フランクの交響曲ニ短調を聴く
前編
フランク
交響曲ニ短調
ザンデルリンク指揮シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1964年8月
R.シュトラウス
メタモルフォーゼン
スウィトナー指揮シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1964年6月
BERLIN Classics(輸入盤 BC 3023-2)フランクの交響曲ニ短調は名曲として知られているようだが、人気の方はどうなのだろう。意外と苦手意識を持つ音楽ファンもいるのではないか? この曲は初演の際、さんざんな悪評を蒙ったそうだ。どの解説書にも必ず記載されているが、「陰気である」との悪評があった。グノーに至っては(作曲家の)能力のなさを示している、とまで言い切ったそうな。確かに陰気な曲だ。第1楽章の導入部は暗闇から巨大な怨念の固まりがムクムクと膨れ上がってくるようだし、第2楽章も寂しい。華々しいのは第3楽章だけだが、単純に脳天気な音楽かと言えばそうではなく、派手さの中にも陰影を湛えている。初演時での「無能よばわり」以外は結構当を得ているのではないか、と私は思っている。
私は多くの日本人同様、短調の曲に愛着を感じることが多い。しかも根暗な性格なものだから、フランクの暗い音楽には結構自然に没入できる(^^ゞ。一度聴き入ってしまうと、第1楽章で巨大な盛り上がりを示す展開部など、感激してしまう。好きな人にはたまらない音楽だ。特に、金管楽器が弦楽器に伴奏されるようにして巨大なクライマックスを作っていく様は本当にすばらしい。金管楽器には無論トランペットも含まれるのだが、派手な音色ではなく、重心の低い暗い音色のまま音響が拡大していくところなど感涙ものである。ただし、交響曲ニ短調はイングリッシュ・ホルンやハープまで動員した曲であるにもかかわらず、音楽にあまり色彩感がないように聞こえる。むしろ墨絵のような曲だ。また、少し抽象的な感じもする。こうした曲であれば、一般的に多くのファンを得られないかもしれない。
いつも思うのだが、こうした特徴はブルックナーの音楽とそっくりだ。ブルックナー同様、フランクも好きな人と嫌いな人がはっきり分かれるかもしれない。世間では「名曲」と太鼓判を押されていても、納得がいかず聴き続けることができない人もいるだろう。かたやベルギー出身のフランス音楽家、かたやオーストリア出身のドイツ音楽家ではあるが、面白いことに、両者には共通点がある。まず、いずれも敬虔なカトリック信者であること。ワーグナーの影響が大きいこと。教会のオルガン奏者として教会で音楽を育んだこと。オルガンの響きを交響曲に持ち込んだこと...。私は子供の頃から「どうしてフランクの交響曲ニ短調がドイツ音楽ではないのか?」と不思議に思っていたが、今ブルックナーと比較を始めても、やはりこの曲のドイツ臭い。
カペレを指揮したザンデルリンクの録音は、意図的に渋いオケの響きを作り出していて面白い。ザンデルリンクの音楽は決して単純ではないようだが、ことこのフランクに限れば、色気あるカペレの音色を徹底的につぶし、色彩が極力表面に現れないようにしている。彼はむりやり鄙びた感じを出そうとしていて、金管及びティンパニの強奏をなるべく避け、その音色を弦楽器の中に沈み込ませている。しかし、カペレは匂い立つような音色を持つオケだから、木管楽器やホルンのソロが出てくると、それなりの音を聴かせてしまう。演奏者にしてみれば、自分たちの音色が否定されているようでさぞかし演奏しにくかったのではないかと思えるが、時折現れるソロは首席奏者達の無言の抵抗を示しているように感じられてならない。金管楽器が盛大に鳴り出すのは第3楽章で、オケは堰を切ったように豪快に鳴り始める。しかし、演奏の印象を決める第2楽章まではほとんど墨絵状態で、全く渋い。ただ、もしかしたら、こんなサウンドをフランクは夢見ていたかもしれないと私は考えるときもある。初演時、フランクは「陰気」といわれた演奏に満足していたと言うが、もしフランクがこの墨絵のごとき演奏を聴いていたら、かなり感心したかもしれない。それほど渋さを極めた演奏だと思う。
