クレンペラーのマーラー
■交響曲第2、4番■
マーラー
交響曲第2番ハ短調「復活」
ソプラノ:エリザベート・シュワルツコップ
メゾソプラノ:ヒルデ・レースル・マイダン
クレンペラー指揮フィルハーモニア管
録音:1961年11月22-24日、1962年3月15,24日
EMI(国内盤 TOCE-6089)クレンペラーの代表的名盤のひとつ。
80年代以降に数多く登場した刺激的なマーラーに慣れてしまった聴き手にはクレンペラーの演奏がやや地味に感じられるかもしれない。しかし今もってこの演奏は「復活」の最も規範的な優れた演奏であり、クレンペラーの記念碑的偉業である。特に終楽章の深い表現など忘れることはできない。
ご存知のとおり、クレンペラーはワルターと並ぶマーラー直門であった。マーラーの音楽の普及に最も貢献した指揮者の一人である。特にこの「復活」は、長い指揮者生活の間に何度も取り上げている。クレンペラーはアメリカ滞在中、精神病院を脱走したという噂が流れ、指揮者としての存亡がかかっていた時があった。クレンペラーはやむを得ず自費でコンサートを開き大赤字を出したことがあったが、その演目も「復活」であった。この曲にはよほどの愛情と自信があったのだと思われる。
そうしたクレンペラーが残したスタジオ録音はまさに確信に満ちた堂々たる演奏だ。ヒステリックなマーラーを聴きたい人ならばともかく、誰にもお勧めできる。クレンペラーの長い演奏経験に裏打ちされた名演奏であるから、どの部分をとっても文句なしにすばらしい。今の私にとっては「ここをこうして欲しい」と思えるところがなくなってしまった。
テンポはやや遅い。特に終楽章では遅さが際立っている。しかし、そのテンポの中でクレンペラーはすべての音を丁寧に扱い、着実な歩みを見せる。「着実」だからもちろんヒステリックにはならないし、オケや合唱団を煽り立ててもいない。しかし、そんなアプローチが作品に比類のない重みを与えているのである。
最もスケール雄大な演奏をしているのは終楽章である。前述したとおりテンポはぐっと遅くなっている。颯爽と演奏し、大きな音で責め立てる演奏をすれば、それなりの演奏効果があがる楽章なのだが、クレンペラーは実にじっくりと演奏している。合唱が入ると、クロプシュトックの「復活」の歌詞を慈しむように合唱団が歌い出す。遅いテンポでじっくりと歌うのだ。その深い感動はもはや他の指揮者には求められない。
EMIから出ているクレンペラーのマーラーはどの曲も聴きやすい録音だ。この「復活」も録音に足かけ2年を費やしているため、プロデューサーもバランス・エンジニアもそれぞれ3名が名を連ねている。しかし、聴感上どこにも差が見られない。オケの音がもう少し前に出て欲しい気もするが、当時のものとしては優れた録音だと思う。
マーラー
交響曲第2番ハ短調「復活」
ソプラノ:ヘザー・ハーパー
メゾソプラノ:ジャネット・ベイカー
クレンペラー指揮バイエルン放送響
録音:1965年1月29日、ミュンヘン
EMI(輸入盤 7243 5 66867 2 4)ライブ録音とは思えないほどの完成度の高さ。オケの技術がすばらしい。スタジオ録音盤と間違えそうな出来だ。録音状態もかなりいい。低音に量感があり、高音までよく伸びている。バイエルン放送局が録音したのだから悪いわけはないのだが、録音技術が今までさほど進歩していないのがこれを聴くとよくわかる。
上記スタジオ録音盤はクレンペラーの名盤として長く君臨してきたが、このライブ盤はその優れた業績を上回るすごい演奏を聴かせる。解釈に違いは殆ど見られないが、何よりもライブ盤ならではの高揚があるし、クレンペラーは作品にいっそう肉薄しており、より抉りが効いた演奏になっている。
聴き所は沢山ある。第1楽章ではオケの底力を感じさせる迫力。第2楽章では室内楽的な繊細さ。これほどデリケートな演奏をした第2楽章を私は他に知らない。第3楽章では大編成のオケを最大限に活用した壮大さはもちろん、まろやかにブレンドされたオケの響き。大編成のオケがバラバラな鳴り方をしないのである。返す返すもすばらしいオケだ。
第4楽章ではジャネット・ベイカーの歌唱。クレンペラーは澄み切った空気を作り出し、この歌をやさしく包み込むようにして演奏している。これ以上美しく、清澄な「原光」はもはや考えられない。このわずか4分ほどの演奏を聴くだけでもこのCDを買う価値があると言っても過言ではない。
第5楽章では壮麗さと静寂。録音の良さもあって、オケが作り出す壮麗な響きには圧倒される。ゆったりしたテンポにより迫力は倍増している。もっとすごいのは合唱部分である。静寂が美しい。弱音が美しい。これだけ弱音を重視し、遅いテンポで歌われた「復活」は珍しい。心のこもりきったすばらしい合唱が聴ける。どんな聴き手も感動せずにはいないだろう。
なお、私はこのCDを輸入盤で1,280円で買ったのだが、国内盤は2枚組で2,800円。どういうことなのだろうか?
