マーラー
交響曲第9番ニ長調
クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管
録音:1968年
交響曲第4番ト長調
ソプラノ:エルフリーデ・トレッチェル
クレンペラー指揮ベルリンRIAS響
録音:1956年2月18日
ARKADIA(輸入盤 CDHP 563.2)
アプローチ方法が全く違うふたつの演奏のカップリング。
第9番:1968年、エジンバラのアッシャー・ホールでのライブ。上記スタジオ録音(1967年)とは解釈に殆ど変化はない。スタジオ録音同様、「概ね」厳しいまでに無表情な演奏である。少なくとも突然激しい壮絶ライブになるなどということはない。ライブの方がやや演奏時間が長いとはいえ、テンポもほぼ同じ。はて、こうなると「違いは何だ?」と考えてしまう。もちろん違いはある。以下楽章毎にご紹介したい。
第1楽章:頑なさを感じるほど無表情。この曲を指揮してクレンペラーほど冷徹な指揮者は他に考えられない。まるで前衛的な現代音楽を指揮しているような趣だ。激しい人間のドラマ、内面の葛藤などは全く期待してはいけない。その代わりに聴き手は、冷たい氷の世界に投げ出されたような気分になる。周囲の空気がたちまち氷点下に変わったのではないかと錯覚するほどの寒さだ。
第2楽章:クレンペラーは失速寸前のテンポで演奏しているため、レントラーも静止画面をスライドで見せられているような感じになっている。その結果、聴き手は言いようのない虚無感、あるいは寂寥感に襲われる。
第3楽章:スタジオ録音でもそうだったが、遅いテンポが作り出す重量感のため、聴き手はマーラーの音楽に押しつぶされそうになる。それはすさまじい迫力だ。これはクレンペラーらしい狂気の表現方法だと思う。
第4楽章:この楽章の演奏はスタジオ録音とは全く違う。クレンペラー渾身のマーラー。老巨匠の胸に一体何が去来したのだろうか。クレンペラーには珍しく、完全に音楽に没入しているように思える。冷静に演奏しているのだろうか? 感情移入が見られるわけではない。テンポの揺れや、強弱が激しいわけでもない。それにもかかわらず、マーラーの音楽が怒濤のように押し寄せてくるのである。冷徹なアプローチを貫いたまま、ここまで高次元の演奏をできるのはクレンペラーをおいて他にいないだろう。あくまでも冷たい響きのまま、弦楽器は大波が打ち寄せるようにうねり、金管楽器が咆哮する。氷のように冷たい静謐な空間の中で、音楽が生成し、消滅していく。冷たく青白い炎を発しながら燃焼する音楽。これは迫真のマーラーだ。これだけの演奏はさすがに手兵でなければできないだろう。おそらくは徹底的なリハーサルがあったのではないだろうか。そういえばクレンペラーは上記スタジオ録音にも異例の8日をかけていた。
第4番:こちらは1956年のライブ。演奏時期は12年も違う。オケはベルリンRIAS響。技術的にはやや問題があるオケだが、この録音では大きな破綻はない。演奏はそれこそ「幸せいっぱい」。聴き手は最高の幸福感に包まれるだろう。
第1楽章:天国的に暖かい演奏。テンポは遅からず、速からず。音楽の表情も自然で、極端なアクセントなどが見られない。音楽をあるがままに演奏したという感じである。こうした演奏にクレンペラーの熟達した手腕を見る。
第2楽章:怪奇さと田園的な気分が両立。第1楽章でもそうだったが、旋律線がうっとりするほど美しく歌われている。
第3楽章:心温まるすばらしいアダージョ。歌と愛情に満ちている。クレンペラーもこの楽章の出来には満足したのではないだろうか。さまざまな楽器が織りなす響きも最高に美しい。クレンペラーも感極まったのか、何カ所かで盛大にうなり声をあげている。
第4楽章:情感たっぷりの演奏。ソプラノのトレッチェルは44歳を前に他界した歌手で、今となっては無名なのだが、大変優れた歌を聴かせる。天国的な気分を上手に表現していると思う。これはいい。クレンペラーもまた気持ちがよくなってしまったらしく、うなり声をあげているのが微笑ましい。 |