「わが生活と音楽より」
クリスティナ・ビイェルケによる二枚の女性作曲家のディスクを聴く文:ゆきのじょうさん
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ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼル(Fanny Mendelssohn Hensel, 1805-1847)
一年〜ピアノのための12の性格的小品(1841)
一月:幻想曲風のアダージョ
二月:プレスト
三月:前奏曲とコラール
四月:カプリチオーソ
五月:春の歌
六月:セレナード
七月:ラルゲット
八月:アレグロ
九月:アンダンテ・コン・モート
十月:アレグロ・コン・スピリト
十一月:メスト
十二月:アレグロ・モルト
後奏曲:コラール
クリスティナ・ビイェルケ ピアノ
録音時:2021年12月、2022年6月、デンマーク、オーデンセ、デンマーク国立音楽アカデミー
デンマークDanacord DACOCD 957
ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼルは、言わずと知れたフェリックス・メンデルスゾーン=バルトルディ(1809-1847)の姉です。フェリックスと同様に幼小から音楽の才に恵まれ、フェリックスの作品に助言するほどであったそうです。しかし、当時は女性が作曲や演奏を生業とすることを認めない風潮であったため、ファニー・メンデルスゾーンが表舞台で活躍することはありませんでした。この『一年』も生前に出版されることなく、自筆譜は夫が挿し絵を加えた形でメンデルスゾーン家に保管され、出版されたのはファニー・メンデルスゾーンの死後142年経った1989年だったそうです。現在は、ネットで無料閲覧することができます。(パブリックドメイン)
『一年』は、ファニー・メンデルスゾーンが夫のヴィルヘルム・ヘンゼルと共に一年間イタリアに旅行した想い出を元に作曲されました。コラールをのぞく12曲はすべて調性が異なり、関連した調で並んでおり、形式もソナタ形式、ロンド形式、変奏曲、無言歌など様々な様式がとられているそうです。各月は具体的な描写ではなく、心象風景とも言うべき表現になっています。この曲のディスクは少なくありません。その中でもビイェルケの演奏は叙情性よりは構成美を重んじているように感じます。ゆったりとした「一月」から、アタッカで急転直下する「二月」のように緩急が大きくつけられていて、「六月」では曲想によって細かくテンポが揺らぎ、哀切を込めていきます。「八月」は適度なエコーがかかって、真夏というよりは高原のような爽やかさをもたらしています。個人的に全曲中の白眉は「11月」です。冒頭の音楽は止まらんかぎりの虚無感から始まり、次第にテンポを速めながら哀切を込めていきます。曲想は不意に速まるのですが、そこから主部とも言える部分に至ります。そこまでのテンポ設定がじつに見事です。さらに主部は霧散して冒頭の虚無感が回帰するのですが、そこに唐突にフィナーレがスケール大きくかぶさって終わります。この一曲だけでもうならされる演奏だと思いました。讃美歌「高きみ空より我は来たりぬ」が挿入される「十二月」に続いて後奏曲「コラール」は、J.S.バッハ/コラール BWV614 にも採用されている「古い年は今過ぎ去り」をビイェルケは静かに、そしてうねるように演奏して、幕を閉じます。
■ オダマキの花が2本 クララ・シューマン、リリ・ブーランジェ歌曲集
クララ・シューマン(1819-1896):
● 6つの歌曲 Op.13(ハイネ、ガイベル、リュッケルトの詩)
暗い夢のなかにいた
彼らは愛しあっていた
愛の魔法
月は静かに昇った
私はあなたの瞳に
もの言わぬはすの花
● 3つの詩 Op.12(フリードリヒ・リュッケルトの『愛の春』から)
風雨の中を彼はやってきた
美しいがために私を愛するのなら
なぜ他の人にたずねるのか
リリ・ブーランジェ(1893-1918):
● 空のひろがり(フランシス・ジャムの詩)
彼女は野原から谷へ下りていった
彼女はとてもおおらかだ
時どき僕は悲しくなる
ある詩人が言った
僕のベッドの足元に
これが全部ただのくだらない夢で
言葉にしなくてもいいくらい愛し合おう
あなたは魂をこめて僕を見つめた
去年咲いたライラックは
オダマキの花が2本
どうして僕が苦しんだかというと
彼女のもっていたメダルが僕の手元にある
明日でちょうど一年だ
デュオ・ボルス&ビイェルケ
ニナ・ボルス=ロングレーン ソプラノ
クリスティナ・ビイェルケ ピアノ
録音:2020年6月、デンマーク、オーデンセ、デンマーク国立音楽アカデミー
デンマークDanacord DACOCD 959
ビイェルケは、ソプラノ歌手のボルス=ロングレーンと2017年からデュオ活動を続けていています。2020年にロスキレ音楽協会による女性作曲家作品のコンサートでクララ・シューマンとリリ・ブーランジェの歌曲を採りあげたところ、好評を博したためセッション録音が実現したとのことです。ファニー・メンデルスゾーンでは攻めた演奏をしていたビイェルケですが、ここではボルス=ロングレーンにぴたりと寄り添い、柔らかく包み込むような演奏を繰り広げています。そのボルス=ロングレーンは技術的にはまったく問題がなく、可憐な音色でありながら陰翳も豊かです。
前半のクララ・シューマンの歌曲は、ボルス=ロングレーンの陰翳がきわめて効果的に作用しています。ビイェルケのピアノはかつて聴いたクララ・シューマンのピアノ曲集と同じように密やかさとか、奥ゆかしさなどは微塵も意識せずに剛直に音を積み重ねています。しかしながら歌曲の伴奏という立場での立ち位置はきちんと守っており、このバランスが聴き手にほどよい興奮をもたらしています。
これがリリ・ブーランジェになると、様相が一変します。リリ・ブーランジェはこれまでピアノ曲は聴いていましたが、歌曲は初めてでした。第一曲「彼女は野原から谷へ下りていった」こそ、穏やかな音韻の進行でしたが、次第に小骨が刺さるような刺激が加わってきます。それらは不快ではなく、例えば第5曲「僕のベッドの足元に」や第6曲「これが全部ただのくだらない夢で」においては、感情をえぐるような響きが加わり前衛的な色合いがありながらも、聴き手をほどよい興奮に誘います。そして本アルバムタイトルになっている第10曲「オダマキの花が2本」になりますと、和声がかなり自由度が高くなっているのですが、ビイェルケは暗い深淵に聴き手を招き、そこにボルス=ロングレーンが秘めやかに輝きを与えています。最後の第13曲は「明日でちょうど一年だ」です。奇しくも先のファニー・メンデルスゾーンの『一年』に連関していました。まったくの偶然ながら曲数も同じ13曲です。誠に聴き応えのある大団円でした。■
クリスティナ・ビイェルケによる二枚の女性作曲家のアルバムは、CD番号順に聴いていきますと、一つの物語のようになっていると思いました。ファニー・メンデルスゾーンとクララ・シューマンの間に邂逅があったのかどうかは記録がないようですが、その間隙をリリ・ブーランジェが埋めているかのようにも思いました。もちろん、リリ・ブーランジェが、ファニー・メンデルスゾーンとクララ・シューマンを知っていたのかはわかりません。そんな軌跡の巡り合いに思いをはせるような、ビイェルケの企みであったと思いたい二枚のCDでした。
2025年3月22日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記