シュターツカペレ・ドレスデン来日公演2009 印象記 

文:青木さん

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プログラム2009

ファビオ・ルイジ指揮シュターツカペレ・ドレスデン

4月25日(土)、ミューザ川崎シンフォニーホール
プログラム

  • R.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」 作品30
  • ブラームス:交響曲第4番ホ短調 作品98

アンコール

  • ウェーバー:「オベロン」序曲

4月26日(日)、ザ・シンフォニーホール
プログラム

  • R.シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」
  • R.シュトラウス:交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」
  • R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」(原典版)

アンコール

  • ウェーバー:「オベロン」序曲

コンサートマスター:ローラント・シュトラウマー

 

 

 

 4月25日の川崎公演と翌26日の大阪公演を聴きました。その結果、2007年11月の歌劇場来日公演における「サロメ」との連続性を感じましたので、まずそこから。

 

■ サロメ

 

 新奇な舞台装置や演出も話題になったあの「サロメ」ですが、ワタシはそれらにさほど関心がなく、目と耳の大半をオーケストラに振り向けていました。この楽曲は歌劇というより「声楽の入った交響詩」だと勝手に捉えているからですが、実際にも交響詩的な側面が強いという見解が存在し「舞台上の交響詩」と言われることさえあるとのこと。作曲順でも一連の交響詩(家庭交響曲を含む)が作曲されつくしたその次の作品であり、そもそもシュトラウス自身が「歌劇」とは銘打っていませんし。

 さてその演奏、いやもうとにかく管弦楽の変幻自在な雄弁さがただごとではありません。電光表示される字幕をいちいち確認しなくとも演奏だけで人物の感情(というかその変化)がわかる場面もあるほど。木管をはじめとする各楽器の音色はコクやツヤのある魅力的なものながら、けっして「古色蒼然たるイブシ銀の響き」などではなく、鋭さや激しさにも不足なし。それらの織りなすアンサンブルは極上、そして中盤からは緊張感が途切れることなく一気にラストへ。まぁものすごい演奏でした。自分たちの手の内にあるレパートリーに本気で取り組んだときの底力といいますか、月並みな表現ですがこれが「本場の力」というものなのだろうと、すっかり感服・感激・感謝です。

 ワタシの席は東京文化会館3階でステージからかなり遠かったので、深いピットの底にいるオーケストラの音がちゃんと聴こえてくるのか最初は心配しましたがなんのなんの、まったくの杞憂でした。音量がじゅうぶんだっただけでなく、CDやDVDで聴いていたときには聴こえなかった(というか認識できなかった)フレーズも多々あったほど。ま、実演のほうが「音がいい」のは当然でいつも感じることとはいえ、このときはそれが極端でしたねぇ。その要因が楽曲のオーケストレーションの特性なのかホール音響や座席位置との関係なのかは経験不足で判断できませんけど、これはやはりオーケストラの個性と貢献が大きかったと信じます。

 

■ ブラームス

 

  その当時すでに「次回の来日ではR.シュトラウスの交響詩を集中的にやるらしい」とのウワサが囁かれており、大いに楽しみに待っておりました。ところが演目が発表されると、実際にシュトラウスのオーケストラ曲がずらりと並ぶ中に一曲だけブラームス、それも交響曲第4番が! 古風な外装の中に独創性やロマン性を内包するこの曲こそカペレの実演で聴きたい曲ナンバー・ワンだとかねがね考えていたワタシはすっかり舞い上がり、迷うことなく川崎へ遠征することに。そして、その過剰な期待と相当額の出費とを裏切らぬ圧倒的名演奏が展開され、終演後は伊東さんらと美味い酒を酌み交わすことができたという次第です。

 ただしこれはまったくの個人的印象。内省的でダークで「寂寥感の極みといえよう」みたいなブラ4は願い下げであることはかつて告白したとおり。逆に「こんなに熱く激しく力演してはいかん」といった意見が続出しそうなルイジのブラ4観が、逆にワタシには直球ド真ん中だったのでした。しかもオーケストラの美音はそれ自体が手造りの工藝品を思わせる密実でまろやかな質感に満ちたもので、合奏のえもいわれぬブレンド感と木管ソロのクッキリ感とがみごとに両立するという魔術的サウンド。鋭く打ちこまれるティンパニの重量感や、第4楽章フルートソロの渋い音色など悶絶もの。ああこのままずっと浸っていたい・・・などと思いながら聴いていました。

