「わが生活と音楽より」
不定期連載 「わたしのカラヤン」
最終章 すくらっぷ・ブック 「わたしのカラヤン」永遠の名盤文:ゆきのじょうさん
今回の連載において、伊東さんからのご依頼を機会にカラヤンに対する私なりの感想や捉え方を書かせていただきました。本稿で採りあげたディスクは、その全てが「わたしのカラヤン」の愛聴盤です。本連載を終えるにあたって、今までに語ることが出来なかった私なりのカラヤンの「名盤」、あるいは「無人島に持っていくディスク」についてご紹介したいと思います。その際、カラヤンの「名盤」と並んで印象が強く残っているディスクについても触れていくことにします。
まずは、おそらく多くの方々も理解していただけるであろう、二つのディスクを紹介いたします。
■ 虎落笛
新ウィーン楽派管弦楽曲集
シェーンベルク:交響詩「ペレアスとメリザンド」作品5
シェーンベルク:管弦楽のための変奏曲作品31
シェーンベルク:「浄められた夜」作品4
ベルク:管弦楽のための3つの小品 作品6
ベルク:叙情組曲からの3つの楽章
ウェーベルン:管弦楽のためのパッサカリア作品1
ウェーベルン:弦楽四重奏のための5つの楽章 作品5(弦楽合奏版)
ウェーベルン:6つの管弦楽曲作品6
ウェーベルン:交響曲作品21ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー
録音;1972年12月8-9日、イエス・キリスト教会、1973年3月3日、9月9、20、22日、11月19-20日、12月6日、 1974年1月3,5、24-26日、2月11、18日、フィルハーモニーザール
独DG(輸入盤 427 424)カラヤンが、まさに矜持をかけてつくりあげたディスクと言えます。一説には私財まで投じて制作したとも伝えられています。それだけ、当時のレコード会社が「売り物にならない」と考えたとも言えます。確かにこのディスクが世に出た当時、新ウィーン楽派は私にとって、ゲンダイオンガクの一つでしかありませんでした。CBSから確か1960年代後半に出たと記憶しているブーレーズによるウェーベルン全集は、評論家たちは大絶賛していたのですが、私自身は聴き続けるのは苦痛でしかありませんでした。
それが、このカラヤン盤を聴くことで私の考え方は天地がひっくり返るほど変わってしまったのでした。シェーンベルク/「浄められた夜」は勿論のことベルクに至るまで、新ウィーン楽派の音楽が後期ロマン派からの系譜の行く末であることを、理屈ではなく聴こえてくる響きで教えてくれたディスクなのです。
特にブーレーズの全集で全く理解することが出来なかったウェーベルンは衝撃的でした。こんなにも噎せ返るような色気があり、深く美しくもあり、そして能楽のような侘び寂びの音楽であることを初めて知りました。十二音技法という吹きすさぶ風の音のような響きにも、明確な「意味」があるのだと教えてくれたのです。
この衝撃の大きさ故、ウェーベルンの演奏で新たな魅力を発見するのには、ケーゲル盤(キング 国内盤 KICC9474、ジャケット写真はLP 徳間音工 ET-5044)と出会うまで、待たなければなりませんでした。ケーゲルの音楽について語ることは本稿の主旨ではないので、カラヤン盤との対比のみで書かせていただければ、カラヤン盤は吹きすさぶ音に微かな色彩と哀切とも言える歌が込められているのに対して、ケーゲル盤は歌を排除して時の流れをも止めて音楽を語らせているという印象があります。徳間音工のLPにおいて、丸山桂介氏の「ウェーベルンあるいはウェーベルン=ケーゲルへのメモ」と題された解説文は、異例の長文で当時の私には難解でもありましたが、とても印象的でした。
■ バーミリオン
R.シュトラウス:
楽劇「サロメ」作品54・サロメ ヒルデガルト・ベーレンス ソプラノ
・ヘロデ カール=ワルター・ベーム テノール
・ヘロディアス アグネス・バルツァ アルト
・ナラボート ヴィエスラ・オフマン テノール
・ヨカナーン ジョセ・ファン・ダム バス
他ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1977年5月9-11、13、16-20日、1978年5月2日、ウィーン、ゾフィエンザール
欧EMI(輸入盤 5 67159 2)
