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2000年1月

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1月30日:リンクのページに「三毛山猫七SP堂」を追加しました。

これは説明の必要もない三毛山猫七さんのSP録音に関するページです。「今やCDとか、DVDの時代ですから、SPなんて....」などと思っている人はいませんか?過去の音楽家達の多くの名演奏はSPに記録されているんです。確かにCDに復刻されたりしていますが、原盤はあくまでもSPです。CDで聴くのもいいのでしょうが、SPで聴くとまた格別の音色を楽しめるに違いありません。しかも、「三毛山猫七SP堂」をのぞくと、「こんなものまであるのか!」というものまでいろいろ出てきます。いやあ、楽しいですよ。SP録音に関するページとして希少であるだけではなく、読み物として大変充実しています。SPを扱うだけに、レトロ調のページデザインが基調で、これまたユニークです。作者の遊び心があちらこちらに現れる非常に優れたページだと私は思います(きっとご本人も楽しんで更新されているはず。ホームページ作りはそうでなくては)。まずは、ぜひご覧下さい。

なお、「三毛山猫帝国」では猫様が順次登場していますね。そういえば、オペラ関係でも猫が好きな人がいたような....。


1月28日:グルダ死去

大ピアニスト、フリードリッヒ・グルダが27日、オーストリアの自宅で亡くなりました。グルダは1930年生まれですから、享年69歳です。

グルダは大ピアニストだと私は思うのですが、一般的な評価はどうだったのでしょうか?ジャズに走ったり、奇矯な振る舞いが多い人でしたが、天才らしい奔放さがあったと思います。私はかなり好きでした。噂では、モーツァルトのピアノソナタ全集の録音を計画していたということでしたが、一部だけでも録音されているのでしょうか。ぜひとも聴いてみたいですね。

というわけで、今回は私が選んだグルダの追悼盤を勝手にご紹介いたします(^^ゞ。ちゃんとしたクラシックファンなら、やはりアマデオのベートーヴェン・ピアノソナタ全集が最もふさわしい追悼盤でしょうが、この奇才の溢れる才能を知るには、「ゴロウィンの森の物語」が筆頭に挙げられてしかるべきです。これはグルダの傑作中の傑作です。まだ聴いていらっしゃらない方がおられましたら、ぜひ聴いてみることを強くお勧めします。しかし、これは「私が選ぶ名曲・名盤」のコーナーで既に取り上げておりますので、別のCDをご紹介しましょう。

硬派の音楽としてはベートーヴェンのピアノソナタ第32番。アマデオの全集ではなく、単売された別録音です。

CDジャケットベートーヴェン
ピアノソナタ第32番 ハ短調 作品111
グルダ
冬の瞑想
録音:1984年
PHILIPS(輸入盤 412 114-2)

このCDでグルダはベーゼンドルファーを使用しています。グルダがベートーヴェンのソナタで紡ぎ出すふくよかな響きは格別で、19分かけてゆったりと演奏される第2楽章アリエッタは音楽を聴く至福を与えてくれます。録音も抜群に良いため、ピアノのダイナミックな機能美に浸ることもできます。ひとたびこの演奏に接すると、他の演奏が聴けなくなるでしょう。が、このCDの評判をほとんど耳にしないのは、奇抜なカップリングのせいでしょう。「冬の瞑想」と題する自作はファンである私が聴いても、しかも何度聴いてもチンプンカンプンであります。こうした妙な曲を作るところがまたグルダらしいのですが...。

もうひとつ、柔らかめのCDでは...。

CDジャケットFriedrich Gulda
PLAY PIANO PLAY
録音:1980年代半ば
AMADEO(輸入盤 423 043-2)

DISC 1

DISC 2

これは2枚組CDですので、少し気が引けるのですが、あえてご紹介します。グルダのメロディー・メーカーとしての才能を認識させられるすばらしい録音です。特にDISC 2に収録されているわずか5分にも満たないグルダ作曲「アリア」は心温まる名曲です。もし私がピアノという楽器を弾けるのであれば、こんな曲を弾いてみたいといつも思います。

グルダは自分が超一流のジャズミュージシャンだと思っていたようですから、ジャズの演奏も数多くしています。かつて来日したときも、バンドを率いており、何と、クラシックのピアノを弾いた後、同じ聴衆を相手にジャズを演奏していました。グルダのジャズはメロディーがきれいすぎるし、ピアノ(シンセサイザー)もうますぎるうえ、いわゆる「黒さ」を感じさせない嫌いはありますが、大変面白いと思います。長生きしてもっと奇矯なことをして欲しかったです。残念。


1月27日:DGの録音

私はこのところめったに都心に出ることができませんので、コンサートにはすっかりご無沙汰でした。もっぱらCDでクラシック音楽を聴いていますので、「それでもいいかな」などと思ったりしますが、生はやはり違いますね。たまにはライブに接しないと、正確な音楽のイメージを維持することもできなくなるかもしれません。難しいものです。

ところで、当団の来日公演で私はひとつオーディオ上の発見しました。CDの音質に関してです。それは、グラモフォンの録音が、最近のシュターツカペレ・ドレスデンの音をある程度正確に捉えているということです。もちろん、CDの音はマイクが拾い、エンジニア達がそれをトラックダウンし、細かいミキシングが行われ、電気信号が機械を通して発信されるわけですから、本物の音とは比べようもないのですが、ある程度の傾向は表現し得るようです。

DGは老舗ですから、さすがに優秀な録音エンジニアを抱えています。巷では、録音エンジニアによるつぎはぎだらけの録音に対する不満もあるとは思いますが、「これは....」と感嘆する場合もあります。もちろん、全部が全部すばらしいわけではありませんので、今回は一例だけをご紹介いたします。

CDジャケットマーラー
交響曲「大地の歌」
シノーポリ指揮シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1996年、ルカ教会
DG(輸入盤 453 437-2)