 でも音響に関してはワタシの座席位置も関係していたらしく、ミューザはいかにも反射音が多そうな複雑な形態のせいで場所による差が大きいようです。ワタシは1階でしたがすぐ後ろに上席の壁面が立ち上がっており、頭を動かしただけで弦楽の響きが変化しました。

 

■ シュトラウス

 

  このブラームスに較べると、「ツァラトゥストラはかく語りき」は(よい演奏ではあったものの)おおむね期待の範囲内という感じ。「ドン・ファン」はいまひとつピンとこず、うーんと首を傾げていたら舞台上で大きな異音が生じたりして(金管のミュートか何かを落としたらしい)トホホな気分に。しかしながら「ティル」はこちらの予測をはるかに超えたすごい演奏だと感じました。とにかくひたすら雄弁、管も弦も信じられないほどの表現力で、これこそあの交響詩「サロメ」の延長上にあるもの。しかしそのストーリーはサロメとはまったく異なり、機知に富むユーモア感の連続にワタシの顔はニヤけっぱなしだったはず。

 そして、「英雄の生涯」。2004年5月のハイティンク指揮カペレ、同年11月のヤンソンス指揮コンセルトヘボウ、そして本年1月のハイティンク指揮シカゴ…。日本にいながらにして極私的「世界三大オーケストラ」の名演を次々に堪能してきたこの大曲をまたしても聴くことができるとは、なんという幸せでしょうか。つい数ヶ月前に圧倒されたばかりのシカゴ響と較べてしまうと、合奏の精緻さと音量の大きさはかなわないということになりますが、そんな比較は意味ないですね。ア・ヒーローズ・ライフなどではなくアイン・ヘルデンレーベンを原語で読むかのごときシックリ感、と言葉にするとワケわかりませんけど、とにかく深く満足。CDでは物足りなかった原典版のラストも実演ではふさわしく思え、ノー・フライングブラボーのおかげもあって最後の余韻もじゅうぶんに味わえました。

 総じていえば、同じ交響詩でも「ツァラ」「ドン・ファン」といった抽象度の高い曲よりも、より具体的ストーリーを持つ「ティル」と「英雄の生涯」において彼らの本領が存分に発揮されていたようで、なるほど歌劇場のオーケストラだと勝手に納得。

 

■ ウェーバー

 

 ルイジが「レッド・ゴールド」と表現するオーケストラの音色は、ワタシにはなぜか一貫して艶っぽいインディゴ・ブルー系に感じられました。その色味はそのままにサウンドが一変してしまったのが、両日のアンコールの「オベロン」序曲。2006年のチョン・ミュンフンとの来日公演でもアンコールの「魔弾の射手」序曲が本編とうってかわって持ち味炸裂の大名演だったことが思い出されます。今回もすばらしい聴きものでした。

 シュトラウスでのある種の「締め付け」が急に解放されたかのような印象で、これはもはや技術論を超えた別世界の出来事というか、結局これも「伝統のなせる業」としか表現できないのがもどかしい。川崎ではブラームスの後でしたが大阪では「英雄の生涯」の後だったので弦楽器は最大人数、それがあきらかに揃っていません。しかしちっともマイナスには感じられない。これが伊東さんの言われる「ずらし」の魔力なのでしょうか。

 

■ 録音

 

  さて、帰宅して「英雄の生涯」のSACDを再聴してみますと、あの実演の音響とはまるで異なる情けない軽薄サウンド。やはりダメです。しかしこれはソニー・クラシカル技術陣が悪いのではなく、やはりルイジを含む制作者たちのコンセプトなのでしょう。ワタシの失望は既往録音との無意識の比較に由来していると思うのですが、たとえばケンペ盤と同じような音のディスクをいままた作ることこそ無意味かも知れません。彼らの目指す別の方向性がワタシの好みに合わないだけなのであれば、もう仕方のないことです。だがしかし、これだけはぜひ言わせていただきたい。

「ブラームスも録音してちょ!」

 

(2009年5月16日、An die MusikクラシックCD試聴記)