スウィトナー&カペレ「モーツァルト《フィガロの結婚》」を聴く

文:松本武巳さん

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CDジャケット

モーツァルト
歌劇「フィガロの結婚」

  • アルマヴィーア伯爵:ヘルマン・プライ
  • 伯爵夫人ロジーナ:ヒルデ・ギューデン
  • ケルビーノ:エディット・マティス
  • フィガロ:ワルター・ベリー
  • スザンナ:アンネリーゼ・ローテンベルガー
  • マルチェリーナ:アンネリース・ブルマイスター
  • バルトロ:フリッツ・オルレンドルフ
  • バジリオ:ペーター・シュライアー

オトマール・スウィトナー指揮
シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1964年、旧東ドイツ、ドレスデン・ルカ教会
BERLIN Classics(輸入盤 0020962 BC)

 

■ 不遇な超名盤

 

 今回取り上げる、スウィトナー指揮シュターツカペレ・ドレスデンによるフィガロの結婚は、1964年録音と言う古い音源であり、かつ原語上演ではないドイツ語訳詞によるオペラ全曲盤録音であるにもかかわらず、インターネット上では、今なおこの名盤に対する絶賛の声が多く掲載されている。一方で、音楽専門誌ではあまり取り上げられることがなく、ディスクも日本国内では基本的に輸入盤でしか入手できない。このズレというか乖離は一体なぜなのだろうか?

 

■ 旧東ドイツ国営レコード会社『ドイツ・シャルプラッテン』

 

 このディスクは、旧東ドイツにかつて存在した、ドイツ・シャルプラッテンという国営のレコード会社により制作された。旧東ドイツには、この1社しかレコード会社は存在せず、ドイツ・シャルプラッテンのクラシックレーベルとして『エテルナ』という、知る人ぞ知るレーベルが存在したのである。実は、レコードおたくの世界では少々著名なレーベルでもあるのだが、この会社からスウィトナーのシュターツカペレドレスデンへの名盤の大半が発売されていたのである。日本国内では、当時の徳間音工が70年代に一定の範囲の権利を取得して、国内盤として販売していた。

 ※この経緯の詳細については、2007年11月に発売された「クラシックジャーナル028」(アルファベータ社刊)に、40ページ近い座談会形式の特集記事(いまだから語れる、いまこそ聴くべきドイツ・シャルプラッテン)が掲載されている。

 

■ ドイツ語訳によるオペラ全曲盤

 

 かつては国民の娯楽の一つとしてオペラが存在していたために、現地の言語に翻訳してた上で上演されるのは、決して珍しいことではなくむしろ通例であったのだ。この慣習は、今なお地方に行けば残っているので、翻訳が良質であれば、聴き手は違和感なく楽曲に入ることができると思われる。このフィガロのドイツ語ヴァージョンは、聴き手の耳に抵抗が少ないように思え、多くの聴き手にとって、訳語による上演ではあるものの、さして気にならないであろうと思われる。

 

■ 国民の娯楽として存在していたオペラ

 

 オペラが、かつてヨーロッパに於いて国民の娯楽として存在していたことを証明するかのような、ウキウキ溌剌とした演奏である。冒頭の序曲から、恐ろしいほど快速で進行していくが、そのくせ演奏は決して雑にはならないし、まさにオペラ全体への期待感に溢れている。全体の楽曲進行も実にキビキビとしたものであるし、きわめて円滑に進行していく。何よりもこのことが、当時のドレスデンという、東ドイツの中でも西側から隔絶された地域であったことと相まって、国民の娯楽としてのオペラ上演のスタイルが、現代のステレオ録音の時代に、良質な形でしっかりと残すことができたと思われるのである。そんな良き時代の良き伝統を垣間見ることも可能なディスクとなっているのだ。

 

■ 録音会場及び録音バランスのすばらしさ

 

  ルカ教会の残響と、シュターツカペレ・ドレスデンの音質が見事に溶け合って融和しているために、ステレオ録音とはいえ、すでに半世紀前の録音ではあるが、本当にうっとりするほど美しい響きで全体が統一されているのである。オーケストラの響きのバランスももちろん良いが、このディスクでもっとも優れているのは、重唱部分での声の重なり方が、本当に素敵な歌手たちの重唱として聴こえてくるし、その際のオーケストラとのバランスも無理なく聴こえ、録音技術に於いても第一級であるといえる、そんなまさに奇跡的な録音であると思えてくるのだ。

 

■ 恐るべきレベルの歌手陣

 

 冒頭に8名の歌手を挙げたが、各々の聴き手の好悪はもちろんあるとしても、驚くべき恵まれた配役であることに、誰しも議論の余地がないであろう。そのような恵まれた配役の中でも、わたし個人としては、とりわけ若いマティスのケルビーノ役の可憐さには、ほとんど言葉を失って聴き惚れてしまうしかない。また、プライは、後にベームの名盤でフィガロ役を務めているが、それを上回るこの盤における名伯爵役であると思うのだ。その他いちいち取り上げる必要すらないであろうと思うが、端役として当地出身のまだ若いシュライアーも参加しているのである。配役に関しては、これを超える歌手陣は、現実的に少々考え難いくらいの超絶レベルであると思われる。

 

■ 最後に伊東さんの名文を紹介する

 

 実は、An die Musik管理人の伊東さんが、このオペラ全曲盤を1999年の段階で既に紹介されているのである。その文章から、最後に以下の部分を引用して、この小文を閉じたいと思う。

 『ここでは、モーツァルトの音楽が、喜々として歌われており、終始楽しい雰囲気に包まれている。これは楽しそうだ。録音当時が、いかに古き良き時代であったか、良く感じ取れる。でっぷり太っていて、仏頂面のイメージが強いスウィトナーさんも、こんな雰囲気を作れる人だったとは。歌手の方々も楽しみながら録音に参加しているとしか思えない。だからこそ、良い音楽作りができたのだろう。スウィトナーの作り出すテンポは、結構緩急自在で、それが心地よい。音楽が息づいているというのはこんな感じをさすのであろう。』

(2015年9月11日記す)

 

2015年9月12日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記