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99年8月

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8月31日:ヘッドフォンで聴くCD

最近はあまりスピーカーを通してCDを聴けないので、深夜、ヘッドフォンを使い一人でクラシック音楽に耽溺しています。私のヘッドフォンは装着感が良くないので、好きになれないのですが、使わざるを得ません。しかし、一度慣れてくると、大音量で人目を憚ることなく音楽を存分に楽しめるというメリットがあるために、手放せなくなります。そうなりますと、ヘッドフォンで聴くのにふさわしい派手な音楽をどんどん聴きたくなります。というわけで、私はR.シュトラウスに耽溺するのであります。

好きな方には申し訳ありませんが、私はR.シュトラウスのオーケストラ曲はあまり趣味が良くないと思います。「ドン・ファン」や、「ティル」、「ツァラトゥストラはかく語りき」など名曲といわれる曲でも、やかましくてとても最後までじっと聴いていられないのです。生で聴けばその華麗な音響に酔いしれることもできましょうが、自宅では強烈すぎて、心から楽しめないのです。聴衆の度肝を抜くように派手な効果を狙った曲ばかりですから、致し方ないかもしれません。若い頃に書いたホルン協奏曲のように、やかましくなく、趣味の良さを感じさせる曲もありますが、純粋なオーケストラ曲はちょっと苦手です。

しかし、オペラばかりはR.シュトラウスの天才を認めざるを得ません。傑作揃いですので痺れます。私が深夜、ヘッドフォンで密かに聴き耽っているのは「サロメ」。それも、EMIからartリマスタリングで再発されたカラヤン&ウィーンフィル盤(77、78年録音)。

CDジャケット有名な録音ですので皆様もご存知でしょうが、このカラヤン盤は洗練の極みですね。私は基本的にはオペラは劇場で見るもので、CDでは鑑賞できにくいと思っています。が、これほど劇的で、繊細で、官能的な「サロメ」なら、CDでも十分鑑賞、いや堪能できます。カラヤンの指揮は実に巧みで、スリリング。思わず音楽に引き寄せられます。ウィーンフィルは惚れ惚れするほどうまいし、カラヤンの傑作CDといって良いでしょう。

「サロメ」は陰惨な流血のドラマですから、みずなちゃんはおろか、義母にもとても聴かせられません。いやでもヘッドフォンで聴かざるを得ないのですが、大人が聴いてもすごい曲ですね。深夜にヨカナーンの首がキコキコ切り落とされる音が直接耳に飛び込んでくるのは恐怖体験以外の何ものでもありません。カラヤン盤は繊細さが際立つ演奏なのでなおさらコワイです。

そういえば、カラヤンがグラモフォンに録音した「ばらの騎士」も大変洗練された演奏でした。うーむ。これではカラヤン&R.シュトラウス中毒になってしまいます。スピーカーで聴けば、家中の反発を食らいそうな音楽でもヘッドフォンではいつまでも聴けてしまいます。お陰で、眠る時間もなくなります。眠い眠い( ^.^)( -.-)( _ _)。

余談ですが、artリマスタリングの「サロメ」は輸入盤なら2枚組2500円程度です。国内盤1枚程度の値段だったので、artによるリマスタリング効果を確認するため試しに買ってみたのですが、これは素晴らしいリマスタリングですね。もともと優秀録音でしたが...。他のCDも思わず買い直したくなります。次は「ナクソス島のアリアドネ」かな?悔しいですが、EMIは上手な商売をしますね。


8月30日:Mack the Knife

今回ご紹介するのは、クラシックなのかジャズなのかジャンルの分からないCDであります。

CDジャケットLOTTE LENYA sings KURT WEILL
The American Theatre Songs
演奏:ロッテ・レーニャ、ほか
録音:1955、1957、1966年
Sony (MHK 60647)

歌うのはワイルの奥さんであったロッテ・レーニャ。いわゆる紙ジャケットシリーズの一枚で、ロッテ・レーニャのシブイ歌がたくさん収録されています。全23トラックの構成で、聴きものは当然ロッテ・レーニャだといいたいところですが、そうではありません。トラック22、23でロッテ・レーニャと共演するルイ・アームストロング(サッチモ)であります。

私はこのページでたびたびサッチモの話を書いておりますので、もしかしたら顰蹙を買っているかもしれません。が、サッチモの演奏を聴くと、どうしても夢中になってしまうのです。ここでもサッチモはクルト・ワイル歌いとして名高いレーニャを完全に圧倒しています。本当に強烈な魅力を放っています。サッチモは出しゃばっているわけでも何でもないのに、その音楽家としての存在感が聴き手を釘付けにするのです。歌っている曲はお得意の「Mack the Knife」(「三文オペラ」から)。レーニャだってこの曲は誰にも引けを取らないと自信があったと思いますが、残念ながらサッチモにはとても及びません。渋めのレーニャと違って、サッチモが歌い始めると、辺り一面がぱっと明るくなるのです。「Mack the Knife」は殺しの歌ですから、明るいわけはないのですが、サッチモが持つ驚異的なキャラクターが音楽の暗さを明るさに変えてしまうのです。

このCDで嬉しいのは「Mack the Knife」の録音セッションが8分にわたって収録されていることです(トラック23)。これはもうサッチモを聴く(知る)喜びに浸れます。サッチモほどの音楽家にしても、自分の思いどおりの演奏がなかなかできないらしく、何度もセッションを中断しています。少しずつ音楽を作り上げていき、豊かな表情をつけていく様は圧巻であります。いやはや。これは素晴らしい。CDショップではクラシックのコーナーに置いてありましたが、サッチモが共演している部分だけは紛れもないジャズでしょう。もっとも、良い音楽であればジャンルはどうでも良いかもしれません。このトラック二つ分、合計12分ほどを聴くだけでも価値のあるCDであります。

サッチモとレーニャなお、サッチモの顔をご存知ない方のため、念のためにCD解説書に掲載されていた写真をご紹介いたします。左がサッチモ、右がロッテ・レーニャです。どうです、サッチモはすごく面白い顔をしているでしょう。


8月29日:「風雲児たち」

今回は歴史漫画の話です。日曜日につきお許し下さい。

私はラーメン屋さんで「ゴルゴ13」を読むくらいで、あまり漫画を読みませんが、文字通り愛読している漫画が一つあります。みなもと太郎著「風雲児たち」(潮出版社、全29巻)であります。

「風雲児たち」第29巻の表紙第1巻は昭和57年(1982年)に発売され、最後の第29巻は平成9年(1997年)に15年の歳月をかけてやっと完結しました。私はたまたま学生の頃に田舎でこの本と出会ってすっかり気に入ってしまい、少しずつ買い集めておりました。ただ、難点がありました。発売元の潮出版社は横山光輝の「三国志」を出している会社なのですが、大手ではありません。そのために、「風雲児たち」は大変優れた漫画でありながら、周辺の書店で入手しにくいのです。面倒くさいので、私は年に一度くらい、直接出版社に電話をかけて何巻まで出たかを聞き、郵送してもらっていました(^o^)。(電話 販売部 03−3230−0741)

そうまでして手に入れたかったのは、やはり面白いからです。作者みなもと太郎は幕末の「風雲児たち」を描くために、わざわざ関ヶ原の戦いから書き始めています。最初の構想では坂本龍馬や、西郷隆盛を描きたかったようです。しかし、実際は江戸時代の先進的な人物たちが中心になりました。少し予定がずれたようですが、うれしい誤算だったと私は思います。江戸時代を彩るユニークな人物像がユーモアあふれるタッチで描かれています。涙あり笑いありと読者を飽きさせません。

