ルドルフ・ケンペ生誕100周年記念企画
「ケンペを語る 100」

ケンペのモーツァルトを聴く

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 ケンペの盤歴からいって、ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナー、そしてリヒャルト・シュトラウス、ワーグナーのディスクが思い出されるのは致し方ないことです。そして、ケンペのモーツァルトというと、イメージを浮かべられる人は多くないのではないかと思います。今回はそのモーツァルトを聴いていきます。

 

■ 声楽曲

CDジャケット

レクイエム K.626

エリザベート・グリュンマー ソプラノ
マルガ・ヘフゲン コントラルト
ヘルムート・クレブス テノール
ゴットリーブ・フリック バス

聖ヘドヴィッッヒ合唱団 (合唱指揮 カール・フォルスター)

ベルリン・フィルハーモニー

録音:1955年10月10-14日、ベルリン・ヴィルマースドルフ、リンデン教会
独EMI(輸入盤 CDH 5652022)
英EMI(輸入盤 0946 3 53217 2 )

 モノラル録音ということもあるのでしょうか、実に静かで暗い音楽がゆったりと始まります。そこにブラームス/ドイツ・レクイエムでも素晴らしい歌唱を聴かせた、聖ヘドヴィッヒ合唱団が加わります。やがて凛としたグリュンマーの独唱も美しく輝きます。キリエでのフーガもモノラルなのに混濁するところがまったくありません。

 その後も音楽はひたすらインテンポで息が長く、ゆっくりと進んでいきます。流れが滞る直前で踏みとどまるのは、ケンペのテンポ指定とベルリン・フィルのアンサンブルの見事さの賜でしょう。第5曲「レックス・トレメンデ」や、第6曲「 コンフターティス」などは、今日のディスクではまず聴くことができないくらいの、ゆったりとしたテンポですが、音楽は途方もない拡がりをもって迫ってきます。

 4人の独唱者たちはいずれも素晴らしく第6曲「レコルダーレ」ではお互いが響きを合わせており、いつまでも聴いていたいくらいです。

 後半になって第8曲「ラクリモーサ」でもケンペは頑固なまでのインテンポを貫きますが、テンポはやや速めになっています。第10曲「オスティアス」も、前半のテンポから見ればもっとゆったり演奏してもよいはずなのに比較的あっさりと進んでいきます。その答えは次の「サンクトゥス」にありました。それまでの曲のテンポからみると驚くほど速めで、かつ鋭く劇的なのです。この曲単体で聴くとさほど速いとは思わないのですが、前半のゆったりとした流れに慣れて、直前までの曲で加速されていたので、違和感はでませんが聴き手をはっとさせるには十分です。その後もテンポと曲調は明るめに変わっています。そして、そのままの流れで最終曲「ルックス・エテルナ」に至ります。冒頭と比べるとややテンポは速くなっていて、色彩も明るめに感じるのはそれまでの設計の効果もあるのかもしれません。まさか、ケンペが約半世紀後に録音されたシュペリング盤での解釈と同じ考えに至ったのかどうかは、もちろんわかりませんが。

 このようなレクイエムのアプローチは、たくさんのディスクを聴けば伝統的なアプローチなのかもしれませんが、ベームやカラヤンの演奏に慣れ親しんだ私にとっては新鮮でした。と、同時にケンペが描くモーツァルトというのはどういうものなのかという興味を抱かせるに十分でした。

 

■ 交響曲

 

 ケンペ指揮のモーツァルトにおいては交響曲録音がほとんどなく、生前にはわずかに第34番というさほどメジャーとは言い難い録音しかありませんでした。それがロイヤル・フィルとのお蔵入りになっていた録音が出てきたときには、大変驚いたものです。それが以下のディスクです。

CDジャケット

CDジャケット

交響曲第34番ハ長調K.338

 フィルハーモニア管弦楽団

交響曲第39番変ホ長調K.543
交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」

ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

録音:1955年11月24日、ロンドン、アビーロード第1スタジオ(第34番)
   1956年5月3、15,18日、ロンドン、キングズウェイホール(第39番)
   1956年4月30日、5月3日、ロンドン、キングズウェイホール(第41番)
TESTAMENT輸入盤 SBT1092

