クリスティナ・ビイェルケ(ビョアケー、ビェルケ)を聴く

文:ゆきのじょうさん

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■ はじめに  略歴、呼び方、出会いなど 

 

 クリスティナ・ビイェルケは1970年デンマークに生まれ、5歳より母親からピアノの手ほどきを受けました。1978年、テレーセ・コペルに認められて1990年まで教わります。この間、いくつかのコンクールで優勝歴があります。1990年からジュリアード音楽院で学びディプロマを取得。母国に戻り、デンマーク王立音楽アカデミーでアネ・エランに師事して1997年にデビューしました。国内外(欧州、アメリカ)で、リサイタル、室内楽、協奏曲のソリストとして演奏活動をしているそうです。2001年(2003年という記載もあり)よりカール・ニールセン音楽アカデミーの助教授のポストについています。以上、複数のディスクの解説書から引用してまとめました。中国でリサイタルを開いたと記載されていますが来日経験はないようです。調べた限りで公式サイトも存在しません。

 なお、日本語表記ですが最近は「ビョアケー」という表記を多く目にします。また「ビェルケ」という表記もありますが、これはスウェーデンの世界遺産の一つ、バイキングの遺跡であるビルカが存在する島の名前に準えているものと推察します。しかし、「ビェルケ」島の表記はBjorkoで、「o」はウムラウトが付いている文字「ö」です。一方、今回採り上げるピアニストはBjorkoeであり、「o」はデンマーク語で「ø」を用いています。「ö」も「ø」も起源は同じようなのですが、スウェーデン語とデンマーク語でどれほどの違いを見いだすのか、両言語にはまったく疎い私ですのでよくわかりません。本稿では、私が初めてこのピアニストの演奏に巡り会ったときの日本語表記であった「ビイェルケ」で統一させていただきます。

 さて、私がビイェルケというピアニストの存在を知ったのは、拙稿「二人の女性ピアニストによるバッハのゴルトベルク変奏曲を聴く」で採り上げたように、彼女の弾くゴルトベルク変奏曲を聴いて衝撃を受けたからです。なお、このディスクについては、その後、松本さんの壮大な論説である「バッハ《ゴルトベルク変奏曲》をひたすらピアノ演奏で聴く」でも採り上げていただいたことを付記させていただきます。さて、ビイェルケについて調べていくとバッハと同じレーベルであるCLASSICOのカタログに他にもディスクがあることを知り、これらも聴いてみようと思い立ちました。しかし、このレーベルは日本国内にはほとんど入ってこない上に、2009年現在ではほぼ活動を停止しているという情報もあり、入手するのは一苦労でした。まず、本稿では、そのCLASSICOレーベルのディスクから紹介していくことにします。なお、以下のディスクのピアノ演奏はすべてクリスティナ・ビイェルケですので、省略しております。

 

■ CLASSICOレーベル作品 

CDジャケット

ショパン:
24の前奏曲集作品28
ノクターン作品27の1、2
マズルカ作品17の1、2,4
ワルツ作品70の2、3

録音;1999年8月、ビルケロッド、マンツィウスガーデン
デンマークCLASSICO(輸入盤 CLASSCD292)
独Scandinavian Classics(輸入盤 220561-205)CLASSICOレーベルからのライセンス廉価盤

 最初、このショパンをScandinavian Classics盤で聴きました。バッハ以上に自由闊達に演奏していると感じ、24曲としてのまとまりはほとんど感じられないとすら思ったものです。しかし、オリジナルのCLASSICO盤と聴くことができた時に最初の感想とは異なる印象を持ちました。Scandinavian Classics盤では、やや遠目の音像でぼやけ気味であったため、テンポの緩急ばかりが目立って耳に入ってきたのですが、CLASSICO盤ではもっと生々しく音が迫ってきており、左右の手が作り出す色彩の違いが加わるからです。従って、各々をてんでばらばらに弾いているのかというとそうではなく、曲のつながりを考えてアタッカにしたり、十分間をとったりしているのだと分かります。従って、バッハと同じように、その場の思いつきでの演奏ではなく十分考えられた上での天衣無縫ぶりなのだと感じました。ビイェルケの演奏ぶりの比較としてあげられやすいのはアルゲリッチでしょう。アルゲリッチの同曲集は、まず「ショパンの音楽(語法?)」はどういうものかという視点を決めた上で各曲を描き分けていっていると私は感じるのですが、ビイェルケは土台となる「ショパンの音楽」という伝統に拘らずに各曲を演奏しているように思います。音色はヒンヤリとした明晰さに満ちており、テンポの揺れ具合も含めて、いわゆる「らしさ」がない演奏です。ショパン好きから見ると明らかに異端な演奏でしょう。それでも、私を惹きつけて止まない一枚です。以前、拙稿「わたしのショパンを聴く」で思い出の曲として採り上げたワルツ作品70の2は、何も考えずに弾きとばしているように聴こえますが、前の音の響きを残しながら次の音を重ねていくよう演奏しており、私はいたく感心しました。続く作品70の3も併せて、「ワルツならではの三拍子」という作り方ではないのが新鮮に感じたのです。