なお、余白に収録されているR.シュトラウスの「メタモルフォーゼン」について。これは余白埋めのつもりなのだろうが、とんでもない。実に激烈な演奏である。多彩な楽器を駆使したフランクの交響曲ニ短調が墨絵であったのに対し、弦楽器だけで演奏された「メタモルフォーゼン」は時に冷たく青い光を放ち、時に赤く燃えさかり、時に白熱する。スウィトナーは外見は地味な太っちょおじさんだが、ひとたび指揮台に立つと熱血おじさんに変わるようだ(こんな対照的な指揮者による対照的な演奏を収録するというのは何とも奇妙なことだ)。すごいのは音楽がヒステリックになっていないことだ。どれほど上手いオケの弦楽セクションでも、時折ヒステリックな騒音になる場合があるのに、カペレの弦楽セクション23人は、スウィトナーの熱い指揮に完全に応えつつも柔らかな響きと調和を忘れない。スウィトナーを知るうえでもカペレの凄さを知るうえでもいい録音であろう。
作曲家でもある柴田南雄さんはこう述べている。
....結局、フランクはどんな人だったんでしょうか。
一口でいえば、イタリアのロッシーニのような早熟で饒舌な、職人的天才とはまさに正反対の作曲家、と言えるでしょう。表現すべきものはいっぱい持っているのに、何しろ若い時から作曲の修行が足りません。作品にまとめる経験が足りない、と言うより、じっさいにオーケストラ作品を鳴らした経験が明らかに足らないのです。
講談社文庫 クラシック名曲案内ベスト151
なるほど。作曲家から見ると、あのフランスっぽくない色彩感覚は経験不足から来ていることになるらしい。ということは、上記のように、ザンデルリンクが墨絵のごとく色彩がない演奏をわざわざ行ったように思われたのも、無理からぬことかもしれない。
では、他の指揮者はどんなアプローチをしているのだろう。気になる人もいると思うので、ステレオ録音盤から2種類抽出して聴いてみよう。シャイー&コンセルトヘボウ盤と、カラヤン&パリ管盤である。
フランク
交響曲ニ短調
交響的変奏曲
シャイー指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管
録音:1986年4月7,11日、コンセルトヘボウ
DECCA(輸入盤 430 744-2)世界屈指の名門オケ、コンセルトヘボウのフランク。このオケは私のお気に入りで、そのまろやかなサウンドにはいつも感銘を受ける。機能的にも最高の水準に足しいているから、指揮者のどのような要求にも対応可能であろう。カラフルな色彩感を出すこともできるし、モノクロの音楽を奏でることもできる。指揮者に力量さえあれば、そのイメージするところを表現することが可能だと思う。
この名器を指揮した俊英シャイーは、コンセルトヘボウのまろやかなサウンドを徹底的に活用し、色彩感を無理矢理出すという方向ではなく、オルガン的響きを作り出すことに注力したようだ。ブラスが何重にも重なりながら、突き刺さるような音にも、やかましい音にもならず、空間で弦楽器や木管楽器の音と溶け合っては消えて行く様は神秘的ですらある。名門オケによる最上級のサウンドが聴けるCDである。ただし、演奏そのものは評価が分かれるかもしれない。
フランク
交響曲ニ短調、ほか
カラヤン指揮パリ管
録音:1972年11月
EMI(国内盤 TOCE-3267)パリ管まで支配していた時代における帝王カラヤンの貴重な録音。再録音が多かったカラヤンもフランクの交響曲ニ短調はこれ1枚だけしか残さなかった。多分出来映えに満足していたのだろう。この録音は私がクラシックを聴き始めた頃から常に名盤ガイドの推薦第1位に輝いてきた。確かに面白い。フランクが苦手な人も十分楽しめるだろう(ただし、私はこの演奏がベストだとは思っていない。私のベスト盤はもちろん、クレンペラー盤である)。
パリ管といういかにも色彩感のありそうなオケを指揮したカラヤンは、あの手この手で音楽を盛り上げる。構えからして尋常ではない。第1楽章の序奏部からものものしい雰囲気で、その壮大さに「一体何が始まるのだ?」と思わず聞き耳を立ててしまう。カラヤンはただ生真面目に音楽を再構築する程度では聴衆が喜ばないと思っていたのだろう。巨匠風の大きく構えた巨大な音楽が聴ける。金管楽器が盛大に鳴る様は上記シャイー盤と全く違って壮絶である。フランクの交響曲はカラヤンの手によってドイツ後期ロマン派の音楽に変貌してしまった。カラヤンのサービス精神を心ゆくまで楽しめる1枚。
2000年8月10,11日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記