ルドルフ・ケンペ生誕100周年記念企画
「ケンペを語る 100」

ケンペと共演したソリストたち

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 ケンペというと交響曲や管弦楽曲などが思い浮かびがちですが、協奏曲などの共演録音も少なからず遺されています。今回は、ケンペと共演したソリストたちに焦点を当ててみたいと思います。

 

 ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、バリトン

 

 今更、説明するまでもない世紀の大歌手で、以前ブラームス/ドイツ・レクイエムでも書かせていただきました。ケンペとは以下のディスクで初めて共演しています。

CDジャケット
マーラー
CDジャケット
ブラームス

 

マーラー
亡き児をしのぶ歌

ベルリン・フィルハーモニー

録音:1955年6月20-21日、イエス・キリスト教会、ベルリン
英EMI CLASSICS(輸入盤 CDH 7647052)
独NAXOS(輸入盤 8.111300)

 ブラームス/ドイツ・レクイエムのセッションの2日前に行われた録音です。フィッシャー=ディースカウの声は完璧とも言えるものです。前述のように、録音された1955年はベルリン・フィルにとっては、フルトヴェングラーの死の翌年であり、まだカラヤンも着任したばかりの時期でした。ケンペの指揮はフィッシャー=ディースカウの歌に完全に同期したかのようにぴたりと寄り添っています。おどろおどろしさは希薄ですので、その点で物足りないと感じる向きもあるかとは思いますが、実に息のあっており、特に第4曲「ふと私は考える・・・」は情感に満ちた名演だと考えます。

 フィッシャー=ディースカウとケンペの巡り会いはマーラーとブラームスだけに留まりませんでした。史上初のステレオ・セッション録音となった『ローエングリン』で再び共演しているのです。

CDジャケット

 

ワーグナー:ローエングリン

ローエングリン:ジェス・トーマス
エルザ:エリーザベト・グリュンマー
テルラムント:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ
オルトルート:クリスタ・ルートヴィヒ
国王ハインリヒ:ゴットロープ・フリック
国王の伝令:オットー・ヴィーナー
ウィーン国立歌劇場合唱団(コーラス・マスター:リヒャルト・ロスマイヤー)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

録音:1962年11月23-30日、12月1-5日、1963年4月1-3日、ウィーン、アン・デア・ウィーン劇場
英EMI(輸入盤 CDS 7 49017 8)

 この録音について、フィッシャー=ディースカウは後年以下のように述懐しています。

「私たちが『ローエングリン』をレコード録音中に起きたハプニングのように、一部の歌手達のヒステリーとか、突然だが避けられないキャストの変更などにあって、何もかもが混乱してしまうかに見えたとき、ケンペは興奮の渦のただなかで、静かに優しく、巌のように直立していたのであった。」
(Rudolf Kempe-Bilder eines Lebens Zusammenstellung und Text. Cordula Kempe=Oettinger, List Verlag, Munchen, 1977. の序文。尾埜善司和訳)

 思わず、笹沢美明の「けさ、コークスの中で」を思い出させるエピソードですが、ケンペの人柄がとても伺えます。

 

■ ゲルハルト・タシュナー、ヴァイオリン

CDジャケット

ヒンデミット:
独奏ヴァイオリンと管弦楽のための室内音楽第4番 作品36-3

ケルン放送交響楽団

録音:1952年12月12日、ケルン、西部ドイツ放送協会大ホール
独EMI(輸入盤 7243 5 66524 2 2)


CDジャケット

プフィツナー:
ヴァイオリン協奏曲ロ短調作品34

ベルリンRIAS放送交響楽団

録音:1955年4月17日、ベルリン、ホッホシューレ・ザール
独MD+G(輸入盤 642 1143-2)

 タシュナー (1922 – 1976) は1941-45年フルトヴェングラーが君臨していたベルリン・フィルのコンサートマスターを務めていたことで知られています。その後ソリストとしても活躍したそうですが、録音嫌いであったため音源がほとんど残っていないそうです。上記のディスクはいずれも放送ないし演奏会での録音音源から正規リリースされたものです。

 プフィツナーの協奏曲は1923年、ヒンデミットは1925年の作曲ですから、タシュナーにとってはまさに現代音楽と言って良い曲です。オーケストラパートもとても複雑に聴こえますが、ケンペはモノラル録音でありながらも、見通しのよい響きを造っていると感じます。