CDジャケット

J.S.バッハ:
ゴルトベルク変奏曲BWV988

2000年10月、ビルケロッド、マンツィウスガーデン
デンマークCLASSICO(輸入盤 CLASSCD360)
独SCANDIAVIAN CLASSICS(輸入盤 220590-205)CLASSICOレーベルからのライセンス廉価盤

 この2枚目のディスクにつきましては、前述の通り、拙稿で採り上げておりますので、本稿では省略させていただきます。

CDジャケット

W.A.モーツァルト:
ピアノ協奏曲第21番 ハ長調KV467
同 第23番 イ長調KV488
(カップリングは、交響曲第32番ト長調KV318、歌劇「牧人の王」序曲KV208)

ダグラス・ボストック指揮チェコ室内管弦楽団

録音;2001年2月、パルドヴィシェ
デンマークCLASSICO(輸入盤 CLASSCD369)

 このシリーズ唯一というだけではなく、私が知りうる限り、現在ビイェルケ唯一の協奏曲のディスクです。モーツァルトがビイェルケのレパートリーとなっているのかどうかは分かりませんが、このディスクでも衝撃を受けました。冒頭の第21番でオーケストラの奏でる、いかにもモーツァルトらしい柔和なたたずまいを持つ前奏が一息つくと、ビイェルケはまるで一人ぼっちで弾き始めたかのような、冷徹な響きを繰り出すのです。ここでもフレーズごとのありがちな「揺れ」が一切無視されており、仮借ないインテンポと、突然急ブレーキのように襲ってくる揺れと響きの変化の応酬です。その中で今までの二枚と異なって特筆すべきは、左手が作り出す低音部です。録音方法が違うのかピアノが違うからなのか響きが深くて今までと同じ高音部の研ぎ澄まされた冷たい音色と溶け合って音楽の構えが大きくなっています。ビイェルケの演奏を聴いていると、拙稿「2人のジャズピアニストでモーツァルトを聴く」で採り上げた、キース・ジャレットやチック・コリアの方が、まだモーツァルトらしいと感じる人が多いだろうと想像します。指揮者とオーケストラは対照的に「いつもながらの」モーツァルト演奏に徹しようとしていますが、ビイェルケから「私はこう弾くから、付いて来られるのなら付いてきなさい」とでも言われているように、ソロが入ると明らかに音楽の進め方が変わっています。第21番の第二楽章ではそれがより顕著で、ビイェルケが目指すテンポと響きに付いていくことが出来なくなっている瞬間も正直なところ散見できます。しかし、全体としては柔らかい響きで包み込むように演奏しているので、ソロとの対比は鮮やかに得られています。第23番でも、ビイェルケは自分の音楽が明確にあって、それをひたすらに表現しています。最初こそは第21番より穏当に弾き始めていますが、途中から指の間からすり抜けていくように、軽やかでそれでいて一つ一つの音をくっきりと刻印する演奏が顕わになっていきます。特にピリオド楽器のような癖があるわけでもないのですが、実に独特な演奏です。

 私は素人ゆえに学問的視点は持ち合わせていないのですが音符の数え方が違うかのような印象があります。すなわち、モーツァルトだったら、という音符の間の「伸び縮みのルール」が暗黙に存在するが、ビイェルケはそのルールではない方法で音符を数えているという風情なのです。それでいて破天荒で崩壊した演奏ではなく説得力を持って迫ってくるのが、この演奏家の魅力と私が感じるところなのだろうと思います。一方で、ソリストの個性を理解してぴたりと付けていくような指揮者はそうそういるものではないことも想像できます。従って、ここでのボストックは健闘していると言ってよいのでしょう。交響曲や序曲など自分たちだけの演奏になると、なにやらほっとしているように演奏しているので、ビイェルケとの共演はかなりの緊張を要したのだろうな、と想像してしまいます。

