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ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番作品73『皇帝』
チャイコフスキー 交響曲第4番作品36
協奏曲第5番、第2、第3楽章リハーサル(抜粋) エミール・ギレリス(ピアノ)
カール・ベーム指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1971年8月8日(ザルツブルク音楽祭ライヴ) ORFEOR(ドイツ盤
608032)
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■ 1972年ザルツブルク音楽祭に於けるカペレとの壮絶ライヴの前年
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ベームは、今回取り上げるチェコ・フィルとのザルツブルク音楽祭の翌年1972年にも、シュターツカペレドレスデンとの間で渾身のライヴ録音を残していることは、私自身もかつてそのライヴ録音を取り上げたことがあるように、かなり著名な歴史的事実である。晩年のベームは、普段あまり縁のないオーケストラへの客演指揮の機会が多いザルツブルク音楽祭に於いて、相当数の衝撃的な優れた演奏を残しているのだ。この1971年のチェコ・フィルとのライヴ録音もその一環と言えるだろう。
しかし、良く言われるように、当時のザルツブルク音楽祭は多くの旧東側オーケストラを毎年のように招聘していたのだが、ザルツブルクは地理的にはドイツ(当時は西ドイツ)バイエルン州と国境を接してはいるものの、そもそもオーストリアは戦後永世中立国であったことが、他の著名な音楽祭に比べて、旧東側の音楽家招聘に若干有利な立場であったのかも知れない。そのことは、私たち貪欲なリスナーにとっては、非常に幸運なことであったと思う。
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■ やや低調な演奏に終始した皇帝協奏曲
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旧ソ連の名ピアニストであるエミール・ギレリスを迎えての、ベートーヴェンの皇帝協奏曲は、周囲の事前の期待もたいへん大きかったであろうが、演奏会当日のギレリスの状態は残念ながらかなり悪く、遺憾ではあるが名演奏とは言いがたい残念な録音となってしまっている。体調がかなり悪かったのか、特に第1楽章に於いて目立ったミスタッチが頻発するだけでなく、音楽自体の流れも想像以上に滞ってしまっており、引き続く第2楽章での落ち着いた雰囲気の表出は流石ではあるものの、終楽章でも最後まで音楽全般の流れをしっかりと引き寄せることが出来ておらず、再びやや散漫な演奏に終始してしまっている。 |
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■ 想像を絶するチャイコフスキーの第4交響曲の演奏
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さて、ベームによるチャイコフスキー演奏は、現実にはこの演奏会より後の晩年に、ドイツ・グラモフォンによりロンドンで交響曲第4番から第6番の一連の録音が残されてはいるものの、指揮者ベームとチャイコフスキーの第4交響曲のイメージに於いてどうしても齟齬があるように思え、多くの期待を抱いて聴き始める人はあまり多くないであろうと思わざるを得ない。そんな期待値の低い演目なのである。しかし、いきなり金管群の炸裂から曲は始まり、驚くべきハイテンションで曲の最後まで突き進む、まさに渾身の演奏となっているのだ。かつ、そのくせ如何にもベームらしいというか、そんな推進力に満ちた演奏でありながら、無用なアッチェレランドなどは最後まで全く掛けられておらず、この演奏内容がベームの確固たる意思のもとで演奏された、彼の意図した決して偶然ではない演奏であったとも思われるのである。 |
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■ チェコ・フィルの側から捉えてみると
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しかし、一歩冷静にチェコ・フィルの側から同曲の演奏を捉えてみると、チャイコフスキーの第4交響曲は、旧ソ連の指揮者がプラハに客演して演奏する機会は相対的に多いと思われ、このような管楽器が炸裂する演奏形態に対しても特段の違和感は無かったに違いないと思うのだ。さらに、このザルツブルク音楽祭で演奏に用いたスコアは、たぶん普段用いているチェコ・フィル専用のオーケストラ管理用スコアであったように思えるのである。しかも、そんな中でも第2楽章や第3楽章では、チェコ・フィル特有の弦楽器群の落ち着いた渋い響きを十分に聴かせており、私はどちらかと言うと、むしろベームの方が、チェコ・フィルのこの曲の通常の演奏スタイルに、基本線に於いて合意の上合わせたようにも思うのである。
『一期一会』などと言えばとても聞こえは良いのだが、早い話が指揮者とオーケストラが音楽祭という短いリハーサル時間しか確保できない状況下で、どのような点で妥協し折り合い合意し、どのような点で各々の自己主張を取り入れることが出来るのか、そんな話し合いの中で、そもそも珍しい演奏者の取り合わせのためか、偶然的な産物としてお互いの普段着の演奏では得られない稀な名演奏が登場した。そのような局面が実は結果的に多数を占めているのではないかと、なんとなく想像するのだ。 |
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■ 貴重な皇帝協奏曲のリハーサル
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27分間にも及ぶ、ギレリスとベームによるベートーヴェンの皇帝協奏曲のリハーサル・シーンの収録は、この2枚組CDの価値に大きなアドバンテージをもたらしていると言えるだろう。三者間に共通言語が存在しない状況下で進められた当該リハーサルは、ベームの配慮もあってか比較的分かりやすい表現を多用して進められ、本番の演奏がたとえ不本意であったとしても、名ピアニストと名指揮者とオーケストラ三者間の著名な楽曲における真剣な討議の記録として、とても価値の高い不滅の録音と言えるだろう。むしろ、これほどに優れたリハーサルが行われたにも関わらず、本番はやや不本意な結果に終わっているのである。演奏とは実に難しいものである。 |
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(2019年8月11日記す)
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