「わが生活と音楽より」
2人のジャズピアニストでモーツァルトを聴く文:ゆきのじょうさん
私の部屋には、うずたかく積まれたカセットテープのラックがあります。20年以上も前にFM雑誌を眺め回してエアチェックしたものばかりです。安物のカセットテープしか買えませんでしたし、保存状態に気を遣ったわけでもありませんでしたが、20年以上経った今でも奇跡的に聴ける状態で残っています。
先日、そのカセットテープを何気なく眺めていましたら、その中に「第1回東京ミュージック・ジョイ」と銘打たれた演奏会のエアチェックテープがありました。そのラベルの記載をまとめると以下のようなコンサートだったようです。
キース・ジャレット&チック・コリア プレイ モーツァルト
ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト:
ピアノ協奏曲第23番イ長調K.488
キース・ジャレット ピアノ
ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466
チック・コリア ピアノ
2台のピアノのための協奏曲変ホ長調K.365
キース・ジャレット、チック・コリア ピアノ
田中義一指揮新日本フィルハーモニー管弦楽団
1985年2月1日、東京、簡易保険ホールご記憶の方も多いと思います。当時においても著名なジャズピアニストであった、キース・ジャレットとチック・コリアがクラシック音楽、それもモーツァルトのピアノ協奏曲に挑戦した演奏会でした。
手元にあるのは、このテープだけですので、いかなる経緯でこのような企画が催されたのかは分かりません。1985年4月29日にエアチェックされた3曲は2本のカセットテープに分けて録音してあり、残りの面には(記載されたメモからみて、おそらく1985年3月9日に放映された)このコンサートに関する特別テレビ番組の音声が録音してありました。演奏家自身へのインタビューなどの他にコンサートを聴きに来た人へのインタビューもあり、それによりますと、このコンサートは二人がマイルス・デイビスのバンドにいた時以来、15年ぶりの共演とのことでした。したがって、継続的に行われていたものではなく、この時が(少なくとも日本では)初めてのコンサートであったと思います。さらに現在までのところで調べた範囲では、この二人がその後、国内外で同じようなコンサートをしたという情報がないので、もしかしたら唯一の競演だったのかもしれません。
存在を忘れていたテープでしたが、改めて聴いてみると当時エアチェックしながら味わった興奮が蘇ってきました。「正統な」クラシック演奏ではないという批判もあったと記憶していますが、では一体何が「正統」なんだろうと思い返したくなるほど、ここでの二人の演奏は素晴らしいものでした。しかし残念なことに、この演奏会は正規CDのリリースはされておりませんので、これ以上の感想を書き連ねることは差し控えたいと思います。
さて、その後二人は別々にモーツァルトのディスクを録音しています。それらを紹介してみたいと思います。
■ キース・ジャレット
キース・ジャレットは、クラシック音楽との触れあいは珍しいものではありません。何と言っても有名なのはバッハの平均律クラヴィーア曲集を全曲録音していることです。個人的には拙稿「二つの平均律クラヴィーア曲集を聴く」で採りあげたクロシェ盤と並ぶ、美しいバッハ演奏だと思っています。他にもヘンデルのリコーダー・ソナタをミカラ・ペトリと録音をしたり、ショスタコーヴィチの録音もあります。
モーツァルト:
ピアノ協奏曲第23番イ長調K.488
ピアノ協奏曲第27番変ロ長調K.595
ピアノ協奏曲第21番ハ長調K.467
(カップリングはフリーメーソンのための葬送音楽 K.477、交響曲第40番 K.550)キース・ジャレット ピアノ
デニス=ラッセル・デイヴィス指揮シュトゥットガルト室内管弦楽団
録音:1994年11月、1995年1月、シュトゥットガルト、モーツァルトザール/リーダーハレ