 まずはどうしても注目するのは、それまで存在は知られていたものの海賊盤も含めて世に出たことがなかった、ロイヤル・フィルとの、しかもステレオ録音の2曲です。これらが世にでなかったのは、ほぼ同時期に音楽監督であったビーチャムが録音したためだったと伝えられています。その演奏はケンペの翌年に録音された下記のディスクです。

CDジャケット

交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」

トマス・ビーチャム指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

録音:1957年3月26、27日、ロンドン、アビーロード第1スタジオ
欧EMI (輸入盤 7243 5 67601)

 悠然としたテンポ、小粋な節回し、ここぞというところでストコフスキーもかくやと思うほどの大見得、もちろん現代の演奏スタイルではないことは十分認めるにしても、それでも大家の風格、威風堂々、ありとあらゆる言葉も追いつかないほどの器の大きい音楽がここにあります。

 これに対してケンペが指揮する第41番はどうでしょうか? ビーチャムがしているいろいろな「仕掛け」は一切なしです。おそらくスコアに書いてあることを大切にした演奏と言えるでしょう。

 第一楽章は比較的速めのテンポで、しかもひたすらインテンポです。しかし無理矢理なインテンポではありません。どのようにしたら無理なくパートごとにフレーズを受け渡すことができるのか、どのようにしたら聴き手を飽きさせずに曲想によって変化をつけるのか、をよく考えている指揮です。第二楽章においてもテンポは速めですが、一瞬のルフトパウゼ、ダイナミクスの設計、管楽器とのバランスなどはとても味わいが深いものがあります。中間分でのヴァイオリンとチェロ、および木管楽器との掛け合いも、淡々としているようでいて、特にチェロのニュアンスの変化は一つの聴きものです。

 第3楽章でのトリオの美しさはまた格別であり、第4楽章もフーガの掛け合いはケンペのお得意ではなかったかと思うものであって、すべてのパートが程よく分離し、程よく混ぜ合って音楽はどんどん重厚に輝いて、最後もまったくテンポを緩めることなく華やかに終わります。

 このように極めて上質な音楽をケンペは創り出しているのですが、ビーチャム盤と比較したときにどちらが魅力的かと言われたら、やはりビーチャム盤に軍配が上がるだろうということも認めざるを得ません。

 同様な感想は、第39番を聴いても抱きます。演奏はとても自然に流れます。序奏はもったいぶらず、主部になってからはわずかに加速してアンサンブルを乱れなく整えて、端正で颯爽とした音楽です。第二楽章も音楽は無闇に流れることはありません。フレーズの頭は柔らかく入ってきますが、合わせるところはきちんと揃えていきます。第三楽章のトリオでの木管の掛け合いとそれを受ける弦楽器の柔らかさ、終楽章でのルフトパウゼの間の取り方、管弦楽のバランスの変化なども、木管(特にフルート)の素晴らしい音色とともに私は大いに楽しんだのですが、多くの聴き手を惹きつけるような芳香があるのかというと、確かにあっさりとしている印象があります。

 ケンペのモーツァルト./交響曲の演奏で感じるのは横に流れるというよりは、縦に積み重ねる演奏だということです。ある意味で近代的とでも言えますが、数多くある名盤たちの中にあって、強い主張をするものではありません。それは、フィルハーモニア管と録音された第34番という、それほど好んで採り上げられるとは思えない曲を、ハイドン/交響曲第104番「ロンドン」とカップリングして録音しているのを聴いてみても同じです。演奏はとても気品があり、どこにも無理がかからず一定のスケールの大きさもあります。しかし瞠目させるような演奏でもないと思います。

 その第34番と同じセッションで録音されたのが次に紹介する序曲集です。

 