マーラー
交響曲第2番ハ短調「復活」
ソプラノ:イオーナ・シュタイングルーバー
アルト:ヒルデ・レースル・マイダン
ウィーン・アカデミー室内合唱団
ウィーン楽友協会合唱団
クレンペラー指揮ウィーン響
録音:1951年
PLATZ(国内盤 PLCC-691)VOX原盤。
クレンペラーの「復活」はEMIから2枚のステレオ正規盤、DECCAからはコンセルトヘボウを指揮した強力ライブの正規盤が出ているので、正規盤でありながらVOXの録音はほとんど無視されているようだ。話題に上っているのを最近では聞いたことも見たこともない。ちょっと条件が他の録音に比べると悪いからだろうか? 実際問題として、スタジオ録音であるにもかかわらず、同年のDECCAライブ録音より音質が悪く、オケの技術もやや見劣りする。
しかし、ここで聴くマーラーは確かにクレンペラーならではの壮麗なものだ。最晩年の演奏とは違って速めのテンポで指揮しているから、白熱感が著しい。オケ、特に木管楽器、金管楽器があちこちで破綻を見せているのはその白熱した演奏のためだ。最初私はライブ録音かと思ったほどだ。
第1楽章からクレンペラーの気迫のこもった指揮が聴ける。冒頭、いきなり猛烈に鋭い弦楽器の音に驚かされるが、クレンペラーの熱い情熱がそのまま音になったような演奏がずっと繰り広げられている。
第3楽章もよくできた演奏なのだが、やはり渾身の第5楽章が聴きものだ。モノラルゆえ、マーラーのオーケストレーションがマイクに入り切らなかったうらみはあるが、それでもスタジオでは目映いほどに壮麗な音楽が鳴り響いたに違いない。全く息もつかせぬような演奏で、録音の悪さを忘れさせるのに十分である。合唱が入ってからの音楽の高揚が見事である。クレンペラーは同年にコンセルトヘボウとライブ録音したが、スタジオでもライブに負けないほど気合いの入った高密度の演奏をしていたことが分かって面白い。
なお、国内盤には宇野功芳氏の解説が付いているが、第4楽章、第5楽章の歌詞は載っていない。海賊盤ならいざ知らず、高価な国内正規盤なのに。この曲では歌詞は非常に重要な意味を持ち、ソリストも合唱団も噛みしめるようにして歌っているわけだから、歌詞はつけて欲しいものだ。
マーラー
交響曲第2番ハ短調「復活」
ソプラノ:ジョー・ヴィンセント
アルト:カスリーン・フェリアー
クレンペラー指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管
録音:1951年7月12日
DECCA(輸入盤 425 970-2)クレンペラー渾身のマーラー。クレンペラーが完全燃焼している。この大指揮者は時たまこういう超絶的な演奏を残すから面白い。ブラームス第4(ORFEO),ベートーヴェン第4,第5(EMI正規録音)などがそうだ。
演奏は速めのテンポで進められる。というより最初からとばしている感じがしないわけではない。クレンペラーの猛烈な意気込みが最初から感じられるのだ。第1楽章から壮麗な音楽になっているが、最大の聴きどころはやはり第4楽章から第5楽章にかけてだ。クレンペラーはバイエルン放送響との録音でも迫力ある「復活」を演奏したが、モノラル録音でありながらも迫力ではこちらの方が上だろう。速いテンポのため異常な盛り上がりを示している。クレンペラーは燃えに燃え、音楽と同化したとしか思えない。
