live) コンセルトヘボウ管 (クリスマス・マチネー)
3. 1983.10. コンセルトヘボウ管
4. 1991.12.(Live,Video) ベルリン・フィル
5. 1992.6. ベルリン・フィル・交響曲第5番
1. 1970.12. コンセルトヘボウ管 (全集)
2. 1986.12.(Live) コンセルトヘボウ管 (クリスマス・マチネー)
3. 1988.5. ベルリン・フィル・交響曲第6番
1. 1968.11.(Live) コンセルトヘボウ管
2. 1969.1-2. コンセルトヘボウ管 (全集)
3. 1989.4. ベルリン・フィル
4. 2001.10.(Live) フランス国立管・交響曲第7番「夜の歌」
1. 1969.12. コンセルトヘボウ管 (全集)
2. 1982.12. コンセルトヘボウ管
3. 1985.12.(Live) コンセルトヘボウ管 (クリスマス・マチネー)
4. 1992.5.(Live,Video) ベルリン・フィル
5. 1992.5-6. ベルリン・フィル・交響曲第8番
1. 1971.9. コンセルトヘボウ管 (全集)
・交響曲第9番
1. 1969.6. コンセルトヘボウ管 (全集)
2. 1987.12.(Live) コンセルトヘボウ管 (クリスマス・マチネー)
3. 1993.3. ECユース管・交響曲第10番〜アダージョ
1. 1971.9. コンセルトヘボウ管 (全集)
2. 1992.5-6. ベルリン・フィル・大地の歌
1. 1975.9. コンセルトヘボウ管
・嘆きの歌〔第1・2部〕
1. 1973.2. コンセルトヘボウ管
・子供の不思議な角笛
1. 1976.4.〔全曲〕 コンセルトヘボウ管
2. 1981.12.(Live)〔4曲〕 コンセルトヘボウ管 (クリスマス・マチネー)・亡き子をしのぶ歌
1. 1970.5. コンセルトヘボウ管
・さすらう若人の歌
1. 1970.5. コンセルトヘボウ管
2. 1978.12.(Live) コンセルトヘボウ管 (クリスマス・マチネー)
3. 1989.4. ベルリン・フィル
(2003年5月2日、An die MusikクラシックCD試聴記)