■ 管弦楽曲

CDジャケット

序曲集
 フィガロの結婚
 コシ・ファン・トゥッテ
 魔笛
 イドメネオ
アイネクライネナハトムジーク K.525

フィルハーモニア管弦楽団
録音:1955年11月23-24日、12月4日、ロンドン、アビーロード第1スタジオ
TESTAMENT輸入盤 SBT12 1281

 ケンペはライプチィヒ市立歌劇場でのオペラ指揮者としてキャリアを始めました。おそらくはこれらのモーツァルトのオペラも振ったことがあるのだと思います。交響曲では端正に整える色彩がつよかったのですが、最初の「フィガロ・・」からとても勢いのある演奏です。まさしくこれから上演の幕が上がりそうな気持ちになります。「コシ・・」も主部に入ってからの、モノラル録音なのに各パートが手に取るようにわかる木管の掛け合いが見事です。そして「魔笛」はケンペが13歳の時に、ドレスデン国立歌劇場に連れていかれて初めて聴いたオペラであり、「心の底から震える」ほどの感動を得たとの逸話がある演目でもあり、1948年にケンペが指揮者として、カペレにデビューしたときのコンサートの最初の曲でもあったのです。そのせいか、音楽は一層充実した響きでありちょっとしたテンポの変化やニュアンスにも細かく目配りが効いています。一音一音がないがしろになっていない演奏です。そして興味深いことに、この「魔笛」の音楽づくりが先に紹介した交響曲でのケンペの姿勢と似ているところが多いと感じました。「イドメネオ」は「フィガロ・・」のような勢いがある演奏にもどります。それにしてもフィルハーモニア管は何と雄弁にケンペの棒に応えるのでしょうか。こうして聴いてみると、この4曲であたかも一つの交響曲かのような構成にしているようにも感じるから不思議です。

 さて、これに加えて本ディスクには、同じオケで「アイネ・クライネ・・」が収められています。大編成の弦楽パートで演奏されたものです。今でこそ。各パート1人で演奏するのが主流になっているので、前時代的な演奏という誹りは免れません。しかし、私はこの曲でのケンペの指揮ぶりにはとても好感を持っています。もちろん構成はしっかりとしていて、アンサンブルは極上です。しかしながら息が詰まるような窮屈さはなく、むしろ伸びやかな開放感と気品に満ちあふれています。第三楽想のトリオもインテンポでありながら間の取り方が絶妙です。

 ケンペもこの曲は嫌いではなかったようで、8年後にバンベルク交響楽団と再録音をしています。

CDジャケット

アイネクライネナハトムジーク K.525

バンベルク交響楽団

録音:1963年6月4-10日、バンベルク、文化の間
独RCA(輸入盤 74321 32771 2)

 録音の違いもあるのでしょうけど、フィルハーモニア盤より一層、音楽は喜びに満ちてニュアンスは豊かになっています。第一ヴァイオリンが主旋律を歌っているときの低弦の伴奏にも変化に富んでいます。終楽章も実に上品にまとめあげており、私自身はモーツァルトの「アイネ・クライネ・・」というと、このケンペ/バンベルク盤になっています。

 

■ 協奏曲

 

 ケンペの協奏曲の正規録音では、以前にも採り上げたグルダとのライブ録音がもっともよく知られているものだと思います。

CDジャケット

ピアノ協奏曲第27番変ロ長調K.595
フリードリヒ・グルダ ピアノ

ミュンヘン・フィル

録音:1972年11月29日、デュッセルドルフ
Scribendum(輸入盤 SC 004)

 このディスクについては別稿で採り上げましたので、そちらを参照ください。

 ケンペのこの他のピアノ協奏曲録音としては、最近出た第25番があります。

CDジャケット

ピアノ協奏曲第25番ハ長調K.503

カール・ゼーマン ピアノ

ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

録音:1951年1月18日
日DREAMLIFE(国内盤 DLCA7023)

 このディスクで特筆すべきことは、オーケストラがライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団であるということです。というのも、ケンペはドレスデン音楽学校でオーボエを学び、ドルトムント歌劇場で首席オーボエ奏者としてキャリアを積んだ後に、1929年から、このライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団に採用され、1936年まで首席として活躍していたからです。その古巣とも言うべきオーケストラを指揮した正規音源は、私の知る限りこの1枚しかありません。当時、ケンペはドレスデン国立歌劇場の音楽監督でしたので、その合間での客演ということになります。

 ソリストのカール・ゼーマンは1910年生まれといいますからケンペと同い年。ライプツィヒでオルガニストとして音楽を学んで、その後ピアニストになったという経歴なのだそうです。1983年まで存命でしたが教育者としてのキャリアが長く、録音はとても少ないようです。その中でもモーツァルトの録音がピアノソナタ全集をはじめとして多いことから、得意のレパートリーであったようです。