独ECM(輸入盤 449 670)残響豊かな録音であることを差し引いても、なんという美しいピアノなのでしょうか。日本でも演奏した第23番からして、「モーツァルトのメロディってこんなに美しいんだぜ」と言いたいかのような、立体的な構築よりも徹底的に旋律美を強調して歌い上げた演奏だと思います。もちろん、テンポや音型を歌い崩した薄っぺらいものにはなっていません。第二楽章でのピアノが活躍する場面になると、ジャレットが表情豊かに全身を動かしながらここぞとばかりに弾いているのが目に浮かぶようです。第三楽章では、日本での演奏ではオーケストラがついていくのが精一杯な快速で弾きとばしていましたが、ここではひとつひとつのフレーズを慈しみ、味わうように演奏しています。おそらく「正統的な」モーツァルト演奏を好まれる方が聴けば、伴奏オケも含めて「なんと平板で厚化粧な演奏であることか」と沢山の批判をされるだろうことには何ら反対をしません。しかし、これはこれでただ身を委ねて聴くことができれば、心が癒される演奏だと思います。
続いての第27番も夢見心地で、甘い香りにむせかえるような演奏です。柔らかい羽布団の上で舞うかのように、ジャレットのピアノはひたすら自分が感じるモーツァルトの美しさを歌い上げていきます。指が鍵盤の上を飛び跳ねるような時もあれば、しっとりと撫でる時もあり、決して単調ではありません。それでも、私のようなピアノに素人の人間が聴いても、定評あるモーツァルト弾きの演奏とは明らかに曲に対する向き合い方が違うのが明白です。ジャレットと同じようにジャズ演奏もしたグルダがケンペと競演したライブと聴き比べても、ジャレットがクラシック的な演奏をしていないことがよく分かります。第一楽章のカデンツァもジャレットは特別なことは何もしておらず、屈託のない演奏をしています。第二楽章でも即興的な装飾符をかすかに加えるものの、元々の楽譜からどれほどの歌を引き出せるかという点だけに集中しているようです。終楽章もテンポは穏当なまま進められ、大仰なニュアンスなど皆無であり、一瞬古風な演奏スタイルではないかとすら思ってしまいます。ところが最初のアインガングになるとジャレットは短いながらも激しいパッセージを弾ききって、アクセントを付けて聴き手を飽きさせないように工夫しています。その後はパッセージ毎に色彩を強め、カデンツァになってテンポの揺らし方が初めてジャズ演奏のような乗りを加えてきます。その後は最初のテンポにみごとな呼吸で戻るのですから、やはりただ者のピアニストではないことが思い知らされるのです。
2枚目のCDに収録されている第21番は、曲自体のためもあってか、さらに晴れやかな気分が強く出ています。第一楽章において密やかな部分では、前の2曲のようにこぼれ落ちそうなほどの磨ききった珠のような美しい響きに満ちていますが、これに加わって堂々とした拡がりがあります。中間部でのオーケストラとの絡み合いも味わい深いものを感じます。第二楽章は実にゆったりとしたテンポの中でこれ以上ないくらいの美音を並べ、わずかに即興を加えるなどジャレットの魅力が全開になった演奏と言ってよいでしょう。終楽章においても、ムード音楽そのものではないかとか、「モーツァルトらしい」軽妙さや愉悦感に欠けるなどという批判は簡単にできると思います。これらの批判については、それでは何かモーツァルトの本質を持った演奏なのかという裏返しの議論も可能なわけですが、ここでのジャレットの演奏がひたすら美しいと感じることができれば、それはそれで素晴らしいディスクだと申し上げて良いのではないかと思うのです。それだけの魅力に満ちていると考えます。
ジャレットは、その後、もう一つモーツァルトのアルバムを世に送り出します。
モーツァルト:
ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466
ピアノ協奏曲第17番ト長調K.453
ピアノ協奏曲第9番変ホ長調K.271「ジュノーム」
(カップリングはアダージョとフーガ K.546)キース・ジャレット ピアノ
デニス=ラッセル・デイヴィス指揮シュトゥットガルト室内管弦楽団
録音:1996年5月、1998年3月、シュトゥットガルト、モーツァルトザール
