カラヤンとクーベリックを、ドビュッシー「ペレアスとメリザンド」で聴き比べる

文:松本武巳さん

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1.ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮

Stilwell, Richard (Baritone),
Von Stade, Frederica (Mezzo Soprano),
Van Dam, Jose (Baritone),
Raimondi, Ruggero (Bass),
Denize, Nadine (Mezzo Soprano),
Barbaux, Christine (Soprano),
Thomas, Pascal (Bass)

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団
録音:1978年12月、ベルリン
EMI(輸入盤567168 2)

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2.ラファエル・クーベリック指揮

Gedda, Nicolai (Tenor),
Fischer-Dieskau, Dietrich (Baritone),
Meven, Peter (Bass),
Gampert, Walter (Boy Soprano),
Grumbach, Raimund (Bass),
Donath, Helen (Soprano),
Schiml, Marga (Alto),
Weber, Josef (Bass)

バイエルン放送交響楽団および合唱団
録音:1971年11月、ミュンヘン
オルフェオ(輸入盤R367942)

 

■ はじめに

 

 冒頭から、延々と引用させていただくのは、たいへん気が引けるのですが、同じサイト内の執筆陣からの引用ですので、何卒ご辛抱を願えればと存じます。ゆきのじょうさんの「私のカラヤン」第5章(2008年5月掲載)からの引用です。(論旨に影響を与えない範囲で、若干の編集を加えましたことを、お詫びします)

 私見として、レコードセールスという損得勘定を抜きにして、カラヤン自身が最も録音したかったオペラの一つではないか、と考えています。というのは、このディスクが到底売り物になるとは思えないからです。

 このディスクが世に出たときの評論は、同じ頃にDGから出たモーツァルトやベートーヴェンに向けられたものと同様でした。曰く「人工美の極致」、曰く「空虚な音楽(薄っぺら、という言い方もありました)」、曰く「実演では絶対に不可能な演奏」・・・そう、最後の「実演では不可能」という物言いについては、言葉だけなら私も同意します。批評家は「人工美」という観点からの批判的表現だったと記憶していますが、私は肯定的な意味で使うことが異なりますが。

 カラヤンの「ペレアスとメリザンド」は青く凍り付いた音楽です。どんな強奏部になっても、同時期の他のディスクにあるような重戦車がスポーツカーのように突っ走る音圧はありません。むしろ弱音において、息が詰まるぎりぎりの限界点で音楽が漂います。しかも、同じ音量レベルであっても、一つに括れない、様々な弱音の響きを次から次へと表現していくのです。確かに実演では不可能で、録音芸術だから為し得た世界です。何度も録音し直して、切り貼りするように作ったのかもしれません。だからと言って、同じ手法を用いて、現在どこかのオケと指揮者が演奏すれば、これと同じか、これ以上の「ペレアスとメリザンド」が出来上がるとは、私には到底思いません。

 私は、このディスクにはカラヤンが実演では出来なかった至高を目指したいという強烈な意思を感じます。執念と言ってもよいでしょう。聴いていると、フォン・シュターデの美声も含めて、音楽に圧倒されながらも、だんだん暗黒面、虚無を見せられているような不安感が出てくる演奏です。再現芸術として一番やってはいけない禁じ手のようなものを聴かされている気持ちになります。私の耳では区別できず、従って記述することもできませんが、おそらくは「正統的な」ドビュッシーの音楽づくりではないでしょう。

 カラヤンが「ペレアスとメリザンド」を録音だけで終わらせた、本当の理由はもちろん分かりません。実演不可能と聴き手が感じることを十分知っていて、カラヤンはこのディスクを創ったことは確かです。ここには確かにカラヤンからのメッセージがあります。もしかすると、レコード会社も、録音技師たちも、さらには歌手たちやベルリン・フィルも、カラヤンがこのオペラを録音として遺したいという我が儘に、唖然としながらつき合っていたのかもしれません。絶頂期のカラヤンだから為し得た奇跡の録音だと思います。カラヤンが「ペレアスとメリザンド」で聴き手に伝えたかったことは何だったのか、暗黒面と感じることは何なのか、私はこれからも、このディスクに何度も向かい合って、聴いていかねばらないと考えています。

 

■ クーベリック

 

 さて、カラヤンが当オペラの唯一の録音である一方で、クーベリックは、そもそもドビュッシーの唯一の録音となります。演奏会でも、1961年にバイエルンと「夜想曲」、1973年にバイエルンで「海」を採り上げたことがある程度に過ぎません。カラヤン以上に珍しい録音であると言えるでしょう。そして、少なくとも、ここでのクーベリックは、かなり濃い表情を加えながらオペラを進行させているように思います。演奏会形式による録音ですが、CDで音だけ聴いていても舞台を彷彿とさせるのは、歌手の演技力よりもむしろ指揮者クーベリックの力量だと思います。テンポ・リズムともにかなり大きな振幅をもって表情をつけており、このオペラには珍しいほど、とてもドラマティックな演奏となっています。しかし、外面的な空虚な演奏には決してなっておらず、このオペラ特有の張り詰めるような緊張感は、常にちゃんと維持されていると思うのです。きわめて彼の意志の力が強く働いた、稀有の演奏であるとも思います。

 

■ 両者は対極にある演奏か?