(ジャケット写真はLP EMI 1C 165-02 908/09)カラヤンが、ベーレンスという理想のサロメの歌い手に出会ったことで生まれたという、まさに畢生の名演と言えます。伊東さんも1999年のWHAT'S NEW ?で絶賛しておられます。私はカラヤン盤を聴く以前から、「サロメ」という作品自体について、あのビアズリーの挿絵で有名なワイルドの原作本(福田恆存訳 岩波文庫1959)を読んでいました。これを読んでいる限りはこの世のものとは思えない狂気を感じ、思わず本を閉じたくなるような衝動にかられたものです。
ところが、カラヤン盤の「サロメ」は、ワイルド/ビアズリー本から受ける印象とは、やや異にしていました。確かに妖艶でおどろおどろしい音楽です。サロメの登場、そしてヘロデが怯え、サロメの七つのヴェールの踊りまでは魑魅魍魎が跋扈するかのような不気味な音楽をウィーン・フィルが奏でます。ヨカナーンの首を所望するサロメとヘロデのやりとりと、それに絡むヘロディアスの不気味な高笑い、そしてヨカナーンの首が切られ転がり落ちる音がしてから銀の皿に載せられて地下からせり上がって来るところでは、音楽が確かに血塗られたものとして最高潮を迎えます。
しかし、私が驚愕したのはその後でした。サロメがヨカナーンの首に語りかけ、ついには口づけをして歌う場面です。ベーレンスの切なさに満ちた絶唱を聴いて、私は初めてこれは愛の歌なのだと理解できました。
実の父母や継父からも真の愛情を受けることなく育ったサロメは愛するということを知らなかった。それがヨカナーンを見て初めて人を愛するという衝動を感じた。しかし、どう言葉と行動で表現したらよいのか分からぬサロメは、「占有する」ということで愛が成就できると錯覚した。首を手に入れて口づけすることで成就した喜びと、一方でどこか違うという想いが「お前の脣はにがい味がする。 血の味なのかい、これは?」という迷いと、「いゝえ、さうではなうて、たぶんそれは恋の味なのだよ」という哀れな誤解が交錯する。この場面でのカラヤン盤の音楽は、その救いようのない愛の末路を感じさせてくれるので、いつ聴いてもこれ以上はないくらい背筋がぞっとして、総毛立ってしまうのです。
これだけの歴史的名盤と称してもよいカラヤン盤を聴いてしまうと、他のディスクを語ることが本当に難しくなってしまっています。唯一、私の心にあるのは今なお正規ディスク化されていない、1974年7月23日ミュンヘン音楽祭においてルドルフ・ケンペがバイエルン国立歌劇場で指揮し、タイトルロールをレオニー・リザネクが歌ったライブです。これは1968年の同音楽祭で音楽監督だったカイルベルトが急死した際にケンペが代役で指揮し評判になった演目の再演でした。これこそがワイルド/ビアズリー本から受けた狂気を徹頭徹尾体現した演奏だと思っています。
さて、次からの二つのディスクは、いわば「『わたしのカラヤン』としての名盤」と呼べるディスクになるかと思います。
■ 眠る山に眠れぬ樹
ヘンデル:
合奏協奏曲作品6ミシェル・シュヴァルベ、レオン・シュピーラー、トマス・ブランディス、ハンス=ヨアヒム・ヴェストファル ヴァイオリン
オトマール・ボルヴィツキー、エミール・マース チェロ
カール・シャイト、フリードリヒ・フィッシャー リュート
フリッツ・ヘルメス ハープ
エディット・ビヒト=アクセンフェルト、ホルスト・ゲーベル、ヘルベルト・フォン・カラヤン チェンバロヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー
録音:1966年8月17-23日、1967年8月19-22日、1968年8月21-22日.、サンモリッツ、ヴィクトリア・ザール
ポリグラム(国内盤 POCG3720/2)カラヤンの指揮するヘンデル、というだけで容易に想像がつくことは、バッハでも書かせていただいたように現代の趨勢からみて明らかに時代遅れであるということです。したがって「角がとれすぎ」「薄気味悪い」「軽妙さに欠け」「グロテスクで」「浅薄」であり、「豪華絢爛」だが「ウィットも陰りも何もなく」「ケバすぎ」「カロリーたっぷりで濃厚で」「無駄と感じるぐらいの濃い味付け」が施された「人工美の極致」で、おまけに「時折著しく不適切なテンポ」の演奏であるという、モーツァルト演奏に対する批判が、そのまま与えられるであろうことは十分理解できます。