演奏内容につきましては、評価が分かれていますが、こと録音に関する限り、このCDは当団の音をよく捉えていると私は思います。そのうちに「シュターツカペレ・ドレスデンのページ」本文でも取りあげるつもりですが、強奏時における楽器のブレンド感や金管・木管楽器の音色など、実によくマイクが拾ったものだと感心します。昔最初にこの録音を聴いたときは、録音があんまりすばらしいので、エンジニアのお化粧が過ぎたに違いないと思っていたほどです。今回のコンサートで、お化粧どころか、シノーポリ統率下の当団の音が、上記CDに反映されているのを真っ先に思い出しました。さすがに現在のメジャー・レーベルでこの水準に達しているところは他にありません。論より証拠。デジタル録音による最近の当団サウンドに浸りたいなら、まずこのCDを聴いてみるといいでしょう。なお、私はこの演奏も好きです(^o^)。


1月26日:ある仮説

今回のシュターツカペレ・ドレスデン来日公演でたまたまご一緒した読者の方に面白い仮説を教えていただきました。それは当団とシノーポリの組み合わせについてであります。その仮説とは、「もし、当団にシノーポリ以外の指揮者が就任していたら、ドレスデンの音はもっと失われていたのではないか?シノーポリ就任以降、当団の音が変わったと言われるが、シノーポリは当団の伝統的サウンドを残そうと努力しているのではないか?」というものです。

今までさんざんシノーポリ批判をしてきた私ですが、今回のマーラー演奏を聴いて、私はその仮説がもしかすると正しいのではないか、と思い始めました。あの演奏はフィルハーモニア管とのマーラー(85年録音)とは全く違います。オケの音色を最大限に活かした当団首席指揮者ならではの名演奏でした。もしオケの機能だけを重視し、音色を重んじる姿勢がなかったならば、あの類の演奏は不可能であったでしょう。

しかも、来日公演のプログラムに載っているシノーポリのインタビュー記事を読みますと、上記仮説に呼応するような表現があるのです。曰く、「私たちは10年前から、古い録音から聴き取れる昔の響きを忠実に作り上げようとしてきました」。活字にまでなっている言葉ですから、嘘偽りではないでしょう。シノーポリは過去の名録音を聴きまくり、当団の音をほぼ正確に掴んでいるのかもしれません。しかし、壁の崩壊後、国際化の波が押し寄せると、もはやどうにもならなかったのでしょう。意外なことですが、シノーポリさん、伝統を維持するために孤軍奮闘している可能性すらあります。だとすれば、今までシノーポリ(と当団の組み合わせ)に対し、悪口雑言の限りを書きまくってきた私は懺悔ものですね!この点に関しては、皆様のご意見もお聞かせ下さい。場合によっては私は剃髪し、出家しなければなりません(>_<)。

もし仮説が正しいとすれば、気になることがあります。シノーポリが聴いた録音がどの時代のものか、ということです。入手しにくいブッシュ時代の録音をを除外しますと、当団の重要な録音は1930年代後半から開始されていますが、大体10年単位で当団の音色、響きは微妙に変わっているようです。これは指揮者と録音技術の影響によるところ大ですが(^^ゞ、以下のようになります。30年代から40年代前半のベームの時代は指揮者の個性を反映して、かなり剛毅な音を聴かせますし、50年代は質実剛健ながらも木目調のドレスデンサウンドが味わえます。60年代から70年代にかけては、スウィトナーやケンペの録音に代表されるように、重厚な響きを残しながらも匂い立つ色気が聴き取れるようになります。80年代になると渋さ重厚さを残しつつも輝かしさを増しています。満遍なく聴いたのかもしれませんが、シノーポリがどの時代に興味を持っているのか、気になるところであります。


1月25日:「シュターツカペレ・ドレスデンのページ」に「来日公演2000 拍手鳴りやまず(後編)」を追加しました。

23日のコンサートも大成功。どうして「第9」だけ芳しくなかったのでしょうか?本当に疑問であります。


1月24日:「シュターツカペレ・ドレスデンのページ」に「来日公演2000 拍手鳴りやまず(前編)」を追加しました。

22、23日のコンサートの模様をお伝えします。両コンサートについて、私とは全く違った感想をお持ちの方もおられるとは思いますが、何卒ご容赦下さい。なにしろ、平常心ではいられませんでしたので。


1月23日:リンクのページに下記サイトを追加しました。皆さん、こだわりのページをつくっておられますね。私はどちらかと言えば、浅く広くなので、こうした方々のページを垣間見るだけで平伏してしまいます。

Portrait of Jean Sibelius

Johansenさんが作るシベリウスのページ。私もシベリウスファンですので、こんなページができると勉強になります。まだ建設中のところが多いですが、これからどんどん発展しそうです。シベリウスの虜になって1年でこんなページを作ってしまわれるとは...。頑張って更新して下さいね。

チェコフィルの世界

誰かがこんなページを作ってくれないものかとずっと思っていたんですが、やっぱりありました!ご存知チェコフィルのページです。チェコフィルのことならこのページにお任せ!という充実した作りですね。チェコフィルは密かにファンを獲得するオケとして、シュターツカペレ・ドレスデンと似ているような気もします。チェコフィルの名盤は数多いし、私もこのページで研究せねば。なお、トップページの写真、指揮者はクーベリックに見えるのですが...どうでしょうか?(その後、アシュケナージであることが判明)


1月21日:ブレンデル その2

昨日の当欄で、人気ピアニストのブレンデルを誹謗してしまいましたので、私は大変心配でした。「ハンマークラヴィーア」については厳しいコメントを書いてしまったものの、私は隠れブレンデルファンですので、自分の文章に不安になったのです。「ハンマークラヴィーア」だけで、ブレンデルのピアノがつまらない、という烙印を押すわけにはいきません。

ブレンデルはショパンを公的には演奏しないと宣言しています。正真正銘ドイツものオンリーのピアニストです。さすがにそう宣言するだけあって、モーツァルトなどによい演奏があると思います。が、最良のレパートリーは、やはりシューベルトではないかと思っています。私は学生時代にブレンデルのシューベルトを毎日聴き続けたせいで、ブレンデルのシューベルトが体に染み込んでしまいました。アンチ・ブレンデルの音楽ファンが何と言おうとも、ブレンデルのシューベルトはすばらしいです(^o^)。

というわけで、「ハンマークラヴィーア」の悪口雑言を書き連ねた罪滅ぼしに、ブレンデルのシューベルトをひとつご紹介します。

CDジャケットシューベルト
ピアノソナタ第13番 イ長調作品120 D.664
ピアノソナタ第4番 イ短調作品164 D.537
ピアノ演奏:ブレンデル
録音:1981年頃
PHILIPS(輸入盤 410 605-2)

