An die Musik 開設11周年記念 「名盤を探る」
第13回 シベリウスの交響曲第5番
文:伊東
「名盤を探る」第13回はシベリウスです。交響曲第5番を取り上げてみましょう。
■ 旧時代の録音
ちょっと前までシベリウスといえば、バルビローリでした。これを外すわけにはいかないでしょう。
シベリウス
交響曲第5番 変ホ長調 作品82
ジョン・バルビローリ指揮ハレ管弦楽団
録音:1966年7月26-28日、ロンドン、キングズウェイ・ホール
EMI(国内盤 TOCE-6045)
交響曲第7番とのカップリング残念ながらハレ管の技術は最近のオーケストラには及ぶべくもないのですが、それを補って余りあるのがバルビローリの指揮です。およそこれほどシベリウスに対する愛情が演奏から滲み出る例はまれです。シベリウスの音楽が持つ冷たい自然の感触もバルビローリの熱烈な愛情で中和して聴かせてしまいます。取っつきにくさを排除してシベリウスのファンを作ってきたバルビローリの功績は大きいでしょう。演奏からはシベリウスを聴いてもらいたいという指揮者の意欲が如実に伝わってくるため今もファースト・チョイスなのですが、こうした録音が今や稀少であるのは残念です。
旧時代の録音としてもうひとりの指揮者を挙げます。異論があると思いますが、カラヤンです。
カラヤンは1951年にフィルハーモニア管と録音(EMI)したのを最初に、合計4回のセッション録音を行いました。
シベリウス
交響曲第5番 変ホ長調 作品82
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団
録音:1960年9月、ロンドン、キングズウェイ・ホール
EMI(輸入盤 7243 5 66599 2 6)
交響曲第2番とのカップリングカラヤンのシベリウスでは後述するベルリン・フィル盤が有名ですが、このフィルハーモニア管との録音でもカラヤン節全開です。カラヤンらしく磨き抜かれた演奏で、オーケストラの音色がきらきら輝いているようです。さらに最終楽章では圧倒的な迫力で堂々のフィナーレを聴かせます。まさにカラヤンならではの演奏です。録音も万全です。弦楽器の音が若干潤いに欠けるくらいで、40年後に制作される様々な「最新録音」など敵ではありません。
カラヤンのその後の録音をあたってみましょう。DG盤とEMI盤があります。
シベリウス
交響曲第5番 変ホ長調 作品82
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1965年2月22-24日、ベルリン、イエス・キリスト教会
DG(輸入盤 415 107-2)
交響曲第7番とのカップリングシベリウス
交響曲第5番 変ホ長調 作品82
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1976年9月、ベルリン、フィルハーモニー
EMI(輸入盤 CDM 7 69244 2)
交響曲第4番とのカップリングDG盤とEMI盤のどちらを取るかは好みの問題とも言えます。DG盤は、ベルリン・フィルの各セクションの音がくっきりと浮かび上がるように収録されています。ベルリン・フィルは冷たく光るような音で目も眩むような完璧なアンサンブルを実現しており、それだけで驚異です。
11年後のEMI盤は、DG盤よりオーケストラの音がほどよくブレンドされています。各セクションの音がくっきり浮かび上がるというよりは、オーケストラ全体で音が面となってせり出してくる感じがします。また、重厚さ、壮大さではややこちらが上回ります。
さて、ここまで書くと、「そんなものはシベリウスではない」という声が聞こえてきそうです。確かに、他の演奏家たちの録音に比べれば立派です。少し立派という程度ではなく、立派すぎるのですね。豪華すぎるとも言えるかもしれません。フィンランドの自然・風景は見えてきませんからローカル色はないと言い切っていいでしょう。そもそもカラヤンはローカル色になどまるで興味がなかったのではないでしょうか。カラヤン盤はヴィルトゥオーゾ・オーケストラだからこうなったわけでは決してなく、あくまでもカラヤンだからこうなったわけです。1970年代にヴィルトゥオーゾ・オーケストラであるボストン響を使って録音したデイヴィスも、このような路線は取らず、自然賛歌を盛り込みました。
もちろん、私もカラヤンの演奏が異質だと理解はしています。ただし、これらの演奏を聴いていて、頭の中では「これはシベリウスではない」とその理由をあげつらっていっても、体の方が先に反応してしまいます。それ故、これもシベリウス演奏のあり方として認めるべきだと私は考えています。
ではその後、我々の前にはどんな名録音が登場したでしょうか。
■ 新時代の録音
1990年代後半に傑出したシベリウス録音が2種現れます。演奏、音質ともに傑出しています。まずはベルグルンドです。
シベリウス
交響曲第5番 変ホ長調 作品82
パーヴォ・ベルグルンド指揮ヨーロッパ室内管弦楽団
録音:1996年12月、オランダ
FINLANDIA(輸入盤 3984-23389-2)
シベリウス:交響曲全集よりベルグルンドは1986年にヘルシンキ・フィルと録音をしていました。非常に優れた演奏で、もしベルグルンドがヨーロッパ室内管と再録音をしなかったら、今でもそれがベスト盤に挙げられていたはずです。ヘルシンキ・フィルとの演奏に愛着を感じるファンも多いのでしょうが、私はやはりこちらの演奏が断然優れていると思います。次元が違うようにさえ感じます。ベルグルンドはここで徹底的にやり尽くしました。音のひとつひとつに明確な意味が感じられます。人数を絞ったオーケストラの技術も最高クラスであるために、演奏の透明感も抜群です。しかも必要であれば十分な音量と迫力を作り出しています。シベリウスもこの演奏を聴けば驚嘆するでしょう。
