「わが生活と音楽より」
二人の若手ドイツ人指揮者によるアルプス交響曲を聴く文:ゆきのじょうさん
R.シュトラウスのアルプス交響曲は、今でこそ百花繚乱、いろいろな演奏を聴くことができます。しかし1966年にルドルフ・ケンペがロイヤル・フィルと録音したのが初のステレオ録音として珍しがられたほどで、LP時代の1970年代前半までは、録音もそんなに多くはなく珍曲扱いでした。
この曲が盛んに録音されるようになったのは、個人的な考えとして、一つはデジタル録音で録音技術が良くなったこと、もう一つはCDになったおかげで、途中で盤面をひっくり返すことでの中断がなくなって一気に聴くことができるようになったことがあると思います。
そんな多数のディスクの中で、アナログ録音でありながら今なお遜色のない出来映えを保っているのが、伊東さんも採り上げているケンペ/シュターツカペレ・ドレスデン盤です。これはもはや文化遺産と言っても良い演奏ですが、化石ではなく今なお生き生きとして語りかけてくるものです。
さて、今回相次いで、アルプス交響曲の新盤が出ました。いずれもドイツの、それも余り知られていない都市の歌劇場オケを振って、ドイツ人の若手指揮者が録音したものです。
■ フェルツ盤
R.シュトラウス
アルプス交響曲 作品64
(カップリングはチョルリョーニス:「森の中で」)ガブリエル・フェルツ指揮アルテンブルク・ゲラ歌劇場フィル
録音:2002年5月6-9日、ゲラ・コンチェルトザール
独DREYER-GAIDO(輸入盤 CD21027)序奏の「夜」のテンポは、実にゆったりとして壮大であり、聴いていてすんなりと入り込めます。ここだけ聴いてもただならぬ演奏だとすぐ分かります。その後は曲想によってテンポがゆらめきます。その変化するときの呼吸が実に自然なのです。オーケストラの技量も(もしかしたら録音技術の助けが入っているかもしれませんが)一流どころと遜色ないものです。全体として手練手管を巡らせてはいますが壮大な演奏を指向しているわけでもなく、明瞭度を高くしたり、分析的にしているわけでもなく、基本的には正攻法で描き出そうとしています。「頂上にて」での遠くへ木霊するようなホルンと、一層壮大な広がりは誠にすばらしいものです。この部分だけでも、この曲の新しい名演の誕生だと思います。後半でも息切れすることなく「雷雨と嵐、下山」では、無闇に煽り立てることなく、堂々とした演奏です。「終末」でのやや鄙びた太い音色のオルガンと、管楽器との絡みも味わい深く、フィナーレの「夜」を美しく締めくくります。どの音にもフェルツの徹底した解釈が透徹しており、私は何度か聴き返してみたのですが、いつも、とても途中でCDを止めることができません。それだけ聴き手を引きつける魅力に満ちた演奏です。
フェルツは1971年ベルリン生まれですから、現在36歳。このディスクで共演しているアルテンブルク・ゲラ歌劇場(2006年からチューリンゲン州立歌劇場に名称変更)の音楽監督に2001年に就任したと言いますから若干30歳(アルプス交響曲は31歳での録音)でした。しかしこの指揮者、とんでもない実力者のようです。Googleで日本語検索するとすぐヒットするのですが、アルテンブルク・ゲラ歌劇場専属の日本人歌手のサイトがあります。そこでの新作現代オペラの初演に関する記述によりますと、作曲者すら満足に指揮できない曲を、初めての立ち稽古でフェルツは完璧に指揮したことが書かれています。
フェルツは同歌劇場を2005年に任期満了で辞任しており、現在は2004年からのシュトゥットガルト・フィルの音楽監督と、バーゼル歌劇場の主席客演指揮者の地位にあります。生粋のドイツ人指揮者であり、若くしてアルテンブルク・ゲラ歌劇場の音楽監督に就任したときは「フルトヴェングラーは自分より2歳若くして音楽監督になっていた」と発言したと伝えられていますから野心もあるようです。個人的には将来のベルリン・フィルのポストを争う一人になるかもしれないと考えたりもします(同時にそんなにメジャーにならなくても、とも思ってしまいますが)。
■ アルバー盤
R.シュトラウス
アルプス交響曲 作品64
ヨナス・アルバー指揮ブラウンシュヴァイク州立管弦楽団
録音:2006年6月18-19日 シュタットハレ、ブラウンシュヴァイク
