ヤナーチェク「グラゴル・ミサ」とベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」を聴く

文:松本武巳さん

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CDジャケット

ヤナーチェク作曲
グラゴル・ミサ
声楽ソリスト4名とオルガンソロ1名
ラファエル・クーベリック指揮
バイエルン放送合唱団
バイエルン放送交響楽団
録音:1964年11月21〜23日
DG(輸入盤 429 182-2)

CDジャケット

ベートーヴェン作曲
ミサ・ソレムニス作品123
声楽ソリスト4名
ラファエル・クーベリック指揮
バイエルン放送合唱団
バイエルン放送交響楽団
録音:1977年3月10日
ORFEO(輸入盤 C 370 942 B)

 

 今回の執筆動機

 

 ひとつには、稲庭さまの特記すべき高レベルの評論に触発されたこと、もうひとつは、昨日2004年11月20日のオペラシティ・コンサートホールでの、チェコ・フィルの「グラゴル・ミサ」の実演に接し、新たなる感動を覚えたこと、この2点である。

 つぎに、ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」とセットでの試聴記を書こうと思い立ったのは、チェコ文化研究を専門になさっておられる関根日出男先生の論文における、この両曲の関連性に関する問題提起を拝読したことに端を発する。その後、個人でも諸情報を整理し熟考した結果、関根先生の提唱された関連性を肯定する考えを個人としても受容するに至ったことが、最終的にいつもながらの遅筆である私があえてペンを執った最大の理由でもある。

 

 問題の所在−その1

 

 ヤナーチェクのミサ曲をメインとして今回の試聴記を書こうと考えているのだが、「グラゴル・ミサ」作曲までの経緯に関しては、稲庭さまの論文に優るものはちょっと考えられないことであるし、実際特に付け加えようと思うこともないほどに優れた論文が、同じホームページに掲載されているので、この点に関しては省略させて頂きたい。ただ、その中で、稲庭さまがご指摘なさったこの曲がミサ曲であり、かつグラゴル語と言う古代言語を下敷きにしているとはいえ、教会典礼を用いているにも関わらず「非宗教的な本質」を作曲者本人も認め、また聴き手も宗教性の希薄な、むしろ激しい音楽と捉えている。実はこの点に関してこそが、私の疑問の発端となったのである。それは、ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」が、コンサートホールでの交響楽の亜種として演奏される有名楽曲であるにも関わらず、決して教会のミサに使用されえない事実と重なったことであった。ベートーヴェンの方は、皆が「宗教音楽」に分類しているにも関わらず、教会のミサでの演奏が不可能に近い、その「宗教儀式」たる音楽ではない「ミサ曲」と、一体どこが共通し、あるいは単なる偶然に過ぎず、または憶測に過ぎないのか? このような疑問こそが、今回書こうと決意するに至った私の試聴記の出発点になったのである。

 

■ 問題の所在−その2

 

 両曲とヤナーチェクにまつわる以下の諸事実が私の強い興味の発端の2つ目となった。

 第1に:
ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」は1819年あるいは1820年に作曲が始められ、1821年と1822年に概ね作曲した(完成は1823年)。

 第2に:
ヤナーチェクは1879年にブルノで、ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」の指揮をした。

 第3に:
ヤナーチェクが「グラゴル語」の典礼文を最初に入手したのは1921年である。これは、ベートーヴェンが「ミサ・ソレムニス」を作曲してから、ちょうど100周年に当たっている。

 第4に:
「ミサ・ソレムニス」における「サンクトゥス」(特にベネディクトゥスの部分)で、ヴァイオリンの高弦でのソロ・パートが主体となって作曲されているが、ヤナーチェクもヴァイオリンの高弦ソロやヴァイオリン・パートのソプラノ音型が延々と主旋律を奏している共通点がある上に、その根本の和声が構造上極めて近似していると解せることである(ただし、両方共に「宗教曲」として作曲されているために、基本的な和声学上の楽曲構造が近似せざるを得ないことは留保する)。楽曲のアナリーゼをすればするほど、ヤナーチェクはベートーヴェンの宗教音楽であるとされている「ミサ・ソレムニス」の影響を少なくとも受けたと考える方が自然である。実際には意識的に、ベートーヴェンの作曲時の意志を踏襲したのだと考える。

 第5に:
さらに両曲ともにフィナーレで金管楽器とティンパニを華々しく用いて作曲されているという、宗教曲らしからぬ共通点が存する(片や「アニュス・デイ」で、一方は「イントラーダ」で積極的に金管楽器が楽曲を支配している)。

 

 問題の所在−その3

 