シューベルトのピアノソナタは、後期の第19番、第20番、第21番が後期3大ソナタとして有名です。しかし、私が最も愛聴していたのは、ブレンデルのこの地味な録音です。2曲とも技術的には難しくないような気がします。そうではあっても、シューベルトの歌謡的な旋律が耳に心地よいすばらしい曲で、日曜日の午後、ゆっくりと聴いたりすると、時間が経つのも忘れ、シューベルトの音楽にのめり込んでしまいます。ブレンデルは別にしんみり弾いているわけでもなく、必要と思われる箇所では力強くピアノをビンビン響かせます。叙情性だけではなく、逞しさも兼ね備えています。平易な作りの曲であるにもかかわらず、心に染み込んでくる旋律はまさにシューベルトの真骨頂ですが、ブレンデルはそれを丁寧に歌い込んでいます。音楽を聴いた感銘度はその曲の技術的難易度には全く関係しないのです。

私はこのCDを飽きるほど聴いてきました。もしLPであったら、まず間違いなくすり切れていたでしょう。今回この文章を書くに当たり、もう一度聴いてみましたが、そのすばらしい演奏にやはり感心しました。何度聴いても変わらぬ感動を与える演奏は、そうたくさんあるものではないでしょう。ピアノの繊細さや強靱さをくまなく伝えるPHILIPSの名録音とともに超お勧めの1枚であります。


1月20日:ブレンデル その1

「ハンマークラヴィーア」シリーズ?はまだ続きます(^^ゞ。今回は、PHILIPSの看板アーティストであるブレンデルの新盤(95年録音、PHILIPS 輸入盤 446 093-2)です。これは音楽之友社刊の名盤案内で大々的に扱われる有名録音ですね。ブレンデルはこの難曲を、驚くべきことにライブ録音したのです。その情報を入手した私は「これは快挙だ!」と思い、早速買いに走りました。

一聴。とても端正な演奏です。ブレンデルはこのムジークフェラインザールにおけるライブに全力を注ぎ込んだと思われます。ですから、ブレンデルにしても思い切った激しさでこの大曲を演奏しています。さらに、どの楽章にも破綻がなく、よくまとまっています。ライブのわりには安心して聴ける演奏だと言えましょう。

でも、ブレンデル盤では、ベートーヴェンの息吹があまり感じられません(ファンの方、ごめんなさい!)。立派な演奏ではあるのですが、ベートーヴェンの逞しさや、深さ、輝き、どれも少しずつ不足しているように思えてなりません。ライブでありながらキズのない演奏ではあるのですが、その分失ってしまったものが多いのかもしれません。ブレンデルのように長くベートーヴェンの音楽に接し、多くの演奏を行ってきたピアニストでも、この曲が難物であることを思い知らされます。

ただ、ライブ録音を挙行したことは大いに評価したいところです。並のピアニストではとてもそんな恐ろしいことはできないでしょう。何しろ、曲は長大で、しかも技巧的にも高度ですから、ライブ録音ではどうしても演奏上のキズができるはずです。また、肉体的にもピアニストには大きな負担があるでしょう。第1楽章が終わった後、精魂使い果たし、力尽きるなんてこともあるかもしれません。第3楽章はピアノの限界を超えるアダージョですし、並のピアニストでは歌い切ることが困難です。有名ピアニストのスタジオ録音盤でも悪戦苦闘している例があります。その地獄のような第3楽章をクリアすると、今度は長大なフーガです。これは重戦車を人力で動かさざるを得ないような、はなはだ重厚な曲です。これではピアニストもたまったものではないでしょう。よほど腕に覚えのあるピアニストでもなければ、ライブ録音などできないと思います。これを果たしたブレンデルは、やはり大したものなのです。

しかし、どうなのでしょう、ブレンデルは「ハンマークラヴィーア」のライブ録音という快挙を成し遂げましたが、他にもこうした例はあるのでしょうか。仮に他のピアニストがライブ録音したら、「CDとして」良い結果が出たのでしょうか。というのは、ブレンデルの演奏は、部屋の中で冷静に聴いていると「少し物足りないな」と思いますが、ホールの聴衆を熱狂させてはいるのです。演奏終了後、盛大なブラボーが聞こえます。私はCDで音楽を聴く際の難しさがここにあると思います。コンサートホールの熱気を共有できないために、醒めた耳で聴いてしまうのです。「ハンマークラヴィーア」を演奏して、その醒めた耳を満足させるのは容易なことではないのでしょう。

もしかしたら、耳だけに頼る録音をする場合、この曲ばかりはライブは御法度なのかもしれません。壮年期のゼルキンでさえ録音には5日かけているところを見ますと、この曲の録音は半端な労力ではとても成し得ないことがよく分かります。もしブレンデルが、1楽章ずつ丁寧にスタジオ録音していれば、もう少し良い録音になったのではないでしょうか。皆様のご意見をお窺いしたいところです。


1月19日:音楽的なCD

「ハンマークラヴィーア」について、もうひとつ。今回はCDそのものについてです。

私がかつて愛聴していたのは、有名なギレリス盤(82年録音、DG 国内盤 F35G 50052)でした。私はギレリスというピアニストが好きで、そのCDをいろいろ聴いてきました。中でも「ハンマークラヴィーア」はギレリスの代表盤のひとつで、発売当初からの多くの話題を呼んできたものです。やはり名盤です。とりわけ、第1楽章はポリーニの名盤を超える、断然すばらしい演奏だと思います。ギレリスのピアノを聴いておりますと、雷鳴が轟いているような強烈な打鍵に肝をつぶします。もちろん打鍵が全てではないのですが、その打鍵がベートーヴェンの音楽に対するギレリスの真摯な取り組み姿勢まで表しているようで、私は思わず熱い共感を覚えます。

しかし、このCD、私が所有しているものには重大な欠陥があるのです。ギレリスに責任はありません。制作したグラモフォン側の問題です。実は、ギレリス盤ではCDのプレイボタンを押すと、カチッという音とともに、いきなり最初の和音が轟くのです。これをグラモフォンはどう考えていたのでしょうか?私は、これほど音楽的でないCDはないと思っています(`ヘ´) プンプン。

