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2007年4月

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CD2007年4月27日(金):ベートーヴェンらしさ

あなたもCD試聴記を書きませんか」のコーナーに「二枚のベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲を聴く」を追加しました。文はゆきのじょうさんです。これは、たけうちさんが書かれた「無垢の人 ペーター・マーク」に触発された文章ですね。ゆきのじょうさん、原稿ありがとうございました。

 

CD2007年4月24日(火):ペーター・マーク

あなたもCD試聴記を書きませんか」のコーナーに「無垢の人 ペーター・マーク」を追加しました。文はたけうちさんです。たけうちさん、原稿ありがとうございました。

 

CD2007年4月23日(月):平均律クラヴィーア曲集

あなたもCD試聴記を書きませんか」のコーナーに「二つの平均律クラヴィーア曲集を聴く」を追加しました。文はゆきのじょうさんです。ゆきのじょうさん、原稿ありがとうございました。

 

CD2007年4月22日(日):「ハイドン・マラソン」

特別企画《あなたも参加してみませんか? 「ハイドンの交響曲を全部聴こう」(略称「ハイドン・マラソン」) 原稿大募集!》を追加しました。

 

CD2007年4月20日(金):「神童」

さそうあきらさんの漫画「神童」(双葉社)を読みました。「CLASSICA」の飯尾さんが絶賛していたので迷わず本屋に飛び込んで買ってきました。これはタイトルのとおり、小学生のくせに天才的なピアノを弾く女の子「うた」と、はじめはしがない音大浪人生の話です。

全4巻で完結しているのはいいですね。あっという間に読めます。読んだ後に心に残るものもあります。難を言えば最後のあたりはもう少しページを割いて書いても良かったのではないかと思いますが、かなり作者の意図は伝わっているでしょう。

私が学生の頃までは、音楽を題材にした漫画は難しいと言われていました。漫画の絵からは音が出ないという単純な理由によるものです。しかし、そんなことはないんですね。「のだめ」の場合もそうでしたが、「神童」を読んでいると、音楽が流れてくるような気になります。

第4巻で、世界的ピアニストであるロブコヴィッツ(ホロヴィッツのそっくりさん。奥さんの名前はワンダ!)が仮病を使い、自分の代打に天才少女「うた」を指名します。そこでウィーンの名門オーケストラとモーツァルトのピアノ協奏曲第20番を演奏するシーンとなります。ここで神童は聴衆の度肝を抜くような超絶的演奏をするわけですね。プライドの高いオーケストラであるため、いきなり出てきた少女を馬鹿にしてだらしなく始めた協奏曲ですが、「うた」のソロが始まると、「コンサートマスターは思わず座り直し」、「ティンパニ奏者はバチを落とした」とあります。いかにも漫画っぽいですが、いいですねえ。さらに、第1楽章のカデンツァではベートーヴェン作を使うと言っていたのに、即興演奏を始めます。「モーツァルトのテーマによる長大なフーガが10分にわたって演奏されつづけた」となっています。漫画なので何でもできるわけですが、これ、音が聞こえてくるんです。つい先頃まで「音楽は漫画のテーマになりえない」と言われていたのになんてすごい進歩でしょう。作者が音楽を表現したいという強い意欲を持っていると、漫画で音を奏でることができるのですね。これはすごいことだと思います。

なお、この漫画は映画化されておりまして、明日封切りとなります。が、案の定、さいたまでの上演予定はないようです。なんとまあ・・・。しばらくは漫画を読んで音を楽しんだ方が良さそうです。

なお、映画では主人公「うた」は13歳だそうな。小学5年で主役を演じきれる役者がいなかったのでしょうか。これはちょっと残念な設定変更です。

 

CD2007年4月18日(水):コンサートとCDについて

コンサートに行く度に思い知らされることのひとつに、「こんな音はCDに入りっこない」ということがあります。「こんな音」とはどんな音かといいますと、大音響ではありません。もしかしたら大音響は今の技術ならある程度収録が可能で、それを再現してもあまり違和感がないような気がしています。優秀な再生装置があれば、ですが。むしろ、小音量の、ふんわりとした音がどうしようもありません。