 古い録音ながらも、ゼーマンのピアノはとても美しく響いています。テンポを大きく動かすことはなく、第一楽章のカデンツァでもわずかにテンポを速めて心地よい興奮を聴き手にもたらしますが、最後は元のテンポにきちんと戻してくるあたりがさすがです。

 これを支えるケンペの指揮が颯爽としています。切れ込みのよいアインザッツと、伸びやかさの緩急の出し入れが絶妙と感じました。第二楽章でも、典雅に紡いでいくゼーマンのピアノに対して、ケンペはぴたりと寄り添っていきます。ほぼ切れ目なく続けられる第三楽章も中間のややほの暗い短調の陰影を実に優美にケンペは描いていきます。その中をゼーマンは珠を転がすような輝きをもって演奏しているのです。

CDジャケット

ホルン協奏曲全集

アラン・シヴィル ホルン

ロイヤル・フィルハーモニー

録音:1966年11月16日
英EMI(輸入盤 CD-EMX 2004)

 名ホルン奏者であるアラン・シヴィルは当初、ビーチャムによってロイヤル・フィルに採用されました。当時首席奏者であったデニス・ブレインが1954年にフィルハーモニア管に移った後に首席となり、1955年にはシヴィルもフィルハーモニア巻に移籍しています。したがって、ケンペがロイヤル・フィルの常任指揮者になったときには、シヴィルはいなかったことになるわけです。シヴィルは演奏に妥協を許さないといわれており、それはオーケストラの奏者として参加している時の指揮者にも向けられます。『素顔のオーケストラ』(アンドレ・プレヴィン編、別宮貞徳訳、日貿出版社、1980年、225頁)において、ロンドン交響楽団がある指揮者とのツアー初日から、指揮者がオケをコントロールできなくなって演奏がくずれてしまったというエピソードを語って、次のように続けています。

「これがケンペのような人なら、こんなことを起こさせはしなかっただろう。ケンペは、オーケストラからどれだけのものを引き出せるかを知る能力があった。」

 このロンドン響のツアーにシヴィルが(エキストラあるいはソロとして)同行していたのかどうかは、触れられていません。しかし、シヴィルがケンペの指揮の下で共演したことがあり、ケンペを評価していたことは事実なのだろうと思います。

 さて、シヴィルはこのホルン協奏曲全集を1960年にクレンペラー/フィルハーモニア巻と1回目の録音をしています。これは伊東さんが試聴記を書かれています。そして、1966年にケンペ/ロイヤル・フィルと、さらに1971年にマリナー/アカデミー室内管弦楽団と3回目の録音をしています。最初が大指揮者クレンペラー、3回目が当時一世を風靡したマリナーですから、このケンペ盤はその狭間で不遇とも言える扱いを受けています。私が知る限り現役盤は存在せず、ケンペのディスクを熱心に復刻するTESTAMENTもリヒャルト・シュトラウスのホルン協奏曲はCD化しましたが、モーツァルトはクレンペラー盤を復刻したためか、現在のところリリースの知らせはありません。2010年8月に出た「ルドルフ・ケンペEMIレコーディングス」にも入っていないという扱いです。

 確かにマリナー盤のような円熟味のある流麗さはなく、クレンペラー盤のゆったりとしながらも愉悦感溢れる演奏でもないでしょう。しかし、ここでのケンペ/ロイヤル・フィルは躍動感に満ちて、シヴィルのホルンに見事に溶け込んでいると思います。シヴィル自信もとても愉しそうに吹いていると勝手に思っています。お互いが信頼しきって微笑みながら演奏しているのではないかと思うほどです。それはセッション録音でありながら1日で完了しているところにも現れているように思います。

 

 

 

 尾埜善司先生の『指揮者ケンペ』(芸術現代社、2006年増訂版)を繙いてみても、オペラを除けばケンペの演奏歴では、交響曲は第39番を複数回演奏している他は第35番の演奏記録がありますが、あとはわずかにピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲の伴奏指揮の記録があるだけです。従って、ケンペのコンサートレパートリーにおいて、モーツァルトは中心にはなっていないだろうと思います。私としては必ず音源が存在しているだろう、ケンペが指揮するモーツァルトのオペラを聴いてみたいと願っています。その時初めてケンペのモーツァルトをもっと深く理解することができるだろうと思うからです。

 

(2010年9月8日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記)