CDジャケット

クララ・シューマン:
ロベルト・シューマンの主題による変奏曲作品20
前奏曲とフーガ ト短調作品16の1
ロマンス ト短調作品21の3
ロベルト・シューマン:
幻想曲 ハ長調作品17 

録音:2003年8月、コペンハーゲン、王立デンマーク図書館(ブラックダイアモンド)
デンマークCLASSICO(輸入盤 CLASSCD445)

 ショパン、バッハ、モーツァルトと録音してきて次はシューマンというのも、ちょっと変化球のように感じます。しかも、ロベルトではなくクララ・シューマンの作品を中心に据えて、夫妻の音楽を鳥瞰する趣向のアルバムです。

 私はこのディスクを手にするまで、クララの作品は正直ほとんど聴いたことがありませんでした。2009年にはクララとロベルト・シューマン、そしてブラームスの交流を描いた映画「クララ・シューマン 愛の協奏曲」が公開され、それに因んでか同年7月16日の新日本フィル定期演奏会でもクララ・シューマンのピアノ協奏曲作品7が採り上げられています。私はこの演奏会には、独奏者がクレール=マリー・ル・ゲであったという理由だけで聴きに行きました。

 以上のような理由からクララ・シューマンにおけるビイェルケの演奏の位置づけについて、最初は分かりかねました。そこでいくつかのディスクを買い求めて聴き比べてみたところ、やはりビイェルケの演奏はかなり独特なものであるという印象を持ちました。

 

■ 比較盤その1 

CDジャケット

クララ・シューマン ピアノ作品全集

ヨゼフ・デ・ベーンハウワー ピアノ

録音:1990年8月15-18日、オランダ、1991年4月10-13日、8月21-24日、ベルギー
独cpo (輸入盤 999 758-2)

 

■ 比較盤その2 

CDジャケット

クララ・シューマン ピアノ作品全集

スザンヌ・グリュツマン ピアノ

録音:1995年2月、10月、ベルリン、ベルリン放送スタジオ10
独Profil/Hanssler (輸入盤 PH07065)

 ベーンハウワーはじっくりと、かつ重厚に演奏しています。使用しているピアノのためでしょうか、輝きよりはブラームスのような深い響きに勝り、雰囲気はとても豊かです。ここにはロベルト・シューマンに寄り添ったクララ、というイメージを感じることができると思います。グリュツマンは、音の粒立ちがよりはっきりしており、旋律は甘くせつなく動きます。クララをショパンのような「一人の」作曲家として見据えた視点だと感じます。他方、ビイェルケの演奏はいずれとも違う演奏です。密やかさとか、奥ゆかしさなどは微塵も意識せずに剛直に音を積み重ねています。それも切れ味の鋭い刃物で刻んだような断面を持っているので、スケールは比べようもなく大きく感じます。そこにはクララ・シューマンという作曲家がいないではないかという批判も当然あるでしょう。楽譜という記号からのみで無機質に演奏していると言われても仕方がないかもしれません。ここにはビイェルケが考える音楽があります。それも思いつきとか、奇をてらったとかいう次元ではない確信を感じてしまうのです。

 ここまで聴いてきたビイェルケというピアニストは、既存の作曲家あるいは曲のイメージに頓着することはなく楽譜から受けた自身のイメージをまず重視して、それを類い希な澄み切った怜悧な響きで演奏するという孤高の芸術家のような印象でした。そして、ビイェルケはCLASSICOレーベルでしか聴けないピアニストなのかと当初は捉えていました。しかしながら、なお調べていきますとCLASSICOレーベルから出る前にcpoレーベルで室内楽のディスクを作っていることが分かりました。

 

■ cpoレーベル作品 

 

 ビイェルケのCDデビューは、CLASSICOレーベルからデビューする前、1998年に発売された次のグラスのディスクだと思います。

CDジャケット

ルイ・グラス(1864-1936):
ヴァイオリン・ソナタ第1番変ホ長調作品7
第2番ハ長調作品29
チェロ・ソナタヘ長調作品5

アーネ・バルク=メラー ヴァイオリン
ヘンリク・ブレンドストルプ チェロ

録音:1997年2月24-26日、デンマーク、ラジオハウス・コンサートホール
独cpo(輸入盤 999 548-2) 

