「わが生活と音楽より」
来日中止 それでもサンパウロ交響楽団を聴く文:ゆきのじょうさん
日伯交流100周年を記念して2008年10月に初来日すると言うことで、初めてその名を知ることになったネシュリング/サンパウロ交響楽団。「サンパウロ交響楽団を聴く」、「もう少し、サンパウロ交響楽団を聴く」と聴き続けて、すっかりその魅力に取り憑かれてしまった私は、来日した暁には全プログラムを聴いてやろうと心に決め、今年前半で興味があったコンサートチケットもあきらめて資金を確保してわくわくしながら待ち受けていました。
ところが、諸般の事情により、来日は中止とのお知らせ。2008年最大のイベントにしていた私は大いに落胆したものです。文字通り地球の裏側のオーケストラで、FMでコンサートライブが流れることもほとんどありません。日伯交流100周年である2008年を逃して、次にいつ来てくれるのか、文字通り目の黒いうちに聴けるのだろうかとさえ思います。
このコンビは現在、スウェーデンBISレーベルでお国もののヴィラ=ロボスのショーロ全集を順次リリースしています。これはこれで素晴らしいディスクでいつか別の機会で採りあげてみたいのですが、今回は来日中止を惜しみつつ、ブラジル本国のBiscoito Classicoレーベルからリリースされているディスクを紹介したいと思います。
このレーベルからは、サンパウロ交響楽団はベートーヴェンの交響曲を「英雄」を残して出しており、その後、意外にもチャイコフスキー/交響曲第1番「冬の日の幻想」をリリースしました。次は同じチャイコフスキーの第4番か第6番あたりかと思っていましたら、またも意表をついてブラームスを出してきました。
ブラームス:
交響曲第1番ハ短調作品68
悲劇的序曲作品81ジョン・ネシュリング指揮サンパウロ交響楽団
録音:2007年4月26-28日、10月19-20日、サラ・サンパウロ
伯Biscoito Classico(輸入盤 BC229)第一楽章冒頭から、こうでなくてはならぬという轟々とした響きで始まります。しかしテンポは速めで一つ一つの音の加速度は高く、畳み掛けるようでありながらどっしりとした量感があり、前のめりになる直前でテンポを緩めて品格を保っているのは、これまでのディスクと変わりません。それ故、提示部が繰り返されても冗長さが皆無です。終結部近くになると大いにアッチェランドがかかりますが、最後は上品に終わります。
第二楽章は、多くの演奏と違って、寂しさよりは暖かい日差しの田園風景を思い浮かばせる演奏です。この楽章が長調で書かれていることを再確認させてくれました。
第三楽章となると、指揮者、オケとも乗り乗りになっているのが分かります。管楽器が出だしを少し溜めるようにするのも、目を輝かせながら演奏しているようですし、ネシュリングも微笑んで指揮しているように感じます。「ああ、音楽を演奏するのは本当に楽しいな」という昂揚感があります。
終楽章も勢いの良さはそのままで、アルペンホルンの主題が出てもテンポを落とさず、その後からぐっと歌い込んでいくのには感じ入りました。「歓喜(?)」の第1主題は実に若々しく奏でられます。何と音楽が活き活きとしているのでしょうか。ベートーヴェンやチャイコフスキーでも感じた、演奏家たち自身が心地よく演奏し、聴き手にもそれが伝わり、理屈抜きで共感することができるディスクというのは、本当に貴重です(妙な例えですが「のだめカンタービレ」で千秋が指揮するブラームスの第1もこれくらいでなくてはいけないと考えます)。終結まで音楽はうねり、最後のコーダはみるみる加速していきます。大袈裟な見栄を切ることはなく演奏そのものが良い意味で爆発しているのです。拍手などは入っておりませんが、これを実演で聴かせされたら、したくはなくてもきっと「ブラボー」と叫んでしまうでしょう。
フィルアップされている悲劇的序曲はどっしりとした始まり方をします。ネシュリングはこの曲を勢いだけで演奏しようとは考えず、曲想の移り変わりを丁寧に描いていきます。録音方法にも依っているのでしょうけど、木管楽器のニュアンスが豊かに聴き取れるように思いました。金管が妙に咆哮せず、弦楽器群が長い音の出だしに「タメ」を入れるのも印象的です。