歴史漫画は結構出ていますが、そのほとんどは戦国の武将が主人公で、華々しい合戦シーンばかりが扱われています。「風雲児たち」のように江戸時代の偉人たちを扱った漫画は珍しいのではないでしょうか。しかも、みなもと太郎は大変な労力をかけて資料を収集しておりますので、いい加減なストーリーはありません。私は「この漫画なら、歴史の教材に使ってもいいのではないか」とさえ以前から考えています。本格的な歴史書とは比べようもないのですが、これほど面白く、分かりやすく江戸時代の人物を描いた漫画は他にないと思います。

我が家では私が「風雲児たち」の愛読者だったのですが、結婚後女房さんがこれを愛読し始めました。何と女房さん、全29巻を既に6回くらい読破しておりまして、最近では私よりも詳しくなってきました。ちょっと脅威であります(◎-◎)。さらに、現在我が家に手伝いに来ている義母までが読み始め、すっかりはまっているようであります。皆さんにもお勧めします。騙されたと思って、読んでみて下さい。

なお、登場人物で印象に残るのは以下の方々です(先進的でない人も含まれておりますが...)。さあ、あなたは何人ご存知でしょうか?


8月27日:刷り込み

昨日は、会社内で大音量で鳴り響くシューマンの交響曲を話題にいたしました。流れていたのは交響曲第1番と第3番「ライン」でした。この後に第2番と第4番が続けば完璧です。が、業者さんが持ち込んだテープは第1番と第3番の組み合わせだけだったようです。恐ろしいことに、延々とその2曲が繰り返されたのです(*_*)。もっとも、かりに傑作である第4番が流されていたら、さすがに私も興奮してたまらなかったでしょう。

さて、クラシック音楽を流すにしても、なぜシューマンの「交響曲」だったのでしょうか?業者さんが好きな音楽だったのでしょうか?シューマンなら格別に優れたピアノ曲や、室内楽が目白押しですので、わざわざ仕事の邪魔にしかならないような交響曲を選ぶ必要はないはずです。

誠に勝手な推測をいたしますが、おそらく業者の方は「クラシックなら何でもいい!どうせ俺達は分かんないし、聴いている方だってクラシックなんて分かりゃしないよ。何でもいいからテープを買っちゃえ!」というノリだったのではないでしょうか。それでBGMに最もふさわしくない「交響曲」が流れたのだと私は思うのです。

そもそもBGMにクラシック音楽を使うのは何故なのでしょうか?「クラシック音楽は静かで落ち着く」という先入観があるからでしょう。その先入観は、どこで、どのように作られたのか?私の考えでは答えは学校教育にあります。ほとんどの人は小中学校の音楽の時間に無理矢理クラシックを聴かされた経験を持っていると思います。多分、その教材の影響が強いのではないでしょうか。おぼろげな記憶を辿ってみますと、教育に良いと思われる「良質な」クラシック音楽は総じて静かな緩徐楽章が多かったと思います。ドボルザークの交響曲第9番「新世界から」の第2楽章とかです。あの第二楽章が名曲であることは私も疑いませんが、刺激的でも、ノリがいいわけでも、カッコいいわけでもありません。こうした曲が次々とかかる「鑑賞の時間」はほぼ全員が眠りこけていたように私は記憶しています(今の学校ではどうかな?)。「新世界」交響曲であれば、華々しい第1楽章や、カッコいい第4楽章を聴かせても良いと私は思うのですが、それは教育に良くないのでしょう。結果的に少年少女にはクラシック音楽は「すぐ眠くなるような刺激のない音楽」という意識を刷り込まれてしまったのではないでしょうか。

確かにクラシック音楽には静かで、繊細で、心を和ませるものもたくさんあります。しかし、反論はあるかもしれませんが、大多数の作曲家は日々の生活の糧を得るために、受けを狙って作曲していたわけですから、あまりにも刺激のない音楽は、よくよく作曲されなかったはずです。クラシックの代表曲といわれている「運命」などは受けとは無縁かもしれませんが、それでもけたたましくも爆発的な音楽ですし、名曲中の名曲といわれる「未完成」にしても音響的にはかなり激しいものがあります。室内楽にしても、例えばブラームスのチェロ・ソナタが静かな音楽だとは私は思いません。暗く、情熱的で、結構ガンガン鳴り響く曲でしょう。意外にもクラシック音楽は激しく、うるさく、人を興奮させるものです。ということが、おそらくクラシックを聴いている人以外には理解されていません。それが休日にシューマンの交響曲が鳴り響いた原因なのかもしれません。どうでしょうか?


8月26日:会社で聴く音楽

この間の日曜日、会社で警報装置の点検がありました。仕事の邪魔にならないように日曜日に行われたようです。私は運悪く休日出勤しておりました(T_T)。点検の際、業者の方が来られて、大量の警報装置を一つ一つ鳴らしながらチェックするのですが、恐るべきことに何時間も警報の騒々しい音が鳴り響きます。「ジリリリリ...ジリリリリ...」。これはほとんど耐え難いほどの騒音で、とてもいたたまれません。「日曜日に出勤して、何でこんなひどい目に会わなきゃならないんだ!」と憤懣やるかたなかった私でありました。

しかも、しばらくすると、その警報音の中で大音量でクラシック音楽が鳴り始めます。「!?。これは一体何だろうか?」と思って同僚に聞いてみたところ、ひどい騒音をまき散らしている業者の方が、仕事をしている客先に気を遣って美しい音楽をBGMとして流しているのだそうな。

普通ならここで「なるほど、それで少しは苛つかずにすんだのでしょうね」ということになると思うのですが、そうは問屋が卸しません。全館に流れた音楽は、シューマンの交響曲第1番と第3番「ライン」。これが大音量で流れてくるのです。すさまじいですよ。その間、警報音も鳴り続けますから、ものすごい音響です。壮大に鳴り響くシューマンと警報音の世界はまるで拷問。いくら大好きなクラシック音楽でも、あんな使われ方をしたのではたまったものではありません。

そうは言いながら、私は仕事をしつつ、習性からつい演奏を真剣に聴いてしまいました(^^ゞ。といいますのも、演奏の間に妙な音が聞こえてくるからです。警報音ではありません。低くこもった男性の声で「うー」とか「むむむ」とか言っているのです。「このような激しい唸り声が聴き取れる演奏はただごとではない。きっと名のある指揮者の演奏に違いない!」と私は興奮してしまいました。事実、演奏はたいそう立派なものです。こうなると気が気でなりません。どうしても演奏家を知りたくなった私は音源を求めてダッシュしました。見つけました。音源を。そして仰天。何と、総務担当のAさんが放送機器の側で唸っていたのでした。かなり辛いお仕事でもされていたのでしょう。これには私も唖然としてしまいました。

演奏中に唸り声を上げる演奏家は結構います。チェリビダッケ、シェルヒェン、グールド、ゼルキンなど、名のある演奏家ばかりです。よほどの演奏家でもない限り聴衆を苦しめる唸り声は歓迎されないと思いますから、私のように早合点してしまう人間もでてくるのです。ですが、意外と音楽的でない唸り方をするという意味では総務担当Aさんと上記名演奏家諸氏はあまり変わらないかもしれませんね。


8月25日:「オーケストラの秘密」

金子建志編「オーケストラの秘密」(立風書房)。副題は「大作曲家・名曲の作り方」とあります。なんとか読み通しましたが、これはなかなかハードな本です。大作曲家の「意表をつくオーケストレーションの妙技」、「楽器法の秘密」、演奏家による「奏法の秘密」など、私のような素人は知らなかったお話が盛り沢山であります。ただ、一部ですが、私は楽譜をちゃんと読めないので(T_T)、読むのに難儀した箇所もありました。

