ARCHIVE OF WHAT'S NEW?
2002年4月
4月28日:「あなたもCD試聴記を書いてみませんか」のページに、「ケンペ指揮ミュンヘンフィルの<グレート>を聴く」を追加しました。文章はゆきのじょうさんです。ゆきのじょうさん、ありがとうございました。
この録音は以前からゆきのじょうさんが絶賛していたものでした。最近のケンペ・ルネッサンスの中で、もしかするとCD復刻されるのでは?と期待されていました。予想よりずっと早くCD化されてよかったです。演奏はまさに第1級のものです。この曲に関しては、私のベスト盤になりました。すばらしいですよ!
ところで、本文を読んでいただければ分かりますが、ゆきのじょうさんと私はほぼ同じ頃に同じFM番組を聴いていたようです。ゆきのじょうさんの文章を読んでふと昔の情景を思い出してしまいました。懐かしいです。
4月23日:冒頭にだって静寂が
親切な読者からCDを1枚いただきました。ありがとうございます<m(__)m>。
ベートーヴェン
ピアノソナタ第28番イ長調作品101
録音:1972年1月
ベートーヴェン
ピアノソナタ第29番変ロ長調作品106
録音:1982年10月
ピアノ演奏:ギレリス
DG(輸入盤 463 639-2)何の変哲もないこのCDですが、いわくつきです。私は「ハンマークラヴィーア」に関しましては国内盤を持っておりまして、大変気に入っています。ただ一つの欠点を除いては。その欠点は随分昔、2000年1月19日のWhat's New?に書いたとおり「ギレリス盤ではCDのプレイボタンを押すと、カチッという音とともに、いきなり最初の和音が轟く」ことです。聴き終わる際の余韻も大事なのですが、いきなり音楽がスイッチ音とともに始まるのもいただけません。
このCDは、その欠点が修正されています。ピアノソナタ第28番から続けて聴いても、「ハンマークラヴィーア」から聴き始めてもきちんと冒頭に無音状態を確認できます。その無音状態たるや、わずか3秒程度なのですが、これがとても大きいのです。これで「ハンマークラヴィーア」屈指の名演奏が甦ったことになりますね。え? そんなこと前から知ってたって? う...すみません!
私のように知らなかった方は、ぜひ聴いてみて下さい。改めてこの演奏のすばらしさに感激するはずです。私は第4楽章まで一気に聴き通してしまいました。
4月16日:余録
昨日の朝日新聞(夕刊)にカペレに同行してきた指揮者ジェームズ・コンロンのインタビュー記事が掲載されていました。興味深い内容です。以下に引用します。
・・・同楽団(伊東注:シュターツカペレ・ドレスデン)が演奏するR.シュトラウスのオペラ「ばらの騎士」を聴いた時、「いすから転げ落ちんばかりに」心を動かされた、とコンロンはいう。
「初演時のメンバーがいるはずもないのに、確かにシュトラウスの血が流れている。言葉にできないところで受け継がれていくのが伝統なんだと、この楽団が教えてくれました」半分はリップサービスかもしれませんが、これは最大級の褒め言葉ですね。昨日コンロンはサントリーホールで「ばらの騎士」組曲を指揮しましたが、彼自身の満足度はいかばかりだったでしょうか。
呆れてしまうかもしれませんが、私は金曜日、月曜日と続いたカペレのコンサートで、ほとんど指揮者に注目していませんでした。私には指揮はどうでもよく(◎-◎)、ひたすら楽員達の織りなす響きに身を委ねていたのであります。
ホルンの首席奏者ペーター・ダムはかつて自分のホルンを指して「ヘルデンテノールではない」といいました。私はこの言葉はカペレそのものにも当てはまるのではないか、と考えています。カペレは、英雄的・強力に音を響かせることはもちろん可能です。しかし、本当の持ち味はちょっと違うように思います。「ばらの騎士」組曲でも、聴き所は冒頭の派手な部分ではなく、中間部以降、それこそ室内楽的なアンサンブルが次から次へ登場するあたりです。コンロンが聴いたのは組曲ではなく、オペラのようですが、カペレの演奏に心を動かされたとすれば、フォルテの個所ではなく、ピアノやピアニッシモで奏でられるパッセージではなかったかと思われます。金曜日のモーツァルトにしても、私が感銘を受けたのは弱音による弦楽器の高雅なアンサンブルでした。続いたマーラーでも、最大の聴き所は冒頭の弦!でありました。第4楽章の「ヘルデン」サウンドではないのです。もしオーケストラに「ヘルデン・オケ」という言葉が使われるとすれば、カペレはきっとそうではないでしょう。ここは世界を代表する「リリック・オケ」だと私は思うのですが、いかがでしょうか?
