ウィーンフィルの「わが祖国」聴き比べ

文:松本武巳さん

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 クーベリック盤

CDジャケット

クーベリック指揮ウィーンフィル
録音:1958年
DECCA(輸入盤 467 409-2)

CDジャケット

(参考)
クーベリック指揮ボストン交響楽団
録音:1971年
DG(国内盤 POCG-91025)

 

■ 参考盤

CDジャケット

レヴァイン指揮ウィーンフィル
録音:1986年
DG(国内盤 POCG-50028)

CDジャケット

アーノンクール指揮ウィーンフィル
録音:2001年
TELDEC(輸入盤 0927-44890-2)
(発売中止=回収。現役盤はBMGより、国内・海外ともに発売されている。)

 

 今回の執筆動機

 

 もちろん、本ホームページの主宰者伊東和明氏が、昨年末に突然「アーノンクール」改宗宣言を発せられたことに端を発するものである。そこで、伊東さんの改宗されるに至ったきっかけである『ウィーンフィルとのわが祖国』に関して、上記の3点+永久不滅の名演とされているクーベリックの71年録音の、合計4点を俎上に乗せて見ようと思い立った。果たして伊東さまと同様の方向性を見ることになるか、または異次元の世界に浸ることになるか、神のみぞ知る、といった気分である。

 

 不思議な縁

 

 実はプロの音楽評論家で、最もクーベリックがお好きで、かつ強力な支持者であられる歌崎和彦氏が、15年くらい前にウィーンフィルとのレヴァイン指揮のDG盤が発売されたときに、大要以下のような評論をされたことがある。

 「今日まで、私にとってスメタナの『わが祖国』は、クーベリックの71年盤が絶対であったのだが、この盤が初めて脅威に晒される録音が発売された。レヴァイン指揮ウィーンフィルの新盤である。アメリカ人のレヴァインがチェコ音楽、それも『わが祖国』を振って、ここまでチェコの真髄に達する演奏をするとは、聴くまでは想像もできなかった。しかし、冒頭の『高い城』のハープが歌う旋律を聴いた瞬間、『レヴァイン恐るべし』との感を抱いた。そして聴き終わったいま、本当にクーベリックの71年盤に、初めて強敵が現れたと実感している。クーベリック自身のウィーンフィルとの『わが祖国』(58年盤)は、やや失敗作であるだけに、なおさらその感を強くする。今後レヴァインは、このようなヨーロッパの伝統的音楽にも、積極的に進出していくことが予想されるし、そのことを期待するに十分すぎるくらい足りる録音である。」

 私は、今回のアーノンクールに関する伊東さんのご発言と、かつての評論家歌崎氏のレヴァインに関する発言の間には、不思議なほどの共通点を感じてならない。そこで今回、その鍵を探す旅に出ようと思い立ったのである。

 

 チェコ音楽の独自性と普遍性

 

 世間では、チェコ音楽の独自性が盛んに述べられているし、自身以前少しだけ書いたこともある。しかし、その際にも少々触れたが(クーベリックとBRSOの「わが祖国」ケンペの「グラゴル・ミサ」等の試聴記)、独自性自体の存在は事実であるが、不可侵の世界では決してないと断言できる。確かにチェコ国内の独自性は、他国の者には理解困難であろう(ボヘミアとモラビアとスロバキアの諸関係)。だからといって、チェコ音楽は他国の者が理解するに困難な、「チェコ人特有の精神性」に立脚してなどいないのである。その誤解を解くべく、一生を捧げた代表的な人物こそが、ラファエル・クーベリックに他ならない。彼のチェコ音楽を演奏するスタンスは、終生「お国もの」ではなく「普遍的な解釈」に徹していた。つまりチェコ音楽を、チェコのローカルな世界から、インターナショナルな世界に引き出した最大の功績者こそが、クーベリックその人であったのである。この事実をまず記してから話を進めようと思う。

 

 チェコ音楽の神様は今後輩出されない

 

 前段落で詳述した理由から、チェコ音楽は絶対不可侵でもないし、チェコ人の血が混じっていなくても優れた演奏は十分可能である。そして、これはそこから出される当然の帰結であるが、クーベリックが、チェコ音楽の偉大な先駆者ではありえても、彼が、永遠に頂点に聳え立つものでは全くない。インターナショナルな音楽の宿命として、クーベリックは、チェコ音楽の名演を残した過去の偉大な人物の一人に過ぎない。色々なタイプの名演が多数存在する古典音楽として、チェコ音楽も当然に存在する以上、神様の存在はありえないのである。

 

 レヴァインの場合

 

 ここからが、個別の感想となるが、まずレヴァインの『わが祖国』は実に耳に優しい。心地良い聴後感が継続する。そこには、レヴァインがウィーンフィルを振った録音であることも大きく寄与している。

 

 アーノンクールの場合

 

 こちらは必ずしも耳には優しくない。いつもの彼よりは、リズムとアクセントの刻み方が穏健なだけに過ぎない。それでも、通常の演奏よりは刺激的なリズムやアクセントを聴き取れる。しかし、ウィーンフィルが実に見事にその刺激をオブラートしている。きれいに包み込んでしまっている。

 