しかし、楽理上のことはともかく、「えっ?そんなことが楽譜に書いてあったの?」と思うことが次から次へと出てきて、読んでいて全く飽きさせない本であります。ちなみに、ひとつご紹介いたしますと、マーラーの交響曲第6番に関して次のような表記があります。CDはバーンスタイン/ウィーンフィルによる実測値だそうです(p100ご参照)。

マーラーの発言箇所

第1楽章 198小節

発言内容(該当部分)

カウベルは、とても慎重に扱わなければならない。ある時はひとつとなって、ある時はばらばらになって、遠くから(高く、あるいは低く)響きわたってくる、放牧牛の鈴の音をリアルに描写して。だが、この技術上の指示は描写的な解釈を許すものではないということを、はっきりと述べておく(CD1・T1:11分48秒以降)

重要度
☆☆

迷惑度
☆☆☆

楽員の陰口
じゃあ、どうしろっていうんだ

うーむ。マーラーが楽譜に何やら事細かに書き込みをしていたのは知っておりましたが、カウベルについて、まさかこんな面白い指示をしていたとは知りませんでした。「じゃあ、どうしろっていうんだ」と私でも言いたくなります。

別にこんなことを知らなくても音楽を楽しめるのですが、確かに知っていた方がより「深く」音楽を鑑賞できるというわけですね。それがこの本の狙いであるわけで、金子建志さんの策略がまんまと当たった本だと言えるでしょう。

ところでこの本、私は金子建志「著」だと思って買い込んできたら、金子建志「編」が正しく、最初はがっかりしました。金子建志さんは一部を担当されているだけで、後の部分は、小池ちとせさんはじめ、6名の音楽仲間が執筆しております。しかし、金子さんの「仲間」だけあって読ませる文章が多かったと思います。読み物として面白いだけでなく、詳しい分析があったりしますから、斉諧生さんが「斉諧生音盤志」で、この本に掲載されているCDをチェックしてしまわれたのも頷けるというものです。

それにしても、最近クラシック音楽に関する本がたくさん発行されているような気がするのですが、どうでしょう?新刊が増えていると感じるのですが...。CDの販売は相変わらず芳しくないのでしょうが、書籍だけはどんどん出てくるのはどう説明したらよいのでしょうか?もしかしたら、CDを聴かずに、本を読んでCDを聴いた気になっている人が多いのかも知れません。


8月24日:お国自慢

今日は私の田舎、福島県のお国自慢です(^^ゞ。

福島県といえば、モモ!? 今年の夏は、モモがうまい!すごくうまい!5、6年ほど前にも非常にうまい年があったのですが、今年はそれにもましてうまいモモができています。どうして味に差が出てくるのか解りませんが、梅雨明けしないうちから、ほっぺたが落ちてきそうなうまいモモが現れたところを見ると、単に暑い天候だけによるものではないのでしょう。モモの木やモモの畑に何らかの周期があるのかも知れません。

7月に福島の実家から巨大段ボールでモモの第1弾を送ってもらってから、我が家では既に3箱を食べてしまいました\(^o^)/。お盆過ぎには毎年甘みがぐっと増したモモが採れるのですが、既に信じがたいほどの甘さです。これから2週間ほどでモモの季節も終わってしまいますが、もし福島県にお立ち寄りの際には、騙されたと思って、モモを買って帰るといいでしょう。あまりのうまさに驚くこと間違いありません。

わがふるさと福島県は、自然以外に何もないという片田舎なのですが、いやそれ故か、モモには力を入れています。何と、「ミス・ピーチ」という美女軍団を毎年選抜し、首相にまでモモを届けるなど大キャンペーンを繰り広げています(本当ですよ)。「ミス・ピーチ」の話は、よその地方の方々が耳にすれば、冗談にしか聞こえない発想ですが、福島県では大まじめにやっています。それが福島県らしくて、私は大好きであります(^O^)。

秋になると柿が採れます。福島県、特に会津地方で有名なのが「身知らず柿(みしらずがき)」。堂門冬二の名著「上杉鷹山」にこの身知らず柿を夢中で食う家臣が描かれています。何でもあまりのうまさに親のことまで忘れるのだとか。それで身知らず柿という名前が付いた模様です。これも大変うまい食い物です。もともとはただの渋抜きをした柿なのですが、もはや芸術的なうまさであります。一説には皇室にも献上されているといいますし、十分自慢できる食い物でしょう。これも会津地方に知り合いがいらっしゃれば試しに送ってもらうと良いでしょう。

まだ残暑は厳しいですが、これからどんどんおいしい食い物が出回ってきます。あー、日本人に生まれて良かった!早く涼しくなってこないものでしょうか?


8月23日:室内楽

いつも疑問に思うことがあります。平均的なクラシック音楽ファンはどんなジャンルの曲を聴いているのでしょうか。

クラシックといいましても、交響曲、管弦楽曲、室内楽、器楽曲、オペラ、声楽とバラエティに富んでおります。私はクレンペラーのページや、現在は更新が中断されているクーベリックのページを作っている影響もあって、最近は交響曲や管弦楽曲を聴く機会が多いのですが、いつもそうした音楽ばかり聴いているわけではありません。「ときめきウィークエンド」に見られるとおり、クラシック以外の音楽を聴くのも好きですし、ピアノ曲に浸ることも多々あります。

ピアノ曲については、もう少しCD試聴記でも取り上げたいと思うのですが、如何せん私にはピアノ音楽を語る言葉が足りないのです。世の中には上手にピアノ音楽について表現できる方がいらっしゃいますが、私から見れば驚異的なことです。日本のピアノ人口はかつてのピアノ・ブームも手伝って結構な数でしょう。その中の、ある程度の技術的バックグラウンドがある方が聴き手かつ書き手としてピアノ音楽の卓越した表現を生み出しているのではないでしょうか。すごいことです。もう少し私も勉強したいところなのですが...(そういえば、指揮者人口などというのはよくよくいないはずですね)。

ところで、室内楽のファンはどのくらいいらっしゃるのでしょうか。もちろん私も大ファンです。室内楽というのは、その地味なイメージに反して、とてもすばらしい曲が残されています。個人的にはモーツァルトのピアノ三重奏曲や大作曲家達が残した弦楽四重奏曲には目がありません。

弦楽四重奏曲はモーツァルト、ハイドンと受け継がれ、ベートーヴェンがこれ以上はもうあり得ないのではないかと思われるほどの高みに達した音楽をこの形式で書きました。私もご多分に漏れずベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲のファンでして、毎日深夜まで聴き続けたことがあります(秋の夜長に最適の音楽です)。

室内楽ではブラームスが有名で、渋い音楽をベートーヴェンを意識しながら書き上げていったようです。しかし、かなり聴き込んできた私でも「渋すぎるのでは?」と思うことがあります。そのため、あえて「私が選ぶ名曲名盤」には1枚も載せていません。さらに渋いところではフォーレでしょうか。

もし室内楽、とりわけ弦楽四重奏曲で取り上げるとすれば、意外かも知れませんが、ブラームスよりはスメタナやヤナーチェックがお勧めだと思うのですがいかがでしょうか。スメタナの弦楽四重奏曲第一番「わが生涯より」は聴き手に恐いほどの迫力で迫る名曲ですし、ヤナーチェックの二つの弦楽四重奏曲も聴き所満載の名曲であります。ヤナーチェックの弦楽四重奏曲第一番は「クロイツェル・ソナタ」、第二番は「ないしょの手紙」という怪しげなニックネームまでついていますから、想像力を働かせて聴くのも楽しいでしょう。

