クレンペラーのハイドン
ハイドン
交響曲第98番変ロ長調
交響曲第101番ニ長調「時計」
録音:1960年1月
交響曲第88番ト長調
録音:1964年10月
交響曲第104番ニ長調「ロンドン」
録音:1964年10月
交響曲第100番ト長調「軍隊」
録音:1965年10月
交響曲第102番変ホ長調
録音:1965年9-10月
交響曲第95番ハ短調
録音:1970年2月
交響曲第92番ト長調「オックスフォード」
録音:1971年9月
クレンペラー指揮フィルハーモニア管、ニューフィルハーモニア管
EMI(輸入盤 CMS 7 63667 2)クレンペラーはバロックから現代音楽まで広大なレパートリーを持っていた。クレンペラーの指揮する現代音楽のCDを聴いたことがないのでそれだけは何とも評価しようがないが、少なくともほかの時代の曲はどれもクレンペラーならではの刻印を残している。
ハイドンだって、凡庸な指揮者が演奏すればつまらなくて、味気なくて、早く終わってくれないものかと思うのだが、クレンペラーの場合は別格だ。月並みな表現だが、風格がある。躍動感もある。古楽器を持った音楽家たちがハイドンの時代の曲を演奏するに及んで、このようなスタイルの演奏はすっかり時代遅れになったのだが、このクレンペラーの生気はどうだ? 意気込んで巨匠風の演奏をしているわけでもなく、若ぶって飛ばしているわけでもない。自然体でこのような演奏ができているようだ。いやはや、こんな人がもし現代にいたら、古楽器奏者を鼻で笑っていただろう。
もしハイドンの交響曲がつまらないと感じている人がいたらクレンペラーを聴くべし。それで面白くなかったら、ハイドンの曲には縁がないかもしれない。
ハイドン
交響曲第101番ニ長調「時計」
録音:1956年?
ベートーヴェン
交響曲第5番ハ短調作品67
クレンペラー指揮バイエルン放送響
録音:1969年
DISQUES REFRAINCDをかけると、ハイドンにしたつもりなのに、聴き覚えのない曲が聞こえてきた。「あれ? CDを間違えたかな?」と思って、もう一度確認すると、やっぱりハイドン。何ということだろうか。クレンペラーのスタジオ録音盤と比べても全く違う演奏だ。スケール雄大。気宇壮大。これではまるでベートーヴェンではないか。今では時代錯誤と笑われそうな演奏様式なのだが、すばらしい説得力を持っているのでどうすることもできない。
クレンペラーの時代にはこのような演奏が一般的なのかと思い、試しに、ほぼ同じ時代に録音されたビーチャムのCD(1958年)も聴き比べてみたが、それはやや小粒な演奏だった。クレンペラーはやはり別格なのだろう。おそらくクレンペラーにとってハイドン晩年の交響曲はベートーヴェンに匹敵する重要性があったに違いない。壮大なのがいいというわけでは決してないが、ここまでやると本当に驚く。時計のリズムで有名な第2楽章だってのんびりほのぼのとした音楽ではない。クレンペラーの演奏では深い精神性を湛えた緩徐楽章に聞こえてくる。前半の楽章はそんな雰囲気だからむろんテンポもゆったり。しかし、後半になると、今度は一気呵成に音楽が進行する。最終楽章のvivaceはまさに疾風の如しで、激しさの極みだ。ハイドンを聴いて手に汗を握るなどということがあろうか? いくらライブだからといっても、こんなハイドン、聴いたことがない。クレンペラーらしいのは、スケールが雄大であるにもかかわらず、音楽の流れが自然なことだ。これこそ大家の芸だ。録音もモノラルとは思えない出来映え。バイエルン放送局の技術が忍ばれる。
ところで、この曲を小学校か中学校の音楽の時間に聴いた人は多いだろう。その時に先生が聞かせた演奏はどんなものだったろうか。こんな演奏を子供の時から知っていれば、ハイドンのイメージは全く違っていたろう。今もこの曲を教材に使っているなら、ぜひこのCDを推薦したい。
なお、カップリングされているベートーヴェンはEMIから正規盤で発売されたものと同じ音源のはず。「はず」というのはちょっとおかしいのだが、実は記載されているタイミングが少し違う。それも1秒や2秒でなくて、10秒ほども違っていたりする。EMIの正規盤は第4番と組み合わせた結果、収録時間が79.17分にも達してしまった。どうにかこうにか1枚にまとめるために少し細工をしたのかもしれない。なお、私の印象では同じ音源であるはずなのに、二つのレーベル間で微妙にピッチが違うように思える。気のせいだろうか。
An die MusikクラシックCD試聴記、1998-99年掲載