ケンペ指揮によるライブ録音盤で「英雄の生涯」他、を聴く
文:ゆきのじょうさん
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
シューマン:ピアノ協奏曲イ短調作品54
マルコム・フレージャー ピアノR.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」作品40
ペーター・ミリング ヴァイオリンルドルフ・ケンペ指揮シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1974年3月15日、ドレスデン、クルトウア・パラスト
独Profil/Hanssler(輸入盤 PH08053)Profil/Hansslerレーベルから逐次リリースされているエディション・シュターツカペレ・ドレスデンのシリーズですが、かねてより私はこのシリーズにはちょっとした不満と失望を繰り返していました。このシリーズからリリースされるディスクでの指揮者は、コリン・デイヴィスがもっとも多く、ベーム、カイルベルト、ザンデルリンク、シノポリ等が続きますが、何故かルドルフ・ケンペのディスクのみ、まるで図ったかのように全くリリースされていなかったからです。ケンペはカペレとは様々な名盤を録音しているのは繰り返すまでもありませんが、このコンビでの正規ライブ盤というのはかなり古いモノラル録音がほとんどでした。一時別レーベルでリリースの情報があったブルックナー/第8や、ドヴォルザーク/「新世界より」というカペレとのライブ録音も諸事情で見送りになっており、ケンペのファンとしては特に1970年代のカペレとの正規ライブ盤を聴いてみたいという渇望を癒してくれる機会はほとんど訪れることがなかったのです。
それゆえ今回ついに、と言って差し支えないほどの衝撃をもって、このシリーズでケンペが初登場しました。1973/74シーズンの第8回定期演奏会のライブ録音という2枚組のディスクは今時珍しいどっしりしたCDケースに収められており、解説書もリハーサルも含めたケンペの写真が満載されているのも嬉しい限りです。収録された曲の順序はおそらく逆で、ドビュッシー、シューマンが前半。R.シュトラウスが後半のプログラムだったと思いますので、その順序で感想を書き連ねることにします。
最初のドビュッシーから、もう私はノックアウトです。ドイツの指揮者がドイツのオケを指揮しているという「記号」は全く問題にならないほどの、豊かな雰囲気あふれる演奏です。ホルンの柔らかい響き、フルートの茫洋としながらもきちんとした音楽づくりをしている演奏・・・これに弦楽パートがこれ以上ないくらいのバランスで加わっていくのです。音楽全体は自然に舞い上がり、浮遊し、確かな視点をもってあるべきところに収まっていきます。これを実演で聴いたら、たぶん腰を抜かしてしまうくらいに感銘を受けるだろうと思います。
一転して、シューマンでは目の覚めるような切れ味鋭い、輝きに満ちた響きで始まります。独奏のマルコム・フレージャーは、R. シュトラウス全集では「ブルレスケ」で競演しています。その録音は手元の資料では1975年9月ですから、その前からケンペとは演奏会で競演していたということになります。したがって、R.シュトラウスでのソリストの起用は、そうした交流の結果なのかもしれません。早めのテンポで始まったかと思えば、次第に重厚に粘ってテンポを落としていき、その後も変幻自在に動くのですが、これにケンペがぴたりと付けていくのはほれぼれしてしまいます。カペレの合奏能力も絶妙です。ヴァイオリンは対向配置ですが、下手奥から響いてくる低弦のピチカートが実に奥深く、かつ柔らかいのは、うっとりとして聴くしかありません。
フレージャーは、R. シュトラウス全集でのブルレスケでは、曲目の地味さもあって、今ひとつ実力の全貌がうかがい知れませんでしたし、現役盤でもその数は決して多くはありません。シューマンの協奏曲は、以前の拙稿「二枚のベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲を聴く」で紹介した、グリュエンベルク盤のカップリングで、ホーレンシュタインとのセッション録音が残っています。しかし、今回のシューマンでは、フレージャーの評価は一変するのではないでしょうか? まことに堂々とした壮大な音楽作りであり、ブラインドで聴かされればどこの巨匠ピアニストなのだろうと思うほどの豪快にピアノを鳴らしています。第一楽章のカデンツァでは、文字通り圧倒されてしまいます。そして、これにケンペがこれ以上ないくらいの絶妙なテンポと音量で入ってくるところは、これまた背筋がぞくぞくするくらいの聴かせどころです。