室内楽はいいですよ。なぜなら、住環境の劣悪な私のような日本人にとっては、最も再生に苦労しないジャンルだからです。それほど大音量で聴く必要はないし、CDで、ある程度の音量で聴けば、ライブ並みの音量で楽しめる可能性だってあります。いつもベートーヴェンやブルックナーなどを聴いていて顰蹙を買っているようなお父さんも、室内楽曲なら、ご家族の理解を得られるかも知れません。あれ?そりゃ私のことですね。もう少し気をつけましょう。


8月22日:親バカ日記

8月10日に生まれた我が家のみずなちゃん。最初は「何だか変わった生き物だな」と思っていたのですが(@_@)、何日もたたないうちに人間らしくなってきました。仕事が忙しく、あまりみずなちゃんの顔を見ている暇がないのが残念ですが、最近夜遅く帰宅しても、既に夜型人間のみずなちゃんは私を待っていてくれます\(^o^)/。私がだっこすると、おっぱいの時間と勘違いして口をぱくぱくするのには閉口するのですが、本当にちっこくて可愛いものです(エヘヘ)。

すーぱーカワイイみずなちゃんの図(8/22撮影)子供の成長ぶりには目を見張るものがあります。が、どんどん私に似てきてしまうその姿にはやや困惑しております(左の写真ご参照)。私の周囲の方々は私がいかに泥臭い顔をしているかご存知でしょうから、きっとこの困惑をご理解いただけるとは思うのですが、父親に似た方が美人になるというのは本当なのでしょうか?ちょっと心配であります。

私は、赤ちゃんというものはあまり表情がないのではないかと思っておりました。ところが、実は大変表情豊かで、ほとんど百面相であります。じっと見ているといつまでたっても飽きることがありません。ただ、何度も申しあげますが、私にそっくりなのです。特に変な顔をするとそうなのです(^_^;)。どんな顔の時かといいますと、欠伸をしたり、伸びた顔をする際に、どこかの一杯飲み屋で出来上がった飲兵衛オヤジの顔(すなわち私の顔)になるのです。赤ちゃんの時から酔っぱらいの表情をするようでは、将来が不安であります。

私はお酒はたしなむ程度しか飲めませんが、もしかすると、このみずなちゃん、とんでもない飲兵衛になりはしないかと怯える毎日であります。そういえば、みずなちゃんという名前の由来である山菜の「みずな」は「うわばみそう」が正式名称であったはずです。ううう、名は体を表してしまうかもしれません。どうしましょう?


8月21日:合唱団に関する思い出

昨日の朝日新聞夕刊に珍しくも、私の地元の記事が出ておりました。見出しは「高校合唱の実力派、CDデビューへ 福島・安積女子校」とあります。

記事を要約いたしますと、「詩人・谷川俊太郎さんの詩集を作曲家鈴木輝昭さんが女声合唱とピアノのための組曲に仕上げた<女に>が、ビクターエンタテイメントから発売される。高校の合唱団がCD録音に起用されるのは異例のことで、安積女子校合唱団のレベルの高さが窺われる」といったところでしょうか。

私は福島県出身ですので、このように読んで嬉しい地元福島の記事が新聞に取り上げられますと、我がことのようにいい気持ちになります(^o^)。あまり知られてはいないかもしれませんが、福島県は(少なくとも私が学生だった頃は)合唱が大変盛んなところです。私が高校生の頃は福島県のレベルは確か日本でも有数でした。私は福島高校という男ばかりのおぞましい学校に通っていたのですが、合唱団の人間は日常から声の出し方が違っていて、それなりの尊敬を集めていたように思います。

実は私もこの「女人禁制合唱団」に所属していた、と書けば格好いいのでしょうが、残念がらそうではありません。ほとんど帰宅部をしながらクラシック音楽を楽しんでおりました(^^ゞ。今思えばあの頃日本有数のレベルを誇る合唱団に所属していれば、もう少し音楽に対する造詣も深くなったのではないかと思うのですが、それは後の祭りであります。

ところで、私の在校中、わが母校福島高校の合唱団にはあの皆川達夫さんがいらしたことがあるのです。おそれ多くも皆川氏は福島まで遠征され、「女人禁制合唱団」をご指導されていかれた模様です。

その話を聞いた私は大変羨ましく感じたものでした。その頃、朝方確か6時15分から7時までの間に、NHK−FMでは「バロック音楽の楽しみ」が放送されておりまして、私は密かに愛聴し続けていたからです。私の記憶では当番組は皆川達夫さんが服部幸三さんと交代で担当されていらっしゃったはずです。皆川達夫さんの渋い声で語られるバロック音楽に関わる蘊蓄には高校生の私はいつも感心しておりました。

番組の中で皆川さんは、東北の合唱団のことを取り上げていたことがあります(もしかしたら別の番組だったかな?)。曰く、「合唱コンクールの審査員となるときは、ハンカチを忘れないようにしています。なぜなら、東北の高校生達の歌を聴いていると、そのひたむきな姿に涙が出てくるからです」。私はその言葉を聞いて、「さすがにそこまでの感受性がなければ音楽を語れないのだろうなあ。皆川さんは違うなあ」と思い深く溜息をついた覚えがあります。その思いは今も変わらずに残っているのですが、さすがに齢を重ねた今となっても皆川さんのレベルには到底達していないようであります。私はやたらと感動してしまうくちですが、とても皆川さんの感受性には及びません。恥ずかしい話であります。「東北の合唱団の歌を聴いて涙が出る」とはっきり言ってしまえる皆川さんには音楽の聴き手として敬服せずにはおれません。

安積女子校の記事を読んで思い出した昔話でした。


8月20日:ホルンの音

オーケストラの楽器の中でどれが一番好きかといいますと、私の場合、ホルンです。「ホルンが一番好き」というのはきっと私だけではないでしょう。トランペットのような華やかさにはやや欠けますが、木管楽器のように柔らかい音から、盛大に割れる金管楽器らしい猛烈な音まで、その音色のバリエーションは極めて大きく、ホルンの魅力となっています。

しかし、ホルンは演奏するには非常に難しいようです。名のあるプロのオケでもホルンが音をはずすのは日常茶飯事です。しかもホルンには作曲家が重要なフレーズを与えるケースが多いですから、はずすと気の毒なほど目立ちます。例えば、有名なブラームスのピアノ協奏曲第2番冒頭。コンサートではあそこだけで全曲の印象が決まってしまいます。だからよけいに緊張するのか、はずしたライブが多いような気がします(最近はどうなのでしょうか?)。

ところで、ホルンのことが気になったのは、実はブラームスを聴いていたからではありません。ここしばらく、シューベルトの交響曲第9番ハ長調、通称「グレイト」を聴き比べしているからです。やはり冒頭のホルンが気になります。もちろんCDで聴き比べしているわけですから、有名オケの一流奏者が演奏しているのでしょうが、とある有名オケの演奏で、どうも音程がぶら下がり気味で、聴いているだけで不安になってしまうものがあるのです。もしかしたら音を探しながら恐る恐る吹いているのではないかという気がしてなりません。あえてそのオケの名前を公表するのは避けますが、例の「名曲名盤300 NEW」でも、とある評者が絶賛していた演奏だったので、自分の耳が悪いのではないかと思い何度も繰り返し聴いてしまいました。しかし、聴き返しても妙です。「まさかあの有名なホルン奏者D氏が吹いているのではないだろうなあ」と思ってはいますが、落ち着きません。困ったことに冒頭のホルンの後は、なかなか立派な演奏をしているのに、冒頭で不安な気持ちにさせられるせいか、全曲の印象まで影響を受けてしまいます。もしかしたら本当に私の耳が悪いのかも知れませんが、10種類以上聴き比べをしてそんな印象を受けたのはその1枚だけです。しかもスタジオ録音なのですから、不思議でなりません。