 ルイ・グラスはビイェルケの母国デンマークの作曲家です。ブルックナー(1824-1896)よりやや後、マーラー(1860-1911)やシェーンベルク(1874-1951)とほぼ同じ時期に活動していました。そして同じデンマークの作曲家として現在一番著名なカール・ニールセン(1865–1931)とほぼ同時代を生きていました。しかし、ニールセンに比べて、グラスという作曲家はほとんど聴いたことがありませんでした。それもそのはず、このCDの解説書によると(このディスクが発売された1998年当時において)デンマーク国内でも知られておらず、グラスについて書かれた伝記も存在せず、作品もわずかしか出版されておらず、もちろんCDもほとんどないという状態であったようです。なお、ゲンダイオンガクの作曲家でミニマル音楽として著名であるフィリップ・グラスとは勿論関係はありません。

 モーツァルトの協奏曲ではあれほど我が道を行くような演奏をしていたビイェルケが、母国の作曲家での室内楽ではどんな演奏をしているのだろうと、2曲とも30分前後の大曲であるヴァイオリン・ソナタから興味をもって聴き始めました。CLASSICOレーベルの一連のディスクほどの先鋭さを感じなかったのは、曲そのものになじみが薄いこともあるのかもしれません。グラスの曲は決して聴きづらいものではありません。一方で個性が強いわけではないとも言えます。私には第2番がより彫りが深い曲調だと感じました。さて、ビイェルケは単なる伴奏に留まってはいない弾きぶりです。バルク=メラーのヴァイオリンが決して骨太な演奏ではないこともありますが、堂々と響くピアノです。そして、どんなに単調な音型であっても弛緩した響きを作らないのがビイェルケの秀でたところだと思います。それ故に曲そのものも冗長にならずに引き締まった印象を残してくれています。ただヴァイオリンに合わせているという演奏ではまったくないどころか、むしろビイェルケが主導権を持っているところも多く聴くことができます。これは続くチェロ・ソナタではより顕著になっていると感じました。

 cpoレーベルでのビイェルケには、もう一枚、2005年に出たグラスの室内楽のディスクがあります。

CDジャケット

ルイ・グラス(1864-1936):
ピアノ五重奏曲ハ長調作品22
(カップリングは弦楽六重奏曲ト長調作品15)

コペンハーゲン・クラシック

録音: 2003年3月23-25日、デンマーク、ラジオハウス・コンサートホール
独cpo(輸入盤 777 063-2)

 コペンハーゲン・クラシックという室内楽アンサンブルは、弦楽六重奏を基本として必要に応じてピアノや木管が加わるという柔軟なスタイルだそうです。前のディスクで共演したバルク=メラーやブレンドストルプもメンバーになっています。ジャケットのクレジットには「コペンハーゲン・クラシック」としか記されていませんので、ビイェルケもメンバーとして参加することが多いのかもしれません。

 グラスは最初、音楽家であった父からピアノとチェロの手ほどきを受け、やがてニルス・ウィルヘルム・ゲーゼ(1817-90)から作曲を学びます。ゲーゼは19世紀前半から始まったデンマーク音楽ルネサンスの中心的人物で、いわば近代デンマーク音楽の始祖のような存在でした。その後グラスはブリュッセル音楽院で学び、セザール・フランクやブルックナーの作品に接するようになり、自身の作風に影響を与えたとされているようです。確かにピアノ五重奏曲の構えは大きく解説書でも触れているように、第一楽章や第二楽章の終わりはブルックナーの交響曲に似た雰囲気を滲ませています。ビイェルケはかなり打鍵が厳しく、豪快にピアノを鳴らしています。さほどピアノが際だつような構成ではないのですが、きびきびと曲を進めていくので扇の要のように、その存在感は強烈ものです。第四楽章冒頭の弦との掛け合いも申し分ない白熱の演奏を繰り広げています。これはもっと聴かれてもよい曲だと思いました。

 さて、ビイェルケはその後活動の中心を、デンマークのDACAPOレーベルに移すようになりました。そこでもデンマークの作曲家の、もっぱら室内楽のディスクを録音しています。

 

