「わが生活と音楽より」
ビーバーのミステリー・ソナタを聴く文:ゆきのじょうさん
“薔薇よ おお清らかな矛盾 たれが夢にもあらぬ眠りを あまたなる腕のかげに宿すよろこび”
ライナー・リルケ『墓碑銘』「ダ・ヴィンチ・コード」という映画が巷で話題です。芸術作品に隠された謎というのは、人々の好奇心をそそります。
謎と呼ばれた曲と言えば、青木さんが本サイトで解説されたエルガーの「エニグマ」変奏曲 です。
ところが、クラシック音楽には、もう一つ、その名も「ミステリー」と名付けられた曲があります。そして、そのミステリーに対して、巧まずして謎解きを試みたディスクがあります。それが今回の一枚です。
ハインリヒ・イグナツ・フランツ・フォン・ビーバー
ヴァイオリンのための15のソナタと、無伴奏ヴァイオリンのためのパッサカリアズザンネ・ラウテンバッハー ヴァイオリン
ルドルフ・エヴァーハルト ハープシコード、オルガン(ポジティフ、レーガル)
ヨハネス・コッホ ヴィオラ・ダ・ガンバ
録音:1962年
米VOX(輸入盤 CDX5171)■ ミステリー その1 名無しの曲集
ビーバーは1644年チェコ生まれのヴァイオリニストで作曲家です。チェコで活躍した後に1670年ザルツブルクの宮廷楽団奏者となり、時の大司教マクシミリアン・ガンドルフ・フォン・キューエンブルクに重用され1684年には、同楽団の宮廷楽長となりました。1704年、60歳でこの世を去っています(大バッハはこの時19歳です)。多くの宗教作品を残したことでも知られていますが、ヴァイオリンのための作曲もあります。この曲集は1676年に作曲され、大司教に献呈されたと伝わっています。ところが、現存する自筆譜には表紙が欠落しています。ビーバーがどんなタイトルをつけて、どういう意図でこの曲集をつくったのか、その答えが失われています。まるで両手がどのようなポーズをしていたのか分からないミロのビーナス、いえ、顔がないのだから、サモトラケのニケのようなものです。
■ ミステリー その2 残された手がかり「版画」
さて、その曲集ですが、15曲のソナタと題された通奏低音を伴ったヴァイオリン独奏曲と、最後に無伴奏ヴァイオリンのためのパッサカリアが1曲収められています。パッサカリアを除いたソナタには、各々曲の前に版画一枚一枚ついていました。それには、キリスト教での聖母マリアの生涯を、受胎告知からキリストの受難・復活、そして戴冠までの15の場面に分かれて描かれていました。各々は以下のようになります。
第1番 《受胎告知》
第2番 《エリザベツ訪問》
第3番 《キリスト降誕》
第4番 《イエスの拝謁》
第5番 《神殿のイエス》
第6番 《オリーヴの山でのイエスの苦しみ》
第7番 《鞭打ち》
第8番 《いばらの冠をのせられ》
第9番 《十字架を背負う》
第10番 《磔刑》
第11番 《イエス復活》
第12番 《イエス昇天》
第13番 《聖霊降臨》
第14番 《聖母マリア被昇天》
第15番 《聖母マリアの戴冠》これらの挿話を、キリスト教では「秘蹟」と呼ぶのだそうです。キリストと聖母の生涯を喜び、悲しみ、栄光の三種五局面に分割し、それぞれを黙想しながら祈りを捧げる礼拝を行うのだといいます。これに倣い上記の15の秘蹟を5曲ずつ三等分にして、各々「喜びの秘蹟」「苦しみの秘蹟」「栄光の秘蹟」というように呼ぶこともあるようです。すなわち、ビーバーは「イエス・キリストと聖母マリアに捧げられ、15の秘蹟を記念する音楽」としてこの曲集を編んだのではないかと考えられました。実際、あたかも「独奏ヴァイオリンだけで宗教曲を作ろうという試みを行った野心作」などと紹介されることもあります。しかし表紙が欠落している以上、本当にそれが目的であったのかは分かりませんので、野心作と言うのは早計だと思います。
さらにもう一つ、何故最後のパッサカリアだけは「秘蹟」をつけなかったのでしょうか? この曲集についての文章の多くには触れられていませんが、パッサカリアには「秘蹟」の代わりに「子供の手を握る守護天使」の版画が添えられているのです。このためパッサカリアは聖人暦10月2日の守護天使記念に因んでいると言う説もあります。それにしても、どうしてこれだけ「秘蹟」ではなく聖人暦なのか、不自然さは残ります。
以上のミステリーは音楽と関係の薄い事柄でした。この曲集のミステリーはこれだけで終わりません。音楽としてみた場合にも、大きなミステリーがあったのです。
■ ミステリーその3 スコルダトゥーラ