しかし、私にとって、これは何度聴き返しても胸が一杯になってしまう演奏です。カラヤンが演奏会でも採り上げた第5、第10、第12番が自家薬籠中とした余裕と、ちょっとした遊び心があるのは勿論のこと、録音だけに終わった他の曲達もなんと慈しむように演奏されているのでしょうか。例えば、第6番ト短調第3楽章ミュゼットを聴いてみると、これはとても田舎の田園風景ではありません。まるで晩秋の紅葉も散り果てた山々が落日の茜色に染まるときのような侘びしさに満ちています。しかし、そこにも常盤木があるかのような力強さ、優しさを感じるのです。すべての曲において、典雅という言葉がこれほどふさわしい、歌い抜いた演奏もないと思います。カラヤンという指揮者を「古典から後期ロマン派の大曲やオペラを得意とした指揮者」と括る考え方が間違いとは思いませんが、このディスクを聴く限りは、カラヤンはヘンデルのこの曲が本当に好きなのだろうと心底感じ入ります。
このカラヤン盤に匹敵する演奏もなかなか思い浮かびませんが、カラヤン盤の懐の深さや温かさとは別次元の、しかも古い演奏ですがボイド・ニール指揮ボイド・ニール弦楽合奏団の往年の名盤(英Pearl GEMM CDS9164)になるでしょうか。当時としては高度なアンサンブルを駆使して、厳しくも上品な演奏だと感じています。
■ 氷面鏡
ベートーヴェン:
ピアノ協奏曲全集アレクシス・ワイセンベルク ピアノ
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー録音:1974年5月26-27日、1975年9月4-6日、9月20-21日、1977年9月27-28日、ベルリン、フィルハーモニーザール
欧EMI(輸入盤 CDM5660902、CDM5660912、CDM5660922)
ジャケット写真はCDM5660922LPで発売されたときに、やはり「人工美の極致」「ただ美しいだけで中味がない」「協奏曲とは名ばかりのカラヤン中心のレコード」と酷評されたディスクです。確かにワイセンベルクのピアノは研ぎ澄まされて不純物のない音ですし、カラヤンの伴奏も主張が強いのですから、そういう批判も理解できます。
私は、この全集中の第4番をFMのエアチェックで聴いて、虜になってしまいました。それこそ何度聴いたかわかりません。私にとって、このコンビの第4番は冬の澄み切った空気に包まれた、一片の雲もない満月の夜です。ワイセンベルクのピアノは突き刺すような冷気であり、カラヤン/ベルリン・フィルは途方もなく拡がる漆黒の空と輝く月光です。これほどの透明感と深さは、他のどの演奏とも違うと感じています。後年買い求めた第1番から第3番までのディスクも第4番で受けた衝撃と印象そのままの演奏でした。
ペーター・レーゼルがフロール/ベルリン響と録音した全集(徳間ジャパン TKCC15321)での第4番は、ワイセンベルク/カラヤン盤が目指した方向とは異なる演奏です。折り目正しく木の香りが漂ってくるような演奏です。特に第二楽章で弦楽パートは比較的短く端正に響かせていますが、最近のピリオド奏法とは発想が違い、腰高で軽量というわけではありません。深い森の奥で響くようなレーゼルのピアノと合わせて、この曲の別の魅力を引き出していると思います。
■ 千百回 日は昇り
生誕100年記念においては、来日時などのライブ音源も多数正規ディスク化されています。まさに百花繚乱、どんどん発売され、そのいずれもが輝かしい出来映えです。この先どんな音源が出てくるのか、諮り知れません。
その中にあって、本稿の「わたしのカラヤン」におきましては、カラヤンが生前に発売を許した音源のみから選ばせていただきました。しかし、本稿を終わるにあたって、それ以外の経緯でリリースされたカラヤンのディスクを二つだけ選んでみたいと思います。
ヴィヴァルディ:
「調和の霊感」作品3から
・4つのヴァイオリンとチェロのための協奏曲ニ長調 作品3-1
・4つのヴァイオリンのための協奏曲ホ短調 作品3-2
・4つのヴァイオリンとチェロのための協奏曲ヘ長調 作品3-7
・4つのヴァイオリンとチェロのための協奏曲ロ短調 作品3-10ミシェル・シュヴァルベ、トマス・ブランディス、レオン・シュピーラー、ハンス=ヨアヒム・ヴェストファル ヴァイオリン
エーベルハルト・フィンケ チェロ
ホルスト・ゲーベル チェンバロ
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー
録音:1972年8月、スイス、サンモリッツ、フランス教会