好きな楽器だし、またほのぼのとしたシューベルトの旋律がすばらしいだけによけい気になります。あまり分析的に聴いてしまうのはCDによる音楽鑑賞の大きな欠点です。冒頭だけにこだわるなど、その典型なのですが、こうした経験は皆さんもありますでしょうか。


8月19日:クレンペラーの話

ピーター・ヘイワース著「Otto Klemperer his life and times」(Cambridge University Press)をやっと入手しました。と書いてしまうと、「今まで持っていなかったのか?」と読者のおしかりを受けてしまいそうですが、そうなのです(^^ゞ。ホームページ作者としてあるまじきことなのですが、何卒お許し下さい。実は注文は紀伊国屋BookWebにしてあったのですが、「品切れ」との返事が返ってきていました。そのまま注文はキャンセルされたのかと思いきや、数日前に「もうじき入荷しますよ!」とのメールです。とにかく入手できたので文句は言えませんが、その間にどこかの洋書屋さんで買っていたら、どうなっていたのでしょうか。紀伊国屋さんに聞いてみたいところです。値段は上下巻併せて13000円もしますから、書籍代には極めて鷹揚な女房さんでも角を出したことでしょう。

それはともかく、これは面白そうな本ですね。ヘイワースの文章は大変分かりやすい英語で書いてあります。英国人の英語は難しい単語や言い回しが多用されるという先入観を持っていた私にしてみれば、平易な英語は有り難いです。まだちゃんと読んでおりませんので、今回は写真と、それにまつわる話について書いてみます。

この本には私が知らなかった写真がたくさん盛り込まれています。まずは上巻(1885-1923)にある写真。ストラスブール時代(1915年)の写真はクレンペラーのお師匠であるプフィッツナーそっくりです。何と、クレンペラーは髭を伸ばしております。私は髭なしのクレンペラーしか知らなかったので、これには目を奪われました。あのまま「髭の指揮者」を全うすれば、大変な人気者になっていたかもしれません。

次に下巻(1933-1973)。クレンペラーの頭部が真っ白の異様な写真があります(p156)。目はギョロギョロしてますし、異様な雰囲気です。写真の見出しには「頭部に包帯を巻いたクレンペラー、ロサンゼルス、1947年」とあります。

本文を読んでみますと、こんなことらしいです。3月13日の晩、とあるバーにいたクレンペラーは二人の男に出会いました。彼らはクレンペラーに「他の店に行こうぜ」と誘いかけ、クレンペラーを車に乗せたのですが、その途上、クレンペラーは暴行を受け、30ドル(!)を強奪されたのだとか。明け方近くにクレンペラーは路上で血まみれで発見されたそうです。ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙には「クレンペラー博士、アメリカ・ジャズを求めて恐喝される」との見出しが踊ったそうであります。

この話は私も知りませんでした。クレンペラーには大変気の毒なことですが、逸話の宝庫としてのクレンペラーにはまだまだこんな「面白い?」話が隠れているのですね。きっと本文をきちんと読んでいくと、すごい話がうじゃうじゃ出てきそうです。CDだけでは伺い知れないクレンペラーの世界がここにはありそうです。


8月18日:密かな趣味に生きる日々

先日の当欄で、会社のお昼休みに鯉を捕まえた話をご紹介いたしました。一体どんな環境にある会社なのかと訝る方も多いでしょう。そこでもうひとつ、きっと皆さんが呆れるでありましょう私の隠れた活動をご報告申しあげます。

それは野菜の栽培であります。ここ数週間は灼熱地獄のため、活動が中断されておりますが、お昼休みに会社の空き地を利用して野菜を作っているのです\(^o^)/。春先にひょんなことから菜園部を結成。一人1500円の会費を有志十数人から徴収し、農作業に詳しい2名を先生に祭り上げて活動を開始しました。活動、すなわち農作業であります。

皆さん、農作業は面白いですよ。本当です。土の耕し方にもコツがあったりします(当然ですね)。2名の先生(私どもは菜園部長と呼んでおります)が農具を持つ姿は私などとは違ってキマッています。いやあ、格好いいです。

収穫した野菜たち集めた会費はたった1500円でしたが、これで十分でした。その後に追加徴収することもなく、苗を始め、必要な設備をすべて揃えることができたのには感激です。その後数ヶ月間ずっと楽しめたわけですから、大変安価な趣味と言えるでしょう。苗を植えるとしばらくして花が咲き始めますし、楽しい限りです。野菜がかわいくなって毎日水をあげました。さらに、夏が近づいてくると、植えた野菜が実を付け始めます。これには一同欣喜雀躍。なす、きゅうり、ピーマン、トマト、メロン、スイカ、ししとう、トウモロコシ、枝豆、などなど、様々な野菜が次々となってきました。これを毎朝収穫し、夜家に持ち帰って女房さんに料理してもらい食していたのですが、自分たちで愛情を持って育てた野菜であるために、特においしく感じました。写真は7月下旬に収穫した野菜の写真であります。スーパーの野菜と違って形は良くありませんが、うまいですよ。

残念ながら、利用した土地にはかつて大量の除草剤がまかれたことがあるそうです。もちろん、野菜を植える土地としては最悪です。ミミズもほとんど見かけませんでした。それでもおいしい野菜ができたのですから、菜園部一同、次の苗植えに向けて気合いが入っています。土を良くすることから始め、立派な野菜を作るべく、農作業について勉強を重ねています。さすがに女房さんもこの活動ばかりは羨ましいらしく、自分もやりたいといっています。うーむ、世の中楽しいことがたくさんありますね。


8月17日:悪魔の辞典

鈴木淳史著「クラシック悪魔の辞典」(洋泉社)を読みました。タイトルはオドロオドロシイのですが、期待したほど悪魔的ではありませんでした。あまりやりすぎると、著者の鈴木さんも日中街を歩けなくなると恐れたのでしょう。

それでも何とかやれるだけはやったとは思えます。例えば、ラトルの項では次のような記述があります。

ラトル(Rattle, Sir.Simon:1955-)「指揮者」 何の障害もない、何の思想的負担もない、状況に応じて丹念にテキストを解釈すれば、チョー、オッケーとほくそえむ永遠の若造。ただし、その手法はあまりにも緻密な上、抜群の音楽的完成度を誇るので、ロマンぽいの好き世代やモダンだもん世代を、まんまとだまくらかすことに成功、広い年齢層から支持を得ている。

こんな含蓄に富む文章が延々と続くので、私は「なるほど、そんな解釈もできるのか!」と感心してしまいます。

このような文章を私は大変面白いと感じるのですが、古くからのクラシック音楽のファンはどう感じておられるのでしょうか?。昔のクラシック音楽関係の文章は非常に硬質で、めったに出会わないような難しい漢字が並ぶか、イタリア語だかラテン語だか、ドイツ語だかよく分からないような難解な外国語が羅列されていました。学術論文でもあるまいし、演奏や音楽の善し悪しを知りたいだけの読者がなぜ難解でチンプンカンプンな文章を読まなければならないのだろうかと私は長いこと苦しみました。だからこそ、こうした破天荒ともいえる文章には密かに好感を持っております。

口語体に近い、いわば言文一致体による言いたい放題の音楽評論が現れたのは、私が知る限り、洋泉社から3年ほど前に出版された「クラシック名盤&裏名盤ガイド」からではないかと思われます。あれは痛快な本です。「やはり全く違う音楽の聴き方、感じ方があったのだ!」と安心しました。

