シノーポリの「第九」を聴く

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前編

非推薦盤

ベートーヴェン
交響曲第9番ニ短調作品125
シノーポリ指揮シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1996年3月、ゼンパー・オパーにおけるライブ
DG(輸入盤 453 423-2)

声楽陣

  • ソプラノ:ソルヴェイグ・クリンゲルボーン
  • メゾソプラノ:フェリシティ・パルマー
  • テノール:トマス・モーザー
  • バス:アラン・ティトゥス
  • ドレスデン国立歌劇場合唱団

 ジャケット掲載がないので、非推薦盤だとすぐご理解いただけると思うが、これは非推薦盤の中でも最悪クラスの非推薦盤である。もしかしたら、この「第九」を評価する方が読者の中にはおられるかもしれないが、少なくとも私にはベートーヴェンの息吹のかけらも感じられない。聴いてがっかりしたなどというレベルではない。最初にこのCDを聴いたときは、失望を通り越して怒り心頭に発したのである。演奏には、覇気も、生気もなく、熱気もない。また、ベートーヴェンの音楽に対する指揮者の共感さえ微塵も感じられない。シノーポリには、この曲に真摯に取り組もうという姿勢がなかったのだろうか? あるいは彼は、ベートーヴェンの音楽が好きでないのだろうか? はたまた、ベートーヴェンの音楽は好きだが、その表現方法を知らないのだろうか。この録音を聴く限り、シノーポリは指揮台にただ立っていただけという気がする。

 これがライブ録音であることを知ると、私は一層悄然となった。こんなしみったれた演奏は、スタジオ録音ならあり得るし、それを指揮者のせいにすることもできるが、ライブでこの有様では、オケにも相当の責めがあるといわざるを得ない。指揮者がかりに出来が悪くても、オケが優秀であれば、ある程度聴衆を納得させうる演奏が可能なはずだ。それができなかったのであれば、カペレも大したことはない...と考えてしまう。事実、カペレファンの私でさえ、このCDを聴いたときはカペレの将来に暗澹たる思いを抱いたのである。

 指揮が悪い、オケも共犯、と続いたが、このCDにはもうひとつ、録音が最悪というおまけまである。DGは90年代に入って4Dという録音方式を採用しているが、これは完全に玉石混淆で、多くが「石」である。「石」の代表盤は、シノーポリによる、この「第九」ではないだろうか。当時、録音実績が多いとはいいにくいゼンパー・オパーでの収録、しかもライブということもあって、ルカ教会におけるスタジオ録音とは比べるべくもない音質になっている。ライブであることを考慮すると、マイクの設定もあるだろうから、音が薄っぺらであるのはまだ許せる。だが、それだけではない。4D方式による録音の弊害だが、音楽がばらばらに聞こえるのである(最近改善されつつあるようだ)。楽器の分離感を向上させようとする技術陣の努力は理解できるのだが、それは、音楽的なのだろうか? それが賞賛されるべき最新ステレオ録音だというのであれば、私はモノラルで聴きたい。コンサートホールでは結構音が固まって聞こえる。各セクションがてんでバラバラに聞こえるという経験を私はしたことがない。

 一体どうしてこんなCDができてしまったのだろうか。シノーポリはこの「第九」を録音しなければならない理由が何かあったのだろうか? 大レーベルDGの意向が強く働いたことは想像に難くない。が、カペレの歴史にこれほどみっともない「第九」を残すのであれば、発売しなくてもよかったはずだ。

 私は、カペレのページを作り始める際、シノーポリ以降は取り扱う気がなかった。こんな演奏を知っていたからである。カペレのページを開始した後も、この録音を載せるつもりはなかった。こんな情けない録音を紹介することで読者の気分を害したくなかったからである。しかし、カペレの名誉のためにどうしてもこの録音について語りたかったのである。その理由は.....(明日の後編に続く!)

 

後編

 

 先日、カペレファンの知人Y氏からこんなメールをいただいた。本人の了承を得たので、以下に紹介しよう。

 

 伊東さん、こんにちは。今年二度目のドレスデン詣でをしてきました。ひとりだけドレスデンに行って申し訳ありませんでしたm(__)m。罪滅ぼしに、いろいろご報告します。

 ゼンパー・オパーでは、9月30日から10月5日までの5公演を聴いてきました。ドレスデンに着いたときはまだ観光シーズン中で、大勢の観光客がいてびっくりしました。9月中はゼンパー・オパーのオペラ鑑賞も観光の対象になっていたみたいです。9月30日の「さまよえるオランダ人」が終わると、ゼンパー・オパーの外に観光バスが何台も並んでいて、観光客が乗り込んでいました。一体どこに泊まっていたんでしょうね。こんな光景は今までにありませんでした。観光地化が進んでいるのは気がついていましたが、ドレスデンらしからぬことですね。

 私が聴いた公演は以下のとおりです。

  • 9月30日:ワーグナー・歌劇「さまよえるオランダ人」
  • 10月1日:チャイコフスキー・バレエ「くるみ割り人形」
  • 10月2日:R.シュトラウス・歌劇「無口な女」
  • 10月3日:ヴェルディ・歌劇「ファルスタッフ」
  • 10月5日:ベートーヴェン・交響曲第9番

 どれも良い演奏でした。歌劇場の合唱団も格段にうまくなっています。ピッチと声質が完全に揃ったコーラスを聴いていて感激しました。立派なものです。

 オペラの演目では、R.シュトラウスの「無口な女」がさりげなく入っていますね。こんな難しい曲をレパートリーに入れているオペラハウスは他にないと思います。技巧的にも難しい個所がいくらでもあるこのオペラで、カペレがさらりと弾いてのけているように思えるんですから、それだけでもすごいと思います。「無口な女」ではダム教授がソロを吹いていました。もう引退間近で、日本にカペレ団員としては来ないことが決定していますが、現地では惜しげもなくブカブカプープー吹いていました。