私は、世界的水準のオーケストラや弦楽四重奏団、ピアニスト、バイオリニストのコンサートで、そのふんわりとした繊細な音に接することがよくあります。私のコンサートでの楽しみはこれなのです。オーケストラが静かに静かに奏でるフレーズや、ピアニストがポロン・・・と弾いた音にこの世のものとは思えない美しさを感じます。それは人間が、楽器という道具を使って出したものとはとても思えない、それこそ眩暈を呼び起こしかねない響きです。どうやったって収録できるとは思えません。私は音が良いといわれるCDをいくつも聴いてきましたが、コンサートでたまに接するその天国的な響きを収録したCDに未だかつて出会ったことがありません。

それは当然といえば当然です。コンサートホールの空間を自宅に持ち込めないからです。コンサートホールには巨大な空間があり、そこに演奏者と多数の聴衆がいます。その立体的な大きさと、空気がないから、同じような音になるわけはないのです。コンサートで超絶的な響きを聴いて家に帰ってCDを再生しても、コンサートホールとは似ても似つかない音にしか聞こえないことに直面し、天を仰いだ経験を私は何度もしています。

ところで、ここまで読んで皆さんにちょっと疑問が浮かんでいませんか? 「僕は自宅で聴くCDの方がいいと思うけど・・・」とか「CDだって捨てたものじゃない」とか思っていやしませんか。

実は、私もCDの方がすばらしいと思うことが時々あります。そうでなければ「An die Musik CD試聴記」などというタイトルのホームページを作ったりしていません。

おそらくCD制作者達は、コンサートの音、生の音をできる限り忠実に取ろうと何十年も努力してきたのでしょうが、「音そのもの」をそっくり収録するなどという大それたことは所詮実現できないと分かっているはずです。ここから先は完全に私の憶測となりますが、だからこそ彼らは、何とか演奏家の演奏・音を、録音を聴くであろうリスナーの鑑賞に堪えるように、せめて平板にならないよう手練手管を尽くして、(誤解を招きそうな表現ですが)編集・加工して、届けるようにしているのだと思います。オーケストラ録音を聴くと、コンサートとはちょっと違う鳴り方をするCDがたくさんありますが、私を含め多くのリスナーは「そういうものだ」と思っているでしょうし、自宅で聴く場合、その方が臨場感に富んでいる場合が普通です。聴かせ方の技術がいろいろ盛り込まれているのですね。

我々が手にしているCDとは、制作者達が英知を傾けて作ったものだと私は考えています。何とか演奏者の卓越したユニークな演奏をリスナーに届けたいという彼らの思いがあったからこそ作られたものだと思います。だから、作者の力量・工夫が及ばなかったか、最初から「リスナーに届けたい!」という強い意欲が欠如している場合は駄作になってしまうわけです。私としてはいつも身銭を切ってCDを購入しているので単に「音」だけが、物理的で平板な「音」だけが収録されているCDを手にしてしまうとがっかりします。しかし、時として制作者も満足しうる水準のCDができあがることがあるのでしょう。それが我々リスナーのもとに来たとき、「名盤」と呼ばれるわけですし、「コンサートより良い」と思わせるCDになるのです。

「コンサートより良い」と言いますが、それは実はコンサートと比較して良いというのではないかもしれません。既に我々は、CD、あるいはCD再生という音楽の楽しみ方をコンサートとは全く別な次元に、自分たちの文化として作り上げてきたのではないでしょうか。