第二楽章は思いの外速めのテンポで始まりますが、途中から自然にテンポを落として伸びやかさを与えていきます。ここではヴィオラ・パートの雄弁さも特筆しなくてはなりません。フレージャーはフレーズの最後にテンポをかなり落とすのですが、カペレはこれに乱れなく付いて行きます。続く第三楽章も弦楽器の複雑な刻みをものの見事に処理しているケンペの棒が素晴らしいです。何よりも全編に言えることなのですが、ピアノとの共演からオーケストラだけの演奏に変わるときの呼吸が、まったく無理がなく移り変わるので、聴き手は何の意識も必要とせずに音楽の流れに委ねることができます。後半になるに従って音楽が熱を帯びて加速していきます。最後はこれ以上ないくらいの白熱しながらも上品さを失わない極上の響きに満ちて終わり、その後のおざなりではない拍手とともに、私の心は満たされました。
なお、フレージャーは1935年に生まれ、1991年に没したアメリカのピアニストでした。シューマンのピアノ協奏曲第一楽章の原曲であったピアノと管弦楽のための幻想曲を発見して初演したのが、このフレージャーだったそうです。
このディスクのメインプログラムである「英雄の生涯」は、1972年3月26-30日に同じくミリングのソロで、ETERNA/EMIのシュトラウス全集でセッション録音していますから、その2年後の演奏会ということになります。冒頭からもう私は言葉を失ってしまいます。このディスクが世に出るまでに関わった関係者に私は、感謝の言葉をいくら書き連ねても足りません。この演奏の最大の魅力の一つはケンペが演奏会で通常用いていたヴァイオリン対向配置であることです。冒頭の低弦パートが左右に大きく広がってこちらに迫ってきます。私はあっけにとられて身じろぎも出来なくなりました。これに限らず、スタジオ録音盤とは、また違う新たな喜びを私に与えてくれました。伊東さんも絶賛しておられるホルン・パートはここでも健在だと思います。もちろんセッション録音ではありませんから、耳の良い方が聴くと各パートの分離が良くないとか、バランスが悪いとかいう問題点がおわかりになるのだと思います。しかし、そういった耳を持たない私はこのディスクを聴いて、何ら不満を感じることはありませんでした。まるで演奏会場にいるかのような感覚すら持つことができたと思います。それにしても左右に分けられた低弦とヴァイオリンがうねりを上げて演奏し、音楽が一つの楽器からのように調和しているのはうっとりせざるを得ません。シューマンでも聴くことが出来た自然な呼吸での音楽の移り変わりは、得意とするR.シュトラウスゆえでしょうか、ここではさらに磨きがかかって、至芸という言葉すら当てはめられないほど大自然の摂理のように動いていきます。ケンペの解釈はセッション録音盤と、基本的には変わらないのだと思います。思いますが、さすがにライブ故でしょうか、その構えはより大きくなっています。「英雄の戦場」では、ケンペはこれ以上ないくらいにカペレを煽り立てています。おそらく実際でも髪を振り乱し、長身の体をよじって指揮していたのではないでしょうか。この部分の最後に勝利を謳歌するところではホルン・パートが文字通り咆哮しており、実に素晴らしく決まっています。ここまでくると楽器もホールも十分に鳴りきっているのでしょう。残響も音楽的に美しく轟いているのがわかります。そして、この曲の本当の聴かせどころで、このディスクでも白眉である「英雄の隠遁と完成」が訪れます。ここでのケンペとカペレは、作為的な演奏は一切していません。呼吸は乱れなくぴたりと合っており、弱音でも超然と浮き立つホルンに、ソロ・ヴァイオリンがふわりと寄り添うのです。最後に輝かしい金管が鳴り響くと、場内はしんと静まりかえり、これ以上はないくらいの見本となる拍手が始まります。これが当時の当たり前の定期演奏会の一こまだったとしたら、当時の聴衆はなんと幸せだったのだろうとため息が出てしまいます。
エディション・シュターツカペレ・ドレスデンのカタログをみると、ケンペ/カペレのディスクには、もう一つリリース予定があります。何とそれは「アルプス交響曲」です。ケンペのライブ盤があまり世に出ないのは、未確認情報ですがケンペ未亡人がなかなか許可しないからという説もあります。遙か東方の島国で切望している人がいるということに免じて、何とかこれも日の目を見ることを願って止みません。
2009年9月21日、An die MusikクラシックCD試聴記