クーベリックで「ヘンデルの《水上の音楽》と《王宮の花火の音楽》」を聴く

文:松本武巳さん

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CDジャケット ヘンデル
 水上の音楽(全曲:クリュザンダー版)
 王宮の花火の音楽
ラファエル・クーベリック指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1963年3月、ベルリン・イエスキリスト教会
DG(国内盤 UCCG 3956)
 

■ クーベリックの隠れた名演

 

  ヘンデル作曲の「水上の音楽」と「王宮の花火」は、作品の時代考証が優先されるようになって以後は、現代のオーケストラで演奏されることが急速に減ってきている。そういった状況のなかで、若干古い1963年の録音でありながら録音状態も思いのほか良く、指揮者もオーケストラも間違いなく一流という、俗にいう三拍子揃ったこの演奏は、近年流行の演奏スタイルとは確かに異なるとしても、このまま忘れてしまうにはあまりにも惜しい優れたディスクだと思われる。

 豊かなオーケストラの響きと、余裕をもったゆったりしたテンポ設定は、まさに現代オーケストラによる演奏を感じさせてくれる。当然ながら古楽による近年流行の演奏とは一線を画しており、古楽の演奏に慣れてしまった方は違和感を覚えるかも知れない。しかしクーベリックの極めて誠実な指揮と、ベルリン・フィルの極めて優れた合奏能力によるこのディスクを聴くと、むしろこの音楽の本質である当時の貴族の煌びやかさが感じられると思う。クーベリックが残したこの極めて豪華な演奏を、現代の様式合わないからと捨ててしまうのは余りにも惜しいので、取り上げてみることにした次第である。

 

■ ヘンデルからハンデルへ

   ヘンデルはバッハと同年の生まれだが、最終的にはイギリスの市民権を得ている。現代風に言えば、国籍をドイツからイギリスに変更したわけである。そのため呼称が『ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル』から『ジョージ・フレデリック・ハンデル』に変わっている(以下、一般的な「ヘンデル」と記す)。ヘンデルの代表作の一つが「水上の音楽」で、本来彼はハノーファーの宮廷の主君であるハノーファー侯に仕えていたのだが、ハノーファー侯がなんと国王ジョージ1世として、ヘンデルの住んでいるイギリスヘやって来た。

 ヘンデルはそもそもハノーファー侯の再三の帰国命令を無視して、長期間イギリスにい続けていたため、非常にヤバいと考えたヘンデルが主君のご機嫌を取るために作った曲が「水上の音楽」だと言われている。テムズ川で舟遊びをする際に、壮大な管弦楽曲を演奏して二人が和解したという話だが、真偽は不明である。ただ、舟遊びのために作曲されたこと自体は事実で、基本的に野外演奏を想定して作曲されているので全体を通じて開放的な雰囲気に溢れており、管楽器が大活躍しまるで合奏協奏曲のような雰囲気を持った楽曲である。
 

■ 水上の音楽の版について

 

 自筆の楽譜に関しては、実はヘンデルの生前あるいは死の直後には既に無くなってしまっていたらしいのだ。一般にオーソドックスとされている楽譜もその他の研究用の楽譜も、いずれも古い出版譜もしくは写譜をあれこれ集めてまとめて編纂したものなのである。実際のところ、テムズ川の舟遊びの際に一気に作曲された可能性は少ないのが真相である。楽曲の成立事情や過程を考慮して、現在では全体を3つの組曲に分けて演奏されることが多くなってきている。

 『新ヘンデル全集(レートリヒ校訂、通称ハレ版)』はこの考えに基づいて、編纂されている。『旧ヘンデル全集(クリュザンダー校訂、クリュザンダー版)』では、全19曲を一括した組曲として演奏するようになっている。2つの版を指揮者や演奏者が見比べたうえで、独自版を作って演奏することも現実には多くある上に、現代オーケストラ用に編曲されたハーティ版(抜粋)なる版も存在している。ここでのクーベリックとベルリン・フィルは、ほぼクリュザンダー版に依拠して演奏を行っている。

 

■ 王宮の花火の音楽

 

 「王宮の花火の音楽」も祝典用の音楽で、「水上の音楽」と並んでヘンデルの代表的な作品の一つである。ヨーロッパでは1740年から48年までオーストリア継承戦争という戦争が勃発したが、イギリスでは戦争が終わった翌年に、戦争終結を祝う多くの祝賀行事が催された。そのうちのひとつに花火大会があり、4月27日にロンドンのグリーン・パークで行われ、「王宮の花火の音楽」もここで初演された。編成は管楽器からなる大規模なもので、24本のオーボエ、12本のファゴット、さらにはホルン9、トランペット9、ティンパニ3が必要である。初演時はさらに増強され100本の管楽器が用いられたようである。「王宮の花火の音楽」は、花火が打ち上げられる前に演奏される序曲と合間に奏される小品とで、全曲が構成されている壮大な音楽である。

 

■ クーベリック

 

 バロック様式の演奏に耳がなじんでしまうと、かえって現代オーケストラでの演奏は、とても不思議なことだが逆に物足りなく感じることが偶にある。現代オーケストラの編成が大きいため、全体のテンポを遅くしないと響きが悪くなってしまう傾向が基本的にあるが、だからといってテンポを遅くすると今度は楽曲全体が間延びしてしまい、バロック音楽の本質的な良さである活き活きした演奏から遠ざかってしまう。このクーベリックによる録音は、とにかく残された音が素晴らしく豪華で、かつ大編成のオーケストラでありながら、全体の統率が完全に取れた見事な演奏となっている。クーベリックの能動的で積極性に溢れた指揮振りも楽曲の間延び感を防いでおり、特長の一つとして挙げられるだろう。

 一方の「王宮の花火の音楽」の録音は、「水上の音楽」の録音以上に演奏全体に壮麗観が漂っており、かつ祝典音楽にふさわしくゴージャスな演奏でもある。それでいながら、クーベリックがヨーロッパの音楽の伝統をしっかりと踏まえた上で、説得力の強い楽曲表現に徹しており、聴き手に対し現在でもなお非常に強い印象を与え続けてくれている優れた演奏であると思う。

 現代では、こんなヘンデルの演奏はもはやほとんど聴くことができない。確かに、ヘンデルの作曲当時の様式とは異なるにしても、クーベリックの録音は全体がたいへん雄大かつ豪華でありながら、一方でこの音楽に求められる高潔さや清潔さを失っていないのである。この様な古い様式でありながら現代でも十分通用する優れた録音としては、もはや唯一の全曲盤ではないかと考える。ラファエル・クーベリックがドイツ・グラモフォンと契約した当初は、手兵バイエルン放送交響楽団との録音を契約上残すことが出来なかったために、しばらくベルリン・フィルを起用して盛んに録音していた頃の一枚である。とても珍しいレパートリーではあるが、今やヘンデルの作品がこういうスタイルで演奏されること自体がないと思われるので、そういう意味も含めてきわめて貴重な記録であり、この録音の存在意義は今後も高いと思われる。

 

(2017年12月6日、妻の誕生日に記す)

 

An die MusikクラシックCD試聴記 2017年12月6日掲載