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バックハウス、イギリスにおけるアコースティック録音全集
- バッハ:平均律第1巻第3番Prelude & fugue
- ヘンデル:「調子のよい鍛冶屋」
- スカルラッティ:ソナタ L.188(K.525),L.490(K.523)
- モーツァルト=バックハウス:「ドン・ジョヴァンニ」からSerenade(2種類の録音)
- シューベルト:楽興の時 第3番(2種類の録音)
- ウェーバー:ピアノソナタ 第1番終楽章
- メンデルスゾーン:「真夏の夜の夢」からScherzo
- ショパン:練習曲 作品10-1,5,7、作品25-1,6,8,9
- ショパン:前奏曲 作品28-1
- ショパン:ポロネーズ 作品53「英雄」
- ショパン:ワルツ 第5,6,11,14番(第5番は2種類の録音)
- ショパン:幻想即興曲 作品66
- ショパン:子守歌 作品57
- シューマン:夢のもつれ 作品12-7
- シューマン:ノヴェレッテ 第7番
- リスト:ラ・カンパネラ
- リスト:ハンガリー狂詩曲 第2番
- リスト:愛の夢 第3番(2種類)
- シューベルト=リスト:「聞け、聞け、ひばりを」
- シューマン=リスト:「献呈」
- スメタナ:ボヘミア舞曲より「ポルカ」(2種類の録音)
- ブラームス:パガニーニの主題による変奏曲 作品35
- ゼーリンク:「12の練習曲作品10」から第12番
- グリーグ:ピアノ協奏曲 第1楽章,第3楽章(抜粋) ※協奏曲世界初録音
- グリーグ:「婚礼の行列が通り過ぎる」作品19-2
- ドリーブ=ドホナーニ:「ナイラ・ワルツ」
- ラフマニノフ:前奏曲 作品3-2(鐘)
- モシュコフスキ:スペイン奇想曲 作品37
- アルベニス:イベリア 第6番Triana
ウィルヘルム・バックハウス(ピアノ)
録音:1908〜1925年 ※アコースティック録音 Pearl(輸入盤 GEMS
0102) 復刻CD(2枚組)
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■ 電気吹き込み以前の時代のバックハウス
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いわゆるSPレコードの時代は一般に2つに区分され、1925年以前のラッパ吹き込み(アコースティック録音)の時代と、それ以後の電気吹き込みの時代に分けるのが通常である。1884年生まれのバックハウスが、25歳頃から40歳頃までの若い時代に、アコースティック録音を数多く残しているのだが、今回はそれらを集成したPearlの貴重な復刻CDを紹介したい。
このディスク自体は残念ながら廃盤のようだが、バックハウスの残した、知る人ぞ知るショパンの「24の練習曲全曲」のSP録音(「名盤を探る」特集で、ポリーニ盤と比較した記事をちょうど10年前に書いたことがある)は1928年の録音であり、すでに電気吹き込みの時代に入ってからだったのである。そこで見せていた鮮やかな超絶技巧よりも、さらに若い時代のバックハウスが残したこのアコースティック録音集は、録音のための彼自身の選曲を含めて、我々が知っているバックハウスとはあまりにもかけ離れた録音集成であり、今回はその辺を振り返ってみたいと思う。
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■ まずは、リスト録音について
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残されたものが、ハンガリー狂詩曲第2番、ラ・カンパネラ、愛の夢、「聞け、聞け、ひばりを」、「献呈」である。この組み合わせ自体が、完全にヴィルトゥオーゾお得意の選曲パターンそのものであると言えるだろう。しかも、ハンガリー狂詩曲第2番は、ほとんどホロヴィッツと真正面から張り合うような激烈な演奏ぶりであり、ラ・カンパネラはまるでシフラの先駆者のような演奏である(ただし、ラ・カンパネラは一部独自の改変を加えているため比較困難な部分もある)。この2曲の演奏だけを聴かされた場合、演奏者がバックハウスであると言い当てることは非常に困難であろう。まさに驚きの超絶技巧である。
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■ つぎは、ショパン録音について