私はきちんと作られたCDは、コンサートの代替物ではなくて、独立した何かだと私は思います。音楽之友社の「レコード芸術」とは言い得て妙です。芸術と呼ぶことができる水準にまで高められた録音の世界があることをこれほど的確に示している言葉はありません。雑誌としての「レコード芸術」からはすっかり縁遠くなった私ですが、言葉としての「レコード芸術」には最近ますます親近感を感じますし、大事にしていかなければと思います。「レコード芸術」がややもすれば軽んじられ、ライブ録音と称するCDが粗製乱造されている昨今の風潮の中では、「それは違うぞ!」と認識していないと、このすばらしいCDの文化がどんどん退廃していくと思えるからです。

コンサートはコンサートで、演奏家と直に接することのできる貴重な体験です。しかし、CDはもはや独自の文化なのです。私たちが有り難がって聴いているCDは、ただの信号音ではないのです。そうでなければ、私たちがこれほどの時間を費やし、熱狂するはずがありません。私は過去においても、現在も、そして将来的にもCD(あるいはそれに替わる録音媒体)を追っていくつもりです。

 

CD2007年4月17日(火):ロンドン響 その2

また東京オペラ・シティにハーディング指揮ロンドン響を聴きに行ってきました。今日の演目は以下のとおりでした。

ドヴォルザーク:スラブ舞曲 変ニ長調 作品72-7
ベートーヴェン:バイオリン協奏曲 ニ長調 作品61(バイオリン:フランク・ペーター・ツィンマーマン)
ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 作品95「新世界より」

オーケストラの調子は良く、アンサンブルの精度は昨日の比ではありませんでした。荒っぽさがまるで感じられないアンサンブルと、そこから生まれるまろやかで繊細な響きには本当に驚かされます。特に「新世界より」の第2楽章を聴いていると、「どうしてこんな音が出せるのか?」と彼我の差に愕然とします。

全体的に、実に丁寧に演奏されているのが印象的でした。土俗的な感じとか、異国情緒はあまり感じられません。ハーディングは「交響曲第9番」として演奏したかったのでしょうね。ただし、そういう演奏はあまり好まれないのか、聴衆の拍手は前半のベートーヴェンのソリスト、フランク・ペーター・ツィンマーマンの方がずっと多かったようです。

私は2日間ともオペラシティ・コンサートホールの3階正面に陣取っていました。1975年生まれの俊英ハーディングは視力0.1の私の目にはマッチ棒のようにほっそりして見えます。その身体で颯爽と指揮ぶをするのですが、音楽は楷書で大変好ましいです。こういう指揮者なら、早くハイドンやベートーヴェンなど古典派の交響曲演奏を生で聴いてみたいものです。

 

CD2007年4月16日(月):ロンドン響

私のコンサート・シーズンが始まりました。第1日目は、ダニエル・ハーディング指揮ロンドン交響楽団、場所は東京オペラ・シティでした。演目は以下のとおりです。

モーツァルト:ピアノ協奏曲第17番 ト長調 K.453(ピアノ:ラン・ラン)
マーラー:交響曲第5番 嬰ハ短調

シーズン初日ですし、腕のいいオーケストラを聴く日はとてもわくわくします。私にとってロンドン響を生で聴くのは2002年10月以来のことでした。

演奏ですが、モーツァルトでは精妙なアンサンブルで弱音を堪能できました。「ラン・ラン」とカタカナで表記するとなんだかとても可愛らしい中国のピアニストは大音量でバリバリ弾く人かと思いきや、驚くほど多彩な弱音を聴かせてくれました。そっと伴奏を着けるオーケストラもすばらしい。ああいった響きは、コンサートでしか味わえないものです。ただし、モーツァルトの演奏なのにどういうわけか厳粛な雰囲気が漂い、まるで何かの儀式につきあわされているような気がしました。音楽の単純な愉悦とはちょっと違った幽玄の世界を表出するのが指揮者とピアニストの意図だったのでしょうか。