 なお、プフィツナーは当日の演奏会の後半に採り上げられたようで、前半はドビュッシー:牧神の午後への前奏曲、およびモーツァルト:交響曲第33番でした。

 

■ ネルソン・フレイレ、ピアノ

 

 フレイレは1944年生まれのブラジルのピアニストです。この人の名前はマルタ・アルゲリッチとの共演で一際知られるところとなりましたが、24歳のときに録音されたのがケンペとの協奏曲録音です。

CDジャケット
チャイコフスキー
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グリーグ、シューマン

 

 

チャイコフスキー:
ピアノ協奏曲第1番変ロ短調作品23

グリーグ:
ピアノ協奏曲イ短調作品16

シューマン:
ピアノ協奏曲イ短調作品54

リスト:
死の舞踏

ミュンヘン・フィルハーモニー

録音:1968年5月22-27日、ミュンヘン、ビュルガーブロイケライ
SONY CLASSICAL(国内盤 SICC 58、59、ジャケット写真はCDに収載されていたオリジナルジャケットを掲載)

 国内再発LP盤(CBS SONY SOCL92)の解説において、小林利之氏はこの演奏は「はじめあまり認められずにいた」として、その見解を書いています。以下、やや長いですが引用させていただきます。(なお、下文ではフレイレを「フレーア」と表記しています)

「ルドルフ・ケンペの指揮するミュンヘン・フィルハーモニーが、フレーアのピアノとあまりにもかけはなれた体質の音楽をやっていること。ケンペという指揮者は、ケレン味やハッタリのない、ほんとに好感のもてるドイツの指揮者である。ただし、協奏曲の指揮者として、この場合、ケンペは、フレーアのソロを表面にうかび出させすぎたきらいがないでもなく、それがどちらかというと洗練度がじゅうぶんとはいかないミュンヘン・フィルハーモニーの、いささか古風なスタイルの演奏として、いっそう控え目なものに感じさせたのが原因のひとつなのかも知れない。こうしたオーケストラをバックにデビューしたフレーアであった。かれは、チャイコフスキーでも、グリークでも、オーケストラの、いささか平均的な音楽をめざすような協奏ぶりとそのペースに身をゆだねることを、はっきりと避けている。そして、オーケストラに足なみを揃えずに、みづからの(注:原文ママ)若さの覇気と天性のテクニックで、こころに感じたままの音楽をひたすら鍵盤にむかってぶっつける(注:原文ママ)ことによって、オーケストラにもその若い音楽の閃きを反応させようとしたのではなかったか。」

 表現は抑え気味ながらも、ケンペ/ミュンヘン・フィルのバックが木訥に過ぎて、フレイレはそれをいやがって演奏している。有り体にいえば伴奏の選定ミスとも言いたいのだと思います。

 ところが週刊FMに連載されていた「直撃アンケート20 名演奏家の履歴書」でのインタビュー(1983年6月6日号、83頁)においてフレイレは次のように回答しています。

Q8 「自分のレコードでもっともお気に入りのもの」
A8 「ほとんど自分のレコードはきかないし、満足もしていないけれど、しいてあげれば、ケンペのチャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番。」
   
Q16 「もっとも気の合う指揮者」
A16 「故ルドルフ・ケンペ。彼とは30-40回も共演しています。」

 フレイレ自身はケンペとの共演盤を気に入っているだけではなく、その後もコンサートで頻繁に共演していたというわけです。

 さて、そのチャイコフスキーですが、フレイレのピアノは実に絢爛豪華、やや前のめりとも言えるテンポで突き進んでいきます。このあたりはオーケストラに足並みを揃えていないと感じる由縁でもあると思います。しかしよく聴けばフレイレのピアノはただがむしゃらに疾走しているわけではなく、テーマが変わるときちんとオーケストラと足並みを揃えて演奏していきます。ケンペはフレイレのピアノがどのような動きをしようとも(実際はリハーサルで綿密な打ち合わせをしているのだと思いますが)、曲のフォルムが崩れないようにぴたりと合わせて演奏しています。全体に実にフレイレは心地よく演奏していると思います。もしかするとケンペは入念なリハーサルの後、「それじゃ、好きなように弾いてください。貴方(フレイレ)の発想はよく分かったので、どんな風に弾いても合わせていきますよ。」とでも言ったのかもしれないと思いました。

