ネルソン・フレイレとケンペの共演を聴く
文:松本武巳さん
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番変ロ短調作品23
グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調作品16
シューマン:ピアノ協奏曲イ短調作品54
リスト:死の舞踏ネルソン・フレイレ(ピアノ)
ルドルフ・ケンペ指揮ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1968年5月22-27日、ミュンヘン、ビュルガーブロイケライ
SONY CLASSICAL(国内盤 SICC 58、59)ネルソン・フレイレ
ジョアン・モレイラ・サレス監督
2003年制作:ドキュメンタリー映画(DVD)
Versatil Brasil(ブラジル盤=廃盤)
ポルトガル語(字幕:英語、フランス語、スペイン語)■ この音盤との出会い
偶然購入したアメリカ盤の2枚のLPで、この演奏と出会い、現在もその2枚のLPを所持しております。たぶん、初出直後の再発された盤であろうかと思います。いずれも再発ではあるものの、幸いなことにオリジナルカップリングでした。LPはチャイコフスキーの協奏曲の第二楽章までが表面、第三楽章とリストが裏面で、もう1枚のLPがグリーグとシューマンと言う、LP当時は黄金のカップリングと呼ばれた組み合わせでした。
さて念のため、何が黄金のカップリングであるかと言いますと、一つは2曲とも約30分の曲であるため、長時間収録のお徳用LPであり、また両曲ともイ短調という、調性を同じくするロマン派のピアノ協奏曲でもあったからです。グリーグは作曲時にシューマンのこのピアノ協奏曲の存在を意識し、多少ではあるもののシューマンの模倣もしておりますが、なぜか聴衆の人気はグリーグの方が上であったと思います。
■ チャイコフスキー
このLPにおけるチャイコフスキーの協奏曲の正当な評価をする際に、絶対に忘れてはならないにも関わらず、ほとんど無視されている事実は、前述の通り、初出LPの際には、チャイコフスキーの余白にリストの「死の舞踏」が収録されていた点です。オリジナルどおりの順序でLPを聴いてみると納得できることは、明らかにチャイコフスキーの協奏曲の終楽章の演奏は、あとにリストが続くことを意識してのLP制作であることです。
第一楽章以上に、急速かつあおるように進行する楽曲は、そのあとにリストが続いて演奏されることを前提に聴けば、そんなに違和感が無くなるであろう上に、むしろやや無理をしてでも、技巧をひけらかしてでも、終結部を突っ走る必要があったことをご理解いただけるのではないかと信じます。
また、順番は逆になりますが、第一楽章も第二楽章も、白熱した協奏曲ならではの演奏となっており、フレイレの卓越した技巧も、若さからもたらされたと思われる推進力も、思わず聴き手がうっとりとするほどに冴え渡っており、出色の出来となっているように思います。あえて言えば、第一楽章はさすがに多少身振り手振りが大げさであるように見受けますが、反面第二楽章ではきわめて厳格にインテンポを遵守しており、その結果むしろ楽曲の本来の良さが上手に前面に出ており、非常に聴き応えがあります。
■ グリーグ
次にグリーグとシューマンの1枚は、表と裏面に単独にカップリングされていましたから、チャイコフスキーとリストの組み合わせような、特段の事情を斟酌する必要は無いと思います。
このグリーグは、掛け値なしの名演であると思います。時代がかった大振りな演奏ではなく、さりとて最近の傾向のような小振りなコンパクトにまとまった演奏でもありません。何よりも、第二楽章において北欧の室内楽を聴くような趣を、この技巧的な協奏曲からもっとも味わうことができるディスクであることは、今もって空前絶後です。
この演奏は、今も私の宝物であることは間違いありません。そして、その後多く出された当該楽曲で、この演奏を凌駕したディスクに出会えないことも重なってでしょうか、最近ではこの協奏曲自体に対する興味まで失われつつありましたが、今回この試聴記を書くにあたって、久しぶりにLPをかけてみて、目から鱗が落ちました。
■ シューマン
