クレーメルとアルゲリッチによる「バルトーク、ヤナーチェク、メシアン」を聴く

文:松本武巳さん

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CDジャケット

バルトーク
ヴァイオリンソナタ第1番,Sz.75
ヤナーチェク
ヴァイオリンソナタ
メシアン
ヴァイオリンとピアノのための『主題と変奏』
ギドン・クレーメル(ヴァイオリン)
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
録音:1988年6月、1985年4月(メシアン)、ミュンヘン・ヘルクレスザール
DG(国内盤UCCG 6161)

 

■ クレーメルとアルゲリッチによる20世紀音楽のデュオ

 

 20世紀音楽の中でも比較的聴かれる機会の多い、バルトークのヴァイオリンソナタ第1番とヤナーチェクのヴァイオリンソナタに加えて、別の機会に録音されていたメシアンの『主題と変奏』を組み合わせたディスクである。どちらかと言えば、一般的にはやや避けがちなプログラムと言えるのではないだろうか。一方、私にとっては、常に大きな興味を抱いてきた作曲家ばかりの作品を集めた、まさに垂涎のディスクであったのである。

 

■ バルトークのソナタ第1番について

 

 バルトークが1921年に作曲したいわゆる無調的作品である。全体は急・緩・急の古典的様式で構成されているが、バルトークが抽象的・普遍的な創作へと踏み出した時期の作品にあたるため、民俗色を十分に維持しつつも、ヴァイオリン特有の旋律と打楽器的な役割を持つピアノ伴奏で楽曲全体が貫かれている。聴衆にとってやや難解な楽曲であると言えるだろう。クレーメルは、70年代後半にスミルノフのピアノで、ハンガリーのHUNGAROTONレーベルにこのソナタの最初の録音を残している。さらに後年、アルゲリッチと2006年にベルリン・リサイタルのディスクで、再録音を果たしている。以下は、かつて私自身が2006年のベルリン・リサイタルのディスクについて書いた試聴記の文章であるが、そのまま引用したいと思う。

 第1楽章は研ぎ澄まされた緊張感で貫かれた少々疲れる曲であるが、アルゲリッチとクレーメルは、真正面から真剣勝負を挑んでおり、聴き手にまで最高度の緊張を強いる、そんな世界が全体に繰り広げられている。第2楽章も同様の緊張感が完璧に持続していて息が抜けない。第3楽章も相変わらずの緊張感なのだが、そんな中に一瞬印象派的な柔らかい響きが現れて、ようやく聴き手は強い緊張感から解放され、まさにホッとするのである。そんな場面でのアルゲリッチとクレーメルは、ものの見事に息が合っており、聴き手を巻き込んだ真剣勝負も、決して両者の意見の相違から来る闘いではなく、事前に意見の一致を見た上での真剣勝負であったことが、楽曲の最後に至って聴き手にもようやく理解できるのだ。まさに名演奏だと思う。

 この文章に、特に付け加える必要を実は感じないのだが、あえて付け加えるなら、2006年のライヴ録音と異なり、聴衆がいないスタジオ録音であるため、今回のディスクからは、音楽が終結してもなおある種の緊張から聴き手は解放されない、そんな一歩間違えると苦痛すら感じられる強い緊張感の中で、演奏を終えるようなところがある。この曲をある程度聴いた経験があるか、またはバルトークの音楽が好きな方には堪らない演奏だと言えるだろう。もっとも、現代音楽を『ゲンダイオンガク』と表記するなどして、普段から忌み嫌っているような方が聴くと、なおさら嫌いになる可能性すらあるような演奏だとも言えるだろう。確かに素晴らしい演奏ではあるが、若干万人向けとは言い難く、少々取扱注意的な演奏だと言わざるを得ない。

 

■ ヤナーチェクのソナタについて

 

