ルドルフ・ケンペ生誕100周年記念企画
「ケンペを語る 100」

ケンペのブラームスを聴く:その他の録音

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ケンペは交響曲以外にもブラームスの録音があります。今回はそれらを紹介していきたいと思います。

 

 

CDジャケット
EMI盤
CDジャケット
NAXOS盤

ブラームス
ドイツ・レクイエム作品45

エリザベート・グリュンマー ソプラノ
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ バリトン

ベルリン聖ヘトヴィヒ大聖堂合唱団(合唱指揮 カール・フォルスター)
ベルリン・フィルハーモニー

録音:1955年6月23-30日、イエス・キリスト教会、ベルリン
英EMI CLASSICS(輸入盤 CDH 7647052)
独NAXOS(輸入盤 8.111342)

 モノラル録音ですがベルリン・フィルの重厚かつ輝く響き、音楽は例えようもなく深い一枚です。録音年月日は交響曲第2番と同じですので同時並行で行われたようです。ケンペの音楽作りは冒頭からどっしりと腰がすわっており、モノラル録音なのに各パートの音は混濁せず聴き取ることができるのは、やはり非凡と言わなくてはなりません。

 そして何よりも素晴らしいのは続いて登場する、フォルスター指揮する合唱団です。息の長いフレーズでもまるで一つの楽器のようにまとまり深い響きます。濁りのないフォルテ、染み渡る高音、いずれもがケンペの指揮するベルリン・フィルのゆったりとしたテンポに負けずに歌い上げるのです。

 もちろん独唱者も素晴らしい。フィッシャー=ディースカウは当時30歳。1947年のデビューが同曲であったそうですが、フィッシャー=ディースカウのドイツ・レクイエムと言えば、1961年録音のクレンペラー盤であり、伊東さんの試聴記に書かれている通りの名盤です。伊東さんが論評されている「墨絵のようなレクイエム」「すべての音が一体化して、暗く沈み込む。こんな暗いドイツ・レクイエムは例がない。」という言葉は、私個人の大きな身びいきとしてはケンペ盤にも当てはまるのではないかと思います。

 第5曲でソプラノを疑うグリュンマーは凛として美しく、バックの合唱もより立体感をもって支えます。個人的には一番好きな部分でもっと長く聴いていたい部分です。

 この曲のCDは長らくEMI CLASSICS盤しかありませんでした。最近NAXOSレーベルからマーク・オーバート=ソーン復刻で世に出ました。深い叙情性はNAXOS復刻が勝りますが、ダイナミックレンジの広さと壮大さはEMI盤が優れます。個人的にはその日の気分で使い分けて選んでいます。

 

 

CDジャケット

ブラームス
ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77

ユーディ・メニューイン ヴァイオリン

録音:1957年9月6-9日、ベルリン
新星堂・東芝EMI(国内盤 SAN-20)

 メニューインとの唯一の共演盤です。録音場所がLPを含めて明記された資料が手元にないのですが、直前の9月2-3日にはベルリン・フィルとの「新世界から」がグリュネヴァルト教会で録音されているので、同じ場所ではないかと思います。この録音セッションについては興味深い写真が残されています。ベルリン・フィルはケンペがいる指揮台を要とした扇状に並べられていて、ティンパニは指揮台からみて右手後方に陣取っており、それと対称的にメニューインがいるという配置です。他にはケンペのいる指揮台にメニューインが歩み寄って打ち合わせをしているシーンがLPジャケットを含めて2枚あります。いずれもメニューインがあれこれ言っているのをケンペが黙って聞いているかのようなシーンです。

 演奏はケンペが指揮するベルリン・フィルが極上の音色であることは言うまでもありませんが、メニューインのヴァイオリンについては評価が分かれているようです。第二次世界大戦前は神童として、類い希な美音で名を馳せたのですが、戦後は故障したと言われており、その後音色より精神性に境地を見いだしていったと位置づけられています。したがって、この録音当時はその移行期とも言える時であったわけで、音色やテクニックという点でも、反面精神性という観点からも折り返し点的な評価があるようです。

 確かにメニューインは、音色やテクニックという点では現代の数多くあるディスクの中で一頭地抜き出るものではありません。格調高く全曲はまとめられていますが、どちらかというとメニューインの主張が色濃く出ており、ケンペは引き立て役に徹しているように感じます。

 それでも、このディスクではケンペの伴奏指揮者としての技量の高さは堪能できます。特に最終楽章後半ではテンポが微妙に変わるソロに対して、わからぬようにオケに指示して合わせていっているのを感じることができますし、線が細いメニューインのソロをかき消さないように細心の注意が払われています。

 さて、ここまで書くとメニューインのソロが不出来であるかのような印象を与えてしまいますが、私は決して嫌いな演奏だとは思っていません。何よりもひたむきに音楽に向かい合って演奏しており、いささか逆説的な物言いとはなってしまいますが、メニューインが考えるブラームスというものがきちんと提出されていると思うからです。そしてケンペはそれにぴたりと合わせる音楽を提供した一枚だと思っています。

 

