「わが生活と音楽より」
クリスティナ・ビイェルケによるベートーヴェン/ディアベリ変奏曲を聴く

文:ゆきのじょうさん

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CDジャケット

ベートーヴェン:
ディアベッリの主題による33の変奏曲ハ長調 作品120
ピアノ:クリスティナ・ビイェルケ
録音:2011年9月9-11日、デンマーク、オーデンセ、南デンマーク音楽演劇アカデミーホール
デンマーク DANACORD(輸入盤 DACOCD747)

 通称「ディアベリ変奏曲」は、ベートーヴェンのピアノ曲の中でも最も長大なものの一つであり、晩年の傑作とされています。J.S.バッハの「ゴルトベルク変奏曲」が旧約聖書なら、この曲は新約聖書である、という記載も見たことがあります。それほど、ピアノ独奏による変奏曲として崇め奉られている作品です。

 しかし、私は「ディアベリ変奏曲」を聴いていて、感銘を受けるということが少しもありませんでした。有り体に申し上げれば、この作品は苦手というか、嫌いな曲、私にとっては駄作と感じていたと言って良いと思います。もし、ベートーヴェンをこの曲から聴き始めた人がいたらベートーヴェンのことを嫌いになるでしょう。ベートーヴェンのピアノ曲でこの曲から聴き始めた人がいたら、ベートーヴェンの他のピアノ曲を聴きたいとは思わないでしょう。そう思うくらいに、この「ディアベリ変奏曲」は感覚的に受け付けないものでした。それゆえ、この曲を最後に聴いたのは、ずっと前のことでした。

 それが、今回のクリスティナ・ビイェルケの演奏で久しぶりに聴いたときに、「ディアベリ変奏曲」はこういう曲だっただろうか、という衝撃を受けたのです。クリスティナ・ビイェルケは、以前にも採り上げたデンマークのピアニストで、私が一度は実演を聴いてみたいと思っている演奏家です。

 思わず「ディアベリ変奏曲」の他の演奏を聴き直してみました。リヒテル、ブレンデル、アラウ、ポリーニ、ソコロフ…それまで聴いてきた「ディアベリ変奏曲」の名盤と言われているディスクたちと、ビイェルケの演奏はまったく違います。根本的に向き合い方が異なるのです。

 まず全体的にテンポが遅い。多くの巨匠達が50分程度で弾いていくのに、ビイェルケは72分もかけています。伊東さんがかつて採り上げていらっしゃる異端と言われたウゴルスキ盤は聴いたことがありませんが、それですら61分だそうなので、ビイェルケ盤はさらに異端と言って良いと思います。

 最初の、ディアベッリが作った、凡庸の極みとも言えるワルツからして別の曲のようにゆったりと弾かれていきます。それは弛緩した音楽ではありません。指定のvivaceを忠実に実行しているかと言えば確かに疑問符はつきますが、きちんと音楽は前進しています。第1変奏に移っても既存の演奏が時としてせせこましく聴こえてきたのに、ビイェルケは最初からそういう音楽であったかのようにフレーズの性格を描き分けていきます。それでいて、分析的で冷徹な音楽でもありません。第4変奏に至って、今までの演奏ではどういう音楽なのか、まったく分からなかったのですが、ビイェルケ盤を聴いてこの変奏での前衛的とも言える音型の揺らめきを初めて実感できたと思いました。

 次に響きが違います。典型的なのはsfz(スフォルツァンド)の扱いで、他の演奏家たちは、荒々しく雑音が混じることも厭わないくらいに強調するのに、ビイェルケは粗野なアクセントを完全に取り除いています。すなわちスフォルツァンドの本来の意味である「局部的に強く」として弾いているのです。

 したがって、ベートーヴェンは、「ディアベリ変奏曲」は、こうあるべきだ、という信念を持っている人たちからすれば、ビイェルケ盤は異端中の異端です。「これはベートーヴェンではない」「ベートーヴェン(ディアベリ変奏曲)に対する冒涜である」という批判非難は出てくるでしょう。

 しかし、私はこの演奏で初めて「ディアベリ変奏曲」の良さが分かりました。比較的ゆったりと紡ぎ出される十二分に考え抜かれた音一つ一つの合間に、こぼれるように現れてくる美しい響きが、次第に聴き手の心をそっと優しく包んでいくように感じるのです。第8変奏での、単なるpoco vivaceの演奏からは聴き取れなかった侘びしさと愛おしさが迫ってきます。第14変奏では本当に止まりそうなくらいのテンポで弾いていながら、次第に音楽が高揚していきます。全曲の中でも一つの頂点だと思います。テンポ指定が速い変奏においては音型を汚すことなく、ビイェルケの演奏は常に舞っています。そして、いよいよ後半。第29変奏は静かに、それでいて感傷など無縁な響きで進みます。途中完全に無音になる瞬間ははっとさせられます。区切らずに第30変奏に進むのですが、前のAdagioからAndanteへの変化は強調されず、わずかに歩を進めるのみです。十分な間合いをとって始まる第31変奏は意外にも穏当なテンポ設定がなされていて、それがかえって前2曲にはなかった冬の木漏れ日のような暖かさを聴き手に与えてくれます。このようなテンポ対比は今まで聴いたことがありませんでしたが、これでこそ各曲の描き分けが出来るのかもしれないとすら思うほど確信に満ちた演奏です。通常ならクライマックスとなるはずの第32変奏フーガは、まったく力みや猛烈さなどとは無縁でむしろ楽しげに弾かれていきます。そして、まるで真冬の暖炉脇で、おとぎ話の終わりを聴かされているように、冒頭のワルツがつぶやかれます。最後の和音は本がパタンと閉じられるようで、「さぁ、おやすみなさい」と言われたような、安らかな気持ちになります。

 確かにここにはベートーヴェンはいないかもしれません。しかし極上の音楽だと私は思いました。そして、その極上の音楽は、J.S.バッハ/「ゴルトベルク変奏曲」のビイェルケ盤に見事につながっていくものであるとも思います。

 「ディアベリ変奏曲」を初めて聴く人は、このディスクから聴いてはいけないということは確かであると思います(笑)。でも、「ディアベリ変奏曲」を嫌いになる前に一度は聴いてみてはどうでしょうか。それだけの価値はある演奏です。

 以下、蛇足ですがジャケットデザインも何やら意味ありげです。横一列に色など画像処理したビイェルケのポートレートが8枚並び。それが4列合わせて32枚です。「ディアベリ変奏曲」は全部で34曲で最初の主題と最後に回帰されてくるメヌエットを除いたら32曲で符号します。最後の第32変奏フーガに当たるポートレートはめくられています。

 これは何を意味しているのか、考えるだけで楽しいです。

 

2014年11月23日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記