独DG(輸入盤 474 287)カラヤンの生前には発売されず、2003年に初めて本ディスクに収載された演奏です。1972年8月と言えば、同時期にシュヴァルベのソロによるヴィヴァルディの「四季」の録音があります。「音楽の友」2008年7月号の掲載された、「ミシェル・シュヴァルベが語るカラヤン〈後篇〉」によりますと、本来は「4つのヴァイオリンのための協奏曲」がスケジュールにあったのに、カラヤンの提案で急遽「四季」が録音されることになった、と述懐しています。そもそもの企画は、当時のベルリン・フィルのコンマス3人と第二ヴァイオリン首席が一同に介してのヴィヴァルディ、なのですから売り物にならないとは思えないのですがお蔵入りしていた理由は不明ですし、何故録音テープが破棄されず残っていたのかも不明です。そして何故にお蔵入りしていたのか理解できないほど、この演奏は並はずれたものです。
基本的には、ヘンデルで聴いたときのような典雅な演奏です。しかし、ヘンデルとヴィヴァルディの違いによるのか、ここでのカラヤンの指揮はもっと奏者に自由度を与えていると感じます。カラヤンも、4人のヴァイオリニストたちも互いに目くばせし合いながら、微笑んで演奏しているようです。例えば第7番アンダンテで聴けるヴァイオリン4人とチェロのフィンケの語らいは実に屈託のないものです。
エリエッテ・フォン・カラヤン/彼に寄り添った私の人生 欧DG(輸入盤 4777541)
カラヤン夫人が、DGに遺したカラヤンの演奏から、「無人島に持っていく九つの演奏(ジャンル)」として選んだオムニバス盤です。しかも、このディスクは2008年7月に日本語版も上梓された「エリエッテ・フォン・カラヤン回想記 カラヤンとともに生きた日々」(松田暁子訳 アルファベータ)のコンビネーション・アルバムです。したがって、すべてにおいて今まで扱ってきたディスクと同列に論じることはできないことは明白です。
回想記自体も読んでみましたが、既出のカラヤンに関する著作と大きく意義が変わるものではないでしょう。証言や記事、カラヤン自身の発言、出来事から再構成していく過程で必ず表現者による編纂、取捨選択が加わります(だからすべてが採るに足らない、と言いたい訳ではありません。これはカラヤンに限らず、例えば「古事記」、「日本書紀」、「オデュッセイア」、ヘロドトスの「歴史」などの歴史的著作でも繰り返されていた必然だと申し上げたいだけです)。
しかしながら、31年という長い時間をカラヤンと過ごしたカラヤン夫人の回想録は、やはり貴重です。何よりも家族であるという一点で、この世で「わたしのカラヤン(ヘルベルト)」と呼ぶことの出来る数少ない人物が著した著作でもあります。このカラヤン夫人の回想録についての感想を書くことは本稿の目的ではありませんから、ここでは触れませんが、私自身はこの回想録を読んでも、カラヤンに対する考え方、カラヤンのディスクから受ける印象が変わることはなく、カラヤン夫人の持つ才能と考え方が理解できたことだけ、付記させていただきます。
さて、カラヤン夫人が選んだ演奏(もちろん抜粋が多いのですが)を聴いてみると、あの「アダージョ・カラヤン」という話題盤があった後ではさほど目新しいものではありません。選ばれた曲目をみてもカラヤン夫人は、偉大な指揮者の妻として(良い意味で)それ以上でもそれ以下でもないことが理解できるものです。さらに、これら選ばれた演奏を聴いて、私は異論を唱える気持ちや、違和感を感じることもありませんでした。ここには確かにカラヤン夫人としての「わたしのカラヤン」があります。私自身にもある「わたしのカラヤン」とは、もちろん同一ではないのですが、その違いを享受できたのでした。
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今回、本サイトの伊東さんのご厚意により、今まで私が感じてきた「わたしのカラヤン」について書かせていただきました。カラヤンの遺した録音は厖大であり、まだ語りたい事柄も無いわけではありません。それは、また別の機会に考えてみたいと思います。
最後に、本連載の冒頭で書かせていただいたように、拙稿はあくまでも「私個人がカラヤンの演奏をどう感じたかという主観的なもの」であり、「ただの音楽好きである私個人の感想や想像、憶測、もっと言ってしまえば妄想」でしかありません。「理論や学術的な論考」はなく、従って「感想」文であります。そんな程度の文章をまとめて書く機会を与えてくださった伊東さんに改めて感謝申し上げるとともに、そんな覚え書きをお読みいただいた方々にも心より御礼申し上げ、「わたしのカラヤン」のスクラップ・ブックを閉じ、また新しい「わたしのカラヤン」の一冊を開いていきたいと思います。
(2008年7月12日、An die MusikクラシックCD試聴記)