このように、チャイコフスキー/第1の次はブラームス/第1でした。「交響曲第1番シリーズ」なのかと想像できます。次は何かと考えれば、このオーケストラの特質などからみてマーラー/巨人ではないかと予想していたところ、これまた意表をついてシューマンを出してきました。
シューマン:
交響曲第1番変ロ長調作品38「春」
交響曲第3番変ホ長調作品97「ライン」ジョン・ネシュリング指揮サンパウロ交響楽団
録音:2006年4月24-26日、2007年4月26-28日、サラ・サンパウロ
伯Biscoito Classico(輸入盤 BC231)「春」の出だしは実に晴れやかで開放感溢れるものです。弦楽器は力一杯弾ききっていて、運弓は実に速いのが明白です。
ともかく全ての音が快晴の日差しの下にいます。第一主題からの弦楽器の刻みはこのオーケストラの美点が余すところ無く発揮されています。第二主題からの弦楽器と木管とのやりとりもとても楽しげです。展開部での盛り上げも心奪われますし、弱音部でも貧相にならず徹頭徹尾演奏者の楽しげな顔をすぐ思い浮かべることができます。沸き立つ弦楽器のリズム、その後は深呼吸するような木管の掛け合い、終結の華やかな幕切れも見事です。
第二楽章での低弦の朗々たる歌も、続く第三楽章のちょっと聴くと豪快な響きも、いずれも節度があり決してはしたないものではありません。トリオでの掛け合いはだれることがなく、颯爽としています。聴いていて心が洗われるようです。
ほぼアタッカで続く第四楽章では、途中テンポを動かして、はっとするような変化を聴かせてくれます。最後の盛り上がりも素晴らしくスケール豊かに締めくくります。
続く「ライン」は冒頭のライン川が雄大に流れるような旋律を、作曲家の指示通りの「生き生きと」した水しぶきを思わせるテンポで奏でます。それ故第二主題とのコントラストが明瞭になって耳に入ります。ここにはシューマンの交響曲から連想される晦渋さは微塵もありません。音は実に明るく豪快ですが、重苦しさや深刻さは皆無であり、またただの脳天気でもなく、純粋に楽しく演奏しているのです。個人的には、こんなにリラックスして音楽に没入できるシューマンというのは初めてでした。
第二楽章も滔々と流れるライン川のような旋律が、わずかに粘りながら歌われるのですが、やはり両手一杯のびのびと広げたようなくつろぎが与えられています。第三楽章ではわずかに陰影が加わりますが、ヴァイオリンの染み渡るような透明感のある歌い方が印象的です。
「荘厳に」と書き込まれた第四楽章は、文字通りに重々しく厳かに演奏されることも多いのですが、サンパウロ交響楽団は陽光の下にそびえ立つ伽藍のように演奏します。この楽章がここまで明るさを帯びることはなかったように思います。
終楽章も祝典的に始まります。余計な小細工はまったく感じられません。ネシュリングが、この開放感を得るためにシューマンの交響曲のオーケストレーションにどの程度手を入れているかは分かりませんが、そんなことはどうでもよくなるくらい、オーケストラは愉悦感に溢れる演奏を聴き惚れるしかなくなります。最後もとても爽やかに終わります。
ネシュリング/サンパウロ交響楽団はこの「第1番シリーズ」で、またリリースするのでしょうか? まさかショスタコーヴィチやブルックナーの第1なのでしょうか? それともプロコフィエフ、シベリウス、ドヴォルザークなどの「大穴」なのでしょうか? 私としては、やはりマーラー/「巨人」と予想したいですし、是非このコンビでの「巨人」を聴いてみたいと思います。
でも、また私の予想なんか笑い飛ばしてしまうような新盤を出してくるかもしれません。どうも地球の裏側から、ネシュリングとオーケストラの面々がにんまりと微笑んでいるような錯覚も感じます。そんな錯覚をするくらい、やはりこれからもこのコンビからは目を(耳を)離せそうもありません。
2008年8月21日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記