クレンペラーのドヴォルザーク
ドヴォルザーク
交響曲第9番ホ短調作 品95「新世界から」
シューベルト
交響曲第5番変ロ長調 D.485
録音:1963年10-11月
クレンペラー指揮フィルハーモニア管
EMI(輸入盤 CDM 7 63869 2)「新世界から」:はじめに断っておくと、この「新世界」は血沸き、肉踊る演奏ではない。ボヘミアの臭いふんぷんというわけでもない。そうした次元の演奏とは全く一線を画している。ではつまらないかというと、そんなことは決してない。「こんなスタイルがあったのか」と誰もが膝を叩いて感心するだろう。クレンペラーは天の邪鬼な人だし、聴衆に迎合しない。一般的なこの曲のイメージを払拭させたところで、一発大勝負をかけたようだ。
この演奏を聴いていると、「新世界から」が、ベートーヴェンやブラームスの延長線上にある曲だと妙に納得してしまう。クレンペラーは「新世界から」を標題音楽としてではなく、あくまでも交響曲として演奏しているから、質実剛健な側面が嫌でも浮かび上がってくる。私の知る限り、こんなアプローチをしているのはクレンペラーだけである。実にユニークな指揮者であったわけだ。こうなると、ドヴォルザークの交響曲第7番や第8番も聴いてみたくなる。ウォルター・レッグがクレンペラーのそばにずっとついていればそれも実現したかもしれないが、この録音の1年後、両者は決裂している。その後クレンペラーを担当したプロデューサーに鑑識眼がなかったのだろうか? 残念無念である。
ところで、この演奏の話に戻ると、ひとつ非常に面白い特徴がある。金管楽器、木管楽器のそれぞれの音が実に良く聴き取れるのである。それは主旋律を担当する楽器だけでなく、裏の旋律、内声部を受け持っている楽器の音まではっきり聞こえるのだ。極めつけは、第4楽章の最後で、オケが最強音で鳴り響いている時にフルートの音がはっきりと聴き取れるところである。これは録音のせいなのか、クレンペラーの演奏がそうなのか、よく分からない。少なくともクレンペラーの録音を聴いていてこのような経験をしたのは初めてなので、録音の技術的な問題ではなく、クレンペラーの意図したところなのだと思う。クレンペラーは木管楽器の響きを重視し、旋律を浮き出させるために時には演奏者を増やしたとも言われているが、そうした指示を行っているのかもしれない。この演奏ではそれが金管楽器にまで波及しているのである。おかげで非常に面白いステレオ効果が楽しめる。
シューベルトの交響曲第5番。非常に魅力的なシューベルトだ。繰り返して何度も聴きたくなる。
冒頭からシューベルトの若やいだ、屈託のない音楽に浸れる。録音も上手にフィルハーモニア管の美しい木管の音色を捉えていて嬉しい。クレンペラーは明るく楽しいシューベルトの世界を実現している。「未完成」第1楽章で見せた無機的な表情が全くない。優れたオケがあったとはいえ、悪魔のような顔をしていたクレンペラーがこのような愛らしい表現ができたとは驚きである。
第2楽章のAndanteもよい。安らぎに満ちたこの曲の魅力を余すところなく伝えている。
第3楽章。快活なメヌエットを切れ味鋭く仕上げている。こうした構成のはっきりした曲ではクレンペラーの面目躍如だ。
第4楽章。伸びやかな曲の伸びやかな演奏。重厚さにも事欠かない。
以上、全曲を通して不思議な程良くできた録音だと思う。
An die MusikクラシックCD試聴記、1998年掲載