このCDには「クレンペラーとの対話」の著者であるヘイワースが書いた解説がついている。それによると1951年はマーラー没後40年であるのに、ウィーンでは記念行事が何も行われない。そのためクレンペラーは不満を抱いていたようだ(「復活」の演奏はしているが)。折しもオランダで、マーラー音楽祭があるためにクレンペラーは招聘され、この曲を振ったというわけらしい。オランダでマーラー音楽祭があったのは、もちろんメンゲルベルクがマーラーと親交を持ち、マーラー演奏の伝統があったからだ。クレンペラーにとっても名器コンセルトヘボウを振ってマーラーを演奏することは願ったり叶ったりであったろう。しかもソロにはワルターとともに「大地の歌」の記念碑的な録音を残しているカスリーン・フェリアーが参加。フェリアーは狂人のように叫ぶクレンペラーと協演するのをいやがったと言う。おそらくクレンペラーは怒鳴り散らしたり、毒づいたり、訳の分からないことをブツブツ言いまくっていたのだろう。だが、この最高のアルトを得たおかげで、音楽の質は最高に高まる。フェリアーが歌う第4楽章は、実に聴き応えがある。フェリアーの深々とした声がマーラーの美を歌い上げる。
コンセルトヘボウはクレンペラーの指揮に見事に応え、非常な熱演ぶりだ。ライブゆえ、特に金管楽器が破綻をきたしている部分もあるが、全く気にならない。また、クレンペラーの全身全霊を傾けた猛烈な指揮がオケを奮い立たせ、白熱した音楽になっている。会場は興奮のるつぼであっただろう。
録音は51年のモノラルではあるが、極めて鮮明。歪みがない。さすがDECCAだ。第1楽章の弦楽器の鋭い刻みも克明に聴き取れる。ある程度音量を上げるとすさまじい迫力。こういう古い録音を一般的にはHistoricalというのだろうが、演奏を考えるとMonumentalと言いたくなる。後世に残すべき名演である。
マーラー
交響曲第2番ハ短調「復活」
ソプラノ:ガリーナ・ヴィシネフスカヤ
アルト:ヒルデ・レースル・マイダン
クレンペラー指揮ウィーンフィル
録音:1963年6月13日
Music & Arts(輸入盤 CD 881)ウィーンフィルによるマーラー。63年の録音で、解釈はEMIの正規録音と同じ。クレンペラーはゆったりとしたテンポで重量感のあるマーラーを聴かせる。マーラーの音楽はこのようなテンポで演奏されると、地獄の底から沸き上がってくるような恐ろしい雰囲気になる。しかもこの録音ではウィーンフィルを指揮しただけあって、音色が他のオケとやや違う。朗々たるホルンの音はウィーンフィルならでは。オケの全奏による迫力もすばらしい。
ただし、録音の悪さは如何ともしがたい。モノラルでも良質なものはステレオを超えると私は思うのだが、これはそうでもない。モノのライブでもDECCAの録音のように歪みのない優れた録音で臨場感を出すものがあるのだが、これは指揮者のすぐ近くで音を拾ったのか、特定の人物の咳がかなりはっきり聞こえるだけでなく、ソリストの声が異常に大きく収録されているため、オケや合唱団とのバランスが不自然だ。弦楽器の音は団子状態だし、木管楽器の音もはなはだ音楽的でない。これは惜しい。音源は放送録音用テープらしいが、ORFにいい録音スタッフが払底していたのだろう。ウィーンフィルが目立った破綻もなく見事な演奏を繰り広げているだけにもったいない。
マーラー
交響曲第4番ト長調
ソプラノ:シュワルツコップ
クレンペラー指揮フィルハーモニア管
録音:1961年4月