■ DACAPOレーベル作品 

CDジャケット

クヌーズオーエ・リスエア (1897-1974) ピアノ作品集

ピアノソナタ 作品22 (1931) 
2つの小品 (1933)
バレエ音楽「乳と蜜の流れる土地」から4つの小品 (エーロフ・ニールセン 編曲)
子守歌
揺り椅子
キャンディの王女
スプリングダンス
ソナティナ (1950) 
バレエ音楽「郵便馬車で来た12人」からワルツ「5月」
子供のための4つのピアノの小品 (1964)
サラバンド
複調
カノン風のデュエット
デュエット
4つの風刺詩 (1921)
レント
ブルラ
アンダンテ
カプリッチョ (Capriccio)
幸せなトランペットとその他のピアノの小品  
小ポルカ
せっかちな
ひとりぼっち
しゃれ者
(舞踊学校の) 手回しオルガン
幸せなトランペット

録音:2003年12月13日、2004年1月31日、3月27日、オーデンセ、カール・ニールセン音楽アカデミー
デンマークDACAPO (輸入盤  8.226004)

 私が知る限り、DACAPOレーベルでのビイェルケの最初のソロ・ディスクだと思います。作曲家は「クヌドーゲ・リーサゲル」と表記したのもありますが、おそらくデンマーク語の発音からは「クヌーズオーエ・リスエア」が近いのでしょう。リスエアは、時代としてはニールセンやグラスよりは後の世代になります。元々は政治学を学び、その後公務員となって最後には財務省の重職に就いていたそうです。こう書きますと全く音楽と無縁の人生かのように思いますが、大学時代に音楽についても学んで、その後パリに留学します。そこでは主にルーセルに師事し、他にもサティ、プロコフィエフ、オネゲル、バルトークなどからも影響を受けたのだそうです。

 そんな経歴だからでしょうか、1曲目のピアノソナタからして音は無鉄砲と言えるほど跳ね飛んでおり、どこに向かって音楽が収束していくのか分からない印象があります。どことはなく不気味なジャケットと合わせてこれはとんでもない音楽なのかも、という心配すらしてきます。しかし、続く2つの小品やバレエ音楽「乳と蜜の流れる土地」から4つの小品と聴き進めるとそんな予想をあざ笑うかのように洒脱な旋律が登場したりもします。いずれにせよ、ニールセンやグラスのような穏和な音楽とは一線を画しています。実際、リスエアはニールセンを中心としたデンマークの音楽の流れ(伝統?)に公然と異を唱え、財務省を退職後は王立音楽アカデミーの院長職を狙ったが果たせず彼の後継者もなく孤高の作曲家だったようです。現在ではデンマーク音楽の新たな展開をもたらしたという功績が評価されています。

 さて、ビイェルケの演奏はリスエアの作風と実によく合っていると感じました。どのような経緯でこのディスクが制作されたのかはうかがい知れませんが、まるでビイェルケが望んで録音したかのような活き活きとした楽しげな演奏です。CLASSICOレーベルにおける一連の演奏では破格と移ったビイェルケの解釈は、リスエアのディスクではまったく自然に聴くことができます。その中でもワルツ「5月」が2分強という短い曲ながらもビイェルケは一切手を抜かずに一音一音紡ぎ出しており、圧巻でした。

CDジャケット

ロマンティック・ヴァイオリン・ソナタ

ヘーコン・ベアセン (1876-1954);
ヴァイオリン・ソナタイ短調作品13 (1907)
ルイ・グラス (1864-1936):
ヴァイオリン・ソナタ第1番変ホ長調作品7 (1888)
フィニ・ヘンリケス (1867-1940):
ヴァイオリンとピアノのためのマズルカ作品35 (1911)
子守歌 (c.1915)

アーネ・バルク=メラー ヴァイオリン

録音:2000年3月29-31日(ベアセン)、2004年9月22-24日(グラス、ヘンリケス)、オーデンセ、カール・ニールセン音楽アカデミー
デンマークDACAPO(輸入盤 8.226005)