独ECM(輸入盤 289 462 651)前のアルバムと同様に、大変に美しい演奏です。第20番は短調ということもあるのか、思い入れが強い弾き方でジャレットが腰を浮かしそうなほどの揺れ動き方をしているのではないかと想像してしまいます。カデンツァは数少ないディスクを聴いてきた私には聴き慣れないものでした。解説には特に誰のカデンツァかは書いていませんでしたが、もしかするとジャレット自身のものかもしれません。第二楽章も弾き崩すようなことは皆無で、楽譜通りの音符を奏でているのでしょう。しかし、中間部の速いパッセージを始めとして音楽は楽しく揺れて、歌っています。第三楽章ではフレーズの変わり目でわずかに間を空けたりするなど細かいところで工夫があり、オーケストラも普段目立たないようなパートが浮き彫りになって、ジャレットのピアノとのやりとりの面白さを聴かせてくれます。最後の華やかな幕切れまで、まったく退屈させることのない演奏です。
これに第17番と第9番が組み合わされているのは、おそらくジャレットの意向なのだと思います。「正統的」モーツァルト演奏の観点からは沢山の文句がつけられるのだと思いますけど、いずれもが美しく、楽しく、そして深い呼吸があります。これだけで十分ではないかと思わざるをえません。私は特に第9番での伸びやかさに強く惹かれました。
■ チック・コリア
キース・ジャレットに比べると、クラシック音楽にはより遠い存在であるような印象を持ってしまうチック・コリアですが、日本での演奏会で初めてモーツァルトを演奏したわけではありません。それより前にコリアは二台のピアノのための協奏曲を録音していました。
モーツァルト:
二台のピアノのための協奏曲第10番変ホ長調K.365
チック・コリア:
二台のピアノのためのファンタジー
フリードリヒ・グルダ:
二台のピアノのための「ピンポン」フリードリヒ・グルダ、チック・コリア ピアノ
ニコラウス・アーノンクール指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団録音:1983年6月、アムステルダム、コンセルトヘボウ
独TELDEC(輸入盤 2292-42988)グルダとコリア、それにアーノンクールとコンセルトヘボウ。よくもまあ、これだけ意外な取り合わせを実現したものだと思うディスクです。さて、そのモーツァルトですが、第一楽章から徹頭徹尾、とても美しいものです。アーノンクールの指揮も交響曲で聴くような刺激的な色彩は希薄で、折り目正しく演奏しています。グルダのモーツァルトはケンペとの競演でも感じましたが、ひとつひとつの音に万華鏡のようなニュアンスを込めています。一方のコリアは、おそらくグルダとの入念なリハーサルが行われたのでしょうけど、グルダに負けず劣らずどころか、第二楽章ではグルダ以上と感じるほどの優しさと輝きに満ちた演奏をしています。最終楽章では美しい響きはそのままに、ところどころでほのかなリズムの崩しや、ちょっとしたニュアンスの変化の掛け合いも聴くことができて、大変楽しめる演奏になっています。特にカデンツァでのコリアのピアノ演奏は、かなり仕掛けが入っていて短い時間の演奏ですが味わいは深いものがありました。
おそらく、このディスクの録音の存在が日本での演奏会に繋がったのだろうと想像します。前述のテレビ番組でのインタビューでは、コリアのピアノに対して「カラフルでファンタスティックだった」「音が綺麗だな」「透き通った音色だった」と多くの賞賛の声がありました。そのコリアは、演奏会から10年経って、自分とジャレットが弾いた2曲を録音します。
MOZART SESSIONS
モーツァルト:
ピアノ協奏曲第23番イ長調K.488
ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466“Songs for Amadeus”
(ピアノ・ソナタ第2番ヘ長調K.280/189c第二楽章によるヴォーカルとピアノによる即興演奏)
チック・コリア ピアノ
ボビー・マクファーリン 指揮とヴォーカル
セント・ポール室内管弦楽団録音:1996年2月5-7日、ミネソタ、ベテル大学ドナルド・ベンソン大ホール、1996年5月21日、ニューヨーク、メイソニック・グランドロッジ