 それにしてもよくこの激しいテンポで音楽が崩れないものです。第一楽章の最後はケンペ/ミュンヘン・フィルも燃えに燃えています。第二楽章も勿体ぶったところがなく思わず踊り出しそうな素敵なテンポです。第三楽章になると予想されるような白熱した演奏で大いに盛り上がって最後は強烈なアッチェランドがかかって終わります。

 二枚目のグリーグは冒頭こそチャイコフスキーのような絢爛たる響きで始まりますが、ケンペの創る音楽は「北欧」というイメージに拘泥せず骨太で、より立体的な印象を受けます。曲想が変わるときのテンポは大きく粘り、古風でもなければ平均的でもない濃密な響きに充ちています。これに呼応してフレイレのピアノはチャイコフスキーとは打って変わって繊細な音色を駆使して、柔らかく切なさを湛えて演奏しています。聴きものは第二楽章です。私はこの曲の第二楽章でこれほど響きがやせず、本当に弱音器が付いているのかと思うような芳醇な弦楽器の響きを聴いたことがありません。これはケンペと、おそらくはコンサートマスターのクルト・グントナーとの共同作業なのだと思います。これにフレイレのピアノが加わったときのバランスは実に絶妙です。ケンペはピアノ独奏を暖かく包み込むように、そして支配的にならずに演奏しています。これは至芸と思います。第三楽章は踏み込んでいくフレイレに対して徐々に加速していきながら支えていくケンペの棒さばきが素晴らしいと思います。そして最後の最後になって完全に音楽を解き放って、フレイレの思うがままに演奏させて終わらせています。

 シューマンはそれまでの二曲に比べると響きが暗い曲で、かつオーケストラとの絡みも多様な曲だと思います。ケンペのこの曲の録音は、フレージャーの独奏、カペレを指揮したライブ録音が最近出ています。しかもオーケストラの配置はヴァイオリン両翼配置でほとんど響きのブレンドは同じという興味深いものです。フレージャーがかなりテンポを動かして粘った演奏だったのに対して、フレイレはもっと直截的であって、インテンポを守ろうとしています。したがってチャイコフスキーやグリーグを聴いてくると、おとなしい演奏に感じますが、響きは奥深くフレイレの音楽性の高さがよく分かる演奏とも言えます。それにしてもケンペ/ミュンヘン・フィルが紡ぎ出す音色はとても味わい深いものです。弦楽パートのちょっとしたニュアンスの変化、それに応える木管パート、ここぞというところで炸裂する金管とティンパニ。ピアノ独奏と対立することも、迎合することもなく、尊重しながら、自らの音楽をしっかりと表現する。この矛盾するような事柄をさりげなく成し遂げてしまっているのです。

 リストの「死の舞踏」はフレイレの妙技もすばらしいのですが、これに鋭く切り込んでくるオーケストラの熱い響きに心が動かされます。現代の機能的な磨き抜かれた純度の高いものではなく、そこには息づかいや温かさをより感じることができます。そして音楽は決して木訥なのではなく、時にピアノの前を突き進んでいくくらいの激しさも持ち合わせているのです。

 この一連の録音は、ケンペがミュンヘン・フィルの音楽総監督になった翌年に行われています。ケンペの伴奏指揮者としての恐るべき実力が、フレイレとの共演で遺憾なく発揮されていると思います。

 

■ シューラ・チェルカスキー、ピアノ

CDジャケット
 
CDジャケット

 

 

ショパン:
ピアノ協奏曲第2番ヘ短調作品21

ロイヤル・フィルハーモニー

録音:1964年
瑞西MENUET(輸入盤 160013-2)
独Profil(輸入盤 CD PH 0415)

 チェルカスキー(1909 – 1995)はウクライナで生まれ、アメリカで活躍したピアニストです。86歳で没するまで現役を貫こうとしたことで知られているようです。ケンペとの共演は55歳頃のことでした。