 cpoレーベルにおける彼女自身のデビュー盤で共演していたバルク=メラーと再びコンビを組んでのディスクです。ルイ・グラスとほぼ同時代、すなわちニールセンと同時代の国際的には知られていない作曲家たちの、19世紀末に重要なジャンルとなっていたヴァイオリン・ソナタを中心に採り上げています。1曲目のベアセンは、当時デンマーク王立管弦楽団の指揮者でもあったノルウェーの作曲家スヴェンセンに師事したという経緯から、ノルウェー民族音楽の色合いが作風に入っていると書かれています。なるほどそんな印象もありますが、何と言ってもアルバムタイトルの通りに実にロマンティックな曲です。ビイェルケのピアノはやはり冷たく、時に燃え盛って豪快に打ち鳴らしています。特に第二楽章での盛り上がりに感銘を受けました。2曲目には、cpoでも録音した、グラスのヴァイオリン・ソナタ第1番です。録音年月日と録音場所のデータを信頼すれば、両者は別の録音ということになります。確かに演奏はcpo盤に比べるとまとまりと、勢いが増しており演奏時間も3分ほど速くなっています。最後のヘンリケスは、ヴァイオリニストでもありピアニストとしても活躍したそうです。ヴァイオリン独奏の作品を多く作曲し、同時代のフリッツ・クライスラーのデンマーク版と言える存在であったと書かれています。マズルカは技巧的なヴァイオリンが魅力的ですが、ビイェルケはここでも脇になることは少ない演奏をしています。たとえばヴァイオリンがフラジオレットで弾くところも、通常の発想ならピアノも音量を落として合わせるところを、まったくお構いなく同じ音量で弾いています。それでも音楽のバランスが崩れません。楽譜通りの指示かどうかは分かりませんが、いかにもビイェルケらしいと思いました。最後の子守歌も雰囲気に流されることはなく淡々と弾いています。

CDジャケット

ニルス・ヴィゴ・ベンソン (1919-2000):ピアノソナタ集 第2集
ピアノソナタ第2番作品42 (1946) 
ピアノソナタ第4番作品57 (1949)
ピアノソナタ第7番作品121 (1959)

録音:2004年7月5-6日、2005年3月21-22日、オーデンセ、カール・ニールセン音楽アカデミー
デンマークDACAPO(輸入盤 8.226030)

 81年の生涯で650曲以上の作品を遺したというベンソン(ベンツソンの表記もあり) は、デンマークの音楽一族であるハートマン家の血筋であり、従兄弟にも作曲家やフルート奏者、執筆家がいるということです。その作風は即興的な印象を持つとされており、無調音楽や十二音技法、果てやジャズも取り入れているという多彩な作風です。このディスクはピアノソナタの第2集とのことですが、第1集はビイェルケではなく別のピアニストが録音しています。

 ベンソンの曲は明らかにゲンダイオンガクであり、第2番はまだ調性や、従来のピアノソナタとしての形式があるようですが何処に連れて行かれるのか予想できないという不安がつきまといます。第4番になって伝統的なソナタの形式はなくなっており、6楽章形式ですがラルゴの3つの楽章と、それ以外の「二重ソナタ」であるとベンソンは語ったそうです。調性の感覚も希薄になって音楽は自由奔放です。最後の第7番になると確かにジャズの即興演奏を聴いているような印象になっています。総じて決して耳に優しい音楽ではありません。

 ビイェルケの演奏はここでも作品によく合っていると思いました。複雑なリズムでも全く崩れず淡々と弾いています。もっとグロテスクになってもよい部分でも醒めたような視点を動かしません。特に第7番で、冴え冴えとした冷気ような演奏がとても効果的に感じました。ビイェルケの技巧が確かなものであるだけではなく、きちんとした主張を併せ持った演奏家であることがよく表されたディスクだと思います。

CDジャケット

ヘアマン・ダーヴィド・コペル(1908-1998):

ピアノ四重奏曲 作品114
ピアノ三重奏のための9つの変奏 作品80
ピアノ五重奏曲 作品57

ヨハネス・セー・ハンセン、アーネ・バルク=メラー ヴァイオリン
イダ・スペヤー・グレン ヴィオラ
ヘンリク・ブレンドストルプ チェロ

録音:2005年5月11-13日、2006年1月3-4日、ビルケロッド、マンツィウスガーデン
デンマークDACAPO(輸入盤  8.226003)

 DACAPOレーベルシリーズの最後は、室内楽のアルバムです。ベンソンと同時代のコペルは、20世紀デンマーク音楽における偉大な作曲家の一人と位置づけられているそうです。ベンソンがハートマン家の一人であるように、コペル家も音楽一族としてドイツにおけるバッハ家に相当するようで、コペルの子供達にも音楽家を多く輩出しているとのことです。明記されていませんが、ビイェルケが師事したテレーセ・コペルもおそらくその一人だと思います。

