クーベリック指揮の「わが祖国」を聴く
文:松本武巳さん
スメタナ
連作交響詩「わが祖国」全曲
ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団
1984年5月3,4日録音
オルフェオ 23PC-10049-50(初出LP=国内盤2枚組)
オルフェオ 30CD-10033-34(初出CD=国内盤2枚組)
ORFEO C115 841A(現行CD=輸入盤1枚物)クーベリックの数多い「わが祖国」の中から、この1984年録音を取り上げたのには訳がある。この演奏は最初LPとCDで同時に発売された。CDも2枚組の形が初出だったのである。この初出のLPは、第5曲「ターボル」と第6曲「ブラニーク」を第4面に収めていた。実はこれによって、私はクーベリックのこの曲に対する根本的な解釈が初めて理解できたのである。
クーベリックは、第5曲と第6曲をほとんど間隔をあけずに続けて演奏する。従って、第5曲の最後の音型と第6曲の最初の音型が同じである事が、はっきりと聴き手にも意識させるような演奏なのである。しかし、どうもこれがチェコの伝統的な解釈では必ずしも無いようである。例えば、ノイマンとかターリッヒとかアンチェルなどの、チェコの多くの名指揮者の演奏では、第5曲と第6曲の間にちゃんとポーズを入れており、また彼らは、逆にこの両曲が別々である事を聴き手が意識できるように、第5曲の終結部と第6曲の開始部分のテンポを大きく変えている。従って、この部分の解釈は、クーベリック独自の個性的な解釈であると見る方が自然であろう。クーベリック=チェコの伝統という図式が常に正しいとは言えない一つの証左であろう。
ところで、クーベリックの「わが祖国」をあまり評価されない人たちが、彼の「わが祖国」が評価できない理由として、よく以下のように論評している。例えば、最近亡くなられた志鳥栄八郎氏は「全体を通して聴くとなかなかの演奏であるのだが、いかんせん肝心の「モルダウ」があっさりと流れており、物足りない演奏である、云々…」と書かれているが、多分これがクーベリックの「わが祖国」を評価しない方々の最大公約数的な意見と言えるであろう。しかし、私はだからこそクーベリックの「わが祖国」を高く評価するのである。私はクーベリックが「わが祖国」を演奏する際に、明らかに6曲の連作交響詩として捉えており、どこかの一曲を抜き出す形では全く考えていないと信ずる。そして、彼は明らかに、第5曲「ターボル」から第6曲「ブラニーク」にかけての部分こそが、この連作交響詩のクライマックスであることを意識した演奏を行っていると確信する。
さて、そうしてみるとクーベリックの内心では、この6曲の構成はどのように形成されているのだろうか? もちろん、推測の域を出ることはありえないが、あえて記すと、第1−5−6曲のグループ=この連作交響詩の根幹部分、第3−4曲=「ターボル」「ブラニーク」への大事な導入部分、と考えられ、第2曲「モルダウ」は彼にとっては、「単なるチェコを流れる大河の調べ」でしかないとすら言えよう(幾分極論であることは承知の上で)。そのように考えてみると、第1曲「高い城」の冒頭の「ヴィシェフラード」のテーマの旋律が、最後の「ブラニーク」で回帰することの意味が理解可能になる。「モルダウ」で使われるモチーフが「モルダウ」以外には出てこないことも… 我々日本人に取っては、「フス教徒」や、ボヘミアとモラビア、さらにスロヴァキアの微妙な人種的、宗教的、国民的な位置関係は、仮に学べても真に心の底から共感することは不可能であろう。そう考えると私は、一生聴き続けても、一生考え続けても、一生勉強し続けても、結局のところクーベリックの「わが祖国」を自分自身のものとして、取り込むことは不可能なのかも知れない。しかし、私はそのことを悲観しはしない。少なくとも、この交響詩が心底好きになれたのだから。一般に、チェコへの深い共感を持つことなく聴くことができ、またそれで十分に理解可能な「モルダウ」が突出して有名になったのも理解できる。
しかし、クーベリックはなぜ、チェコ国民以外には真の理解が困難を極めるこの曲を、ここまでこだわりを持って、全世界で演奏し続けたのであろうか? もちろん答はないが、そのことによって、亡命者クーベリックが心の安らぎを得て、西側で活躍できたのだとしたら、クーベリックは結局のところ、とても幸福な人生を過ごしたと言えよう。またそのように我々が思うことこそ、クーベリックという20世紀の大指揮者を偲ぶ縁となるであろう。私はこの私自身の彼への思いを、このように内心理解し、これからも愛し続けて行くことにしている。
なお、管理人によるクーベリックの「わが祖国」正規盤聴き比べもありますので、ご参照下さい。
2003年1月9日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記