「ミステリー・ソナタ」は当時としては超絶技巧を駆使した曲集となっています。一曲一曲のソナタは単一楽章から、多くても5楽章で演奏時間は4分から10分足らずですが、全曲となると2時間前後を費やします。ところがそれだけでは済みません。この曲集が特異なのはヴァイオリンの調弦にあります。
通常の5度調弦(低音からGーDーAーE)で演奏されるのは、ソナタ第1番と、最後の無伴奏でのパッサカリアだけ。あとは指定された特殊な調弦を行ってから演奏されます。その調弦法をスコルダトゥーラと言います。例えば第2番は低弦2本を1音ずつ上げる。第3番はロ短調に調弦する・・等々。第11番《イエス復活》に至っては、「4本の弦のうち中央のD線とA線を交換して張り替えろ」などというヴァイオリン弾きには卒倒するような要求をしています。
スコルダトゥーラは当時、決して珍しいものではありませんでした。ヴィヴァルディの協奏曲集“ラ・チェトラ”作品9の6でもありますし、モーツァルトも「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲変ホ長調K.364」において、ヴィオラを半音高く調弦するように指示しています。ただ、一つの曲集でこれだけ様々なスコルダトゥーラを散りばめたものは珍しいようです。
結果として、通常のヴァイオリン曲にはない幻想的、幽玄とも言うべき響きが得られています。私は一度この響きを聴くと、通常の調弦での音楽が開放的でただ単に明瞭なだけにしか聴けなくなって、しばらく気持ちを切り替えようとしないといけなくなります。「秘蹟」の版画が添えられているのに、ある意味悪魔的な魅力です。神を描く音楽の悪魔的な魅力・・・神と悪魔は人間を真ん中においたときの合わせ鏡に写る姿とどこかで聞いたことがあります。
極めて独自性豊かな曲集です。しかし演奏家からみれば実用性という点でははなはだ疑問符がつきます。運指法が異なっていて通常押さえて得られる音が出てこないことへの戸惑いは当然のことながら、1曲終わる毎に調弦をし直さなくてはならず、あげくは弦を張り替えることもしなくてはなりません。そのため一夜の演奏会で全曲弾くことは、曲間が調弦のために空きすぎて成り立ちにくいと思います。
献呈したとき、ビーバーは大司教の前で全曲を通して演奏したのでしょうか?それを聴いた大司教は何と感じたのでしょうか?それとも演奏されることなく封印されてしまったのでしょうか?当時の記録はなく、永遠の謎となっています。
■ ミステリーその4 謎は解けた?
ビーバーが大司教に献じた曲集であるという時点で宗教的なものを排除することは難しいです。さらに秘蹟のレリーフを挿入したからには、ビーバーは秘蹟との関連を連想したのかもしれません。それは単にスコルダトゥーラから得られる神秘的な響きからかもしれないし、15という曲数を秘蹟に当てはめてアピール度を高めただけだったかもしれませんし、本当に声楽なしでヴァイオリンだけで描こうした宗教曲だったのかもしれません。いずれにせよ、一つ間違えば際物扱いにされそうな曲集だからでしょうか、アナログ時代のモダン楽器での録音は大変少なく、大演奏家たちの録音はほとんどありません。
ピリオド楽器全盛となってからはいろいろな仮説が出されて、様々な試みの録音が出るようになりました。まずは、入手しやすさと録音の良さから、入門としてふさわしい一枚。
ジョン・ホロウェイ ヴァイオリン
デイヴィッド・モロニー チェンバロ
トラジコメディア
シュテファン・スタッブス バロック・リュート
エーリン・ヘッドレイ ヴィオラ・ダ・ガンバ
アンドリュー・ローレンス=キング ハープ
録音:1989年6月、英国 バークシャー、セイント・マーティン教会
VIRGIN(輸入盤 VBD5620622)おそらくピリオド楽器でのディスクとしても初期に相当すると思います。当時評判となり1991年のGramophone Awardを受賞しました。解説書を読むと、ミステリー・ソナタは「第一に瞑想的であるが、表題音楽的な要素も持つ」と書かれていて、基本的には標題音楽として捉えているようです。しかし、それ以上の突っ込んだ仮説は立てられていません。ホロウェイの演奏は標題性を雄弁に語ることも、超絶技巧を誇示することもしません。ゆったりと大きな起伏をもって奏でます。まさに、深い瞑想の境地とも言えます。聴き手によってはあっさりとして物足りないという方もいるようです。しかし、文字通りノーブルで、品格の高い演奏で飽きのこないディスクだと思います。
次に、最近のディスクでもその企画意図から異彩を放つディスクです。