 コペルはニールセンに師事したため彼の音楽の継承者でもあります。ニールセンの死後はバルトーク、ストラヴィンスキー、そしてジャズ音楽の影響を受けて前述のリスエア、ベンソンなどの(ニールセン以来の)伝統的デンマーク音楽に対抗する急進派の一人と目されるようになります。第二次大戦中はユダヤ人迫害を恐れてスウェーデンに亡命しデンマークでの活動は中断しますが、戦後は王立音楽アカデミーのピアノ教官として指導に当たり、自身もピアニストとして録音を遺しています。このディスクの作品はいずれも戦後のものです。

 このディスクでの音楽はどっしりとしてほの暗さに満ちており、確かにニールセンやグラスの音楽に近しいと感じます。そこにピアノを中心として弾けるような音符が加わっているので、デンマーク・ロマンティズムからの進化も感じ取れます。リスエアのような対抗意識むき出しでもなく、ベンソンのようにゲンダイオンガクに重心を置いた色合いとも異なり、良い意味で中庸を採ったという印象です。

 クレジットこそされていませんが共演している弦楽器奏者たちは、グラスのディスクでのコペンハーゲン・クラシックのメンバーと同一ですので気心が知れた同士での演奏ということになります。グラスのディスクで聴かれたのよりも更に手元に引き寄せるようなピアノをビイェルケは聴かせてくれます。一番作曲年が古いピアノ五重奏曲ではグラスのような響きですが、一番新しいピアノ四重奏曲になりますと、まるで弦楽パートがニールセン/グラスであり、ピアノがリスエア/ベンソンとして対話しているかのような演奏です。9つの変奏ではビイェルケの鋭く食い込むような響きがより顕著となっていると感じました。

 

■ 最近のビイェルケのディスクから 

 

 以上のようにビイェルケのディスコグラフィーは、正直なところマイナーなレーベルからマイナーな作曲家を採り上げたディスクが中心であり、ほとんど注目されることがないと言って良かったと思います。そんなビイェルケが突然脚光を浴びることになったのは古巣(?)のcpoレーベルから出たニールセンのピアノ作品全集です。

CDジャケット

カール・ニールセン(1865-1931):ピアノ独奏作品全集
5つの小品集作品3
交響的組曲作品8
6つのユモレスク・バガテル作品11
新世紀のための祝祭前奏曲
「きよしこの夜」についての夢
シャコンヌ作品32
主題と変奏作品40
組曲作品45
3つの小品集作品59
若い人と老人のためのピアノ音楽作品53
ピアノ小品(1931)

録音:2007年7月2-3日、8月21-22日、コペンハーゲン、王立デンマーク図書館(ブラックダイアモンド)
独cpo (輸入盤 777 413-2)

 ニールセンのピアノ独奏作品全集は何もビイェルケが初めてではありません。ざっと調べただけでもヴェステンホルツ(BIS)、エラン(Paula、その後Scandinavian Classicからライセンス再販)、セイヴリト(Naxos)、ミラー(Danacord)、ロスコー(Hyperion)などが挙げられ、前述のコペルの演奏もDACAPOレーベルで録音があります。私はニールセンの熱心な聴き手ではなく、それまでには交響曲第4番しか聴いたことはなかったので、これらのピアノ作品集ディスクを聴いたことは全くありませんでした。それ故、何となく避けていたものに出会うような気まずさを持って聴き出したのですが、最初の5つの小品は優しさに満ちた曲調であったので、正直ほっとしました。第3曲あたりでは激しさもありますが、決して聴きづらさはありません。

 ニールセンでのビイェルケの演奏は、それまで聴いてきたディスクでの演奏とはやや趣を異にしています。これはデンマーク音楽の巨人であるニールセンゆえだからなのか、ビイェルケ自身の変化なのかは分かりかねますが、構えは実に大きくゆったりとしており、煌びやかさよりも拡がりと重厚さに勝ります。まるでベートーヴェンかのように弾いていると言ったら大袈裟に過ぎるかとは思いますが、一層考え抜かれた演奏をしていると感じます。祝典前奏曲や、「きよしこの夜」を題材にした小品でも豪快さや怜悧さを残しながらも、表現の幅は大きく堂に入ったものです。シャコンヌや、主題と変奏になると不協和音も目立ってきますが、ビイェルケは壮大な響きを築いていくので圧倒されてしまいます。作曲年順に並べているので2枚目のCDはニールセンの生涯からみて晩年に近い時期での作品になります。演奏時間が短い小品をまとめたという構成がほとんどで作品53は30秒から1分程度の25曲から成っています。複雑な技法を駆使するよりは、響きの移ろいで味わいを深めようとする曲が多いように思います。解説書によると、ニールセンはピアノの教育は受けているものの、得意にしていたのはヴァイオリンだったそうですから、ピアノ曲というのはニールセンの作曲において重要な部分ではなかったのかもしれません。それでも組曲作品45では、侘び寂びを感じさせる魅力がありますし、子供向けの練習曲のような作品53でも、ただ弾き飛ばすのではなく、十分コントロールされた音色を駆使して美しく演奏しています。このように聴いてみると、(繰り返しになりますが、他のディスクを聴いていないということをお断りしながらも)ビイェルケの演奏で聴くとニールセンのピアノ曲はもっと幅広く聴かれて良い魅力があると思いました。