今日もまた来日中のシュターツカペレ・ドレスデン(以下、カペレ)のコンサートに行って来ました。場所はサントリーホール。プログラムは前半がR.シュトラウスの「ドン・ファン」、「ばらの騎士」組曲、後半がワーグナーの「リエンツィ」序曲、「さまよえるオランダ人」序曲、「タンホイザー」序曲でした。アンコールにはワーグナーの「ローエングリン」第3幕への前奏曲です。「ばらの騎士」組曲以降は全てドレスデンゆかりの曲ばかりですね。
このページの読者の中には私と同じ空間で同じ演奏を聴かれた方も数多くおられたはずです。皆さん、どのように聴かれましたか? 拍手やブラボーの出具合から判断するに、私の感じ方とは違う聴き方をされた方が多いようでした。
実は、*私の場合*、音楽の盛り上がりについて、前半はあまり感心しませんでした(こんなことを書いてもいいのかな?)。シュトラウス・オケとして第一級の名声を誇るこの団体ですが、アンサンブルに感心はしても演奏からの感銘はあまり受けませんでした(多分、ここで意見がかなり割れるとは思いますが)。
私の経験ではコンサートで大きな感銘を受けるというケースは、よくて3回に1回程度です。どんなに優れたオケのコンサートでも、その全てに感動するなどということはいくら単細胞の私でもありえません。したがって、今回のコンサートは、前半終了後、「カペレらしい音はするけど....」という程度にしか認識できませんでした。後半に入っても「リエンツィ」序曲でトランペットが何だか不調だし、「これはどうしたものか」と思っていました。それが覆ったのは、「オランダ人」序曲からです。もう完璧ですね(^^ゞ。アンサンブルといい、盛り上がりといい、言うことなしです。さらに「タンホイザー」序曲はまさに感涙もの。鍛え抜かれた響きの弦楽器の上で、ペーター・ダム率いるホルンセクションが歌います。私は身体が痺れるほどの感銘を受けました。
このオケは有機的にまとまっています。どの楽器もばらばらに聞こえたりしません。木管楽器がふぅっと旋律を歌うことがあっても、やはりオケの響きの中にいます。金管楽器も、トランペットやホルンが出過ぎることはなく、オケ全体の響きの中に溶け込みます。沈み込む、といった方がいいかもしれません。威圧的な音にならないところがこのオケの美質であります。また弦楽器も、金管楽器も弱音で「聴かせる」オケなのです(「ばらの騎士」組曲ではトランペットの首席ローゼの超絶ピアニシモが聴けたはず)。ホルンセクションの老ダム先生の響きは金管楽器を連想させないレベルにまで達しています。各楽器がオケの中で他のセクション、あるいは同じセクションの中で音を聴き合いながら音楽を奏でます。すばらしいブレンド感が実現されています。それが見事な形で実践されたのが「タンホイザー」序曲でした。拍手やブラボーは意外に少なかったように思えたのですが、あれはカペレが演じた至芸中の至芸であります。
「タンホイザー」序曲の終盤でホルンのダムが旋律線を歌っているとき、非常に興味深い光景が見られました。既に音楽は熟成し、壮大な盛り上がりの中にあります。首席トランペットのシュムッツラーがじっとダムの姿を見つめているのです。指揮者を見ずに、老ダム先生を見ているのです。そのあたりはダムの真骨頂ともいうべき、弱音で主旋律をずっと奏でているのですが、あれは何とも言えない構図でした。団員から見てもダムの姿は象徴的なのでしょうか?
私はあの「タンホイザー」序曲だけでもとてつもない価値を持つコンサートだったと思います。あのようなアンサンブルと響きを聴かせてもらえば、文句は全くありません。17日水曜日、今度は東京文化会館で同じプログラムがありますが、運がよければ、あの超絶的な「タンホイザー」序曲を味わえるでしょう(私は行けませんが)。
なお、コンサートマスターは12日同様、マティアス・ヴォロング。その他、若手新首席が金曜日と同様にお披露目に登場しました。前半のR.シュトラウス・プロにはフルートに新任首席ザビーネ・キッテルさんが座っていました(ヘアバンドをした金髪の女性・・・16日、この方はキッテルさんでは無いという情報が!皆さん、誤情報を流し、申し訳ありません!)。後半のフルートはハウプトさんでした(この二人、芸風が随分違いますね)。ホルンは新任ウッベローデ氏?(ちょっと自信がないです)と老ダムが交替でトップを張っていましたし、ラッパもローゼさんと若手シュムッツラーが並ぶなど、面白い顔ぶれだったと思います。
4月12日:シュターツカペレ・ドレスデン来日す!