シューマンも同傾向の演奏で、好感が持てますが、印象度は落ちるところがあるのも事実です。それは、常に言われるシューマンの音楽に潜む二面性のうち、余りにも一方に偏った演奏であるからかも知れません。こんな評論を残したとしても、それ自体は誤っていないであろうとは思います。
しかし、多少視点を変えて、この演奏の印象度がなぜ落ちるのかを考えてみたいと思います。この理由として、私自身がかつて記したブレンデル特集の第4回を、参考としてお読みくださるととても幸甚です。この2004年8月に執筆した当時の、私のシューマンの音楽に対する考え方は、現在でも特に変わっておりません。そして、このフレイレの演奏にも当てはまることであろうと考えます。加えて、昔グリーグとシューマンの協奏曲をカップリングしたLPは、黄金のカップリングでありながら、実は両面ともに名演であると言われたディスクが、非常に少なかったことにもつながるものと考えます。
■ リスト
比較的珍しい曲であると思いますが、70年代まではそれでも今よりはかなり多くの録音がなされていたように思います。例えば、ブレンデルはVOX時代と、フィリップス移籍後の2回にわたり、「死の舞踏」を録音しております。もちろん、この曲自体の人気とは異なる別の理由もあり、例えば、リストのピアノ協奏曲集のLPを制作しようとした場合に、レコード会社が通常気になったことは、収録時間の短さのために、売れ行きが落ちることでした。
リストのピアノ協奏曲は2曲合わせても、約38分程度で終わってしまいますから、この「死の舞踏」をセットにして、約55分のLPを制作することは、比較的多く見られたと言えるでしょう。LP時代のレコード会社は、このようなことにまできちんと気配りをしていた訳で、まさに隔世の感があります。
ただし、私はこのリストに関しては、残念ながらあまり良い印象を持てません。実はリストこそが、テクニックで押し切らない演奏の価値を、今こそ再評価されるべき筆頭格の作曲家であろうと信じています。今年は、リストの生誕200年の記念の年に当たりますから、ぜひそのようなリスト再評価の第一歩につながるように願っております。
例えば、リストの残した名曲でありながら、ピアニスト以外からは忌み嫌われております、ピアノソナタロ短調などは、最晩年のアラウが朴訥と弾いた演奏と、アルゲリッチが颯爽と弾ききった演奏を、ぜひ聴き比べて欲しいと念願します。余計な知識なしに聴けば、少なくとも26分で全曲を弾いたアルゲリッチも、33分近くをかけて語りつくしたアラウも、両方ともに優れた演奏であることを、共感を持って理解していただけるものと確信します。
ここでのフレイレは、さすがに若すぎたためもあってか、若干テクニックに走り過ぎ、また頼ってしまったのでは無いでしょうか? 本当に、ケンペとオーケストラを振り切ってまで、ピアノが単独で疾走してしまっております。もちろん微笑ましく、かつ心地良い演奏ではあるものの、レコードで繰り返し聴くには、少々辛いものがあるようにも感じます。
■ ケンペ
ここでの、ケンペへの賛辞は、下記の一言に尽きると思います。若いソリストの芸術性を削がず、かつ全体の音楽をきちんと整えるために、ケンペは間違いなくリハーサルの際に、指揮者とソリストがどの時点で「縦の線」を合わせるかを、きちんと打ち合わせ決定した上で、その合わせる時点を除いて、残りの部分は若いソリストに対して、完全に自由に振舞うことを許したか、むしろそのように奨励したのだと確信します。
若いソリストは、このように伴奏指揮をしてもらえると、本当に涙が出るほど嬉しいものです。著名なベテランだから可能な伴奏指揮である一方で、経験の浅い若いソリストにとって、自分のやりたいことをバックから支えてくれるのですから、本当にソリストの思い通り描いた演奏が叶ったことだろうと信じます。このような伴奏指揮は、実際には非常に高度なものが必要だと思いますが、そもそもケンペだけでなく、当時のヨーロッパの一線で活躍していた指揮者は、みなピアノが上手かったように思います。そして、指揮者の資質にピアノの腕前が必須であったことの証明のようなディスクでもあるように思います。
■ フレイレ−その後