 ゼンパーの音響ですが、再建当時から変わってきました。時間が経つにつれて改善しています。オペラの音に馴染んできたんでしょう。あと数年すれば、もっとよくなるんじゃないかな。

 さて、本題です。今回聴いた演目の中で、私を瞠目させたものがありました。10月5日の「第九」です。指揮はシノーポリです。伊東さん、多分シノーポリの「第九」と聞いて、私のいうことを信用してくれないと思いますが、冗談抜きにすごい演奏でしたよ。お聴かせできないのが残念です。私もシノーポリ指揮のカペレで、あんなすごい「第九」を聴けるとは思いませんでした。なにしろ、グラモフォンから出ていたCDはひどい演奏ですからねえ。カペレの本拠地で聴くのでなければ、私だって最初からパスしていたでしょう。そうしなくてよかった。だって、会場は指揮者が入ってくる前から雰囲気が違うんです。コンマスの席にはペーター・ミリング教授がいました。これ、珍しいんですよ。ミリング教授とシノーポリが一緒に写っている写真は数えるほどしかないんです。ミリング教授のお気に入りはデイヴィスで、デイヴィスの行くところにはまめについていっています。相性がいいんでしょうね。シノーポリとは多分相性がイマイチなんだと思います。そのミリング教授がコンマスとしてにらみを聴かせた会場には、それだけで緊張感が漂っていました。貫禄です。ミリングさんのすぐ側にはユストさんの姿も見えました。1959年入団のバイオリン奏者ですが、お元気そうで嬉しくなりました。ちなみに、私が覚えている主要メンバーは、こんなふうになります。

  • Vn:ミリング、エッコルト、ユスト、ファスマン
  • Vn2:リヒター
  • Va:シコラ、ノイハウス
  • Vc:ディットマン
  • Cb:ツァイビヒ
  • Fl:J・ワルター
  • Cl:ワイゼ
  • Tp:ローゼ
  • Hr:マークヴァルト
  • Ti:ケプラー

 古参団員を要所に配置した布陣ですね。何々ならぬ意気込みを感じました。実際、演奏が始まってみると、演奏のすごさに、身動きができなくなりました。完全に固まっちゃいましたよ(^^ゞ。おそらく、まわりの聴衆も同様だったと思います。

 分かりやすくいうと、ブロムシュテットのライブ盤がありますよね? あれとそっくりのテンポでした。第4楽章だけはブロムシュテット盤よりわずかに遅くなっていました。演奏内容もあのライブに似ています。ホルンが第1楽章でミスッたのですが、それでもリズム感は完璧。技術的にも文句なしの演奏です。第4楽章での木管のオペラティックなオブリガートなどは感涙ものでした。細かくは書けませんが、最高のベートーヴェンでした。伊東さん、あのライブ盤をご存知だと思いますが、私は、あれか、あれよりすごい演奏を生で聴いちゃったんです。動悸が止まりませんでした。

 でも、指揮者はあのシノーポリなんですよ。シノーポリがあんなベートーヴェンを演奏できるなんてウソみたいですね。今年カペレが来日した際、シノーポリは「第九」を指揮しましたが、それと比べても月とスッポン。同じ指揮者とは思えません。

 思うに、今回はシノーポリは棒を振り回していただけなのかもしれません。カペレは、観光客が去って、地元の聴衆ばかりになったゼンパー・オパーで、みっともないベートーヴェンを演奏したくなかったんでしょう。窮余の策として、カペレはシノーポリに自分たちのベートーヴェン演奏を聴かせてやったのではないでしょうか。シノーポリが指揮していたように端からは見えますが、そうではなくて、指揮者不在の演奏だったのだと思います。カペレは自分たちの伝統的な「第九」を勝手に演奏したんです。だから、ブロムシュテット盤とも似ているんじゃないかと思いますよ。影の指揮者はきっとミリング教授ですね。

 伊東さん、私もシノーポリのDG録音を聴いてがっくりきたクチです。しかし、今回の「第九」を聴いて、やっぱりカペレはすごいと思いましたよ。あんな演奏をできるのなら、カペレは今後も大丈夫です。ドレスデンに行った甲斐がありました。

 シノーポリはこうしたチャンスを踏み台にしてほしいですね。オケがこれだけのことを指揮者に教えてくれるんだから、吸収しなくちゃいけません。それができればシノーポリもこれから一皮むけてくると思うんです。大指揮者になれるかなれないかは、そういうところにかかっていると思いませんか?

 長くなりました。私はみんなの顰蹙を買いながらドレスデンに行っていますが、今回のドレスデン詣でほど価値が高かったものはないと思います。以上です。

 

 これは羨ましい。あのシノーポリが本邦カペレヲタク第1人者のY氏を唸らせる演奏をしたとは。Y氏のメールにさらに私がコメントをはさむ必要もないだろう。こうなれば、私もドレスデンに行くしかない。Y氏はカペレだけでなく、広くそして深く音楽を聴かれる方で、私はその音楽鑑賞力を賞賛してやまない。誇張なしですごかったのだと思う。そのY氏をこれだけ興奮させた演奏だとしたら、カペレの底力は、私どもの予想を遙かに超えている。長らく同じ首席指揮者を戴いていても、カペレは自分たちの「音楽」をずっと失わずに持っていたのである。うーむ。

 

2000年10月19、20日、An die MusikクラシックCD試聴記