今日はサントリーホールまでシュターツカペレ・ドレスデンの演奏会を聴きに出かけました。プログラムはモーツァルトの交響曲第36番「リンツ」とマーラーの交響曲第1番。指揮者はジェームズ・コンロンです。会場は空席が結構ありました。もったいないですねえ。カペレはブランド力が弱いのか、主催者がチケットをさばききれないのでしょう。
それでも、やはり出かけて良かったです。マーラーの終演後はブラボーの嵐。ブラボーはあのように最強音で盛り上がって終わる曲にはつきものなのですが、私も十分楽しめました。積極的に評価したいです。
しかし、カペレの音をより楽しめたのは、マーラーよりモーツァルトです。「リンツ」に対して聴衆はとても冷ややかだったようで、拍手もそれほど多くありませんでした。最近はよほど出来の悪い演奏にも与えられるブラボーも聞こえてきませんでした。確かに、コンロンさんの音楽作りは軽妙さや華やかさに欠け、魅力に乏しいものでした。両翼配置にして演奏していながら、第2バイオリンが第1バイオリンとあまり対話していないなど、欠点をあげつらうことはできるのですが、それでもなお、カペレの音を楽しむには最適な出し物だったと私は思います。弦楽器の各声部があれだけ充実した美しさで響いているのを聴けば、感激であります。大きな音はしていません。かなりソフトな表現でした。が、弦楽器のシルクのような響きはサントリーホール内の隅々にまで広がったはずです。繰り返しますが、コンロンさんの*指揮*はともかく、私にとっては至福の時間でした。この洗練された音は、1昨年の来日時を上回っていると思いました。
マーラーの演奏は、この曲らしく、「とにかく大きな音でいっちゃえ!」といった風情もありました。ものすごい音響が延々と続いた後で終結するのですが、カペレはこうした曲も演奏でき、聴き手にそれなりの感銘を与えるものの、私としては何だかもったいないと思います。せっかくカペレで音楽を聴くのであれば、もっとあの独特のアンサンブルや音を楽しめる曲の方がいいのではないか、と思います。マーラーだったら、第3番、第4番、第7番、第9番、大地の歌あたりでしょう。激烈な音響よりもこのオケは音色を楽しむ曲を選んで欲しいと思うのは私だけでしょうか?
ところで、今回の来日では、ホルンにペーター・ダム先生が登場しました。カペレ友の会メンバーの報告によれば、マイ座布団を持ってきて座ったとか(^o^)。モーツァルトの演奏でいきなり舞台に現れたのを発見したときには、私も隣の方には申し訳ないと思いましたが「をを!」と叫んでしまいました。ご尊顔を拝し奉り、恐悦至極であります。そのダム先生、マーラーでも登場しました。が、マーラーではダム先生は後方に引っ込み、若手(新首席ホルンのウッベローデ氏か?)が一番ホルンを吹いていました。世代交代が進みつつあるのを目の当たりにしました。
なお、マーラーが大音響で終わった後、アンコールがあったのです。あの交響曲第1番の後にアンコールですよ! びっくりしたなあ。曲は「リエンツィ」序曲です。これも楽しかったです。トランペットの首席シュムッツラーは、マーラーで既に疲労困憊しているであろうのに、この曲でもガンガン吹いていました。終演後には飲まずにはいられなかったでしょうねえ。シュムッツラーさん、いくら若き天才とはいえ、あんなに酷使されていいのでしょうか? ついでに書いてしまいますと、「リエンツィ」が始まってから、ふとホルンセクションを見ると、いつの間にか配置が変わっています。なんとダム先生が前に出て、トップを張っているではないの! それを見て私は思わず( ̄ー ̄) ニヤリとしてしまいました。
なお、コンサートマスターは新任のマティアス・ヴォロング。最初は誰か分かりませんでした。このオケも新しい顔ぶれになってきましたね。というよりカペレも新任の方々のお披露目をするつもりだったのかな?
4月10日:どうしてこんなに...