 クーベリックの場合

 

 なぜクーベリックだけがウィーンフィルで失敗したのか? つまるところ、彼が『わが祖国』を知りすぎていたからだと考える。ところが、ウィーンフィルも、この音楽は隣国の音楽であり、チェコ音楽の独自性が叫ばれていた当時でも、彼らはその「独自性」をある程度理解していた。この理解がクーベリックとの場合、まさに裏目にでてしまったと考える。逆にボストンでは、チェコの音楽は、その理解が当時はまだ深くはされていなかった故に、クーベリックの解釈にボストンの面々はすべてを委ねた。そこに幸福な『わが祖国』との邂逅があったのである。クーベリックの深いこの楽曲への解釈を、最も彼の思う存分に発揮できた録音ゆえに、現在まで不動の王者としての地位を保ってきたと考える。

 例をあげて言えば、勉強が少し出来る者がいたとする。本当に出来るライバルがいると、普通は仲が悪い物である。しかし、全然出来ない者が、その勉強をせざるを得ないときに、とても良く出来る友達がいた場合、その友達に寄りかかって、乗り切ろうとするのが常であろう。チェコ音楽をある程度知っていると自負しているウィーンフィルにとって、完璧に知っているクーベリックとの共演――チェコ音楽での共演――は、好ましい物ではなかったが、全然スメタナが分からない(多分チェコ音楽は「新世界より」しか演奏しない)ボストンの楽団員は、クーベリックの指示にすべてを委ねたのであろう。そこには彼らの技術的な水準が、クーベリックのすべての指示に敏感に反応できる水準に達していたことも、当然寄与している。その結果、世紀の名演が誕生したのだと考える。

 

 もう一度、レヴァインの場合

 

 なぜ、彼の『わが祖国』が良い演奏になったのか? これに関しては、私は、クーベリックとボストンの楽団員の正反対の事態が生じたのだと考える。レヴァインは、アメリカ人の常で、黒人や東洋人に対しては高圧的に出るが、欧州では非常に相手を尊重する姿勢を貫く(黒人の血を引く彼でさえ)。レヴァインは、この後しばらく西洋の古典音楽を、ウィーンとベルリンの両方のオケで、立て続けに優れた録音を残す。しかしこれらは、発売当時の高い評価とは裏腹に、現在は入手すら困難な音源も多く存在している。要するに、良くも悪くもレヴァインは、欧州で指揮をする場合には、オーケストラに演奏の根幹の一部分まで委ねたのである。伝統的な演奏スタイルを確立しているウィーンのオケは、レヴァインのやり方を非常に好んだ。解釈の根本を委ねてくれる上に、バトンテクニックの優れたレヴァインは、オーケストラからも好ましい指揮者であった。ただ時間が経過するとともに、レヴァインの個性が弱いヨーロッパでの録音は、忘れられようとしている。いまレヴァインの名演として生き残っている物は、皮肉なことにアメリカのオケを振ったものが大半である。

 

 もう一度アーノンクールの場合

 

 アーノンクールの場合は様相が異なる。彼は生粋の欧州人であるし、彼は妥協を知らない。ところが彼の音楽遍歴を見ていると、一定の傾向が見えてくる。それは、だんだんと彼の音楽の根幹をなす部分が、中欧に収斂しつつあるのである。やはり以前に書かせてもらったのだが、ブルックナーの全集の進行中に『わが祖国』を録音することは、一定の方向性の上に立っているのである(まさに以前、アーノンクールのこの件に私は既に触れている)。

 結論に入ろう。彼の音楽遍歴も考慮しながら、彼が近時、ドヴォルザークの「交響詩集」まで録音している事実を重ねて見ると、私は彼が、ドヴォルザークを集中的に録音後ブルックナーに手を染め、そしてついに『わが祖国』に手出しをしたことは非常に重要であると思う。もはや私は、彼の過去はいざ知らず、中欧の音楽、特に南ドイツ・オーストリア・チェコ・ハンガリーの音楽に関しては、彼はすでにこの面での巨匠となっていると考える。今回の『わが祖国』の名演は、決して偶然の産物ではありえない。彼はいまや、現役最大の『チェコ音楽の巨匠の一人』であると断言できる。それが長い彼の音楽遍歴の、最終地点となるであろうと思っている。若い頃の彼が行き着いた世界がここにあったのである。以前の彼が好きかどうか、という基準で判断することが最も危険な、いまのアーノンクールである。いまの彼は「ウィーンフィルのニューイヤーコンサート」すらも振る指揮者なのである。大昔、オリジナル楽器を率いて演奏したり、あるいは近代オーケストラに古楽奏法を持ち込んで、ヘンデルの「水上の音楽」等の古典音楽で過激な演奏をし、それらを録音した彼が、このような境地に至るとは、私はまったく想像すら出来なかった。しかし、この結末はアーノンクール自身も、ある程度信じられないと思っていると、私は思う。それほどの変貌を彼は遂げたのである。

 今後、好きか嫌いかは問わず、彼の中欧の作曲家の音楽を指揮した録音はすべて聴かねば、と考えているところである。

 

An die MusikクラシックCD試聴記 文:松本武巳さん 2004年1月7日掲載