米SONY (輸入盤 SK62601)前奏曲と題して、マクファーリンのヴォーカル、コリアのピアノによる即興演奏がまず始まります。それがモーツァルトのフレーズに移り変わって、協奏曲第23番が始まるという趣向です。オーケストラの序奏においてもコリアは即興的に演奏しており、耽美的なジャレットと比較するとむしろ躍動感が強調されているように感じられます。その中で、スパイスのようにジャズの香が見え隠れするのです。フレーズの移り変わりでの呼吸の置き方は明らかにクラシック演奏家とは違うものを感じますし、かなり右手の旋律を重要視した弾き方であることが分かりますが、実に楽しそうに弾いているので、聴いているこちらもわくわくしてきます。カデンツァは「正統的な」ものではなくコリア自身のジャズ演奏になっています。しかし元々のフレーズが絶妙に散りばめられているので、私にはあまり違和感はありませんでした。第二楽章でもコリアのピアノはジャズの色彩を散りばめて演奏しています。これをモーツァルトへの冒涜と断じるのも簡単なことです。しかし、コリアはモーツァルトを材料として己の音楽をしているわけではありません。第三楽章でのリズム感はもっと下品に弾き崩してやることもできそうなのに、軽やかでありながらも品格を保っています。ジャズの要素はあまり強調せずにあくまでもモーツァルトの音楽を尊重しているのがよく分かります。この点では、己が醸し出す美にひたすら集中するジャレットより好感を持たれる方もいるだろうなとも思います。
第20番も即興演奏による前奏曲から始まります。まるで曲の一部となっているかのような雰囲気を持ちながらも、創造性あふれる演奏だと思います。続く協奏曲でもコリアは原曲を崩さないように即興的な装飾符や音型の変化を取り混ぜていきます。フレーズの終わりの処理などを聴いてみても、多様な変化をみせているので、聴いていてとても楽しくなってしまいます。カデンツァはこのディスクの中でも白眉の演奏ではないかと個人的には思います。コリアが立っているジャズという世界と、モーツァルトというクラシック音楽の幸せな出会いがここには存在します。第二楽章は意外なほど素っ気なく速めのテンポで始められます。しかし、そこかしこにジャズピアニストとしてのコリアが溢れんばかりの歌心をもって対峙していることが心地よい変化となって聴き手を和やかにさせてくれるのです。第三楽章も劇的な律動をもって音楽が弾み、畝って進んでいきます。息をつかせぬままにジャズの世界に誘うカデンツァを経て、華やかに幕が引かれます。
コリアのディスクで特徴的なのは、二枚とも協奏曲以外にジャズに近づいた曲をカップリングしていることです。あくまでも「正統な」クラシックアルバムの作りを崩さないジャレットと比べて、この点でも対照的だと思いました。
■ 生きた音楽、新しい感覚
1985年に共演したジャレットとコリアの二人とも、録音としてモーツァルトを上梓するまでにおよそ10年という歳月が存在したのは、奇妙な偶然なのでしょうか?私はそうは思えないのです。ジャレットが自ら担当した第23番を録音したのに呼応するかのようにコリアが第23番と自分の担当であった第20番を録音し、それを受けたかのようにジャレットが第20番を後で録音したのです。日本での演奏会以降に二人がクラシックかジャズでどれほど共演したのか、共演はなくてもどれほどの交流があったのかは、門外漢である私には分かりません。しかし、この奇妙な符号があるので、二人はモーツァルトに関して10年近くも沈黙という「共演」を続けていたのではないかと想像しています。
ところで、冒頭において私はジャレットとコリアの来日演奏会の正規CDはリリースされていないと書きました。しかしながら私が知る限り唯一、ジャレット独奏の第23番だけがVHSビデオ映像として正規リリースされたことがあるようです。
トーキョー・ミュージック・ジョイ1985-1987 ビデオアーツ・ジャパン(国内VHS VAH-0848 1988年)
このビデオには、「キース・ジャレット、モーツァルトを語る」というインタビューも収録されています。その中でモーツァルトの演奏について、即興演奏をするミュージシャンは、(同じく)即興演奏家だったモーツァルトの考えがわかるから、譜面に書かれたモーツァルトの曲を演奏する時、より大胆に演奏することができる、と語っています。また、次のようにも言っているのです(字幕テロップを一部沢が改変しています)。