 クーベリックのベートーヴェンとヤナーチェクのミサ曲の演奏履歴であるが、以下の5回ですべてであるようである。

  1. 1948年6月5日に「プラハの春のラスト・コンサート」で「クラゴル・ミサ」をチェコ・フィルと演奏。直後に亡命。
  2. 1964年11月に標記ドイツ・グラモフォンに手兵を指揮して「グラゴル・ミサ」を録音。11月19日と20日に演奏会を開催し、21日から23日まで録音セッションを行った。
  3. 1965年5月19日と20日に日本ツアーをはさんで、ちょうど半年後(日付に注目!)に、手兵を指揮し、かつほぼ同じ声楽メンバーで「ミサ・ソレムニス」の演奏会を開催(1964年11月19日20日のヤナーチェクと、1965年5月19日20日のベートーヴェンはともに「ヘルクレス・ザール」で演奏)
  4. 1977年3月10日に、ベートーヴェン没後150年演奏の一貫として手兵とともに「ミサ・ソレムニス」を演奏(標記オルフェオの録音=ヘルクレス・ザールで演奏)
  5. 1980年6月2日に、バイエルンのオケと「ウィーン・ムジークフェライン」で「ミサ・ソレムニス」を演奏。(残念ながら6月5日ではないようである)

 この演奏履歴をどう読むかはもとより自由であるが、クーベリックが両曲のある種の共通項をまったく意識していなかったとは考えにくいと思う。

 

 クーベリックの「ミサ・ソレムニス」の特異な側面

 

 これは上記の記述で理解して頂けると思うが、音楽史を逆流させて、ヤナーチェクを取り込んだ結果として、その後になってからベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」を初めて演奏したクーベリックならではの多分極めて希少価値のある指揮振りが、結果的に「タイムマシン」で未来から来た人間が、今の時代を古代感覚で捉え語っているような時代錯誤感と、クーベリックの指揮者としての元来からの一貫した誠実な音楽作り(構造の把握と、オケへの指示と、声楽パートへの指示のすべて)が相俟って、極めてユニークなベートーヴェンになっていると思う。しかし、このユニークさが受け入れがたい聴き手がいたとしても、これは已むを得ないであろう。

 

 最後に

 

 以上を受容することを、この楽曲の解釈の前提のひとつとするならば、この楽曲の演奏方法は一つの方向性に集約されて来るかも知れない。それは「敬虔な宗教音楽」では無く「極めて荒々しい激しい声楽とオルガンパートを含む大規模な音楽」として演奏する方向である。実際に、クーベリックは温厚な音楽作りを、少なくとも「スタジオ録音」では常時目指していたと思う。しかし、「グラゴル・ミサ」は稲庭さまも書かれているように、スタジオ録音にも関わらず激しいスリリングな演奏となっている。私は、このような解釈が唯一絶対に正しいとは思わないが、私がここまでに記したことを受容しないと、クーベリックの「グラゴル・ミサ」での激しい音楽作りは謎になってしまう。故国の音楽だからゆえに、彼が思いのたけを指揮棒に込めた結果、普段は温厚なクーベリックが珍しくこのような激しい音楽作りをしたような指摘がこの楽曲の解説で良くなされるのだが、個人としては正当な解釈ではないと考える。なぜなら、この曲はヤナーチェクが、ベートーヴェンの「宗教曲」であるという隠れ蓑の中を利用して創作した「ミサ・ソレムニス」を、「宗教曲」というカテゴリーに於いて真似をしたように見せかけて、実態はベートーヴェンが「英雄交響曲」の作曲の経緯と、その直後のナポレオンへの激怒と失望が込められた、実はその部分における怒りを施政者に対して込めることこそが、民族自立のための激しい闘いの真最中に、最悪でも「演奏禁止」にはなり得ない保障の得られる「キリスト教」を後ろ盾の一つとして、「ミサ曲」の形態を取り込んだ上で作曲した曲が「グラゴル・ミサ」なのであろう。そのように理解することで、このミサ曲は、チェコの独立闘争における重要なナショナリズムの発露を示す典型的な楽曲であり、かつ演奏が無事に許されてきた、ヤナーチェクの、そしてチェコ民族の、ハプスブルク皇帝下の圧政とその後の苦難を、スラブの末裔であるチェコ人が、古代語を語って、宗教を語りつつ、勝ち取ったチェコ民族の精神的な勝利宣言たる音楽であったと、個人として今は結論付けているのである。この楽曲に、チェコ・フィルが思いのたけを込めて演奏してくれた翌日に、このような文章を記せたことは、仮にこの解釈が完璧な誤謬であったとしても、私自身の内心としては満足なのである。

 

 追記

 

 ヤナーチェクの「グラゴル・ミサ」の近年の録音のひとつで、1994年にマッケラスがデンマーク放送交響楽団を指揮した演奏がディスクになっているようであるが(私は極めて遺憾ながら未聴です)、ここで、マッケラスは、冒頭にも「イントラーダ」を置いた原典版9楽章構成で録音しているようである。この演奏をぜひ聴きたいと念願したが、今回の試聴記の時点で未入手であることは、残念でならない。ヤナーチェクのこのミサ曲の、元々の姿があからさまになっていると考えられるだけに、本当に痛恨である。

注記:

今回の記述の原点となったお二人の研究家のお名前を、特記した上で厚く御礼申し上げます。

  • 関根日出男様(2004年ヤナーチェクメダル授与者)
  • 青木勇人様(ヤナーチェク友の会)
 

(文:松本武巳さん 2004年11月26日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記)