 

CDジャケット

ブラームス
ピアノ協奏曲第1番ニ短調作品15

ヤコブ・ギンペル ピアノ

ベルリン・フィルハーモニー

録音:1958年4月10-11日、グリュネヴァルト教会、ベルリン
西独EMI Electrola(輸入盤 CDZ 2521312)

 冒頭から勢いのある演奏です。多少のアンサンブルのずれはものともしないような鋭い指揮棒が次々に繰り出されているのが感じられます。やがて音楽に安寧がもたらせると、意外なほど柔らかく密やかに、ギンペルのピアノが始まります。ギンペルは現役CDがほとんど存在しませんが、複数の資料や、息子が書いたサイトによると1906年ポーランド生まれのユダヤ系ピアニストであり、第二次大戦前にアメリカに移住して、戦後1954年から欧州楽壇に復帰したそうです。したがって、このディスクは欧州に復帰してからの録音ということになります。

 第一楽章でのギンペルのピアノは堂々たる構えの大きい演奏で、大樹を見上げるような圧倒感があります。そしてギンペルの悠々たるテンポにぴたりと合わせながらも、ベルリン・フィルのアンサンブルを活かした主張を行ってします。しかし真骨頂は第二楽章にあると私は思っています。ゆったりとした曲の進め方ですが、決してだれることはなく、むしろますます音楽が広がって、まるでブラームスの晩年のピアノ独奏曲のような諦念すら感じさせるような静けさすら感じさせてくれるのです。第三楽章も決して煽り立てることなく格調高く演奏しており、録音の古さを超えて素晴らしいディスクだと思います。

 

 

CDジャケット

ブラームス
ピアノ協奏曲第2番

ブルーノ=レオナルド・ゲルバー ピアノ

ロイヤル・フィルハーモニー

録音:1973年9月3-4日、ロンドン、アビーロード第1スタジオ
独EMI(輸入盤 CZS7628832)

 こうでなくてはならないという静かに深いホルン、そこに滑り込む重厚なピアノ、そして始まる両翼配置のオーケストラの全合奏。そのテンポ、ちょっとしたタメ、深い息づかい、これは前年1972年にケンペが同じロイヤル・フィルとのコンビで、チョン・キョンファと録音したブルッフをさらに深化させていると言ってよいでしょう。ゲルバーのヴィルトゥオーソぶりは全開ですが、ケンペ/ロイヤル・フィルはそれにぴたりと合わせており、まったく瑕疵がありません。それも音型が一緒のところが合っているというレベルではなく、まったく無関係とも思えるフレーズにおける共通項、発想がソロとオケとが矛盾なく連環しているのです。したがって力技でもなく、音楽全体が一つの姿となって迫ってきます。

 第二楽章の冒頭、ゲルバーのピアノが音楽を引っ張っていこうとします。それをケンペは意図的にアンサンブルをずらした弦楽合奏で一呼吸置かせて、次の高潮に備えていきます。以降は次第に加速していって堂々たる終焉を迎えます。実に充実した演奏です。しかし、私が聴き入ったのはその後でした。

 第三楽章でもゲルバーは己に耽溺するかのように演奏していくのですが、興味深いことにケンペはそれを断ち切るように激しい合いの手を入れてくるのです。この緩やかな楽章でかくもスリリングな体験をするのは、珍しいことでした。最終楽章は柔らかい陽光に満ちたやりとりがあり、ケンペとゲルバーがアイコンタクトを取りながら微笑んでいるのではないかとすら思える演奏です。曲想が変わるところでケンペは自在にロイヤル・フィルを操って細かいテンポの変化や、音色を変えていきます。それをゲルバーは「そう来るのなら、こう返しますよ」といわんばかりに音楽を「仕掛けて」くる。それをケンペは何事もなかったかのように「ここは合わせましょう」と受けて返してくる。そんな愉しい感興に満ちた演奏です。いつまでも聴いていたい喜びがあります。

 なお、興味深いのはゲルバーは協奏曲第1番も録音しているのですが、その時の伴奏がミュンヘン・フィル、ただし指揮はケンペではなくフランツ=パウル・デッカーであることです。録音が1965年ですからこの当時ケンペはまだミュンヘン・フィルの音楽監督にはなっていませんでしたから、伴奏指揮にはならなかったのは当然の成り行きですが、やはりこれがケンペだったら、と無い物ねだりもしてしまうことになります。

 

 

 

 以上のようにケンペ指揮によるブラームスの交響曲以外の音源を並べてみると、偶然とは言え、主要な作品はほとんど録音しているのがわかります。唯一なかったのが二重協奏曲ですが、これがBASFの交響曲全集の流れで、コンマスのクルト・グントナー、チェロはポール・トルトゥリエでミュンヘン・フィルと録音されたら・・と思ってしまいます。

 それはさておき、ケンペは若い時から晩年までブラームスと常に関わってきたことは録音歴からみて想像できます。正規リリース以外にもブラームスの録音の存在は多く知られており、今後も世に出てくることを期待したいと思います。

 

(2010年8月16日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記)