CDジャケット

ヴァウン・ホルンボー(1909-1996):
ヴァイオリン・ソナタ第2番Op.16(1939)
ヴァイオリン・ソナタ第3番Op.89(1965)
ヴァイオリン・ソナタ第1番(1935)
ヴァイオリン・ソロのための「回顧録」(1990)
独奏曲(1929)
バガテル第1番「アラベスク」(1928)
ハイドゥクOp.193(1993)

ヨハネス・セー・ハンセン ヴァイオリン

録音:2008年8月16-17日、9月20日、オーデンセ、カール・ニールセン音楽アカデミー
デンマークDACAPO (輸入盤 8.226063)

 長命であったホルンボー(ホルムボーとの表記もあり)の作曲活動は1920年代から1990年代までに至り、ベンソンと同じように数多くの作品を遺したそうです。そのうち作曲されたヴァイオリンとピアノのための作品のすべてがこのCD に収録されているそうです。ホルンボーは1925年にニールセンによるオーディションに受かってデンマーク王立音楽院に入学。当初は北欧民俗音楽を基盤にしていましたが、やがてアラブ音楽、そして妻がルーマニア人であったことからルーマニア音楽やジプシー音楽などのバルカン半島の音楽にも影響を受けていったそうです。

 ベンソンやコペルとほぼ同時代に生きた作曲家ですが、ベンソンのようなゲンダイオンガクではなく、コペルのようなニールセンからの系譜を感じさせるほの暗さはありません。ソナタ第2番からして、茫洋とした響きよりは、音楽は闊達に躍動しています。上述のホルンボーの経歴からの先入観があるのかもしれませんが、どことなく中東か、ジプシー音楽のような色彩があります。この印象は続く第3番でも変わりませんが、より初期の第1番と聴き続けてみると、第3番は民俗音楽ならではの土臭さからより昇華されているように感じます。

 ヴァイオリン独奏のハンセンは、コペルでも共演しているコペンハーゲン・クラシックのメンバーです。ビイェルケのピアノは今までのDACAPOレーベルでの演奏と基本的には同じ冷徹さと硬質の輝きに満ちた演奏です。ただ、ニールセン全集でも感じた構えの大きい、より重厚な拡がりを感じます。特に、このディスクでは弱音での音色の豊かさが印象的です。これは、3曲あるソナタ以外の小品、バガテルやハイドゥク(バルカン半島でオスマン帝国と戦った戦士、あるいは義賊を意味するそうです)でも同じであると思います。

 

 

 

 このように、ビイェルケを聴き続ける旅は、同時にデンマーク音楽と巡り会う旅にもなりました。デンマーク音楽の父ゲーゼに始まり、ニールセン、そして彼と同時代を生きたグラス、それよりやや傍流のベアセン、ヘンリクセンがいました。次に、この潮流に逆らうように出てきたリスエア、これにコペル、ベンソンが続き、さらに異なった視野からホルンボーがいるということを学びました。

  従って、ビイェルケはデンマーク音楽という世界にいるというのが現在の位置づけとなっています。もちろん、その中でもビイェルケの芸術を味わうことが出来るのは幸福ですが、それ故に来日リサイタルを開いたとしても「デンマーク音楽プロ」では、我が国では興行的に到底成り立たないことも自明ですので、実演に接する機会はほとんど期待できないのは仕方ないかもしれません。私自身は、ビイェルケによるベートーヴェンのいわゆる「後期」ソナタや、ブラームス、バッハなどをこの耳で聴いてみたいという希望はありますが、それは儚い夢に終わりそうです。

 

2009年10月17日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記