前半が厳粛だったので、後半のマーラーははどうなるのかと気になったのですが、今度はうって変わって大音響の嵐。ハーディングは「これでもか!」とオーケストラを鳴らしまくりました。分かる人が聴いていたら、ハーディングはもしかするとマーラーの苦悩とか、狂気とか、世界の不安とか、いかにもマーラーについて回りそうなものを表現していたと解説してくれる可能性がありますが、私はただひたすら音の洪水に身を委ね、大編成オーケストラが織りなす分厚く、巨大な響きに聴き入り、喜んでいたのであります。アンサンブルの精度は2002年当時に比べるとやや劣りましたが、オーケストラの鳴り方はホールの響きの良さも相俟って今回の方がずっと上です。交響曲第5番には大音量で迫ってくる箇所が何度も何度も現れますが、その響きが少しずつ違っているので単調には決してなりません。マーラーってすごいですねえ・・・と無邪気に感心してしまいました。「クラシック音楽のホームページを主宰する人間がそんな脳天気なマーラーの聴き方をしているなんて恥を知りなさい!」とどなたかからお叱りを受けそうですが、これもまたオーケストラの楽しみ方だと思います。前半は厳粛な雰囲気の中での弱音、後半はめくるめく大音響の嵐。同じ団体の同じ日の演奏です。

2002年に書いた内容とほぼ同じことをまた書いてしまいましたが、これがロンドン響の変わらぬ特徴なのですね。

 

CD2007年4月12日(木):近衛秀麿

あなたもCD試聴記を書きませんか」のコーナーに「近衛秀麿を聴く」を追加しました。文はゆきのじょうさんです。ゆきのじょうさん、原稿ありがとうございました。

 

CD2007年4月10日(火):音と演奏評

私の手元にブラームスの交響曲第4番の国内盤CDがあります。ドイツ音楽を得意とした指揮者がロンドンのオーケストラを使って1976年にキングズウェイホールで録音したものです。レーベルはEMIで、バランス・エンジニアにはかのクリストファー・パーカーの名前が記載されています。

件の指揮者が円熟期に入った頃に録音されたため、演奏は非常に充実しています。燃え上がるようなパッションが炸裂するかと思えば、ため息をつく表情が妙にリアルな感じがするなど、聴き所が次から次へと現れます。全体的には指揮者が曲を鷲掴みにし、大きなスケールで自分のブラームスを披露したような演奏で、この指揮者が燃えながら指揮をしている姿まで想像できます。録音を聴いていると指揮ぶりまでが彷彿とされるのはこの指揮者の特徴です。今はこうした熱いブラームスは冷笑の対象になりはすまいかと他人事ながら心配してしまうのですが、私は単細胞なのでこの演奏が大好きですし、本当にすばらしいと思います。

しかし、このCDの音にはちょっと困った点があるのです。特に第1楽章で。音が貧弱で、まるでモノラル録音のような気がしてなりません。1976年にクリストファー・パーカーがキングズウェイ・ホールで取った音であれば、理想的な響きがしてもおかしくはないのですが、マイクの立て方が悪かったのか、どこかのスイッチがちゃんと入っていなかったのか、左右の広がりに欠ける音になっています。1956-57年に同じ場所で録音されたクレンペラー盤ですら左右いっぱいにオーケストラが広がる見事なステレオ録音だったのに、アナログ全盛期に何としたことでしょう。まあ、モノラル録音だと思って聴けば十分いい音に分類されるのでしょうが、ステレオ録音だと思うと「どうしてこんな音になったの?」と首を傾げざるを得ません。かねて私は輸入盤で聴いて疑問を感じていたのですが、先頃再発された国内盤を聴いても印象は全く変わりませんでした。マスターからそんな音だったのでしょうね。

録音スタッフは途中で録音状態に気がついたのか、第2楽章では少し改善し、第3楽章、第4楽章は満足できる水準の音で収録されています。しかし、第1楽章で「あれ?どうなっているの?」と思わせてしまうので、全曲の演奏や録音に対するマイナスの印象が完全には払拭されません。その指揮者のファンであり、ブラームスの交響曲第4番が大好きなおじさんである私ですらそうなのです。実にもったいないです。特別な思い入れのない聴き手だったらかなりマイナスの評価をしてしまいそうな気がします。