なぜか。これでは聴き手が音楽を聴く姿勢を整える前に音楽が始まってしまうのです。「そんなことはどうでも良いではないか」という読者の方もおられると思いますが、私はどうにも我慢がなりません。CDの収録時間は78分もあるのに、45分の「ハンマークラヴィーア」1曲だけを収録して、しかも寸詰まりのCDを作るというのですから、制作者側の良識を疑わざるを得ません。現在流通しているギレリスの「ハンマークラヴィーア」ではその点が直されているのでしょうか?もし直されているのであれば、買い直したいと私は常々考えているのですが、未だに踏ん切りがつきません。買ってみて、また同じだったら、さぞかしショックだろうと思い、とても買い直す気にはなれないのです(T_T)。グラモフォンは名にし負う大レーベルであるにもかかわらず、音楽を聴く人の気持ちをまるで分かっていないのではないかと邪推したくなります。

CDジャケット一方、CDの作り方で大いに感心した例もあります。こちらは「ハンマークラヴィーア」ではありませんが...(^^ゞ。内田光子のシューベルト・シリーズです。特に、ピアノソナタ第21番(97年録音、PHILIPS 輸入盤 456 572-2)。ご存知のとおり、遠くの小さな泉から少しずつ水が沸きいでてくるように静かに静かに始まる長大な第1楽章を持つこの名ソナタは、最初の数小節が肝心です。どのように歌い出すか、聴き手は固唾をのんで聴き入ります。その開始部分は誠に神秘的で、内田光子の恐るべき実力を窺わせます。しかし、内田光子盤ではプレーボタンを押しても、しばらく音楽が始まりません(@_@)。何と10秒も過ぎたところから訥々と音楽が開始されます。聴き手に耳をすまさせる時間を与えようとするCD制作者の意図は明白であります。私はこのCDを聴いたときに、「制作者はこの曲を本当によく理解しているな。すばらしいCDだ」と思いました。プロデューサーはエリック・スミス。大指揮者イッセルシュテットのご子息ですね。さすが聴き手のことまで考えた優れた作りです。クラシックのCDはこうでなくては。超絶的に優秀な録音とともに、PHILIPSの良さを確認する私でした。


1月18日:CD試聴記に「ゼルキンのベートーヴェンを聴く」を追加しました。曲は「ハンマークラヴィーア」です。このCDは、「私が選ぶ名曲名盤」にも出しているのですが、今回聴き直してまた大きな感銘を受けました。新譜でもなんでもなくて恐縮ですが、のぞいてみて下さい。なお、途中で大げさな表現が出てきますが、馬鹿な作者だとお笑い下さい。


1月17日:ソロモン

CDジャケットThe Great Pianists of the 20th Century No.92
SOLOMON
BEETHOVEN/BRAHMS/CHOPIN/LISZT/MOZART
輸入盤456 973-2

"The Great Pianists of the 20th Century"からもう一枚。第92巻の「ソロモン」(1902-1988)です。ソロモンはわずか8歳でチャイコフスキーのピアノ協奏曲を弾いてデビューしたそうです。面白いのは、彼がそのデビューコンサート当時から「ソロモン」という洗礼名だけで売り出してきたということです。本当は「カットナー」というファミリーネームがあったのですが、彼は「ソロモン」という表記だけを使い続けた珍しいピアニストでした。その名前と、つるんとした、鼻高でやや貴族的な風貌が音楽ファンに与えるインパクトは相当大きかったでしょう。

閑話休題。この2枚組CDは相変わらず盛り沢山です。しかも大変な充実ぶりです。DISC 1にはバッハ(プレリュードとフーガ)、モーツァルト(ピアノソナタ第13番K.333)、ベートーヴェン(ピアノソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」)を収録し、DISC 2にはショパン(子守歌、他)、リスト(ハンガリー狂詩曲第15番、他)、ブラームス(ヘンデルの主題に基づく変奏曲、他)を収録しています。これはすごいです!「ハンマークラヴィーア」と「ヘンデルの主題に基づく変奏曲」という重量級のドイツものに比重を置いた作りで、演奏も第一級品。ショパンもリストもこれでは居心地が悪そうですね。実はショパンの「英雄ポロネーズ」(1932年録音)はスタジオ録音とはとても思えない燃えかたなのですが、それでも分が悪そうです(◎-◎)。また、モーツァルトのピアノソナタ(引退直前の1956年録音)はこれが初リリースだということですが、この布陣ではやはり「ハンマークラヴィーア」を聴いてしまいます(^^ゞ。

というわけで、ソロモンの「ハンマークラヴィーア」(1952年録音)。EMIの後期ピアノソナタ集からの抜粋であります。ソロモンは透き通るようなタッチでピアノを弾く人だったそうですが、なるほどそのとおりです。ベートーヴェンの「ハンマークラヴィーア」はピアニストに並はずれた体力と知力を要求する難曲ですが、ソロモンのピアノではあまりに粒だちがきれいなので、そのような大変な曲だとはちょっと思えないほどです。まるでさらりと弾いてのけた「ハンマークラヴィーア」となっています。そんなこと、想像できますか?仮にも、「ハンマークラヴィーア」ですよ。すごいです。こんなピアノを弾ける人っているんですね。第1楽章のテンポはやや速め。快速運転でスポーティに弾いてはいますが、さすがにベートーヴェンらしい貫禄があります。ただ、ソロモンの演奏は、逞しいというよりは光り輝くような感じですね。私には、大理石でできた硬質のベートーヴェンが光彩を放っているように思えます。快速運転をした第1楽章と対照的に、第3楽章はじっくりと時間をかけてアダージョを演奏します。これは透明感のあるピアノの音色はもとより、ソロモンの音楽設計がすばらしいです。演奏時間の長さを感じさせない、感動のピアノです。第4楽章のフーガもまことに鮮やかです。聴き応え満点でした。

さて、ソロモンの「ハンマークラヴィーア」を聴いたら、他の演奏も聴き直したくなりました。さあ、次の演奏家は誰にしたらいいでしょうか?