パヴロ・ベズノシウク ヴァイオリン
デイヴィッド・ロブロウ チェンバロ
ポーラ・シャトーネウフ テオルボ、アーチリュート
リチャード・タニクリフェ ヴィオラ・ダ・ガンバ、ヴィオローネ
ティモシー・ウェスト 朗読
録音:2003年11月30日-12月4日、英国 グロスターシャー、セイント・アンドリュー教会
英AVIE(輸入盤 AV0038)ビーバーがミステリー・ソナタを宗教曲として作ったという仮説を真正面から取り組んだものです。驚くべきことに、一つ一つのソナタが意味するものを、曲の演奏の前に、秘蹟についての祈祷書を朗読することで解題するという、あからさまと言えば、余りにあからさまな企画です。祈祷書は英国国立図書館に架蔵されているものが使用されました。解説書では一つ一つのソナタの曲作りは秘蹟に準えていて、そして一曲一曲のソナタの旋律にも。各々の秘蹟で描かれているエピソードが描写されている、とも解説しています。
ここでキーワードとなっているのがロザリオ信徒会というキリスト教の団体です。15の秘蹟について祈るための祈祷書をロザリオ信徒会(ロザリオ祈祷会)が発行し、活発に活動していた頃が、ビーバーが活躍した時期と一致します。そしてロザリオ祈祷を音楽とともに行うことを主張する宗派が、ビーバーがいたザルツブルクで支部を持っていました。信徒たちはザルツブルク大学の「アウラ・アカデミカ」講義堂で集会を行っていて、その講義堂には今なお15の秘蹟が描かれています。このことから、ミステリー・ソナタはこの講義堂で祈祷とともに演奏されたのだと推定しています。
朗読を担当しているティモシー・ウェストは英国の舞台俳優で、映画では「ジャッカルの日」「遠い夜明け」などに出演しているとのことですが、映画では余り印象には残っていません。しかし、ここではとても劇的に語りを行っていて印象に残ります。肝心の演奏は大変素朴な響きです。教会音楽というより時には牧歌的ですらあり、中世の民族音楽のようです。朗読から演奏への移り変わりも、想像したよりは違和感がありません。曲調によっては演奏までの合間をたっぷりとったりして、流れが自然になるように考えられています。通奏低音もソナタ第12番《イエス昇天》の冒頭では、びっくりするくらい大きな音響で荘重に始まるなど、時に雄弁となります。
問題となる調弦は祈祷の間に行えば良いのですから、ミステリー・ソナタは祈祷に付随した音楽として作られたという説にもなんとなく納得してしまう演奏だと思います。ベズノシウクの演奏は、最初は線が細いように感じますが、最後のパッサカリアなどは感興豊かに弾いています。個人的にはとても気に入った一枚です。
さて、三つ目は、ミステリー・ソナタを秘蹟とは無関係とする野心的な仮説を出したディスクです。
アンサンブル・リリアルテ
ルディガー・ロッター ヴァイオリン
オルガ・ワッツ チェンバロ、オルガン
アクセル・ヴォルフ リュート、テオルボ
録音:2004年5月3、4日 ドイツ ミュンヘン、アレルハイリゲン教会でのライヴ
欧州OEHMS(輸入盤 OC514)まず驚かされるのが、このディスクがビーバー没後300年を記念したライヴ録音であるという点です。もちろん、ライヴとしては世界初録音になります。ライヴで行う場合、前述のように調弦方法が曲によって異なるため、祈祷でも間になければ、曲間に調弦しなおすことは困難です。それを解決する方法として、演奏者のロッターは、3挺のヴァイオリンを用意すれば良いと言います。ソナタを第1番からヴァイオリンを1-2-3-2-1-1-2-3-2-1-1-2-3-2-1という順番で弾いていくようにすると、各々のヴァイオリンでは曲ごとの調弦は楽に行え、その結果全曲のライヴ演奏を可能となると言い、実現してみせたのです。
さらにロッターは、秘蹟を描いたとするなら、悲しみをテーマにした秘蹟においても、ソナタが長調で作曲されているなど矛盾が多い。それよりは単純に舞曲として考えた方が自然である。そして、この曲集の根底には数学的なモチーフが多く隠されていると言います。例えば
(1)3挺の各ヴァイオリンが担当する曲のソナタ番号を合計すると4の倍数になっている。
(2)3挺の各ヴァイオリンの調弦の度数を合計すると各々33、39,27と今度は全部3の倍数になっている。
(3)ヴァイオリン1と2の度数を足すと72でヴァイオリン3の27の桁を入れ替えた数列になっていて、すべてを足すと99となる・・・などなど。