「最近やや行き過ぎた文章もあるかな?」と私も思うことがありますが、なお、クラシック音楽をしかつめらしい鑑賞の世界から解放した洋泉社のデスクには感謝したいところです。そういえば、「クラシック悪魔の辞典」も洋泉社です。よほどクラシック音楽にこだわりのある方が編集部におられると想像されるのですが、実態はどうなのでしょうか。大変気になるところです。


8月16日:感涙のブルックナー

先日、この欄でご案内申しあげました小澤征爾指揮ウィーンフィルのブルックナー交響曲第9番を聴きました。先週金曜日の当欄で書きましたとおり、私は小澤のブルックナーに対してはやや懐疑的でした。そのため、全く期待しないで聴いたのですが、これは予想をはるかに上回る名演奏でした。ダイナミックさと繊細さが見事に調和しており、小澤征爾のしなやかな音楽性が最大限に発揮されていたと思います。期待していなかっただけに嬉しいです。

確かに、私が小澤の演奏に感激したのは、日本人の演奏家がウィーンフィルを指揮しているという特殊な事情によるところもあると思います。が、それを考慮してもなお、大変優れた演奏だったと思います。個人的には、見ながら聴きながら感涙にむせんでしまいました。私は演奏を評価できないほど小澤のブルックナーに没入してしまい、溢れる涙を隠しながら、見聞きしておりました。

小澤征爾は予想通り暗譜でこの難曲に臨んでおりました。ご存知のとおり、ブルックナーの交響曲第9番は、天才ブルックナーの「奥の院」とも言うべき傑作中の傑作です。まさに天才ブルックナーの神懸かりの筆致が冴える曲なのですが、演奏は簡単ではないでしょう。緩んだ演奏にも時々お目にかかります。このような難曲をわざわざ選んだ小澤征爾は、この曲に「いっちょう賭けてやろうか」という気持ちがあったのではないかと思います。実際今回の演奏は、小澤渾身のブルックナーで、隅々までブルックナーの精神が宿る感動的な演奏でありました。最初に述べたとおり、小澤のブルックナー演奏は不安だったのですが、今回の演奏を聴いて、すべての不安が払拭されてしまいました。ブルックナー指揮者としての天分があったのかもしれませんし、今後指揮者として大化けするかもしれません。音楽ファンの間では最近あまりいい評判がない小澤ですが、本当の直球勝負でブルックナーを演奏してくれたことに、ファンとしては心から感謝せずにはおれません。本当に楽しみです。

おそらくはドイツ・グラモフォンなどのメジャーレーベルからあの演奏がCD化されると思われますが、画像で見る小澤征爾の感動的な姿は、CDでは味わうことはできないでしょう。その意味で、あの映像は貴重なものであったと心から思います。


8月15日:田酒

青森県の名酒「田酒」小さな我が家に家族が増えました。今日は女房さんがみずなちゃんを連れて退院してきました。その女房さんの手伝いのために青森県八戸市から義母も上京してきました。

というわけで、我が家ではてんやわんやの大騒ぎです。もちろん昨日から「みずなちゃん誕生大パーティ」が開催されていることは言うまでもありません。

本日のメインは料理ではなくお酒であります。

田酒。「でんしゅ」と読みます。青森県の地酒です。地元でもなかなか手に入りにくいお酒であります。八戸の義母に無理を言って送ってもらったのですが、これは本当にうまいお酒です。先週の日曜日の出産騒ぎ以後、私も禁酒しておりまして、今週末の大パーティーに備えておりましたから、お酒の味もひとしおです。

田酒というお酒は、関東ではほとんど知られていないと思いますが、これは東北が生んだ最高のお酒の一つであります。ビールの世界では辛口とか何とか言っておりますが、そのような低次元のものではなく、おいしいお酒というものは甘口・辛口を超えて、ただひたすらうまいものであります。私は普段ビール党なのですが、今回ばかりは日本酒党になりました。

ところで、お知らせです。

本日より8月いっぱいは、とてもCDをゆっくりと聴く余裕がありません。わずか60uの我が家にいきなり2名の家族が増えたわけですから、まともにCDを聴けないのです。つきましては、8月中は「CD試聴記」等の更新は原則的に休載いたします。「What's New?」等でCD紹介を含めた音楽の話(?)を毎日掲載したいと思いますので、何卒ご了承下さい。

なお、9月以降、強力にパワーアップする予定です(本当です)。是非ともご期待下さい。内容については秘密ですが、このページの古くからの読者なら、私の企画が何であるか想像がつくでしょう。え?何かって?えっへっへ。それは秘密です。


8月14日:クナのCD

巷で話題騒然?のクナ本、すなわち「Hans Knappertsbusch discography」(吉田光司著 キングインターナショナル)を入手してきました。値段も約1400円と手頃でしたので安心しました。CDショップの店員さんの話では、大変よく売れているそうです。それはそうでしょう。日本語でこのような本格的なディスコグラフィーはなかったのですから。

著者の「吉田光司さん」。どんな人なのだろうかと前から思っていたのですが、この本を読んで初めて分かりました。あの「ミン吉さん」ではないですか。そういえば「Syuzo's Homepage 」の紹介文もミン吉さんが書いておられましたね。今まで気がつかなかったのは何とも恥ずかしい話であります。

ミン吉さんといえば本格的な聴き手で、私のような素人と違ってスコアを参照しながらCDを聴いていらっしゃいます。このディスコグラフィーの後書きにも「演奏に対してきちっとした意見を述べようとするならばやはり楽譜は不可欠で、無責任な発言を避けるため常に留意した」とあります。何だか胸にグサグサさと突き刺さるお言葉です。赤面せずにはいられません。ミン吉さんもホームページを立ち上げるそうですから、きっとすごいページが出来上がるのでしょうね。うーむ。

さて、話は変わります。ご存知かとは思いますが、来月TESTAMENTからクナ指揮によるバイロイト音楽祭の「神々の黄昏」が発売されます。もちろん私も予約してきました。面白いのは、予約時に店員さんから「国内盤、輸入盤がCDで出ますが、豪華なLPも出ますよ!どうなさいますか?」と聞かれたことでした。おそらく今年下半期最も強力な録音と予想されるだけにTESTAMENTも販売に力を入れているのでしょう、LPまで同時に出すというのは非常に珍しいです。

実は私もこの「LP」という言葉には気持ちが大きく動いてしまいました。今20歳代前半くらいの方々はLPそのものさえご覧になったことがないかもしれませんが、あれは大変立派なものです。1枚もののLPでさえも所有する喜びを感じました。3枚組以上になると、豪華なカートンボックスに入っていて、これまた宝物のような重量感があったのです。私が高校の頃まではLPを聴く以前に、買っただけで幸福な気持ちになれたものでした。クナの「神々の黄昏」の場合、LPは6枚組セットですから、さぞかし立派なカートンボックスとなるでしょう。TESTAMENTがどこまでやってくれるかまだ分かりませんが、LP用の豪華解説書なんてのも付くのかもしれません。想像するだけでも興奮しますね!残念ながらLPを聴くにも私には今やレコード・プレーヤーがありません。それゆえ、「神々の黄昏」は輸入CDだけを注文しました。しかし、まだ悩んでいます。豪華LPセットを買って、書斎にでも飾って置きたい!プレーヤーがなくてもいい!うむむ、これではTESTAMENTの思うつぼ。危険であります。それはともかく、邪悪なワーグナーの世界をクナで聴きたいですね。早く発売にならないものか、鶴首する私であります。

