バックハウスとカラヤンによる「ブラームス《ピアノ協奏曲第2番》」を聴く

文:松本武巳さん

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CDジャケット

ブラームス
ピアノ協奏曲第2番作品83
ウィルヘルム・バックハウス(ピアノ)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1964年5月18日、ウィーン・ムジークフェラインザール
Ats(輸入盤ATS924-2)

 

■ バックハウスとカラヤンの共演

 

 バックハウスの残した、ブラームスの協奏曲第2番の録音は多数あるが、スタジオ録音は、1939年のベームとシュターツカペレ・ドレスデンによる共演が最初であろう。その後、1952年にシューリヒトとウィーン・フィル、1967年にベームとウィーン・フィル、この3種類のスタジオ録音が残されている。他にも多数の録音が残されているが、これらは全てライヴ収録または放送録音である。ただし、ここで取り上げる1964年のカラヤンとの共演は、ウィーン芸術週間に於けるライヴ収録であることを冒頭にお断りしておく。

 トータルの演奏時間は、1939年ベーム盤が45分弱、1952年シューリヒト盤が46分強、1967年ベーム盤が48分強となっており、一方ここで取り上げたカラヤンとの1964年盤は47分弱であり、回を重ねるごとにほぼ1分ずつ演奏時間が伸びているようだが、実は楽章間のバランスに関しては、指揮者の違いにも関わらず、一定の関係性がほぼ維持されており、ピアニストであるバックハウスの意向が、ベーム、シューリヒト、カラヤンの全員に対し、ほぼ受け入れられてきたものと理解できるだろう。特に、本人が語ったことがある内容でもあるのだが、第2楽章のスケルツォに関しては、技巧的な難所があるにも関わらず、バックハウスが指揮者に対して速めのテンポ設定を取るように、リハーサルの際に必ず指揮者に要求していることについて、一連の録音を聴く限り、どの指揮者もバックハウスの意見に従っているようである。

 この点一つをとっても、カラヤンとバックハウスの共演は、俗にいう水と油の関係ではなく、相互に認め合った共演者であったと言えるだろう。なお、余談ではあるが、バックハウスが1954年に来日公演を開いた際に、たまたまカラヤンも単身で来日しており、NHK交響楽団を指揮しているのだが、このコンサートをバックハウスは会場で聴いていたことをバックハウス自身が帰国後に記しているのである。なお、1954年の来日時、バックハウスは東京交響楽団(指揮:上田仁)と共演し、ブラームスのピアノ協奏曲第2番と、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番『皇帝』を演奏している上に、後者は録音が残され、発売もされている。

 

■ カラヤンの当曲演奏歴とテンポ設定について

 

 カラヤンは、ブラームスのピアノ協奏曲第2番に関し、1958年にハンス・リヒター=ハーザーとEMIに、続いて1968年にはゲザ・アンダとDGにスタジオ録音を残している。また、この曲をコンサートで指揮した記録は、カラヤン財団等の資料によると18回程度残されているらしく、特にゲザ・アンダと、ウィルヘルム・バックハウスと、マウリツィオ・ポリーニの3名とは、いずれも4回以上共演しているようだ。その他、エトヴィン・フィッシャー、アレクシス・ワイセンベルクらとも各々1回ではあるが共演した記録が残されている。

 因みに、EMIとDGへの正規録音は、いずれもトータルの演奏時間が50分前後であり、バックハウスとの共演に於ける46分台の演奏時間とは明らかに異なるテンポ設定であると言えるだろう。ここでの主題ではないので他のピアニストとの演奏についての詳細は避けるが、カラヤンが少なくともバックハウスとの共演の際に、テンポ設定についてバックハウスの意見を取り入れていたのは間違いないと言えるだろう。

 テンポ設定について、カラヤンがピアニストの意向を基本的に受け入れている指揮者であることが、最も理解が容易な箇所として、第3楽章冒頭のチェロがソロを奏でる部分に続くピアノの入りの部分が挙げられるだろう。ここを聴き比べるだけでも十分納得できる話ではないだろうか。三者三様のピアノの入りであるのに対し、どのピアニストに対してもカラヤンはしっかりとオーケストラを牽引しピアニストを支えており、少なくとも協奏曲に於いては、カラヤンが自身の指揮スタイルや解釈をソリストに押し付ける独裁的指揮者ではないことが確認できるだろう。

 

■ バックハウスとベームによる1967年の永遠の名盤、その他

 

 バックハウスとベームによる1967年のDECCA盤については、2017年に私自身が書いた内容に現在新たに付け加えるものは特にないので、そちらの試聴記をご参照願えると幸甚である。ただ、当時はカラヤンとのライヴ録音が正規発売されていなかったため触れていないのだが、ベーム盤と演奏時期が近いこのカラヤンとの共演盤を、永遠の名盤であるベーム盤と聴き比べる価値があることを、ぜひお伝えしておきたい。

 最後に、前回も書いたことではあるが、バックハウスは『鍵盤の獅子王』なる俗称で、ベートーヴェンの化身でもあるかのような扱いを未だに受け続けている。もちろん、不名誉な誤解では決してないのだが、そろそろバックハウスのピアニズムの本質や、生涯を通じてベートーヴェン弾きに徹してきたわけでもないことが、理解されることを願ってやまない。彼のピアニズムの本質を探し当てるためには、残された録音の評論を単に重ねるだけでは為しえない、大きな変化をもたらした根幹についての考察が必須であると、私はそのように思うのである。

 半世紀前、ベートーヴェン演奏ならバックハウスかケンプか、という論争が盛んであったが、私には根っからのベートーヴェン弾きであったケンプと、晩年の20年を除くとむしろロマン派の演奏に長けていたバックハウスを比較すること自体が、かなり無理のある比較であると思っているのだ。バックハウスが若いころ、リストのラ・カンパネラやハンガリー狂詩曲第2番や愛の夢、シューマン=リストの献呈にバックハウス自身が手を入れたもの、さらにはスメタナのチェコ舞曲やアルベニスの録音などを残していることと、晩年のベートーヴェン演奏の間には、決して多くを語ることをしなかったバックハウス自身にとって、実は明確な関連性があるように思えてならないのである。

 

(2023年10月20日記す)

 

2023年10月20日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記