この演奏を最初に聴いたときの印象は忘れられません。「湖にボートを浮かべて漕ぎ出す。もともと綺麗な湖だとは知っていたが、ふと水面を覗き込んでみると本来見えるはずもない深さまではっきり見える。一体どこまで見えてくるのか見当もつかない」という感覚でした。およそこれ以上のシベリウス演奏があろうかと思ったものです。
そうしたところ、フィンランドの一地方オーケストラによるシベリウスが話題となりました。ヴァンスカ盤です。
シベリウス
交響曲第5番 変ホ長調 作品82
オスモ・ヴァンスカ指揮ラハティ交響楽団
録音:1997年6月2-4日、ラハティ、フィンランド
BIS(輸入盤 CD-863)
交響曲第5番(1915年第1稿)とのカップリングヴァンスカ指揮ラハティ響についてはかつてCD試聴記にも記載しましたのでご覧ください。ベルグルンドが半ば学究的にシベリウスに取り組んでいったのとはやや違って、ヴァンスカはかなりストレートにシベリウスにぶつかっています。それも、曲目に対して熱意と愛情がある以外に、シベリウス演奏の勘所を完全に押さえているようです。ヴァンスカはオーケストラにかなりメリハリのついた強弱の指示をしているのですが、単調にはならず、この曲をドラマチックに描き出すのに成功しています。そのため、ライブでならともかく、セッション録音においてもスピーカーの前にいるリスナーに強烈に訴えかけてきます。シベリウス本人もこれを聴けば感動するかもしれません。ヴァンスカは、もしかしたらバルビローリ以上の愛情を持ってこの演奏を行っているような気がします。バルビローリの衣鉢を継ぐのは間違いなくヴァンスカです。
では、2000年以降はどうなのでしょうか。
シベリウス
交響曲第5番 変ホ長調 作品82
サカリ・オラモ指揮バーミンガム市交響楽団
録音:2001年4月17-19日、バーミンガム、シンフォニー・ホール
ERATO(輸入盤 8573-85822-2)
「カレリア」組曲、交響的幻想曲「ポヒョラの娘」、交響詩「吟遊詩人」とのカップリングオラモは洗練されたシベリウスを目指しているようで、実に清澄な雰囲気です。第3楽章では熱く燃え上がります。余談ですが、その第3楽章の途中で右スピーカーから妙な雑音が何回か聞こえてきます。譜面台か椅子でも倒れたような音です。かなりはっきり聞こえますが、そのままCD化したというのは、よほど勢いのある演奏であるため差し替えがきかなかったのでしょう。
オラモは期待の指揮者です。今後再録音し、さらに聴き応えのあるシベリウスを聴かせてくれるかもしれません。
シベリウス
交響曲第5番 変ホ長調 作品82
レイフ・セーゲルスタム指揮ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団
録音:2003年6月、ヘルシンキ、フィンランディア・ホール
ONDINE(輸入盤 ODE 1075-2Q)
シベリウス:交響曲全集よりサンタクロースの指揮による再録音です。オーケストラはお国ものを演奏するわけですし、シベリウスの語法を知り尽くしていると思われますが、セーゲルスタムは独特の鳴らし方をしています。例えば、金管楽器の音が前に、ではなく、地中にに沈み込むように聞こえます。演奏に派手さはありませんが、今までとは別世界の音楽を聴いているような気がします。聴き終わると言いようのない深い感動にとらわれます。シベリウス演奏にまだこのようなスタイルが残されていたとは。2000年以降にこうした演奏が登場したのは嬉しいです。
なお、デイヴィス盤についても言及しておきます。
シベリウス
交響曲第5番 変ホ長調 作品82
コリン・デイヴィス指揮ロンドン交響楽団
録音:2003年12月10-11日、ロンドン、バービカンにおけるライブ
LSO LIVE(輸入盤 LSO0037)
交響曲第6番とのカップリングデイヴィスはボストン響、ロンドン響とセッション録音でシベリウスの交響曲全集を完成させました。ロンドン響との全集から10年後に、今度は同じオーケストラで、ライブ録音による全集を完成させました。デイヴィスはシベリウス演奏の大家であるので、LSO LIVEにも大きな期待が持たれました。が、この交響曲第5番に関する限り、1992年のセッション録音を凌駕したとは言えません。いかにデイヴィスであっても演奏面でも音質面でも非常な完成度を誇った旧録音(交響曲第7番の試聴記をご参照ください)を越えるのは難しいようです。特に音質面での不利はいかんともしがたいものがあります。高品位の音質を誇るLSO LIVEですが、バービカンは音質面での名録音を安定的に生み出しにくいホールかもしれません。
さて、このように見てきますと、バルビローリの後継者はいますが、カラヤンの後継者が見あたりませんね。もしかしたら交響曲第5番を過去に2度も録音しているラトルがベルリン・フィルで録音することもあり得るでしょうが、あのラトルがカラヤンのようなスタイルで演奏するとは想像できません。ヴィルトゥオーゾ・オーケストラを起用したローカル色のない強力な演奏などというのは時代錯誤で誰も聴きたがらないのかもしれません。カラヤンの演奏は、今後も異質なものとして語られるのでしょうか。
2010年4月23日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記