このクナの「神々の黄昏」、LPを予約された方はいらっしゃるのでしょうか?もし詳しい情報をお持ちでしたら、是非教えて下さい。


8月13日:小澤のブルックナー

15日(日)のNHK-BSで小澤征爾指揮ウィーンフィルによるザルツブルク音楽祭の中継があるそうです。今話題の小澤がウィーンフィルを指揮する非常に注目を集める演奏会です。しかも、演目はワーグナーの「トリスタンとイゾルデ<前奏曲と愛の死>」と、驚くなかれ、「ブルックナーの交響曲第9番」です。

小澤は基本的にはコンサート指揮者ですから、今までにベートーヴェンも、ブラームスも、マーラーも演奏してきましたし、CDの全集もあります。しかし、ブルックナーというのは初めてではないでしょうか。もしかしたらあちこちで密かに演奏していたのかもしれませんが、意外な演目であります。「小澤のブルックナー」と聞くだけで違和感さえ感じてしまいます。オケがブルックナー表現を完全に身につけているウイーンフィルですから、みょうちくりんな演奏にはならないと思いますが、ちょっと不安でもあります。やはり聴く前から違和感を禁じ得なかったブーレーズがウィーンフィルを指揮したブル8のライブも去年放送されましたが、あれも予想どおりウィーンフィルだけが際立つ演奏になっていました(私はブーレーズが嫌いなわけでは決してないのですが、あのときは正直言って、誰がこのコンサートを企画したのだろうかと首をひねりました)。

もっとも、あのウィーンフィルを相手にすごいブルックナーを響かせることも十分あるでしょう。私とすればそう願いたいところです。小澤征爾は大変な勉強家として知られていますから、暗譜で振るくらいの意気込みで指揮台に立つでしょう。また、舞台は数々の奇跡的演奏を生んできたザルツブルク祝祭大劇場です。それこそ奇跡的演奏が行われるかもしれません。「小澤の奇跡」とかいう華々しい新聞の見出しが現れる可能性だってあります。こうなると、とても楽しみです(^o^)。いったいどんな演奏になるのでしょうか。どうせなら思いっきりやっていただきたいものです(きっと小澤もそのつもりでしょう)。

なお、放送時間は午後8時から10時のようですが、変更があるかもしれません。ご興味のある方は、当日の新聞等でご確認下さいますようお願い申しあげます。


8月12日:クレンペラーのベートーヴェン・チクルスに「コリオラン序曲」を追加しました。


8月11日:クレンペラーのベートーヴェン・チクルスに「交響曲第7番」を追加しました。

上記コメントは、CDを聴いた直後に興奮して書いたものなので、文章の流れや表現が何となく変です。が、うまい表現も浮かばないし、興奮を伝えるのに十分だろうと思って、今回はあえて手を入れませんでした。そのうちに改訂するかもしれません。でも、この録音を聴いた人なら、私の興奮もご理解下さることでしょう。


8月10日:みずなちゃん誕生!

本日午前11時11分、みずなちゃんが誕生しました。嬉しいです。感動であります。とても幸せであります。読者の皆様にはいろいろとお気遣いいただきまして誠にありがとうございました。

お産直後の女房さんとみずなちゃん左の写真はお産直後の女房さんとみずなちゃんです。女房さんは長いお産で疲れ果てた顔をしておりますし、髪の毛もぐしゃぐしゃです。人様にお見せできる格好ではないのですが、何卒ご容赦下さい。人生に何度もないような大仕事をした女房さんを立派に思う私であります。なお、「みずなちゃん」の名前の由来については7/25の当欄をご参照下さい。

簡単に出産の経緯を書きますと、以下のとおりです。

予定日は13日でしたので、もうそろそろかとは思ってはいました。が、Xデーは突然やってきました。8日(日曜日)の夜8時半頃にわかに破水。一挙に我が家は緊迫しました。もっとも周章狼狽したのは私だけです(^^ゞ。入院の準備は完全にできておりましたので、すぐさまタクシーを呼んで病院に向かいました。

翌日には生まれるかと思い、その晩は私もなかなか眠れませんでした。睡眠時間は3時間。ところが、困ったことに待てど暮らせど生まれてきません。陣痛も一時はかなり密にあったのですが、どんどん遠のくようでした。やむなく昨日はいったん家に戻り、私はへとへとになって眠りこけてしまいました。女房さんは今日の朝方から陣痛が再開し、朝9時になってやっと分娩室に入ることができました。が、それからも長い苦労があった模様です(亭主はこの3日間おろおろするだけでした。女房さんは偉いです)。

ともあれ、無事に生まれてほっとしました。3016グラムの女児です。大変可愛く思えるのですが、どうも予想どおり私に似てしまったらしく、将来がやや心配です(^^ゞ。早くもらってくれる人を捜さなくては。


8月9日:CD試聴記に「R.シュトラウスの交響詩<英雄の生涯>、ほか」を追加しました。トスカニーニ指揮NBC響の演奏です。

トスカニーニはAn die Musik初登場です(^-^)。


8月8日:インターネット・ショッピング

CDNOWに注文していたCDが届きました。マイナーなCDばかり頼んだので、どうせ半分以上は「在庫なし」で買えないだろうと高をくくっていたところ、注文した商品全部が届いてしまいました(^^ゞ。自宅にCDが届けられますと、女房さんの目を欺くことは不可能です。私に冷たい視線を浴びせる女房さんには、大量のCDの必要性を言葉巧みに説明しましたが、納得してはもらえませんでした(>_<)。どうせなら開き直ってしまいたいところですが、この攻防戦は我が家の年中行事になっているため、私が開き直ってはきっと女房さんもつまらないでしょう(そうかな?)。

CDNOWはかつてはよく利用していました。が、最近は少し遠ざかっています。というのも、Music Boulevardと合併する話が出たあたりから、検索結果の表示画面が見にくくなってしまったからです。ちょっと前までは使い勝手も良かったので「さすが世界NO.1だ」と思っていたのですが、これではどうも「?」です。合併に際してシステム統合に時間がかかっているのかもしれません。

難癖をつける文章は書いていて自分でも楽しくはないのですが、もうひとつ。届けられたCDのケースがほとんど破損していたのには閉口しました。表面にひびが入っているとか、角が欠けているとかいうのではありません。CDをケースに固定する突起部分(正確には何というのでしょうか?)が粉々になっていたのです。海外から届けられるものですし、輸送の途中で破損するのは十分理解できますが、あの部分が大量に壊れているのにはまいりました。1枚ものなら市販のケースで対応できますが、厚手の2枚組CDですと替わりがありません。薄手のケースに入れ替えると、大きさが合わないので変な形になってしまいます。壊れやすい場所ではありますが、もしかしたらメーカー、あるいはCDNOWの倉庫での取り扱いに問題があったのかもしれません(もっとも、CDNOWに注文してこのような破損があったのは今回が初めてでした。何か特殊事情があったのかもしれません。念のため)。

インターネット・ショッピングは非常に便利なので、文句を言いつつ、つい注文してしまいます。為替変動の影響は大きく受けますが、それでも割安な値段で買えます。輸入盤は音もいいし、値段も安いとくるわけですから、とても国内盤を買う気にはなりません。国内CDでもインターネットを利用して、もっといい商売ができそうなものですが、一部のショップを除けば、まだ普及しているとはいえません。そんなことをしているうちに、ますます国内盤から客足が遠のいてしまうような気がするのですが、実際のところ、どうなのでしょうか。業界の関係者はどうでもいいと思っているのでしょうか。競争力がなくなったことが明らかになっているのに、何も変えようとしていないように思われます。いわゆる「ゆでガエル症候群」なのかもしれません。「これが日本だ」と言えばそれまでですが、何か寂しいものを感じます。