 曲目はショパンの第2番というちょっと地味な選曲ですが、ケンペが指揮するロイヤル・フィルはおざなりの伴奏をすることなく、ここぞというところでは打ち込みが鋭く、それでいてピアノの入りの部分では、絶妙なテンポと音色の変化で受け渡していくのです。チェルカスキーはテクニックには問題はなく、ときにとても粘って弾いたりもするという実に個性的な演奏です。このように奔放な演奏を繰り広げる独奏に対してケンペは戸惑うことなく、さりげなくぴたりと合わせてきています。これはピアニストはさぞや弾きやすいだろうと思ってしまいます。チェルカスキーとケンペは確認できるだけで、1970年4月26日にRPOとチャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番、1972年1月27日にMPOとラフマニノフ/パガニーニの主題による狂詩曲で共演しています。それほど気の合う演奏家同士だったのでしょう。

 

■ グィラ・ブスターボ、ヴァイオリン

CDジャケット

ヴォルフ=フェラーリ:
ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品26

ミュンヘン・フィルハーモニー

録音:1972年11月27日、ミュンヘン、ヘルクレス・ザール ライブ録音
米A Classical Record(輸入盤 ACR37-1/2)

 グィラ・ブスターボ(1916または1919 – 2002)はアメリカ生まれの女流ヴァイオリニストで、1930年代にドイツで活躍。第二次大戦中もドイツで演奏活動を続いていたため、戦後は活動を制限され、主にオーストリアでの教育活動に従事、ほとんど演奏会や録音での音楽活動は行わずに、アメリカで没したそうです。したがって、録音はほとんど戦前のモノラル録音に限られています。

 ここで演奏されているヴォルフ=フェラーリのヴァイオリン協奏曲は、余り聴かれることが少ない曲と言えます。ヴォルフ=フェラーリがブスターボに献呈した曲であり、戦時中の1944年7月にカバスタ指揮ミュンヘン・フィルとブスターボ自身が初演をしています。録音自体も少なく、最近まではウルフ・ヘルシャー盤しかありませんでした。日本では川畠成道が初演したのが、なんと2007年4月21日というごく最近のことで、現在はその川畠成道が録音したCDが唯一の現役盤だと思います。

 さて、このように知られざるヴァイオリニストと知られざる協奏曲がなぜ1972年に演奏されたのかというと、当夜は「忘れられた作品達」と銘打たれたプログラムでした。

ゲルスター:「イノック=アーデン」序曲
ヴォルフ=フェラーリ:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品26
コルンゴルト:交響曲嬰ヘ長調作品40

 おそらくはミュンヘン・フィルで初演されたという縁から実現したのだと思いますが、演奏会は私は知る限り、この1日だけ行われています。まさに唯一無二のコンサートであったのでした。

 当時50歳代だったブスターボの演奏は、まさに手の内に入った迷いがなく、とても味わい深いものです。ケンペの指揮するミュンヘン・フィルは柔らかい上品な響きでソロを引き立てています。初演者自身の貴重な演奏であり、もっと広く知られて良いと思うのですが、このCDも1200枚限定生産というものです。

 

■ エディト・パイネマン ヴァイオリン

 

 パイネマン(1939 - )はドイツの女流ヴァイオリニストですが、前述のブスターボのように公式録音はとても少なく、しかもわずかな現役盤もレーガー、クラウスというあまり有名とは言い難いものになっています。そのパイネマンはケンペと1973年8月15日、スイス祝祭管弦楽団(のちのルツェルン祝祭管弦楽団)で、プフィツナー/ヴァイオリン協奏曲を演奏した記録がありますが正規音源としては出ておらず、BBC響とのベルクの協奏曲が世に出たときには、とても驚いた記憶があります。

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アルバン・ベルク ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出に」

BBC交響楽団

録音:1976年2月18日、ロンドン、ロイヤル・フェスティバル・ホール 
英BBC Legends(輸入盤 BBCL 4215 2)

 この演奏会の日付は、「ケンペのブラームスを聴く:交響曲その2」で採り上げた、ブラームス/交響曲第4番であり、ケンペがBBC響とのラストコンサートとなったプログラムの前半2曲目でした(1曲目はティペットの二重協奏曲)。

 ケンペのベルクというと違和感を持つ人も少なくないと思いますが、パイネマンの凛とした美しい響きに、ケンペはまるで深いため息のような音色でそっと支えていきます。どちらかといえば、ベルクの協奏曲は怜悧で、暗い情念に満ちたイメージがあったのですが、ここではパイネマンもケンペも暖かく優しい姿勢で演奏しているのが好ましく感じました。