 レオシュ・ヤナーチェクが唯一完成したヴァイオリンソナタで、1914年頃に作曲された。ヤナーチェクは1880年にライプツィヒ音楽院において、その後はウィーンにおいてヴァイオリンソナタの作曲を試みているが、いずれも現存しない。第一次世界大戦の勃発と同時期の作品である。その後、改訂を経て、1922年にプラハで出版された。

 クレーメルとアルゲリッチの共演は、スリリングな展開とかつてない新鮮な感覚を聴き手にもたらし、20世紀の作品に独特な輝きを与えて聴かせてくれる。鋭利に研ぎ澄まされ、同時に激しさをも表現するクレーメルのヴァイオリン演奏は、鋭く鋭利な音楽性と同時に深い瞑想が内包されているのだが、二面性を併せ持ったクレーメルの音楽作りを、アルゲリッチがしっかりと受入れつつ、さらに音楽全体を大胆かつダイナミックに飛躍させていき、音楽に大きな広がりを与えてくれるのである。二人のデュオから、まさに無限の可能性を聴き手は感じ取るのである。ヤナーチェクの音楽が持つ独特の色彩感を、アルゲリッチ独自の個性的な色彩感に塗り替えているような部分も散見され、かなり強い個性が音楽全体を包んでいるが、二人のデュオによる音作りは、結果的にヤナーチェクの持つ独特の色彩感に、しっかりと新たな光を当てていると言えるだろう。

 

■ メシアンの『主題と変奏』について

 

 『主題と変奏』はメシアンのごく初期の作品で、いわゆる一般的なメシアン作品のイメージとは少し異なっており、各々の変奏は変化に富んでいて非常に面白い曲である。メシアンならではのメシアン・サウンドとも言える色彩感が前面に出ている曲の一つで、かつメシアン作品としてはかなり聴きやすく、内容が分かりやすい部類の楽曲でもある。「移調の限られた旋法」という、旋法が先に決められた楽曲であり、音構造がもとより独創的で和音はその旋法を構成するために選び出された音を重ねて作る、非常に個性の強い曲である。とても静かで神秘的な、それでいてとても荘厳な音楽であり、メシアン以外の作品からは絶対に体験することの出来ないような、不思議な感覚を受けると同時に漠然とした不安感を聴き手が抱くようなメシアン独自の世界観を、ごく初期の作品でありながら十分に感じ取れる楽曲でもある。

 クレーメルとアルゲリッチという傑出した音楽家による共演。メシアンの音楽は、普段聴きなれている西洋音楽の和声から機能上外れているため、音楽の表現が少々難しい。19世紀の西洋音楽は所謂ロマン派で、音楽は基本的に官能的かつ情熱的であり、その後フランスで印象派が生まれて以降は、音の重なり方自体が色彩感を持つに至り、情熱的に演奏するとむしろ陳腐になってしまう。さらにメシアンの音楽の持つ独特な響きをどう表現すれば良いのかは、かなり難しいと言えるだろう。ところが、クレーメルとアルゲリッチは基本的に情熱的な表現で統一しており、一般的なメシアン作品の演奏解釈とは異なるものの、二人が徹底的に掘り下げた解釈から、二人にしかない独自の表現を引き出しているのである。メシアン作品の演奏としては、確かに二人の解釈は少々風変わりではあるものの、結果的に素晴らしい名演となっている上に、メシアンの目指した作曲の方向性とも、結論に於いて同じ演奏となっていると言えるだろう。

 

■ クレーメルとアルゲリッチのデュオについて

 

 私にとって、クレーメルとアルゲリッチは、実は二人とも若干苦手なタイプの演奏家である。もちろん、二人とも間違いなく偉大な演奏家であり、技巧面でも解釈面でも、何か不満を抱いているわけでは決してないのだが、きわめて単純に言うなら、二人の演奏は、別々に聴いた場合でも、私の耳に素直に馴染んでくれない、聴いた後に少し疲れる演奏家なのである。そんな私であるが、かつてないほど大きな感銘をこのディスクから受けたので、今回ぜひ紹介しようと思い立ったのである。

 

(2023年11月20日記す)

 

2023年11月20日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記