「わが生活と音楽より」
リゲティを聴く文:ゆきのじょうさん
■ リゲティとの出会い
ゲンダイオンガクと呼ばれる領域において、私が最初に聴いた作曲家はジェルジ・シャーンドル・リゲティ(1923-2006)でした。それも、リゲティのディスクを買って聴いたわけではありません。容易に想像がつくように、映画「2001年:宇宙の旅」のサウンドトラック・レコードで聴いたのでした。
「2001年:宇宙の旅」という映画を知る切掛けとなったのは、ご多分に漏れず、映画音楽のオムニバス集に収められていたR.シュトラウス/「ツァラトゥストラはかく語りき」冒頭の音楽でした。その音楽とジャケットに添付されていた月面シーンのスチール写真に惹かれたからです。おそらく1970年代前半のことでしたので1968年公開の映画は当時もちろん上映されておらず、ビデオなどもない時代です。そこでまず、「ツァラトゥストラはかく語りき」のレコードを購入しました。それがカラヤン/ウィーン・フィル盤(国内盤 SLC-6060)でした。正直、あの格好良い冒頭以後はよく分からない音楽で退屈したのを覚えています。
それからしばらく経って、「2001年:宇宙の旅」のサウンドトラック・レコード(国内盤 MM-2012)を買いました。「ツァラトゥストラはかく語りき」はベーム/ベルリン・フィルの演奏であり、私はレコードを買い間違えたのだと悔やみました。しかし青木さんの「カルショーの名録音を聴く 4.カラヤンとカルショー」にもあるように、後年、映画で使用されていたのは、偶然にも私が最初に買ったカラヤン/ウィーン・フィルだったそうです。私はこの「2001年:宇宙の旅」のレコードを何度も聴きました。ジャケット表紙には宇宙ステーションから宇宙船が発進する絵が描いてあり、見開きには映画のシーンが写真で並べられて居ました。それらも穴が空くほど眺めていました。映画はテレビでも放映されずにいたので、アーサー・C・クラークが書いた小説の日本語版を読んでいました。そして、ついに1978年テアトル東京でリバイバル上映が行われて、観ることができました。感無量であったことを覚えています。そして実際に観て初めて分かったのは、この映画でまず流れる音楽は、「ツァラトゥストラはかく語りき」ではなく、リゲティの「アトモスフェール」だったことです。
閑話休題、「2001年:宇宙の旅」のサウンドトラックはCDとなっており、リゲティの以下の4曲も聴くことができます。
■ 2001年:宇宙の旅 サウンドトラック盤
リゲティ:
アトモスフェール(1961)
エルネスト・ブール指揮南西ドイツ放送交響楽団ソプラノ、メゾソプラノ、二つの混声合唱団と管弦楽のためのレクイエム(1963 / 65)からキリエ
フランシス・トラヴィス指揮バイエルン放送響、同放送合唱団ルクス・エテルナ(1966) 無伴奏16部混声合唱のための
クリトゥス・ゴットヴァルト指揮スコラ・ カントルム・シュトゥットガルトアヴァンチュール(1962) 3人の独唱者と7人の器楽奏者のための
ブルーナ・マデルナ指揮ダルムシュタット国際室内アンサンブル米Rhino/atlantic (輸入盤 R2 72562)
LPで最初にリゲティを聴いたときは正直苦痛以外の何ものでもなく、「ツァラトゥストラはかく語りき」「美しく青きドナウ」「ガイーヌ」を拾って聴いていたこともあります。しかし、CDのようなトラック番号を指定できないLPですから、自然と何回もリゲティを聴く羽目に陥ります。すると不思議なものでドライアイスから出てきた煙のようだと感じていたリゲティの音楽が色彩豊かなものに聞こえてきました。特にモノリスのテーマとして使われていた「キリエ」の地の底から湧いて出てくるような音響に入り込めるようになってきましたし、月面のシーンで用いられた「ルクス・エテルナ」も別世界の美しいものとして聴くことができるようになりました。リゲティという作曲家がただの際物ではないことが実感できたと同時に、ほぼ同時代のゲンダイオンガクを、映画に用いたキューブリック監督の慧眼には言葉がありません。
なお、今回採りあげたディスクは「2001年:宇宙の旅」の他のサウンドトラックCDと違って、オリジナルで使用されていたカラヤン盤と、公式サウンドトラック盤で代用されたベーム盤の「ツァラトゥストラはかく語りき」を聴き比べることができます。またリゲティについては映画では「ルクス・エテルナ」から「キリエ」、「キリエ」から「アトモスフェール」に切れ目なく繋がるようにしていたのを、各々独立した曲として収録しているばかりではなく、映画では使用されていたのに公式サウンドトラックLPでは収録していなかった「アヴァンチュール」を未編集版(映画では加工してあった)で載せています。そしておまけとして映画で登場する「Hal 9000」コンピュータの台詞も収録しており、とてもお得なディスクだと思います。
さて、リゲティのディスクとしては、WERGOレーベルのディスクが古くから知られており、ジョナサン・ノット/ベルリン・フィルを中心とした「リゲティ・プロジェクト」(WARNER TELDEC)が最近では有名です。他にもDGからもコンプリートレコーディングとしてブーレーズやアバドによる録音がまとめられています。SONY CLASSICALからも室内楽を中心としたアルバムが出ています。
