クレンペラーのベルリオーズ
グルック
歌劇「オーリードのイフィジェニー」序曲
録音:1960年9月
ベートーヴェン
「レオノーレ序曲」第1番 作品138
録音:1954年11月(この曲だけモノラル)
ベルリオーズ
幻想交響曲 作品14
録音:1963年4,9月
クレンペラー指揮フィルハーモニア管
EMI(輸入盤 CDM 7 64143 2)クレンペラーの隠れた傑作。国内盤は幻想交響曲のみでカップリング曲がないので、非常にもったいない。輸入盤を探して買うことを強くお勧めする。
「オーリードのイフィジェニー」序曲:クレンペラーの真骨頂が分かる超弩級の名演。この曲は1774年に初演されたが、クレンペラーは原曲ではなく、1854年にワーグナーが編曲した版を使っている。当然それはグルックの原曲より遥かに響きが拡大されているのだが、クレンペラーの演奏はそれだけでは説明ができないほど巨大なスケールなのだ。わずか11分の曲なのに、大交響曲に匹敵する威容を見せる。というより、まるで神々が降臨してくるような神々しさだ。あたりを払う威厳、厳粛な雰囲気。どの部分を聴いても神々の音楽としか思えない。これでは曲に対するイメージが完全に変わってしまう。クレンペラー入門に最適。
「レオノーレ序曲」第1番:ベートーヴェン自身がこの序曲を評価していなかったため、不当な一般的評価を得てしまった「レオノーレ」序曲第1番。クレンペラーはこの曲を63年にもステレオで再録音している。モノラルとステレオという記録媒体の変化はあるのだろうが、クレンペラーがこの曲を高く評価していたことはほぼ間違いがないであろう。実際、クレンペラーの指揮で聴くと、清新の気風溢れる佳曲だと分かる。図らずもベートーヴェンにとっては隠れた名曲になったこうした小規模な曲を残してくれたことはファンとしても非常に嬉しい。
幻想交響曲:これもクレンペラーの傑作録音である。ドイツ・オーストリア音楽の大家というイメージが強いクレンペラーにとって、ベルリオーズは異色なレパートリーである。録音を企画したのはプロデューサーのウォルター・レッグだが、レッグはこんな演奏になると知っていたのだろうか?おそらくレッグさえもこの演奏の出来には舌を巻いたのではないだろうか。
録音は1963年。クレンペラーのテンポがグンと遅くなってくる頃である。この録音でもテンポはやや遅め。それがベルリオーズが書いたオーケストレーションを隅々まで描き出している。遅めのテンポで細部は綿密に彫琢されており、響きは極めて美しい。聴き手は普段聞こえてこなかったさまざまな響きを聴くことができる。対抗配置の効果も十分楽しめるし、強弱の付け方も見事で、最後の最後まで飽きさせることがない。
ただし、「幻想的な幻想交響曲か?」と問われれば「そうではない」と答えざるを得ない。おそらくクレンペラーは表題には興味がなかったのだろう。ベルリオーズが書いた音符を忠実に再現しただけという気がする。しかし、それは大成功だった。これほどの名曲であるからには、妙な味付けは不要。クレンペラーのような直球勝負が奏功するのである。
もちろん全曲がすばらしい。が、私は第3楽章以降が特にすばらしいと思う。第3楽章は18分かけて演奏しているが、聴き所満載で一瞬たりとも聴き逃せない。何と言ってもオケの音色と妙技が楽しめる。色彩的に豊だし、楽器間のバランスが実に見事である。他の指揮者の場合と違って、だれるところなど1カ所もない。
第4楽章ではすごい迫力の演奏が聴けるし、第5楽章では猛烈な迫力の上にスケールの大きさまで感じる。極めて高密度の演奏で、どの楽器のどのフレーズも出番を待ちかまえて堂々と登場してくる壮観さがある。このクレンペラーの演奏には底知れぬ深さを感じざるを得ない。フランス音楽を売り物にしている多くの指揮者達も、この演奏の前には立場がなくなるだろう。フランス的であること、幻想的であることなどより、音楽的に優れた演奏が聴き手を圧倒するのである。
ベルリオーズ
幻想交響曲作品14
クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管
録音:1966年1月30日
マーラー
交響曲第2番ハ短調「復活」
クレンペラー指揮ウィーンフィル
録音:1963年6月13日
DISQUES REFRAIN(輸入盤 DR910007-2)やや好事家向けのCDである。理由は二つある。
まず、カップリング。このCDは2枚組なのだが、マーラーは1枚もので出ているものと同じ音源。したがって、2枚組にする必然性が全くない。マーラーの録音はDISQUES REFRAIN盤でも音質は改善していないから、付加価値は特に感じられない。しかも、DISQUES REFRAINのCDは安くはない。2枚組で2000円程度ならともかく、私の記憶では5,000円近くしたと思う。私は別にコレクターではないのだが、クレンペラーのCDを見ると気になってしょうがないのでついつい買ってしまうが、それでもちょっとためらってしまった。DISQUES REFRAINはこんな抱き合わせ販売を止めて欲しい。
もうひとつの理由は、幻想交響曲には63年の極めて優れたスタジオ録音があることだ。上記盤がそれなのだが、これは数ある幻想交響曲のCDの中でも特に光り輝く不滅の存在価値を持つCDである。録音状態も大変よく、クレンペラーの意図も実によく汲み取ることができる。一方、DISQUES REFRAIN盤はモノラル。もちろん、モノラルでも高音質で、ノイズが少なく、鑑賞に不自由はしない。しかし、色彩感覚豊かなベルリオーズの管弦楽法を堪能できるとまでは言い切れない。
にもかかわらず、こうした録音が海賊盤とはいえ存在し、高価な値段を付けられているにはそれなりの理由がある。やはりライブならではの圧倒的な迫力が味わえるのである。第3楽章まではスタジオ録音盤とあまり変わらない演奏をしているクレンペラーは、第4楽章に入ると、一体どうしてしまったのか、猛烈な演奏を始める。金管楽器はトランペットからチューバまで全開。もしかしたら楽員は「おまえら、好きなだけでかい音で吹いてみろ」とでも言われたのではないだろうか。打楽器もすごい。「マエストロ、これなら文句ねえだろうな?」とでも言いたげな猛烈な叩きぶり。弦楽器だって負けてはいない。大汗をかきながら弾きまくっている様子。モノラルであるにもかかわらずスピーカーの前には激しい音場が出来上がり、聴いていると、ただただ圧倒されてしまう。
すごいのは決してオケが野放し状態ではないことだ。指揮者自体が荒れ狂っているように見えながら、実はそうではなく、音楽には一糸乱れぬ統率感がある。そこがクレンペラーらしいすばらしさだ。聴き手を圧倒して止まないのは最後まで完全にドライブされるオケの迫力であって、無政府状態になったオケの爆発的演奏ではない。終演後、すさまじい拍手が聴かれるが、宜なるかな。ライブであるからには演奏にはキズもある。しかし、余りに凄絶な演奏であるため、気にもならない。DISQUES REFRAINは「これなら商品化するに十分値する」と読んだのであろう。悔しいけれど、さすがという他はない。高価なCDではあるが、これでは買いたくなってしまう。
なお、テンポはスタジオ録音盤より少し速い。年をとればとるほどテンポが遅くなるわけではないことがここでも少しは立証されるだろう。
An die MusikクラシックCD試聴記、1998年掲載