「モーツァルトが自分の曲をどう演奏させたかったかは世界中の学者達が研究していることですが、彼が生きていたら自分の曲を型にはめようとせず、常に生きたものにしておきたかったと私は思います。その為にはたえず新しい感覚で演奏されねばなりません。」
絶えず新しい感覚で演奏すること、これが音楽を生き生きとさせる原動力の一つではないでしょうか?この感覚はジャズに限られたものではないはずです。少なくてもこの二人のモーツァルトを聴くと、それは私にとっては確信となっています。クラシックの世界では異端の極みであろう二人のジャズピアニストのモーツァルトは、良い意味で個性的であるとともに、私にとっては音楽とは何かを改めて再考させてくれるものでした。二人とも音楽がとても好きで、ジャンルを問わずそれが体現できるという点で、やはり偉大なのだと思います。この稿を書くにあたり改めて聴いた、二人の本領であるジャズの分野でのディスクを少しだけ触れてこの冗長な拙文を閉じたいと思います。
■
ケルン・コンサート
キース・ジャレット ピアノ
録音:1975年1月24日、ケルン歌劇場
独ECM(輸入盤 810 067)すべて即興演奏という驚愕すべきディスクです。バッハもモーツァルトも即興演奏の名手であったと伝えられているのですから、ある意味で音楽家としての王道をいくものとも言えます。これがあるからこそ、前述のジャレットのインタビューの重みがあるのだと思います。
Standards Live スタンダーズ・トリオ
キース・ジャレット ピアノ
ゲイリー・ピーコック ベース
ジャック・デジョネット ドラム録音:1985年7月2日、パリ、パレ会議場
独ECM(輸入盤 827 827)日本でモーツァルトを演奏した同じ年に、パリで行われたライブ録音です。ジャレットがジャズのスタンダード・ナンバーを演奏した、というだけで話題になった「スタンダーズ」シリーズも素晴らしいですが、このディスクはライブならではの熱狂が伝わってきます。グールド以上のうなり声をあげるジャレットも聴きものになっています。
Expressions チック・コリア ピアノ
録音:1994年、ロサンジェルス、マッド・ハッター・スタジオ
ユニバーサル (国内盤 UCCU5133)これもいわゆるスタンダード・ナンバーを中心にしたピアノ・ソロ・アルバムです。モーツァルトの直前に録音されたディスクですが、とても品格があり、磨き抜かれた響きで歌い上げられた演奏だと思います。
Return To Forever リターン・トゥ・フォーエヴァー
チック・コリア エレクトリック・ピアノ
ジョー・ファレル フルート、ソプラノサックス
フローラ・プリン ヴォーカル、パーカッション
スタンリー・クラーク エレクトリック・ベース、ダブルベース
アイアート・モレイア ドラム、パーカッション録音:1972年2月、ニューヨーク、A&Rスタジオ
独ECM(輸入盤 811 978)いわゆるフュージョンというジャンルの代名詞的アルバムです。その時その時でやりたい音楽を手がけるコリアに対しては批判もあるようですが、洗練という点で極致の響きのこのアルバムを聴くと、その凄さに圧倒されます。
Miles Davis At Fillmore: Live at the Fillmore East 録音:1970年6月17-20日、ニューヨーク、フィルモア・イースト
ソニー・ミュージック(国内盤 SICP 841-2)最後は、マイルス・デイビスのライブでジャレットとコリアが競演したジャズアルバムです。勿論マイルス・デイビスを聴くべきディスクですが、オルガンを担当するジャレットと電子ピアノを弾くコリアの掛け合いを聴けば、やはり当時から抜きん出たアーティストだったのだと感じます。
これらのディスクにも、モーツァルトと同様に活き活きとした、その瞬間に生まれ出た音楽が、確かに存在します。
2009年4月12日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記