An die Musik 開設11周年記念 「名盤を探る」

第1回 ムラヴィンスキーのチャイコフスキーDG録音

文:伊東

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 「名盤を探る」という企画の発端には、ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団によるチャイコフスキー録音がありました。第1回目としてはこの録音について記述します。

 

■ 旧時代の録音:ムラヴィンスキー盤について

CDジャケット

チャイコフスキー
交響曲第5番 ホ短調 作品64
ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1960年11月9-10日、ウィーン、ムジークフェラインザール
DG(輸入盤419 745-2)

2枚組CD。交響曲第4番、第6番も収録。

 

 録音年月が1960年とあるとおり、50年も前の古い録音です。ところが、CDをプレーヤーにかけると、生々しい音で迫真の演奏が始まります。生々しく、迫真であるのです。古い録音だというのに、唸りを上げて迫ってくる弦楽器、深く地獄の底まで沈んでいきそうな低弦、ぽっかり浮かび上がってくる木管楽器、つんざくように、かつ傲然と響き渡る金管楽器。これが50年も前の音とは信じられないほどの生々しさで収録されていて、目の前のスピーカーからそれこそ怒濤のように流れてきます。

 演奏がまた凄まじい。ムラヴィンスキーはオーケストラを意のままに動かしています。計算尽くの完全な静寂、凍り付くほど緻密なアンサンブル。圧倒的なフォルテ。異常とも思える強烈な加速。指揮者にオーケストラが一糸乱れずについて行く様は驚異的で、これが人間の集団による演奏とはにわかに信じがたいものがあります。これがいわゆるスタジオ録音に分類されるとは。あまりの迫力に、聴き手はスピーカーの前に釘付けにされます。現代のオーケストラでこんな強烈な演奏が可能だとは思えませんし、オーケストラが拒否するかもしれません。それほど指揮者の意図が徹底した演奏だといえます。

 この曲はコンサートにおける人気曲でもありますが、およそコンサートで、これほど生々しく激しい音楽を耳にすることは極めてまれです。交響曲なので、全曲を通して聴くのが正しい鑑賞のあり方ですが、これほどの演奏だと、たったひとつの楽章を聴くだけでも相当な満足感が得られます。もちろん、通して聴くと、しばらくは余韻に浸れるほど深い感銘を得ることができます。

 このような録音は、指揮者とオーケストラだけではなく、関係者すべての所産といえます。そもそも東側のオーケストラが西側に来て、西側のレコード会社のために録音をするのです。録音まで単純な事務手続きだけで済むわけはありません。政治的な交渉から始まって、ウィーンのムジークフェラインザールでスタッフたちがマイクを立て、テープを回し、収録を始めるまで関係者たちによる様々なドラマがあったに違いありません。演奏者の気迫も最初から違うはずです。間違いなく、ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルハーモニーはソヴィエト共和国連邦という国家の威信をかけて演奏に臨んでいます。また、DGのスタッフにも失敗は許されないという重いプレッシャーがのしかかっていたはずです。そうした尋常ならざる状況下でこの録音は敢行されています。

 ムラヴィンスキーによる交響曲第5番の録音は11種類あるようですが、スタジオ録音はこれひとつしかなく、しかもそれが時代を超越して今なお鑑賞に堪える優秀なステレオ録音であることは、奇跡です。私はこの演奏を聴いて懐古趣味に陥ったのかと自問自答した訳ですが、懐かしむという意味ではその通りです。しかし、昔だから良かったのではなく、尋常ならざる環境下でなければ生み出されないものが量産されるわけがないので、無い物ねだりをしていただけとも言えるのです。

 ムラヴィンスキー盤の前にも、後にも私は様々なチャイコフスキー録音を聴いてきました。極めてゴージャスな音響で最高のアンサンブルの演奏をCDでもコンサートでも耳にしてきました。しかし、このムラヴィンスキー盤に匹敵するか、さらには凌駕する演奏には出会ったことがありません。それは不幸ととらえることもできますが、現代人は、そういう演奏をCDとして手元に置けて、時々耳にすることができるのです。