颯爽とした演奏で登場したフレイレでしたが、超絶テクニシャンとして一世を風靡したかと言えば、実は決してそうではありませんでした。たとえば、当時の日本での来日コンサートでも、東京都内の大ホールに3割程度しか入場していない、そんなガラガラのコンサートもあったように記憶しております。テクニックは達者だが中身が伴わないピアニストの一人として、生の演奏を一度も聴きもしないような評論家から、冷たく扱われていたように記憶しております。もちろん、当時からフレイレを高く評価されていた評論家もいることはいましたが、非常に少数派であったように思えてなりません。
当時の人気を得る秘訣は、たとえばデジェー・ラーンキのように、発売時にポスターやブロマイドが封入されるようなタイプの人気ピアニストであるか、またはケンプのように長老であるか、等々の条件が必要でした。また、クラシック音楽の本流の地を離れたピアニストは、クラウディオ・アラウを紹介するまでもなく、よほどの例外を除くと、あまり人気がなかったように思います。つまり、超絶技巧では同時期に登場したポリーニに叶わなく、ルックスで勝負するには彼より上手が、数多くいたようです。
80年代になると、フレイレはアルゲリッチとのデュオで名前は知られていたものの、肝心のソロ活動では、ほとんど活動が聴こえてこないような状態になってしまいました。その後21世紀に入り、デッカと専属契約を結んでからは、徐々に再び名声を博するようになりましたが、この時点では、過去のテクニシャンの面影はなく、ややアバウトではあるものの、独自の解釈で聴き手を引き付けるタイプの演奏家に大きく変容しておりました。
どちらが良いのかと言えば、日本での人気は明らかに現在の方が高いであろうと思いますし、姿かたちを変えながら一線で長く活躍を継続しているのですから、個人的な好悪は控えたいと思いますが、現在の彼に魅力を感じることは感じるものの、若い時代の彼の魅力の方が、語りきれないほど多くあったのは事実です。
ただ、ブラジルのドキュメンタリー映画のDVDを数年前に見て、本当に驚きました。そこに描かれたフレイレは、人付き合いの下手な変人であり、子どものような仕草をしてマネージメントを困らせる、そんな孤独な芸術家として描かれていたからです。そこに登場するフレイレの友人は、ほとんどアルゲリッチ一人であるかのような印象さえ与えられました。良く、これで発狂しなかったものだと言わんばかりの内容でしたが、当該映画が、決してフレイレを貶す目的で制作されたものでは無いことが、視聴後の唯一の救いでした。
■ さいごに
わたしは、フレイレのピアニストとしての人生は、普通の意味での年齢相応の変化とか、芸術の深化とは切り離して考えるべきであるように思います。しかし、フレイレは孤独な人生を過ごしながらも、中欧にとどまり演奏活動も継続してきたために、過去のピアニストの誰もが通らなかった人生を歩んであるように思えてなりません。
そのため、過去のテクニシャンが精神的に崩れた結果、演奏まで崩れたようなピアニストとは異なり、現在の彼の芸風は、以前の彼とは異なるものの、これはこれで味わい深いタイプの演奏であるように思います。たとえば、ショパンの練習曲を例にとっても、本来は意外につまらないと思えるような曲に、むしろ彼の真価があるように思えてなりません。
これを、私は、フレイレが、若い時代からヨーロッパにとどまり、多くの一流の指揮者やオーケストラと共演を重ねてきた、フレイレ独自の到達点であると考えます。その際に、このケンペとの共演は、協奏曲の曲目も内容も多岐に渡ることもあって、現在の彼を支える重要な若い時代の金字塔であると思うのです。ケンペとの共演で得たものは、昔の技巧家がまるで違う側面で活躍するための礎でもあったように思います。
そのことを証明するディスクとして、例えば最近のドビュッシー曲集で、メインの前奏曲集第一巻の余白に収録された「子どもの領分」における、彼の演奏の素晴らしさなどがあげられると思います。滋味豊かな演奏とはまさにこのことだと思えますので、試しに一度お聴きになられてはいかがでしょうか?
(2011年1月15日、An die Musik更新休止の報を受け、急遽記す)
2011年1月17日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記