ところで、1970年代にポリーニが残したベートーヴェンの後期ソナタ集は、発売直後から賛否両論が渦巻き、大きな論争を巻き起こした。手放しで絶賛するものから、これはベートーヴェンではないとまで言い切って酷評する者まで、まさに百花繚乱と言うべき一大論争となった。単なる絶賛や批判の枠を超えて、「世紀の大天才」から「情緒音痴ではないか」との指摘まで、通常考えられる評価のブレの範囲を飛び越えた極論と極論が激しくぶつかる内容であったのだ。
その後、長い年月が経過したが、ポリーニへの評価について、技巧一点張りのピアニストという評価をくだした者の多くが近年のポリーニを酷評し、ポリーニの音楽性自体を絶賛した者の多くは今なお長老格のポリーニを追い続けていると、基本的に言えるだろう。つまり、ポリーニはハンマークラヴィーアソナタの旧盤を発売したころから、ずっと「熱烈な支持者」と「強い批判者」という両極端な評価の狭間で、長年の活動を続けてきたのである。
ただ、1点だけ指摘しておきたいことがある。ポリーニは、いわゆる楽譜信奉者とは明らかに異なる、思慮深いピアニストの一人であるということである。超絶技巧の持ち主であったために、常に毀誉褒貶が渦巻く世界に置かれてきたが、ハンマークラヴィーアソナタの旧盤においても、結構テンポも強弱も含めて必ずしも楽譜通りには弾いていないのである。そして、ポリーニの演奏に於ける分かりやすい具体例として、第1楽章開始早々の最初の単音に続く和音(下記譜例の最初から2番目の音〈譜例はピティナ・ピアノ曲事典より引用〉)を、少なくとも私が実演で聴いた複数の機会で、楽譜とは異なり、右手で弾いていたことを指摘しておく。
もちろん、それが故に、このソナタ冒頭の緊張感や跳躍感が削がれてしまうとの意見もあるだろう。そして、そのような解釈上の議論であれば私も喜んで参加したいとも思うのである。ただ、超絶技巧を謳いつつも、ポリーニは決して技巧上の問題ではなく、この部分を右手で弾いているのも事実なのである。その演奏上の意図を考えるためにも、私にとってポリーニを追いかける意義があるのである。
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