そんな少なくないリゲティのディスクの中で、ここでは、ちょっと変わったコンセプトでまとめられたリゲティのディスクを紹介したいと思います。
■ ピアノのための練習曲集と民族音楽
リゲティ:ピアノのための練習曲集第1巻(1985)
無秩序
開放弦
妨げられた打鍵
ファンファーレ
虹
ワルシャワの秋
ヤン・ミチエルス ピアノ
バンダ・リンダ作品集
オンド・トゴロデ録音:2001年4月(リゲティ)、1995年12月(バンダ・リンダ)、ベルギー
ベルギーMEGADISC(MDC7821)リゲティ/ピアノのための練習曲集第2巻、
悲しい鳩(1988)
4鋼鉄(1988)
眩暈(1990)
魔法使いの弟子(1994)
不安定なままに(1994)
組み合わせ模様(1993)
悪魔の階段(1993)
無限柱(1993)
ヤン・ミチエルス ピアノガムラン及びケチャ作品
イ・マデ・バンデム/ゴング・ケビャール・ガムラン・オーケストラ録音:2001年4月(リゲティ)、1996年9月(ガムラン及びケチャ)、ベルギー
ベルギーMEGADISC(MDC7820)リゲティのピアノ曲と、民族音楽をカップリングしたディスクです。これはただ単に奇をてらった訳ではなく、リゲティが晩年、アフリカやアジアの民族音楽を研究し、積極的に取り入れていたということに由来しているようです。
第1巻はアフリカ音楽との組み合わせです。いきなりオンド・トゴロデによるバンダ・リンダという中央アフリカの音楽から始まります。出だしの管楽器の響きは、まるでヤナーチェク/シンフォニエッタのように聞こえました。その後に名前も分からない楽器で奏でられる音楽と、言葉も分からない歌が無茶苦茶に散乱しているようでいて、全体が大きな塊となって降りかかってくる様に呆然としていると、突然リゲティのピアノ独奏曲が始まります。すると不思議なことにほっと一息つけてしまうのです。「無秩序」はどこかドビュッシーのような色合いを持っています。「ファンファーレ」は第1巻の中でも有名な1曲だそうですが、同時に異なる音楽が組み合わさって進行する複雑な響きが横溢しています。どちらかと言えば聴きやすい「虹」を挟んで、最も有名な「ワルシャワの秋」は一番アフリカ音楽の影響を受けているとのことですが、「ファンファーレ」と同様に複数の曲が同時に鳴っているような感覚に襲われていると、突然曲が終わり、さりげなくバンダ・リンダの音楽が実に自然につながって聴こえてくるのです。確かにリゲティの音楽とアフリカ音楽の繋がりを実感できる一方で、やはりリゲティはヨーロッパ音楽の視点で作曲しているということも感じることが出来ました。
第2巻は、今度はインドネシアのガムランと総称される打楽器群の音楽と、やはりインドネシア、バリ島の民族音楽であるケチャという男声合唱の音楽が、リゲティのピアノ曲と組合わさっています。先のバンダ・リンダと同様、このようにまとめて聴いたのは初めてでした。同じアジアの音楽というだけで、何となくバンダ・リンダよりは衝撃が少ない繊細な響きに感じます。2曲のガムランの曲が続いた後に始まる、リゲティの「悲しい鳩」は震えるような細かい響きがガムランとの繋がりを想像させてくれます。たっぷりと間を空けて続く「鋼鉄」と「眩暈」はどちらかと言えば、アジアよりはヨーロッパの響きに思えます。「魔法使いの弟子」に続いてケチャが始まるのですが、これが実に痛快な音楽です。スタジオ録音ですから本場で聴くともっと良い意味で土臭く、迫力があるのでしょうけど、ここでのケチャコーラスも躍動感に溢れています。このあと、間髪入れず始まる「不安定なままに」は、第1巻の「無秩序」のような儚い響きがあって美しいと感じることができますし、「組み合わせ模様」もちょっと小さな滝で輝き散っていく水滴のようにも感じます。最後の2曲「悪魔の階段」と「無限柱」はゲンダイオンガクのピアノ曲としては有名なのだそうです。前者の弱音での複雑な音の絡み合いから大音響となっていく様や、後者の指が何本あれば弾けるのだろうと思うような音の厚みと速度を聴くと、なるほどと思ってしまいます。最後に2曲ガムランによる演奏があり、時空を越えたリゲティとの相似を考えさせてくれます。
ここでリゲティを演奏しているヤン・ミチエルスは解説書によりますと、第1巻を初演、第2巻を二番目に演奏したとのことで、技巧としては全く破綻を感じません。録音もオーディオ・ファイルのような生々しい音を目的にするのではなく、聴きやすい自然な音づくりです。「悪魔の階段」と「無限柱」の間はCDが止まったかと心配になるほど無音が続くなど、曲ごとの間隔もかなり計算されていると思います。
古典音楽から始まるヨーロッパ音楽の系譜から辿ると、リゲティの音楽は「2001年:宇宙の旅」での諸曲で聴くとおり、当時の最先端で先鋭的な鋭さをもったものであることは理解できます。一方においてバンダ・リンダ、ガムラン、ケチャなどとの比較をすると、リゲティが魅了された音楽の力が分かると同時に、これらの異文化の音楽を基点にするとリゲティの音楽はやはりヨーロッパの伝統が息づいているのだなと感じますし、一層の興味を抱いてくるのです。
(2008年4月24日、An die MusikクラシックCD試聴記)