チャイコフスキー
交響曲第5番、第6番「悲愴」
カラヤン指揮ベルリンフィル
録音:1971年
DISKY(輸入盤 HR 708262)EMIからライセンスを得てDISKYから発売されたこのCD。これは交響曲第5番ではグラモフォンの75年盤を愛聴していて、その演奏の隅々まで覚えていた私をも唸らせるものでした。なぜ私が唸るかって言いますと....。呆れるほどに金管楽器が吠えるんです。それもちょっとやそっとではありません。猛烈なんです。もちろん天下のベルリンフィルが演奏するんですから乱暴ではないし、秩序だった演奏なのですが、「どうしてこんなにいきり立たなきゃいけないの?」というほどの金管の強奏なんです。
金管だけではなく、ティンパニも激しいです。ドンドンドン・・・というのではなく、ドカン!ドカン!ですね。かつてティンパニストのティーリヒェンが耳栓をしながら演奏をしたと書いていたのを思い出しました。交響曲第6番でも激しくて、第1楽章でクラリネットが深淵に入り込んだ後の爆発がこれまたすごいんです。映画音楽でも聴いているようで、思わず笑ってしまいます。
ところで、こうした極端な音作りをする指揮者は現代にはまれでしょう。かつては「カラヤンの美学」などという言葉を目にしたことがありました。このCDに聴くサウンド、演奏がそうだとすると、今となっては貴重なものです。よほどの自信、確信がなければここまでできません。
現代においてもしこうした激烈チャイコフスキーを繰り広げる指揮者がいるとすれば、もしかしたらゲルギエフでしょうが、彼は一見野蛮な印象を与える演奏をしても、ここまで極端にはやらないでしょう。
念のために申しあげますが、私はカラヤンの極端な音作りには思わず笑ってしまうのですが、それでいてやはりこの演奏に惹かれるのであります。オーケストラを聴く楽しみのひとつは、その圧倒的なエネルギーの放射を浴びることにある、と私は考えています。カラヤンのこのCDはそれを完全に満たしてくれるのです。「カラヤンなんて...」と思いつつ、ついカラヤンのCDを買ってしまうのは、私だけではないはずです。このCDのように、ちょっと笑ってしまう場合があるのですが、21世紀を迎えた今となってはこれも「型破り」な演奏と評価してもいいんじゃないでしょうか。それどころか、21世紀前半にはカラヤンの大ブームが訪れると私は確信しています。いかがなものでしょうか? もちろん、私もそのブームに真っ先に乗りそうですが。
4月9日:「30万件記念企画 あなたもCD試聴記を書いてみませんか?」に「田中ちゃん」さんの「TOSCANINI THE 4-4 1954 FINAL CONCERT IN STEREOを聴く」を追加しました。
4月8日:シューリヒトのモーツァルト
メンデルスゾーン
「フィンガルの洞窟」序曲 作品26(録音:1954年)
シューベルト
交響曲第8番ロ短調 D.759「未完成」(録音:1956年)
モーツァルト
交響曲第35番ニ長調 K.385「ハフナー」(録音:1956年)
以上、シューリヒト指揮ウィーンフィル
ベートーヴェン
交響曲第1番ハ長調 作品21(録音:1958年)
シューリヒト指揮パリ音楽院管
ブルックナー
交響曲第8番ハ短調(録音:1963年)
シューリヒト指揮ウィーンフィル
IMG Artists(輸入盤 7243 5 75130 2 9)「Great Conductors of the 20th Centuries」の1セット。これだけ大量の、しかも良質な録音を2枚のCDに詰め込み、それを1,400円程度で販売しているのだから、恐ろしい世の中ですね。私が学生の頃にこうした企画ものCDがあったらどんなにか良かったでしょうか。
このCDの白眉は、おそらく2枚目を丸ごと使っているブルックナーの交響曲第8番でしょう。解説にもこのブル8の価値を書いてありますね。私もEMI France盤と聴き比べたりして、この永遠の名盤を楽しんでいます。飽きるほど聴いた録音なのに、聴く度にまた興奮します。
が、私にとっては、このセットでシューリヒト指揮によるモーツァルトの「ハフナー」を聴けたことが感激以外の何ものでもありませんでした。もしかしたら有名な録音なのかもしれませんが、私はこれを初めて聴きました。録音データには、1956年6月3-6日、ウィーンのゾフィエンザールで収録とあります。古い録音ですが、とても鮮明で生々しい音がします。そして踊り出さんばかりの活気に漲った演奏が聴けるのであります。第1楽章から活きの良さはすぐ確認できるのですが、圧巻は第4楽章でしょう。弦楽器のギュルギュルキュルキュル・・・・と軽快に動く様を聴くと感嘆してしまいますね。これを聴いてじっとしているのは辛いです。
どこかで読んだことがありますが、シューリヒトさんはその最晩年にぼけてしまったとか。それでも録音活動を行っていたわけでしょうが、こんな活きの良い演奏を聴いていると「ボケたなんて本当かな?」と思ってしまいます。「ハフナー」はわずか18分の演奏ですが、これ1曲だけでも買う価値があると私は思いますよ。
(An die MusikクラシックCD試聴記)