 

 ゆきのじょうさんが書かれたカラヤンの演奏評と、私が書いたクーベリックの演奏評は、そのまま読み比べると、まさに2人は対極をなす演奏であると思わざるを得ません。しかし、実は私はそのように捉えていないからこそ、この駄文を残したい気持ちが日に日に強まってきたのです。ゆきのじょうさんの名文を目にして以来、何度呪縛から逃れようと試みたか分かりません。そのくらい、私はゆきのじょうさんに、まるで「果たし状」を突きつけられたかのような思いを、1年以上させられて続けて来たのです。しかし、ようやくここに来て、自分なりの抜け道(解決策とまでは到底行きません)を見つけ出すことが出来たと思っています。

 

■ この曲の真価‐私見

 

 あまりにも多くの批判が、初演後ドビュッシーに投げかけられたようですが、そんな罵詈雑言の中でも、ドビュッシーのこのオペラは、消え去ることはありませんでした。むしろ1970年代以後は、多くの録音が残されており、現在ではむしろオペラハウスの人気演目の一つであると言っても差し支えないほどの、多くの公演数となっているのです。

 ここで、私なりに考えたことを、記してみたいと思います。まず、オペラはイタリアから発し、その後はドイツオペラも認められてきた経緯がありますが、暴論であることを覚悟の上で発言しますと、そもそもフランスオペラはオペラの世界にとって、ある種の辺境地域のオペラに過ぎなかったと言えるでしょう。しかし東欧(本質的には中欧)の民族主義的オペラの先鞭をつけたのは、フランスオペラであったと思うのです。実際、パリのオペラ座では、スメタナ、ドヴォルザーク、ヤナーチェク、バルトーク等々のオペラが、積極的に演目に挙げられています。

 そして、つまるところ、台詞の当該言語のイントネーションをしっかりと生かして、旋律が書かれているオペラであるという風に捉えると、あえて逆説的に言うならば、イタリアオペラのような大袈裟なパフォーマンスでも、ドイツオペラのようなきわめて意志の力を行使した音楽進行でもない、言葉の意味合いをしっかりと生かした、民俗詩を民謡のように歌うオペラの一つであると思えてならないのです。

 私は、フランス語特有の問題として、ゲルマン系の言語と違い、音楽の縦の線に合わせて歌詞を置くことの困難さが挙げられるように思います。要するにフランス語は、小節で切って歌う方法(イタリア古典歌曲や、ドイツリートのように)は、そもそも取りえないのです。さらに加えれば、ドビュッシーの音楽が、如何にペレアスとメリザンドの歌詞に合わせた抑揚を、徹底的に配慮して作曲されているかということを思うとき、このオペラは結果として民族音楽への理解の促進と偏見の排除に、大きく寄与したと思うのです。

 私には、ヤナーチェクを好んで聴くのと同様の姿勢で、このドビュッシーのオペラを楽しむことが出来るように思えてなりません。

 

■ カラヤンへのオマージュ

 

 カラヤンは、ゲルマン系の言語を話し、生活をしているドイツ・オーストリア人として、彼自身が決して本能的には理解できないであろう、フランス異国情緒へのラブコールを、可能な限りの努力を尽くして送りたかったのであろうと思います。しかも、文化圏としての距離は遠くとも、実は隣国であるフランス音楽の真髄を、180度異なる生活環境であるドイツ圏から発することで、あえて禁じ手に近い表現技法まで用いて、録音をしたのだと思います。カラヤンは、かつて50年代にイタリアでこのオペラを採り上げています。しかし、カラヤンはラテン系の擬似体験的音楽作りに満足せず、カラヤン自身がゲルマン民族であり、ドイツ民族であることを認識したからこそ、ドビュッシーの音楽をこのような形で残したかったと思うのです。カラヤンにとって、フランスは近くて遠い憧れの国であり、ドビュッシーも憧れの存在であったのだと思うのです。

 

■ クーベリックへのオマージュ

 

 クーベリックは、逆に言語としての特性は、自身のバックボーンとは遠いかも知れませんが、前述のような歌詞の扱い方等から、ドビュッシーのオペラを演奏している意識を特に持つことなく、このオペラをまるでチェコのオペラを扱うように演奏した結果、残された名演であったと思うのです。それは、異次元の言語であるものの、そもそも母国語がチェコ語という、マイナーな言語であることから、チェコ語への思いやこだわりと、世界に母国を発信するための方策は、そもそも使い分けて考えてきたものと思うのです。例えば、ヤナーチェクの「消えた男の日記」を、ヘフリガーの歌で録音した際に、彼らはチェコ語ではなく、ドイツ語の訳詩で演奏し、録音していることからも明らかであろうと思うのです。

 つまり、クーベリックは、母国の音楽を演奏する姿勢で、ペレアスとメリザンドを演奏することで、ドビュッシーの名演を残したと思いますが、多分彼は、作曲家ドビュッシーの人となり自体には、大して興味を感ずることは、この演奏後も含めて終生無かったように思うのです。

 

■ さいごに

 

 カラヤンは、愛するドビュッシーの音楽ゆえ、とことんこだわり、批判を承知で人工的な表現まで用いて録音を遂行したのだと思います。

 一方で、クーベリックは、ドビュッシーへの共感を持ち得ないにも関わらず、彼の自然体の演奏行為の結果として、汎用的な名演を残したと思うのです。

 私は、このことを思うとき、逆にカラヤンのCDに強く惹かれるものを感じてなりません。カラヤンの音楽に向けた執念は、誰にも入り込めない絶対的聖域であったように思えてきます。だからこそ、カラヤンは生前の多大な批判にも関わらず、死後も燦然と輝く足跡を刻み続けているのだと思いますし、一方のクーベリックも、生前にも増して評価を高めている側面があるように思います。

 私は、このような結論に達したことに、満足しています。音楽は、あくまでも自身がこだわりをもって楽しむための、自分だけの聖域であると信じているからです。

(2009年7月18日記す)

 

An die MusikクラシックCD試聴記 2009年8月3日掲載