スウィトナーのモーツァルトを味わう
モーツァルト
交響曲第35番ニ長調KV.385「ハフナー」
交響曲第36番ハ長調KV.425「リンツ」
交響曲第38番ニ長調KV.504「プラハ」
スウィトナー指揮シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1968年
EMI(国内盤 TOCE-7132)名盤中の名盤。名指揮者スウィトナーのモーツァルトとして出色であるばかりでなく、CDという媒体で聴ける最高のモーツァルト演奏のひとつだと思う。
スウィトナーは大方の予想に反し、シュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者であった期間は1960年から64年までと短い。64年にはシュターツカペレ・ベルリンの首席指揮者として転出している。しかし、短い在任期間のわりに、カペレとの組み合わせがすぐに思い浮かべられるのは、モーツァルトの「フィガロの結婚」をはじめ、卓越した演奏をカペレと行い、録音を残してきたからである。短くとも、カペレ首席指揮者時代はスウィトナーの音楽活動の頂点だったかもしれない。
このCDに収録された3つの交響曲は、68年に録音されているから、スウィトナーは既にカペレにとっては過去の指揮者であるはずだ。なのに、演奏を聴く限り、「常任指揮者が日々の演奏の成果を録音しただけです」といった実にアットホームな雰囲気が感じられる。同じ旧東独内のことだから、首席指揮者を退いても深いつながりを持続することができたのであろう。
演奏は、もう惚れ惚れするほどすばらしい。冒頭、「ハフナー」の開始を聴いただけで感嘆する。軽快なテンポの中に弾むようなリズムを載せ、きりりと引き締まった響きを聴かせる爽快な演奏。生き生きとした表情は、音楽を聴く喜びに我を忘れさせる。きびきびとしたテンポだが、薄っぺらい音楽になっていないのは、スウィトナーが手綱をきゅっきゅっと引き締めて、要所要所に強いアクセントを加えているからである。緩徐楽章においてもロマンチックな味付けをすることなく、音楽が進行する。それでいて、冷たい印象を全く与えないのは、指揮者とオケの至芸といえる。躍動感と喜悦感が一体となったまれに見るモーツァルトだと思う。
この演奏は「フィガロ」同様、スウィトナーの個性が強く打ち出されたものだ。この演奏を聴くと、スウィトナーがいかにモーツァルト指揮者として非凡な才能を持っていたか如実に分かる。蒸留水のような味気ないモーツァルトなどとは一線を画しているだろう。現在ではこのような演奏は古楽器オケでなければとても聴けないのではないか。それを68年時点で、しかも世界最古のオケ、すなわち最も古くさいと思われそうなオケであるカペレで成し遂げているのだから非凡だといわざるをえない。本当によい演奏とは流行に左右されず、しかも常に新しい。スウィトナーのモーツァルトは聴き手に新鮮な驚きと感動を与えてくれるだろう。
もちろん、この名演奏を支えているのはカペレのふくよかな響きと精緻なアンサンブルである。ふくよかさという点では、弦楽器群の力量に感謝したくなる。まったく、「モーツァルトとはこのように演奏するのですよ」と模範演奏をしているようでもある。モーツァルトを演奏するのに、カペレがこれほど適したオケだとは。旧東ドイツのオケだというだけで、鈍重なイメージを抱かれがちなカペレだが、この演奏を聴けば誰もがそのすばらしさに欣喜雀躍するであろう。
録音が行われた68年前後、カペレはかなり充実した陣容を揃え、実りある音楽活動を行っている。カペレの最も輝かしい時代の響きが、最高の指揮のもとで現代に伝えられたのは、実に嬉しい。
しかし、EMIにはまたぞろ恨みを言いたい。なぜなら、このCDは現在ほとんど入手できないからである。何と、この駄文を書いている当の私も所有していない。実は、この文章を書くにあたり、読者のスシ桃さんから貸していただいたのである。名盤中の名盤であるにも関わらず、EMIは再発をする気配もない。ひょっとすると、スウィトナーとの契約問題があるのかもしれないが、判然としない。EMIはかつて1,500円で販売していたセラフィム・シリーズを順次廃盤にし、1,733円のグランド・マスター・シリーズに編入、実質値上げを行い、しかもHS2088という最悪のリマスタリングまで施すという作業を積極的に推進している。が、グランド・マスター・シリーズでも何でもいい。何とか再発してほしい。EMIのカタログにこの録音がまた加えられる日は果たして来るのだろうか。不安である。
1999年12月7日、An die MusikクラシックCD試聴記