 

■ ポール・トルトゥリエ、チェロ

 

 私は、ルドルフ・ケンペとの素晴らしい信頼関係を持っていました。私達の間には何の問題もありませんでした。彼は第一級の音楽家であり、その早すぎる死は音楽界にとって損失でした。
「ポール・トルトゥリエ|チェリストの自画像」P.トルトゥリエ、D.ブルーム著 倉田澄子監訳、伊藤恵以子訳、232頁、音楽之友社。1994年)

 トルトゥリエ(1914 - 1990)にこのように言わしめたケンペとの共演は、リヒャルト・シュトラウスの「ドン・キホーテ」が録音として3種類遺されています。セッション録音として1958年のベルリン・フィル盤、それに1973年のカペレ盤、これに加えてケンペの死後発表されたバイエルン放送響盤です。

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ジュスト・カッポーネ ヴィオラ

ベルリン・フィルハーモニー

録音:1958年6月1-7日、ベルリン、グリュネヴァルト教会
英TESTAMENT(輸入盤 SBT1249)


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ゲオルグ・シュミット ヴィオラ

バイエルン放送交響楽団

録音:1966年12月19日、ミュンヘン、ヘルクレス・ザール
独ORFEO(輸入盤 C267 921 B)


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マックス・ロスタル ヴィオラ

シュターツカペレ・ドレスデン

録音:1973年6月22-29日、ドレスデン、ルカ教会
英EMI(輸入盤 0777 7 64350 2 2)

 これ以外に伝えられるところとして1972年5月17日にロイヤル・フィルと演奏会を行っているそうです。このようにケンペとトルトゥリエは何度も共演しており、カペレとのR.シュトラウス全集が企画された時にも、ケンペは迷わずトルトゥリエを希望したことは想像に難くありません。

 三種の録音とも基本的にはまったく変わったところがありません。これは15年間ケンペとトルトゥリエの解釈は揺らがなかったと言えます。ベルリン・フィル盤での鋼のような色合い、バイエルン盤でのライブならではの感興、カペレ盤での精緻な響きと味わい深さ、どれも捨てがたい魅力を持っています。トルトゥリエ自身はカペレ盤がベストであると言っていました。

 ところで、トルトゥリエは、クラシック音楽が商業目的に不当な扱いを受けることを批判して、音楽に精神を呼び戻すというベートーヴェン・ムーブメントという運動を発起人として始めたことがあります。その件でケンペと会った文章があります。

 ある日、私はルドルフ・ケンペに、ベートーヴェン・ムーブメントのための請願を持って行きました。偉大な音楽家は、私が予想したとおり、その目的に共感しました。しかし、彼はこの種の反対運動が無益なことだと感じていました。彼は、「結局、商業主義の力は、このような理想主義的な努力が効果を得るためには、あまりに深くしみ込んでしまっている。」と言いました。私は、「もし、私達が本当に取るに足らないものになってしまうほど危機が大きいのなら、私達が抗議する以上に重要なことはないのではありませんか。意義深く生きるには、ほかにどのようにしたらよいのでしょう。」と尋ねました。
 彼はしばらくの間、私をいぶかしげに見て、こう言いました「もし、私が君は本当にドン・キホーテみたいだと言っても、気にしないでくれ。」
 そして、私は答えました。「全然気にしません!」
「ポール・トルトゥリエ|チェリストの自画像」P.トルトゥリエ、D.ブルーム著 倉田澄子監訳、伊藤恵以子訳、282頁、音楽之友社。1994年)

 この短い文章からいくつか分かることがあります。トルトゥリエとケンペは共演という枠を越えて親交があったこと。ケンペはトルトゥリエの掲げる理想に共感すると同時に現実的な問題点をきちんと指摘していること(実際にこの運動は短命に終わったそうです)、その困難な理想に向かって現実に立ち向かうトルトゥリエに対してケンペは「ドン・キホーテ」に例え、トルトゥリエはそれを受け止めているということ、これらは両者の深い信頼関係があってこそですし、そこでも二人は「ドン・キホーテ」を共演したのだと思います。  

 

(2011年1月12日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記)