1月16日:

その1:リンクのページに「神戸CD倉庫」を追加しました。

当ページの読者、ジャンさんが作ったページです。できたてのほやほやらしく、まだ工事中のところもあります。が、ジャンさんのことですから、きっと楽しいホームページができあがるでしょう。メインは「CD雑聴記」です。ジャンさんが聴かれたCDについてのコメントがあります。なお、"An die Musik"ではメインは「CD試聴記」となっております(^^ゞ。私もホームページを作るとき、うまい表現がないかしばらく考えたのですが...。ジャンさんもさんざん思案されたことでしょう。なお、ジャンさん、鋭意更新をする予定です。私のページともども(^^ゞご贔屓にして下さいね。

その2:カラヤン

昨晩のETVカルチャースペシャルは「ヘルベルト・フォン・カラヤン 天才指揮者の神話と素顔」でした。1時間の番組でしたが、物足りなかったですね(T_T)。おそらくフランスで制作された元の番組は、もっと長かったのではないかと思います。あれではカラヤンがスーパースターだった、ということばかりが強調されていて、いかに天才であったかがよく分かりません。

インタビューはクリスタ・ルートヴィッヒおばさんが面白かったですね。でも、肝心なところがカットされているような気がします。「ウォルター・レッグはカラヤンに対してああしろ、こうしろと言えた唯一の人物であったが、レッグがいなくなると、カラヤンに助言を与える人がいなくなってしまった...」というくだりでは、その後にきっと重要な言葉が続いたはずです。が、それはカットされているようです(あくまでも私の推測ですが)。NHKさんは、大スターであるカラヤンの影の部分には触れたくなかったのでしょうか。もっと充実したカラヤン特集をやってくれないかなあ。

それはともかく、カラヤンについてです。ルートヴィッヒおばさんは「カラヤンのような指揮者が今いますか?ひとりもいません!」と断言していましたが、納得できます。何度も繰り返しますが、私はカラヤンの一部の演奏は好きではありません。それでも大多数の録音は驚異的だと思います。冷たく光る美しい音を持つベルリンフィルという楽器を手にしたカラヤンは、奇跡的な演奏を続けざまに行い、録音しています。シベリウスの録音など実にすばらしいと思います。また、私はブルックナーの「ロマンティック」第1楽章を十数種類聴き比べを行ったことがありましたが、カラヤンの75年録音盤が最も耽美的だったのに驚いたことがあります。とにかく美音、美音、美音だったのです。カラヤンの極度に洗練されたスタイルは、時として冷たい印象を与えずにはおかなかったかもしれませんが、とても凡人の及ぶところではありませんでした。カラヤンのCDはいまだに売れ続けているようですが、もっともなことです。そうだ、今日はカラヤンが指揮したオペラでも聴いてみよう!


1月14日:当団来る!

いよいよシュターツカペレ・ドレスデンが来日します。え?知らなかった?それはいけませんね。実は明日から日本ツアーが開始されるんです(^^ゞ。日程は以下のとおりです。

場所

プログラム

15日(土)
横浜みなとみらい ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」

16日(日)
NHKホール ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」

22日(土)
サントリーホール

モーツァルト:交響曲第40番

マーラー:交響曲第5番

23日(日)
サントリーホール

ワーグナー:楽劇「ワルキューレ」第一幕

「神々の黄昏」抜粋

24日(月)
札幌コンサートホール

モーツァルト:交響曲第40番

マーラー:交響曲第5番

シュターツカペレ・ドレスデン日本ツアーのチラシ指揮者はもちろんシノーポリです。もうご存知だと思いますが、私のシノーポリに対する気持ちは愛憎半ばするものがあります。個人的にはシノーポリと当団との組み合わせはやや疑問符なのです。海外ツアーを行う団体は、知名度の高い指揮者をトップに抱かざるをえません。シノーポリが当団の首席指揮者に就任したのは、冷戦終結後当団が、西側の強力な諸団体を向こうに回して世界各地で勝負しなければならなかったという、のっぴきならない理由があったからだと私は考えています。もっとも、それが当団のために良かったかといえば、そうではないかもしれません。シノーポリという指揮者は、時たま非常に優れた演奏を聴かせてくれるので(例えばこちら)、私は別にアンチ・シノーポリではないのですが、当団との組み合わせはどうも今ひとつという気がします。当団の美しい音色が、シノーポリの時代になってから失われつつあるからです。ただし、声を大にして申しあげますが、それでもなお、当団が比類なきオケであることに変わりはありません。他のオケにはない魅力が厳然として残っています。

シノーポリが当団首席指揮者に就任して8年が経過しています。指揮者の力量を窺うのには十分な時間が経過しています。今回の来日は、シノーポリのもとで当団がどのような変貌を遂げているかを知るためにも無視できないものでしょう。

さて、プログラムです。マーラーを得意にするシノーポリですから、もしかすると強烈な演奏を楽しめるかもしれません。しかも彼の特性が最も顕著に現れそうな5番です。それと、シノーポリは多分、交響曲よりオペラの方に向いていますから、ワーグナーもけっこうイケルかもしれませんね。それもワーグナーの中でもドラマチックな「ワルキューレ」第一幕。そう思うとなんだか楽しみになってくるプログラムです\(^o^)/。さんざんシノーポリに不平不満を言い続けるわりには、俄然聴いてみたくなりました!

というわけで、読者の中で上記コンサートに行かれる方にお願いがあります。できますればコンサート体験記を私宛にお送り下さい。どのような形でも結構です。立派な文章である必要はありません。「良かった!」とか「ひどかった」だけでもOKです。何卒よろしくお願い申しあげますm(__)m。


1月13日:The Great Pianists of the 20th Century

メジャーレーベルが大同団結し、20世紀の偉大なピアニスト達の業績を紹介する巨大プロジェクト"The Great Pianists of the 20th Century"が先頃ついに全巻の刊行を終えたようです。「20世紀の」といいつつも、実態的には20世紀後半のピアニストが多かったことなど、マニアからみれば不満が多い企画だったかもしれませんが、私のようなずぼらな音楽ファンには有り難い企画でした。録音データはしっかりしていますし、解説もきちんとしています。国内盤はいざ知らず、輸入盤で買えば2枚組で1,800円ほどでしたから、超お買い得です。もしかしたら限定生産なのかもしれませんが、これならもっと買っておきたいところです。この間も秋葉原で10数枚を一挙に買い込んでいる人を見かけました。宜なるかなであります。私も財布が許せば、もう少し収集したいと考えています(女房さん、許して!)。