さらには(その解説は音楽学の知識がない私には理解が難しいのですが)1619年(ミステリー・ソナタが発表される約70年前)にケプラーが発表したハルモニア・ムンディ(惑星和音)という概念をビーバーがミステリー・ソナタのスコルダトゥーラに取り入れているとも言います。すなわちミステリー・ソナタは譜面上、秘蹟を準えているように見せているが、実は数学や天文学の知識を駆使したものであるというわけです。
さて、このような小難しい解釈をさておいても、ロッターの演奏は大変刺激的です。舞曲的な側面を強調しており、狂瀾怒濤とも言えるうねりが押し寄せます。通奏低音とともに切れ込みの鋭い演奏で、聴かせ方は抜群です。ロック音楽のようでもあり、聴き手に心地よい興奮を与えます。
■ ミステリーその5
秘蹟を英語ではミステリーと言います。だから、ミステリー・ソナタは「謎に満ちたソナタ」という意味ではなく、本当は「秘蹟を描いたソナタ」という意味で使われています。ミステリー・ソナタは、別名を「ロザリオのソナタ」「ロザリー・ソナタ」(ドイツ語では「Die Rosenkranz-Sonaten」)とも呼ばれます。ロザリオとは「薔薇(の花園)」という意味で、キリスト教では薔薇は聖母マリアの象徴としています。聖母マリアに捧げる祈祷の方法や、またその際に用いられる数珠をロザリオと呼んだりもします。
ズザンネ・ラウテンバッハーは、以前バッハ/無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータで紹介したドイツの女流ヴァイオリニストです。生年は1932年(1939年という記述もあり)ですので、ミステリー・ソナタ録音時は30歳頃ということになります。勿論(現存するCDでは、唯一)モダン楽器での演奏です。おそらくはこの曲集の研究がそれほど進んでいなかった時代かもしれません。演奏は誠に正攻法でインテンポ、作為という作為を感じません。あるがままに演奏したという風情。スコルダトゥーラの響きのコントラストもそのまま表しているようです。
一聴すれば、音楽をあるがままに、ひたすら美しく演奏しようとした、とも受け取れます。外国の評論でも、最初に紹介したホロウェイ盤と同列にとる人がいます。
しかし、私は断じてそうは思えないのです。ホロウェイ盤は確かに祈りや、崇高な美を探求していると感じます。一方、ラウテンバッハーは何かに近づこうとしたり、何かを祈ろうとしたり、何かを求めようとすることから背を向けているようです。孤高になるという安直な意志ではありません。孤高になるというのも何かを求めることだからです。ラウテンバッハーはむしろ全てのものから遠ざかろうとしています。そう、ラウテンバッハー盤から感じるのは「死」とも言えます。死を恐れたり、救済を求めたりするのではなく、ただたどり着いた先、めぐり逢ったものが死に過ぎなかったというイメージです。
その結果、ラウテンバッハー盤から感じるのは、単なる美ではありません。虚空、虚無・・・見ようとして見えない、聴こうとして聴こえない、そしてそれを求めない、そういう世界観を感じます。例えば第9番は《十字架を背負う》というタイトルと異なり、悲嘆などの響きはなく、あるのは虚ろな侘びしさのみです。
ビーバーが、ミステリー・ソナタで何を目指したのか、それはおそらく、永遠の謎です。謎には真実があるはずです。真実があるのなら解き明かしたい、あるいは求めたい、その衝動は芸術家ならずとも人間誰しもが抱く感情でしょう。ミロのビーナスの両手が何をしていたのか、サモトラケのニケがどういう顔であったのか、「なぜ」「なに」「どうして」そういう衝動が様々な創造を生み出す源流になったことも否定できません。ミステリー・ソナタと格闘し、様々な創造が、近年あまたのディスクとなって登場しています。今回取りあげなかったディスクにも名盤の誉れ高いものが幾つもあります。
ラウテンバッハー盤は、それらとは別次元で一つの答えを出してくれていると私は思います。謎は謎、見ようとしても見えない、聴こうとして聴こえない、そしてそれを求めない。全ては虚無・・・最終曲の無伴奏ヴァイオリンのためのパッサカリアは、音楽が抗うことができず、霧散していくように演奏されます。
“昨日の薔薇はただその名のみ、むなしきその名をわれらは手にする”
ウンベルト・エコ『薔薇の名前』(元々はホイジンガ『中世の秋』で引用されているバーナード・オブ・モーレーの六脚韻詩)
2006年4月29日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記