8月7日:トップページ最下段に「E-mailを下さる方へのお願い」を追加しました。

最近またメールをいただく機会が増えてきました。私のホームページに対する叱咤激励がほとんどで、大変嬉しく思います。ただし、どう対処して良いか分からなくなるときもあります。つきましては、恐縮ではありますが、作者のわがままをあえて記載してみました。内容については、長らくこのページと付き合って下さっている読者にはご理解いただいており、既にこの「What's New?」でも取り上げたことがあります。口うるさい作者で、かえって顰蹙を買いそうですが、何卒ご理解いただきたいと思いますm(__)m。


8月6日:クレンペラーのベートーヴェン・チクルスに「交響曲第6番<田園>」を追加しました。これはMUSIC & ARTS盤です。


8月5日:名盤案内

音楽之友社刊「名曲名盤300」。こういう本は「もういいや。いらない」と思っている割には買ってきてしまいます。しかも、自分が知らないCDが記載されていると、「をを!」と感心し、すぐ買いに走ります。

そういう読者がいるからこそCDメーカーとつるんだとしか思えない選盤になるのでしょう。交響曲や管弦楽曲で言えば、メジャー指揮者&メジャーオケ&メジャーレーベルのCDばかりが記載されています。確かに小さなCD屋さんではクラシックCDさえ置いていないし、置いてあったとしてもごくごく有名どころしか陳列していないでしょうから、私がよく聴くマイナーな演奏家やマイナーなレーベルのCDはまず載りません。しかもいかに流通量が多くても海賊盤は載りません。どうしたことなのかと首をひねってしまいます。

ところで、昨日CD試聴記で取り上げたプロコフィエフの交響曲第5番。20世紀を代表する大交響曲のはずなのですが、どういうわけか「名曲名盤300」には入っていません。あろうことか、私が大好きな「ロミオとジュリエット」も洩れています。300という数は大きいようで小さいですから、超有名な曲をさしおいてまで入れることができなかったのでしょう。確かにサラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」のような曲が載っていたりするのですが、ほとんどの曲は落とせないものばかりです(サラサーテファンの方、ごめんなさい!)。

しかし、音楽史的な評価と名曲としての人気にはやや乖離があるようです。私も昨日のCD試聴記で書きましたが、プロコフィエフの交響曲第5番はセルの演奏を聴くまで、大きな声では言えませんが、退屈だと思っていました。もしかしたら、今回のセル盤で同曲の人気もあがるかもしれません。どうでしょうか。


8月4日:CD試聴記に「プロコフィエフの交響曲第5番」を追加しました。セル指揮、クリーブランド管の演奏です。


8月3日:アマオケ

今日の日経新聞夕刊に広上淳一指揮「マーラー交響曲第7番」の演奏評が出ていました。オケはアマチュアの世田谷交響楽団。演奏評は音楽評論家として名高い樋口隆一さんです。

樋口さんは広上淳一さんの力量を知るため、このアマオケを聴きに行ったそうです。結果は...。こんな感じです。

しかし、第1楽章が始まると、やはり酷な要求だったかと思わざるを得なかった。響きは良いがすぐにひっくり返る金管、音程が極めて不安定なヴァイオリン、和声の定まらない木管は、マーラーの難曲の演奏にはあまりにも弱体に思えたからである。

うむむ。これは手厳しい。とりつく島もないという気がします。もっとも第2楽章以降の出来には樋口さんも大満足で、新聞記事の見出しも「最終楽章のロンド圧巻」となっているほど面白い演奏だったようです。

アマオケのコンサートを知る人なら誰もが理解できると思いますが、アマオケはへたくそです。ですが、私は聴いてがっかりしたことは一度もありません。アマオケには、プロのオケからは得られない熱い雰囲気が感じられ、それが如実に聴衆に伝わるからです。うまくてつまらないプロの演奏より面白いことが多いはずです。この演奏会でも、おそらくはマーラーの7番を演奏したかったのは世田谷響のメンバーであって、広上さんではなかったでしょう。きっと世田谷響の方々はこのマーラーの難曲を自分たちで演奏したかったのだと思います。だからこそ、音楽評論家をも楽しませる演奏ができたのでしょう。メンバーのやる気なくして聴衆を感動させることはできないはずです。ちょっとくらい技術的に難点があろうとも、ライブでは気になりません。燃える演奏が会場を沸き立たせてくれるのですから、アマオケの方々も自信を持って難曲に挑戦すべきです。

ただ、樋口さんは最後にこう書いています。「世田谷交響楽団にはあえて一言。大曲主義も良いが、同時にモーツァルトなどの古典的な作品を学び、緻密なアンサンブルを確立してほしい」。

それはそうなのでしょうけれど...。やりたい曲を演奏するからこそアマチュアらしいのでは?別にモーツァルトをやりたくないと言うわけではないでしょうが、全員参加の音楽で、しかも自発性を発揮できる曲となると、モーツァルトでは少し難しそうですね。どうでしょうか?


8月2日:クレンペラーのベートーヴェン・チクルスに「交響曲第3番<エロイカ>」を追加しました。ベートーヴェン・チクルスに関する「CDの音質について」も加筆しました。

「あれ?もうこれは取り上げてあるのでは?」と思ったクレンペラーファンの読者の方。是非お読み下さい。私の懺悔があります。


8月1日:読書感想文(漢字が多いぞ!)

高橋直樹著「鎌倉擾乱」(文春文庫)を読みました。この文庫本は「非命に斃る」「異形の寵児」「北条高時の最期」と、3つの物語が収録されています。「非命に斃る」は鎌倉幕府第2代将軍源頼家の物語。「異形の寵児」は元寇の後、内管領として幕政を牛耳った平頼綱の物語。そして、「北条高時の最期」は表題のとおり鎌倉幕府最期の得宗(北条家の総帥)であった北条高時を描いたものです。どれも読み甲斐がある力作でした。

北条高時といえば、一般的には幕府を滅亡させた悪逆非道の馬鹿殿様みたいな扱いを受けています。が、ここでは内管領の長崎氏に手玉に取られ、苦しみもがく姿が描かれており、小説として実に面白く読ませます。

私はこの本を読むまで知らなかったのですが、高時を苦しめる長崎高資の父で、高資の前の内管領であった長崎円喜入道高綱は平頼綱の甥だそうな。これには驚きです。平頼綱は得宗である北条貞時が幼少であるのにつけ込み、恐怖政治で鎌倉を取り仕切ったわけですが、あまり平頼綱に権力が集中すると、成人した得宗の北条貞時に滅ぼされます。貞時は平頼綱一族を誅殺することなく、一族の中から有力者を選んで子供の高時に補佐役として付けたということなのでしょう。さすがの貞時も中国のような「五族皆殺し」のような真似はしたくてもできなかったのでしょうか。しかし、それがめぐり巡って幕府の屋台骨を腐らせるわけですから、歴史とは恐ろしいものです。

鎌倉時代の歴史は血の歴史といってもよいほど凄惨なものです。こんな時代の歴史小説を読んでいると、いくら歴史好きな私でも薄ら寒いものを感じずにはいられません。明日からはもっと明るい題材の本を読むことにしましょう。

そうそう、「鎌倉擾乱」と同時に文春文庫から野中広務著「私は闘う」が出ていましたね。よほど買おうかと思ったのですが、たぶん野中広務氏が自分で書いた本ではないと推察されたので買いませんでした。意外と面白かったりして。どうなのでしょう。


(An die MusikクラシックCD試聴記)