さて、その中から今回は「46.ホフマン」を聴いてみました。

CDジャケットThe Great Pianists of the 20th Century No.46
JOSEF HOFMANN
Chopin/Mendelssohn/Liszt/Rachmaninoff
輸入盤 456 835-2

ホフマンは1876年、ポーランドのクラコフに生まれ、1957年にアメリカのロサンゼルスで亡くなっています。7歳の時にはヨーロッパ・ツアーを行う神童ぶりだったそうです。また、1942年に最後の公開演奏を行っています。ということは、20世紀はおろか、19世紀型の巨匠だったのかもしれません。

お恥ずかしいことですが、私はホフマンについては名前しか知りませんでした。そのため、聴いてみてびっくり。大変な美音の持ち主ですね。もしかしたら完璧なテクニックを持つヴィルトゥオーゾとして名をとどめる人なのかもしれませんが、呆れるほどの美音を聴かせます。なぜ呆れるかと申しますと...。

この2枚組CDに収録されている録音は、最も新しいものでも1923年のもので、大方は1912年以降、最も古いものは1903年!なのです。もちろんSPからの復刻です。ご想像のとおり、ノイズはかなり聞こえます。ピアノの音が歪むこともなく、実にクリアに聴き取れることを考えますと、大変丁寧に復刻をしたと思われますが、それでも最新のデジタル録音などと比べれば、雲泥の差です。にもかかわらず、特に弱音で驚くほどの美音が聴かれるのです。もし、実演を聴いていたら、我が目と我が耳を疑うほどの美しさであったでしょう。まるで小さな宝石がころころ転がるような柔らかい音色で、その音がノイズの中から現れると、もううっとりしてしまいます。それはどのような曲を演奏しても同様です。シューベルトでも、ショパンでも、リストでもそうです。本人も多分それを意識していたのでしょう。ホフマンの作曲による"The Sanctuary"(1915年録音)は、その弱音が多用された曲で、ホフマンはえも言えぬ美音を思いっきり披露しています。

このCDには、ワーグナーの「ワルキューレ」の最後の場面に現れる"Magic Fire Music"が収録されています(1923年録音)。聴く前までは、「ピアノで演奏する曲ではないのに、どうしてこんな曲を演奏しているのだろうか?無意味なことをするものだ」と思いましたが、これは私の浅慮でした。ここで聴ける弱音の美しさは、もう筆舌に尽くしがたいものがあります。論より証拠、聴いてみましょう。


1月12日:リンクのページに下記ページを追加しました。

大冷界

クラシック音楽を聴く人は、私も含め、とても真面目な人が多いように思います。CDショップのクラシック売場にいますと、眼鏡をかけて頭をきちんと分けた、30代から40代くらいのいかにも真面目な風貌の男性が目立ちます。だからといって、いつもしか目面をしてクラシックを聴いているわけではないと思いますが、クラシック界のホームページでは笑いは少ないかもしれません。

というわけで、「大冷界」。全くふざけた楽しいページです(^o^)。クラシックネタだけを使ったすばらしい?駄洒落の数々が楽しめます。いいですねえ。もっとガンガンやって欲しいです。このページのオーナー「冷凍大魔王」は実は某有名ページの管理人であります。私はまさか同一人物だとは夢にも思わなかったのですが、あれほどの超人気サイトを持ちながら、なおお笑いページを作ってしまった「冷凍大魔王」さんには敬服いたします。是非もっと頑張って欲しいですね。

朝な夕なに

このページはあのメンゲルベルクのCDの感想を中心としています。作者西山泉さんのメールアドレスも「mengelberg@....」となっているほどの入れ込みようです。まだ工事中の箇所が多いようですが、これから発展しそうです。私もメンゲルベルクが大好きなので、とても楽しみです。

井上太郎のホームページ

井上太郎さんは本職の音楽評論家です。しかも作曲も手がけておられ、ホームページではMIDIによりその曲を聴くこともできます。

肩がこらないページ

京都在住の柳田俊一さんのページ。ただし、クラシックがメインのページではありません。クラシックリンク集の他にも、「コンピューターウィルス情報」とか「女性の為のインターネット護身術」を含みます。更に、「肩がこらないページ・歴史、古典、考古学分室」では「太平記」や「今昔物語」を独自に現代語訳した文章が載っています。誠に雅やかであります。

ホームページ開設当時、リンクはわずか4つしかありませんでした。いつの間にか、すっかりリンク数も増えてきました。感無量であります。ただ、ぞろぞろとリンクが並んでいるだけのリンク集では使いにくくなってきましたね。そろそろ整理しなくては。


1月11日:「シュターツカペレ・ドレスデンのページ」に「ドレスデンのワルツを聴く(後編)」を追加しました。後編の指揮者は謎の指揮者ガラグリーおじさんです。

本日、午後2時頃アクセス数が60,000件を超えたようです。皆様、An die Musikをご愛顧いただき、誠にありがとうございます<(_ _)>。


1月10日:「シュターツカペレ・ドレスデンのページ」に「ドレスデンのワルツを聴く(前編)」を追加しました。前編の指揮者はスウィトナーおじさんです。

昨日の大河ドラマ「葵 徳川三代」。細川俊之が大谷刑部吉継を演じるなど、見せ場がたくさんあることをうかがわせますね。いつもはほとんど無視される大谷吉継に細川俊之を当てるということは、とてもおもしろいドラマになる可能性があります。島津義弘の正面撤退も華々しく行われています。これで信州上田城攻防戦があれば、完璧だったのですが...。それでは別の番組になってしまうんですね。え?このページもおかしくなってきた?( ̄へ ̄) ムムム・・・。


1月9日:みずなです。明日で5ヶ月になります。4ヶ月のみずなのことをお母さんが書いてくれたのでみてね。

かぜをひいて、みずなもはじめて熱を出しました。今日はだいぶよくなったけど、今月から行く予定だった保育園には、最初の日に2時間いただけで、あとはお休みしています。かぜがはやっているみたいなので、皆さんも気をつけて下さいね。