欧Coviello(輸入盤 COV30705)ヨナス・アルバーは1969年オッフェンブルク生まれなので現在38歳。フライブルクで指揮とヴァイオリンを学び、1997年にブラウンシュヴァイク州立歌劇場の第1カペルマイスターとなり、翌年には若干29歳で音楽監督に就任と言いますから、先のガブリエル・フェルツの言葉を信じれば、フルトヴェングラーと同じくらいで、となります。
ブラウンシュヴァイク州立管弦楽団は、同名の歌劇場管弦楽団の演奏会での名称のようです。決して機能美を誇るオケではなく、ドイツの小都市、良い意味での地方都市のオケであり、それ以上ではないようです。そう、ケンペ在任中のミュンヘン・フィルの味わいに近いものを感じます。前身を1587年まで遡ることができると言いますが、そんな歴史の重みよりは、ドイツのオケとしての素朴さ、そして揺るぎなさを感じます。
さて、録音当時37歳のアルバーの指揮ですが実に正攻法です。テンポは堅実でフェルツのように曲想で細かく動かすことはありません。かと言ってケンペのように大伽藍を築くような演奏でもなく、カラヤンのように煌びやかでもなく、プレヴィンのように上品でもなく、ティーレマンのようにこってりしているわけでもありません。どちらかというと渋く、スケールも殊更に壮大にしているわけでもなく、音色も管楽器でのビブラートは極端に抑えられており、全体にほの暗さすら感じます。モノトーンの、水墨画のようなアルプス交響曲です。
それでは地味で木訥で取り柄のない凡演なのかというと、そうは思えないのです。 冒頭の「夜」はしっかりとした音で演奏されて、「日の出」になってもドラマチックに煽ることなく自然な強音で演奏されます。その後繰り返して出てくる「山の動機」の響きはとても豊かです。曲想が変わるところでのリタルダントはほんのわずかしかかかりませんが、機械的なインテンポという感覚はありません。「山の牧場」でのカウベルは静かに鳴り響いており、「頂上にて」では意識して壮大なスケール感を出すことは考えておらず、それこそ自然に音が積み重なったから盛り上がっているという風情です。後半の「嵐」でこそ打楽器の轟きに圧倒されますが、次第に音楽は元の色彩にもどって、「終末」でのオルガンはとても密やかに柔らかく奏でられます。その後の管楽器と弦楽器の絡み合いは、ちょっと聴くだけでは味気ないように感じますが、よく聴くと互いの響きを確かめながら合わせているのがよく分かります。
ここには等身大の演奏を感じます。自分たちが自分たちの思う、感じる音楽をするというスタンスです。大向こうを唸らせようとか、受けを狙おうとかいうのはなく、今目の前にある音楽を虚心坦懐に演奏しようという気持ち、と言えば良いのでしょうか?標題性よりは、一編の交響曲としての演奏になっています。その結果、デジタル録音であり、しかもSACDハイブリッドではありますが、まるでLPで聴いているような懐かしさがあります。
解説書にはブラウンシュヴァイク州立管弦楽団メンバーのリストと写真が掲載されています。リストには日本人らしい名前もあります。写真ではまさに老若男女、皆人なつっこい表情で気取ったところが微塵も感じられません。このディスクは本拠地でのライブ録音だそうです。ブラウンシュヴァイクは人口が20万ちょっと。そこに生活するドイツ人達が聴衆のほとんどを占めているでしょう。この演奏には何処となく文化を感じると言ったら大げさでしょうか?
どちらも若手ドイツ人指揮者の演奏なので採り上げてみましたが、演奏はだいぶ異なります。しかも両者は、既存のディスクにはないものを目指したり、巧まずして表現したりしています。フェルツはスタジオ録音に徹して、すべてに目配りをして、聴いていて無類の面白い演奏です。アルバーはライブ録音(編集はされているようですが)で、作為なく音楽を描き出そうとしており、面白さよりは味わい深さを楽しめます。何となく乱暴ですが、フェルツはカラヤンであり、アルバーはベームに似ていると思いました。
こういう演奏がディスクになってくるのも、やはりドイツの懐の深さなのでしょうか?これからもこの二人の指揮者には注目していきたいと思います。
2007年9月9日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記