EMI(国内盤 TOCE-1510)マーラーを聴き始めた頃は第1、2,5,6,8番などの壮麗で激しい曲ばかり聴いていた。私が高校1年生から2年生にかけてのことだ。この4番はバーンスタイン盤(オケはニューヨークフィル)を持っていたが、その当時は非常につまらなく感じたものだ。ところが、30を過ぎるようになると、不思議とこの曲に取り憑かれてしまった。他の曲に比べると第4番は音響効果的には地味だ。初演でも肩すかしを食らった聴衆ががっかりしたそうだが、私はマーラーがそれまでに書かなかった高い次元の交響曲だと思う。意外にも、この曲にはマーラーの天才が遺憾なく発揮されているように思える。
異論はあるかもしれないが、私はこの曲に天国を感じてしまうのである。確かに第2楽章に現れるヴァイオリンが不気味で気持ち悪いのだが、少なくともその他の楽章は人間が考える「天国」なるものに非常に近いのではないかと思う。
クレンペラーの演奏はそうした私のイメージに完全に合致した演奏で、まさに天国を描いている。この曲の持つメルヘン性を通り越して、この世のものとは思えぬ至福の世界に私を連れ去ってゆくのである。この曲を聴いている間は、しばし陶然となる。クレンペラーはすごい人だ。ここまで天国的な気分を表現し尽くした指揮者はそういない。この名演奏が極上のステレオ録音で残されたことに私は非常に深く感謝している。4番を聴くためのマスト・アイテムとして音楽ファンのすべてに推薦したい。
マーラー
交響曲第4番ト長調
ソプラノ:リンデマイアー
バイエルン放送響
録音:1956年?
green HILL(輸入盤 GH-0013)不思議なCDだ。CD本体には「mono」と書いてあるが、信じがたいほど鮮烈な音質。本当にモノラルなのか真剣に聴いて確かめてみたほどだ。
モノラルゆえ音場に左右の広がりこそないが、音に歪みがないから、目の覚めるような音色を堪能できる。ティンパニの一撃などすごい迫力だ。ずううーんと前の方まで音が伸びてくる。一部にテープ・ノイズがあるが、些細なレベルだと思う。おそらくバイエルン放送局が録音を担当したのだろうが、大した録音技術だ。56年時点で、しかもライブでこれほどの録音技術があったとは。もしかしたら、原盤はステレオだったのかもしれない。56年当時であればどこでもステレオ技術を検討していたはずだからだ。このCDはそれほどの高音質なのだ。
すばらしいのは録音だけではない。演奏もいい。もしこれがステレオ録音であったら、上記EMI正規録音の立場も危うい。まことに夢見るような演奏で、馥郁たる浪漫の香りがする。最もすばらしいのは第3楽章で、ゆっくりとしたテンポで天国の情景を歌い上げる。どの小節も芸術的で、音楽の深みが感じられる。これを聴いていると、クレンペラーがこの名曲を慈しみながら演奏しているのがよく分かる。オケも好演している。ライブだから、キズもあるが、それはご愛敬として目をつむりたい。少なくとも全曲をならしてみれば非常に高度な演奏だ。もしこの録音が本当に56年のものだとすれば、クーベリックがマーラー全集を作る遥か前だ。マーラー演奏の歴史が築かれてきたわけではないオケでこれほど高い次元の演奏が可能だったのだから驚いてしまう。オケの優秀性はもとより、指揮者の入念なリハーサルが忍ばれる。手兵でもないオケに一体どうやってマーラー演奏の神髄を教えたのだろうか。興味は尽きない。
なお、私はEMI正規録音は非常な名盤だと思うが、優れた歌を聴かせるシュヴァルツコップにさえ満足できない。余りに頭の中でイメージが高まってしまったからだ。このCDのエリザベート・リンデマイアーという人も好演しているものの、やはり物足りない。頭の中で究極の名演奏が勝手にできてしまうのは困ったものだ。
An die MusikクラシックCD試聴記、1998年掲載