そういえば、その録音を「名盤」だと言っている文章を私はいまだかつて目にしたことがありません。演奏は十分すばらしいのに。「名盤」の必要条件にはその録音が行われた時点にふさわしい「音」の評価も含まれていることに今さらながらに気づかされます。いや、それどころではなく、音で演奏の評価までが左右されかねません。国内盤の解説書には指揮者の演奏ぶりについて、「思い入れたっぷりに歌っても、内面的に膨れ上がっても、あくまでも客観的な冷静さを崩そうとはしない。第1楽章に特にその傾向があって、立派な造形のわりに聴き手に迫ってくるものが弱いのがちょっと残念。」とあります。これは私の穿ち過ぎでなければ、音に、演奏評が引っ張られてしまった典型例だと思います。

こんなことを見るにつけ、人間の行為はなかなか安定しないものだと痛感します。優秀録音が生まれる条件が揃っていても、モノラルに毛が生えたような音にしかならないことがあるのですね。逆に、人間業を遙かに超えるような録音だって生み出されることがあるので、これはならして考えた方が良いでしょう。

「名盤」が産まれるにはいくつもの条件が同時にクリアされていなければなりません。だから大量にできるはずもありません。今私たちのCDラックにあるお気に入りのCDは、確かに数が多くないように思えます。それもそのはず、もしかして嬉しい偶然に偶然が重なってできた極めて貴重なものである可能性が高いのですね。そう思うともっと大事に扱ってあげたくなりますね。

 

CD2007年4月9日(月):山野楽器

先日上京した折りに、銀座の山野楽器に立ち寄りました。山野楽器は冬の間改装工事をしていて、先頃新装オープンしたところでした。いつものようにエスカレーターで登っていくと、何と、いきなり2階がクラシックの売り場になっています。何か特別な理由があるのでしょうか。しかも、売り場面積はかなり拡大されていて、品数も豊富です。多くのショップがクラシック音楽を切り捨てるか、縮小している中で珍しいケースです。東京から銀座近辺のクラシック音楽ファンをここで一挙に取り込んでしまおうと考えているのかもしれませんね。

山野楽器で感心するのはあの展示用のラックです。たまらなくすばらしいと私は思っています。多分山野楽器が特注しているものでしょうが、CDが収納しやすく、見やすく作られています。確か下の方には引き出しがありますが、それも便利そうです。さすが業務用だと唸らざるを得ません。これを商品化すれば十分売れると私は思うのですが、どうでしょうか。山野楽器は本業以外で儲けようとしないのか、あるいはそんなものではそもそも儲からないのか。山野楽器としては売る気はないかも知れませんが、次にラックが必要になったら本気で問い合わせてみたいと思います。万が一このページを山野楽器関係者が読んでいるようなことがあったら冗談抜きに商品化を検討してもらいたいものですね。

 

CD2007年4月8日(日):METライブビューイング その2

昨日に引き続き、今日も映画館で「METライブビューイング」を観てきました。今度はベッリーニの「清教徒」です。

指揮:パトリック・サマーズ
演出:サンドロ・セキ
出演:アンナ・ネトレプコ(エルヴィラ)、エリック・カトラー(アルトゥーロ)、フランコ・バッサルロ(リッカルド)、ジョン・レイリー(ジョルジオ)、ほか

オペラファンには叱られてしまいそうですが、私はこのオペラの実演に接したことはなく、録音でも全曲を通して聴いたことがありません。自宅にいるとかえって2時間から3時間誰にも邪魔されずにじっとオペラを鑑賞するということができません。実は全曲を通して聴いたことがないオペラはたくさんあるのです。そのため、今回は渡りに船という感じで切符を手にしたわけです。