 

CDジャケット

 余談ですが、著名なこの録音はOIBPリマスタリング盤が発売されていますし、先頃はOIBPリマスタリング盤がSHM-CDで発売されました。SHM-CDは3枚組で、1枚ごとにひとつの交響曲が収録されています(2枚組輸入盤では交響曲第5番が途中で分断されていました)。

DG(国内盤 UCCG-3312/4)

 私は音質的にも、また1枚で通して聴けるというメリットを考慮すると、このSHM-CDが決定盤かと思っていたのですが、最近ESOTERICがSACDを発売しました。

SACDジャケット

ESOTERIC(国内盤 ESSG 90037/8)

 OIBPリマスタリング盤でも十分なほどの音質改善がありましたが、SACDはさらに音の鮮度が上がり、低音が響くように感じられます。これをかけると、私の部屋は床を這うような低音と分厚い響きに満たされます。最新の、しかもかなり優秀な録音でもここまで圧倒的な音では鳴りません。・・・となると喜んでばかりはいられないのです。今まで通常のCDを聴いていた人の中には違和感を覚える人がいるかもしれません。3種類とも比べてみると一長一短はあります。ムラヴィンスキーの強烈な演奏をシャープな音で聴きたいというのであれば、OIBP以前の通常盤をお勧めします。3種類のどれが最も優れているとは決められません。

 

■ 新時代の録音

 

 ここで「名盤を探る」の本来の趣旨に戻ります。現代の録音で優れたものはどれでしょうか。

 上記のように、ある時代における特別な状況下で作られた録音が超然とした位置にあることは当然過ぎるほど当然であって、これと匹敵・凌駕する演奏・録音を期待するのは無理です。残念ながら私は思いつきませんでした。しかし、それだとこの企画は終わってしまいますので、私なりに2枚のCDを取り上げます。また、皆様からの推薦があれば是非掲載したいところです。(原稿はこちらに従ってお寄せください)

 まずはゲルギエフ盤です。

CDジャケット

チャイコフスキー
交響曲第5番 ホ短調 作品64
ゲルギエフ指揮ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
録音:1998年7月、ザルツブルク音楽祭におけるライブ
PHILIPS(輸入盤 462 905-2)

 ゲルギエフはストレートに熱い演奏を繰り広げています。ライブと銘打つからにはこれくらいの演奏を出してほしいものです。ゲルギエフのPHILIPS録音は、かなりの程度エンジニアによって音が作られていると私は感じているので、最近は手が伸びなくなりましたが、このCDは例外です。誰もがこの曲に期待する熱い思いを音にしてくれたと賞賛を惜しみません。このCDを聴くと「クラシック音楽って楽しいね」と心から思います。難しいことを考えないで聴けるという意味で、ずっと残ってほしいCDです。

 もうひとつは意外に思われるかもしれませんが、パッパーノ盤です。

CDジャケット

チャイコフスキー
交響曲第5番 ホ短調 作品64
パッパーノ指揮聖チェチーリア国立音楽院管弦楽団
録音:2006年7月3-15日、ローマにおけるライブ録音
EMI(輸入盤 0946 3 53258 2 9)

交響曲第4,6番を含む2枚組CD

 パッパーノは2005年より聖チェチーリア国立音楽院管弦楽団の音楽監督になっていて、私もこのコンビのコンサートでその表現力に魅了され、夢中になりました。そのコンサートの類いまれな面白さが今もって忘れられない身としては、このチャイコフスキーの生真面目さはちょっとした驚きです。肩すかしを食ったような気になるのですが、よく耳を澄まして聴いてみると、実に丁寧に演奏し、歌い込んでいます。ライブ録音とありますが、聴衆の気配は全くありません。おそらくゲネプロなどを編集した事実上のスタジオ録音です。これを彼らが実際に聴衆を前にしたときにどう料理するのか、私としては期待に大きく胸がふくらみます。その期待を込めてこのCDを掲載しました。

 

2010年3月15日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記