クーベリックのワーグナー「パルジファル」(全曲)を聴く

文:松本武巳さん

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CDジャケット

ワーグナー:舞台神聖祝典劇「パルジファル」全曲

  • パルジファル:ジェイムズ・キング(テノール)
  • グルネマンツ:クルト・モル(バス)
  • クンドリー:イヴォンヌ・ミントン(メゾ・ソプラノ)
  • アンフォルタス:ベルント・ヴァイクル(バリトン)
  • クリングゾール:フランツ・マツーラ(バリトン)
  • ティトゥレル:マッティ・サルミネン(バス)
  • 聖杯守護の第1の騎士:ノルベルト・オルト(テノール)
  • 聖杯守護の第2の騎士:ローラント・ブラハト(バス)
  • 花の乙女:ルチア・ポップ(ソプラノ)
  • 花の乙女:カルメン・レッペル(ソプラノ)
  • 花の乙女:スザンネ・ゾンネンシャイン(ソプラノ)
  • 花の乙女:マリアンネ・ザイベル(メゾ・ソプラノ)
  • 花の乙女:ドリス・ゾッフェル(アルト)
  • 第1の小姓:レギーナ・マルハイネケ(ソプラノ)
  • 第2の小姓:クラウディア・ヘルマン(ソプラノ)
  • 第3の小姓:ヘルムート・ホルツアプフェル(テノール)
  • 第4の小姓:カール・ハインツ・アイヒラー(テノール)
  • アルトの声:ユリア・ファルク

ラファエル・クーベリック指揮
バイエルン放送交響楽団、合唱団(合唱指揮:ハインツ・メンデ)
テルツ少年合唱団(合唱指揮:ゲアハルト・シュミット=ガーデン)
録音:1980年5月、ミュンヘン、ヘルクレスザール
Arts classics(輸入盤 43027-2)※2003年初発売 

 

■ 知られざるクーベリックの名録音

 

 このクーベリック晩年の正規音源が、なぜ23年もの間お蔵入りしていたのかは、今もって全く謎であるのだが、バイエルン放送によるスタジオでの全曲デジタル・レコーディングである。1980年の録音であり、クーベリックの音楽性が完成期かつ最終期を迎えた時期の円熟した演奏が聴ける。音質も非常に素晴らしく歌手陣もとても豪華で、モル、キング、ミントン、ヴァイクル、サルミネンらの優れた歌唱に加えて、花の乙女にルチア・ポップ、ドリス・ゾッフェルなどの名歌手が並んでいるキャストは、まさに豪華かつ壮観である。私にとって、パルジファルの演奏を語る際に、絶対に避けて通れないきわめて優れた全曲盤の一つであると思われてならない。

 レコーディングがおこなわれた1980年という時期はデジタル録音の最初期にあたり、ケーゲル(1975年)、カラヤン(1979、80年)、レヴァイン(1985年)などの、非常に優れた録音が多い時期にも当たっており、このクーベリック盤で登場する歌手のうち何人かは、前3者の録音の中でも名前が登場するのは、演奏を比較する上でとても好都合でもあると言えるだろう。この録音はオーケストラ・ピット内での録音ではなく、舞台上でのセッション録音であるために、管弦楽パートの聴き分けが容易で音質も非常に良いので、2003年発売当時はかなりの話題を呼んだと記憶している。 

 

■ キリスト教との一般的関連性

   パルジファルはワーグナー最後の作品であり、これまでのあらゆるオペラ作品の中で、最も宗教的で、瞑想的で、神秘的で、心理学的な音楽であると言う風にみなされている作品である。偉大な英雄ではなく無垢な愚者が神の救済をもたらすのだ、という宗教的な思想を描いていると言って良いだろう。キリスト教という厳格な一神教の宗教観が欧州人の根底に根付いていることを前提とした世界観を、音楽で表しているのがパルジファルの本質であると理解されている。宗教観の違いこそあれ、パルジファルはワーグナーによって言葉を音楽に置き換えて、宗教性や宗教心が具現化されているために、我々日本人の心にもしっかりと届く深い宗教性を帯びた音楽となっていると一般に考えられている。

 宗教性について非常に深く掘り下げる一方、人間が生来的に有している弱さや愛や憎しみと、そこに絡む官能性をうまく融合させた作品は、このパルジファル以外にはあまり多くは存在しないだろう。戒律を犯したために救済されずに苦しんでいるアンフォルタスは、まさに人間的であるがゆえに絶対的な罪を犯してしまったのであり、人間の持つ弱い一面を描いていると言えるであろう。クンドリーも同様に、女性としての特徴を持ちつつ騎士団として世の中を救済するという、本来は明らかに反する2つの面を同時に持ち合わせている役柄である。聖杯を守る騎士団が形骸化してしまい、教義が独り歩きしてまかり通り、救済という本来の目的よりも騎士団という組織の維持が絶対的に優先されてしまうことなどは、現代社会においても我々がとても陥りやすい、そんな社会の矛盾点を鋭く描いている作品であると言っても間違いないであろう。