1月7日:R.シュトラウス

私はホームページオーナーであるのをいいことに、R.シュトラウスの音楽を、やかましいとか、大げさであるとか、いつも言いたい放題であります。そのため、いつかは読者からお叱りのメールが来たり、あるいはホームページアクセス・ボイコット運動が始まったりするのではないかと内心冷や汗でした。

おそらく今日までそうした行動に及ぶ読者が現れなかったのは、文句をぶつぶつ言いながらも、私がR.シュトラウスの少なからぬ数のCDを紹介しているからでありましょう。管弦楽曲作曲家としてのR.シュトラウスは騒々しく、大げさで、外面的効果ばかり狙ったような音楽ばかり作っていますから(ううう、また書いてしまった!)、聴かなくたって別に困ることはありませんが、私が好きな大指揮者達がたくさんの名演を録音してしまったお陰で(^o^)、どうしても聴いてしまいます。また、うるさいと思いながらも、CDショップに行くと、つい気になっていいCDはないかと物色してしまいます。これでは「饅頭恐い」みたいですね(^^ゞ。

ところで、ご存知のとおり、管弦楽曲の作曲家としてのR.シュトラウスはその後一皮むけて、オペラ作曲家へと大きな飛躍をします。要らぬ誤解を避けるためにここで申しあげますと、オペラ作曲家としてのR.シュトラウスは本当にすばらしいです。「サロメ」(1905年)、「エレクトラ」(1908年)「ばらの騎士」(1910年)、「ナクソス島のアリアドネ」(1912年)、「影のない女」(1917年)、「アラベラ」(1932年)、「無口な女」(1935年)など、音楽史上の奇跡としか言いようのない傑作群を続々と発表しています。「ばらの騎士」以降は前衛的なスタイルをかなぐり捨てて、保守的な音楽家に退化したように見えますが、とんでもない。天才の筆は冴え渡り、この世のものとも思えない耽美的な音楽を紡ぎだしていきます。オペラ作曲家としてのR.シュトラウスはもちろん私の大好きな作曲家であります。

しかし、R.シュトラウスはどういうわけか、「女」がつくタイトルが好きだったようですね(R.シュトラウスというより台本作者のホフマンスタールやツヴァイクか?)。「影のない女」と「無口な女」はどうもまどろっこしくなります。「影のない女」は原語では"Die Frau ohne Schatten"、「無口な女」は"Die schweigsame Frau"といいます。原語でも似てますね!(え?似てない?)。私はCDショップでよく「女」、あるいは輸入盤ですと"Frau"の一字を見てCDをピックアップするのですが、その度に「ありゃ、また間違えた」ということを繰り返しています。情けないです(>_<)。ところが、音楽之友社などの雑誌を見ておりますと、時々「影のない女」と「無口な女」のCDジャケットが入れ違いになっていることがあります。そういう発見は何とも嬉しいものです。「慌てて間違えるのは私だけではないのだ!」と人知れず( ̄ー ̄) ニヤリとしてしまいます。そんな私をどうか皆さん、許して下さいね。


1月6日:遁げろ家康

池宮彰一郎著「遁げろ家康」(朝日新聞社、全2巻)を読みました。面白かったです。家康関連の小説・文献は枚挙にいとまがありません。もう類型化され尽くしただろうと思っていたのですが、まだ独自の家康像を描き出すことができたんですね。さすが池宮さんです。池宮さんは昨年「島津奔る」を発表してベストセラーになったばかり。読み応え満点の痛快な「島津奔る」の記憶がまだ生々しいので「遁げろ家康」も期待しておりましたが、その期待を十分上回る出来映えでした。

家康といえば、大変印象が悪い人物です。悪辣で暗く、ジメジメし、どうも好きになれない人が多いでしょう。豊臣家を滅亡させるに至った手練手管があまりにも陰険だからであります。池宮さんは家康をそのような陰険な人物としては書いていません。「遁げろ家康」における家康は、ひたすら小心でびくびくし、臆病風を吹かせてばかりいます。一方、家康の家臣団は今川家に辛酸を嘗めさせられた悲惨な経験から、どうしようもなく強欲になります。あるじ家康は臆病で、家臣に遠慮しながら毎日を暮らしていますが、家臣団は強欲が高じて、ついには家康に天下を取らせてしまうのです。いかにもありそうな話です。小説としてはこうした展開の方が真実味があり、楽しめます。

家康関係で有名な小説には、ご存知山岡荘八著「徳川家康」(講談社、全26巻)がありますが、あれは聖人君子の家康で、どう考えても嘘臭いですね(^^ゞ。ちょっと信じがたいです。ただし、山岡荘八さんは庶民に夢を持たせるために、あえて聖人君子の英雄「徳川家康」を書いたのですから、現代に生きる私のような小僧が文句を言ってはいけません。

ついでにもうひとつ。私の印象に残る家康ものは、現在経済企画庁長官を務めておられる堺屋太一先生の「巨いなる企て」(文春文庫、全2巻)です。こちらの主人公は実は家康ではありません。秀吉亡き後、悪逆非道の家康から豊家を護るために関ヶ原の合戦というビッグ・プロジェクトを創り出した英才、石田三成が主人公です。堺屋先生は猛烈な下調べをしてこの小説を書いているのですが、結果、権謀術数、ありとあらゆる汚い手を使ってでも政権を奪取しようとする家康の姿が浮き彫りになってきます。家康が嫌いになりたい人には(@_@)、これが最もお薦めでしょう。

今週末から大河ドラマでは「葵 徳川三代」が放映されます。ここ数年、見る気もしないような内容だったので無視していましたが、今年は第1回くらいは見てみようかと思います。どんな家康像になるのか、興味津々の私であります。


1月5日:MIDI

昨日この欄でご紹介いたしました「モーツァルト工房」の石田さんから、早速私の認識不足を指摘するメールをいただきました<(_ _)>。ご指摘の内容は私にとっては誠に恥ずべきものでした。が、興味深い内容でもありますので、石田さんのご了解のもと、本日も引き続きMIDIに関する話をしたいと思います。