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後年1928年に、練習曲全曲を電気吹き込みで入れるきっかけだったと捉えることが可能なほど、練習曲の録音が多く残されており、実に7曲も取り上げているのだ。それも、技巧的な作品10-1や25-6を取り上げている一方で、「別れの曲」や、「革命」や、「木枯らし」などの著名な練習曲は吹き込んでいないのだ。これは、明らかにヴィルトゥオーゾ志向が、当時のバックハウス自身に明確に存在した証であると考えられる。そして、英雄ポロネーズや幻想即興曲の他に、ワルツ第6番(子犬のワルツ)を吹き込んでいるのが目を引く。技巧的には決して難曲ではないにもかかわらず、むしろ余裕を持たせたテンポで聴き手をグッと惹きつけており、非常に強い印象が残る「聴かせる」演奏であると言えるだろう。
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■ シューマンとブラームス
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シューマンの録音は小品2曲(別途リスト編曲の「献呈」がある)と数少ないものの、幻想小曲集から「夢のもつれ」と、ノヴェレッテ作品21の第7曲と言う、小品ながら技巧的難曲2曲を切れ味の鋭い演奏で残している。一方のブラームスは、難曲で知られるパガニーニ変奏曲の第1集と第2集の全曲を残しており、例外的に大規模な楽曲録音となっている。取り直しの効かないアコースティック録音であることもあってか、曲の冒頭はやや安全運転で開始し、徐々にエンジンを全開していくさまは、本当に当時のバックハウスがどのようなピアニストであったのかを、後世に知らしめてくれる録音の一つであると言えるだろう。
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■ スメタナとドリーブ
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舞曲や、バレエ曲のワルツを軽快に演奏するさまからは、後年のバックハウスへの賛辞ではあるものの「鍵盤の獅子王」なるイメージとは、まるで相容れないかけ離れた演奏である。当時のバックハウスの演奏に合わせてダンスやバレエを実際に踊ることが可能である、そんな軽妙洒脱な演奏なのである。これぞ、聴いてビックリの世界だと言えるだろう。ここからは、軽快に舞う若きバックハウスの鮮やかなピアニズムが聴こえてくるのだ。
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■ ラフマニノフとアルベニス、ほか
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近現代に目を移すと、ラフマニノフは、「鐘」の俗称で知られる前奏曲作品3-2を取り上げており、アルベニスは組曲のイベリアからの1曲である。ともに難曲であるだけでなく、演奏効果抜群の楽曲でもある。さらに、モシュコフスキの奇想曲など、本当に後年のバックハウスを知っていればいるほど、凡そ信じがたい選曲であり、切れ味鋭いまさにヴィルトゥオーゾの典型的演奏なのである。
反対に古典派の演奏では、モーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」からバックハウス自身が編曲したセレナーデを2度も録音しているのだが、自らの超絶技巧を軽快に操り、一方でモーツァルトの原曲のイメージを決して損ねていない、そんな名演奏・名演技となっているのである。また、ヘンデルやスカルラッティの小品を鮮やかに弾き切った数曲の録音も、けっこう味わい深いものがあると言えるだろう。
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■ さいごに
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バックハウスのSP録音の中でも、このようなラッパ吹き込み時代の演奏だけを集成して全集化した、Pearlの2枚組復刻CDは残念ながら現在は廃盤となっているようだ。一部は他のレーベルから現在でも出ているし、もしも軽快なヴィルトゥオーゾであった時代のバックハウスを聴きたいならば、録音年が1925年より以前のものを選んで聴くと良いと思われる。そして、ショパンの練習曲集がバックハウスの若い時代の代表盤であると考えられている方も含めて、さらなる大きな驚きを、このアコースティック録音集は与えてくれるものと信じている。
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(2019年11月28日記す)
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