 実はパルジファルには、いまだに謎が解けていない言葉が2つもあり、1つは第1幕でのグルネマンツによる「ここでは時間が空間となる」という台詞に続く「場面転換の音楽」において、明らかに時間と空間を超越している矛盾である。もう1つは全曲の最後の部分で合唱によって歌われる「救済者に救済を」の部分であり、凡そ理解が困難な言葉に込められている、単純に解き明かせない謎がこの音楽全体に秘められていると言えるだろう。パルジファルは、このような西洋の典型的な精神文化を表す音楽の範疇に属する、非常に崇高な宗教的かつ精神的な音楽であると一般に広く捉えられているような音楽である。 
 

■ 同時期に録音されたカラヤン盤について

   70歳になったらパルジファルを録音したいと、生前に常々語っていたカラヤンは、間違いなくこのパルジファルの録音セッションに際して精魂詰めて録音に挑んだものと思われる。全編を通じてあまりにも美しい、カラヤン美学の頂点をなすような音作りと、細部までまさに緻密に構築され尽くした非常に優れたディスクであることは間違いないと言えるだろう。しかし、私はこのカラヤン盤を高く評価するものの、簡単にラックから取り出して聴こうという気にはなれない、非常に敷居の高いディスクでもあるのだ。凄い演奏であるとは思うのだが、どうにも近づきがたい崇高な演奏でもあり、俗人には少々近寄りがたいものがあるように思われてならない。いつものカラヤン美学を超越した凄絶な演奏であると言えるだろう。 
 

■ コアなファンを持つケーゲル盤について

 

 こちらの演奏も、違った意味で近寄りがたい録音であると言えるだろう。神までが聴き手を突き放すような、本当に厳しい現実的な世界を描いた音楽となっている。あらゆる意味で一切救済されることなく、全曲を閉じてしまう無惨かつ悲惨な音楽となっているのだ。確かにこれはこれで、この曲の核心を突いた演奏の一つであるとは思う。だが、こちらも簡単にラックから取り出して聴けるような内容では到底ないのである。恐怖の世界に引きずり込まれるような恐るべき誘惑に、何度も身を晒そうとはさすがに思えないのである。ただし、一度聴いたら絶対に忘れられない、強烈なインパクトがあるディスクであることは、間違いないであろう。 

 

■ この曲は本当に宗教音楽なのか?

 

 パルジファルは、ワーグナーの宗教心を表した敬虔な音楽であり、ルートヴィヒ2世の求めに応じて真摯に作ろうとしたことも事実であると思う。しかしこのパルジファルは、本当にいわゆる宗教音楽なのであろうか? ワーグナーが、独自の宗教観を描けば描くほど、どうしてもキリスト教の教義からは離れて行ってしまう宿命を有していると言えるだろう。その意味で、ワーグナーの私的宗教観の集大成であるパルジファルの演奏を、もっと気楽に聴くことはできないのであろうか? そもそもバイロイト以外での上演を禁じたのも、ワーグナー自身ではないのである。

 なお、古くはニーチェがワーグナーを「あまりにも人間的」と言いワーグナーと絶縁状態になったり、その後トーマス・マンが同時代の詩人イプセンと比較してワーグナーを批判したり、さらにはヒトラーが「我が闘争」においてパルジファルから引用し、前述の謎の言葉「救済者に救済を」のくだりをまさにヒトラーが独善的解釈によって政治的利用した、等々の歴史的な事実には、ここではあえて触れないでおきたいと思う。

 こんな観点から大作パルジファルを捉えたとき、クーベリックの演奏の視点は、キリスト教の知識の有無から離れて、確かに壮大で敬虔な音楽ではあるがあくまでも純音楽の大作の一つであると思わせてくれるのである。そんなクーベリック指揮のパルジファルは、キリスト教の音楽などは到底分からないと信じ、今まで完全に敬遠してきた人にこそ聴いてほしいと願うような、純音楽として優れた演奏となっているように思うのである。全4枚の長大な演奏であるにもかかわらず、全曲を一気に聴きとおせ、かつ音質がとても良好なクーベリックのパルジファルを、もっと多くのリスナーに聴いてほしいと念願して小文を閉じたいと思う。 

 

(2018年12月23日記す)

 

An die MusikクラシックCD試聴記 2018年12月28日掲載