石田さんのお話では、「MIDIの規格自体はテクノロジーとは無関係ではありませんが、私が恩恵に浴している制作上の環境の技術水準は、おそらく10年以上も前から整っていた」とのことです。したがって、私が昨日書いたように、「コンピューター技術の進歩が著しいことも手伝って、音楽の表現もいよいよ変貌してきたかな?と思う私でありました。」というのは、ちょっと違うことになります。そのとおりかもしれません。最新の技術を使っていなければ表現できないのでは、いかに優れたMIDIデータを作ってもたちまち陳腐化し、人を魅了することはできません。石田さんも、こうおっしゃっています。

私が使っているのは、ソフトも楽器も5年以上も前のものですし、使っている機能と言えば、もうMIDIの規格が策定された当初からあるものだけなのです。単純明快、一つ一つの音の強さ、長さ、そして鳴らすタイミングを、時間をかけて煮詰めて行くだけの、非常にシンプルな制作方法です。

( ̄へ ̄) ムムム・・・。先進的技術が先にあって、その後に音楽がついていったわけではないのですね。当たり前のことなのですが、感嘆しました。やはりそうでなくては、あのようなCDを作ることはできないでしょう。上記文章は短いですが、シンプルな作業を延々と繰り返しつつ、音楽表現を練り、一所懸命CDを制作した石田さんの熱意が伝わってくるようです。

私自身、MIDIに関する知識が不足していたため、妙な文章を昨日書いてしまいましたが、今回はなんだかとても嬉しい発見をしたような気持ちになりました。はじめに技術ありきではなかったのです。石田さん、そして読者の皆様、誠に申し訳ありませんでしたm(__)m。


1月4日:正確な音楽

かつて私が仕えた上司は英語もドイツ語も流暢に話し、教養に溢れ、しかも自らピアノを弾くという才人でした(しかも呆れたことに、美男子です)。そのK氏、ある日パソコンで音符を入力し、再生するという遊びを覚え、これに熱中しました。ショパンをこよなく愛すK氏はショパンのエチュード「革命」を皮切りにジャンジャン音符を入力し、パソコンで再生して楽しまれたようです。曰く、「伊東君、これはすごいよ。完璧な演奏ができるよ。これならポリーニも真っ青だな」と言って力作を録音したテープを私に貸して下さいました。

確かにすごいです。すべての音が正確無比に刻まれるのですから、ポリーニなどではもはや歯が立ちません。しかし、しかしです。残念なことに、信号としてはすごいのですが、音楽として鑑賞できるかといえば、完全に「?」だったのです。K氏には誠に気の毒なのですが、正確な演奏があれほどつまらなく感じたことはありませんでした。鍵盤楽器も、やはり人間が弾くからこそ面白いのだとつくづく感じました。ただ均等に並んでいる音符を信号として聴くのであれば、何も人間が弾き続ける必要はありません。とっくの昔にピアニストという職業は機械に取って代わられていたでしょう。K氏はその後、パソコンに音符を入力するのに疲れ、ショパン・シリーズを断念、かわって軽井沢のスタジオにこもり音楽仲間と自作曲のレコーディングを開始しました。どうもそちらの方は長く続いているようです。

これで「落ち」のようですが、実はそうではありません。もう少し続きます(^^ゞ。私はこの一件以来、コンピューターで作る音楽など、味気ないものだと思い込みました。しかし、それも少し早合点だったようです。

いわゆるMIDIというものがありますね。Musical Instrument Digital Interfaceの略ですね。これはコンピューターを通じて音楽を奏でるものです。昔、いくつかの例を聴いた後、「やはりこんなものか」という程度の印象を受けました。一般的にパソコン上で聴ける演奏は私の予想を超えるものではありませんでした。しかし、つい最近、本格的にMIDIデータによって音楽を奏で、鑑賞に足る演奏にしたCDを聴き、感嘆してしまいました。市販されているCDではないので、ここで取りあげるには若干躊躇されるのですが、石田誠司さんが精魂傾けて作ったCDがそれであります。モーツァルトのピアノソナタハ長調K.300h等が収録されています。石田さんには失礼ですが、実は全く期待しないで聴き始めました。が、これは驚きですよ。まるで人間が弾いている暖かさがあります。正確すぎるところもないわけではありませんが、予備知識なしで聴いて、機械的な音だと分かる人はあまりいないかもしれません。石田さんは、よほど真剣にこのCD制作に取り組まれたに相違ないでしょう。コンピューターやシンセサイザーを使っているといっても、音楽に対する愛情なしにはとてもできない演奏でしょう。コンピューター技術の進歩が著しいことも手伝って、音楽の表現もいよいよ変貌してきたかな?と思う私でありました。

なお、リンクのページに石田さんのホームページを加えました。ご興味のある方は一度覗いてみて下さい。私のように現在のMIDIに驚く方も多いはずです。

モーツァルト工房

MIDIによるCDを制作する石田誠司さんのページ。MIDIデータを音楽として聴かせようとする石田さんの努力の成果が窺い知れる。手作りのCDも頒布中。上記CDについての詳しい情報はこのページで確認するべし!


1月3日:謹賀新年

明けましておめでとうございます<(_ _)>。年末年始は田舎の福島でさんざん飲み続け、すっかりアルコール漬けになってしまいました。これでは明日からの社会生活が不安であります(^^ゞ。ただ、こんなのんびりした時間は、1年の間に何度もあるわけではないので、大目に見ていただけると嬉しいです。

さて、新年の抱負です。

ズバリ、「よいお父さんになること」です。みずなちゃんにとっても、女房さんにとってもいいお父さんにならなくてはなりませんね。特に女房さんは子育てに仕事が加わりますから、私がいつもサポートしなくてはいけません。飲んでばかりではいけませんね(^^ゞ。

ホームページ関係では、特にありません(^_^;)。あまり気張ってもしょうがないので、マイペースでやっていくつもりです。

ただ、漠とした目標はあります。私のページの欠点は、過去系であることです。ついつい過去の音楽家にばかり気を取られてしまうのです。できれば、今年はもっと現存する音楽家についても勉強したいなと考えています。そのためにも何とか時間を作ってコンサートにも足を運びたいところですが...。年に5回くらいは何とか行きたいと考えています(ううう、少ない!)。

さて、明日から本格的な更新をしたいところですが、年末年始の間に頭は空っぽになってしまいました(◎-◎)。本調子になるまで少し時間がかかるかもしれませんが、何卒よろしくおつき合い下さい。


(An die MusikクラシックCD試聴記)