行ってみると、主役のエルヴィラは売り出し中のネトレプコ! それも2007年1月6日の公演です。3ヶ月前の公演をこうして観られるのは嬉しいです。昨日の「魔笛」とうって変わって「清教徒」は豪華絢爛たる舞台と衣装で、いかにもMETらしいと思いました。お金のかけ方が全く違います。言葉もイタリア語でしたし、ミュージカルっぽさは微塵もありませんでした。

ネトレプコはこれが初の「清教徒」だったそうです。その割に実に堂に入った歌い方で、演技も本人はしていないと言いつつも立派なものでした。30分にわたる「狂乱の場」は、聴衆を釘付けであります。オペラは大勢のキャストとスタッフが総力を結集して作り上げるものだと思いますが、あのような舞台を観ていると、それこそネトレプコのひとり舞台という雰囲気です。ネトレプコ本人も、「時代をリードしている」とか「自分こそが今最高の歌姫だ」と自覚しているのかもしれません。すんごい気迫です。舞台であれだけの歌と演技、さらに存在感を出してヒロインを演じられるのは大変なことです。

ライブだけに全員が完璧な歌唱だったわけではなく、プロンプターの声が収録されてしまったところもあってどきっとしましたが、ほとんど理想的な舞台だったのではないかと思います。終演後はスタンディングオベイションの聴衆達が映し出されていましたが、当然でしょう。ライブビューイングではなくて、本当にオペラハウスに行きたくなってしまいます。

ネトレプコにはチャイコフスキーの「エウゲニ・オネーギン」でタチヤナを歌ってほしいと思っていますが、今のところ「ロシアン・アルバム」(DG)で「手紙の場面」を録音したにとどまります。全曲盤を期待したいところです。

 

CD2007年4月7日(土):METライブビューイング

今日は近くの映画館(MOVIXさいたま)でモーツァルトの「魔笛」を観てきました。「METライブビューイング」と銘打った企画で、今日と明日の2日間だけ、3本ずつオペラを上演しているのです。「魔笛」はMETで2006年12月30日に行われた公演で、それがそっくりそのまま収録されていました。

指揮:ジェイムズ・レヴァイン
演出:ジュリー・テイモアー
出演:イン・ファン(パミーナ)、エリカ・ミクローザ(夜の女王)、マシュー・ポレンザーニ(タミーノ)、ルネ・パーペ(ザラストロ)、ほか

映画が始まる前は、舞台とピット、会場の一部を映し出していて、練習を続けるオーケストラの音や会場のざわめきがずっと聞こえています。臨場感を出すための工夫ですね。ですが、始まってみると、いくら大画面で映し出しているとはいえ、映画には違いないのです。さすがに目の前の舞台で人が動いて、歌っているという本物の臨場感にはほど遠いです。映像の技術が進んでもまだこればかりはどうにもならないのでしょう。しかも、歌を聴いていると何かが変です。英語で歌っているのですね。アメリカでの上演ですから仕方ありませんが、お陰でオペラ(正確にはジングシュピール)を観ているという気分にはなかなかなれませんでした。どうしてもミュージカルに見えてしまいます。衣装や演技も何となくミュージカルっぽいです。

しかし、そうは言っても、モーツァルトの音楽の魅力には抗しがたく、第2幕後半は映画であることを忘れて聴き入りました。帰り際に「歌はちっとも良くない」と言っていた観客もいましたが、それはちょっと酷かなと思います。

さいたまで上演するのは「魔笛」、「清教徒」、「始皇帝」の3本です。全て観たいのですが、そんなに家を空けるわけにはいきません。特に世界初演の「始皇帝」(タン・ドゥン作曲・指揮、タイトルロールはドミンゴ)は上映が夜中なので諦めました。残念です。

私はオペラはオペラハウスで観るべきものだと思います。しかし、現実にはオペラハウスが自分の街にあるわけはない我が国ではオペラに接するのは極めて難しいです。だからこそこういう企画が成立するのでしょう。一体どんな人が観に来るのかと疑問だったのですが、若い人から高齢の方まで、オペラファンとおぼしき方々が会場をかなり埋めていました。チケットは1枚4,000円でしたし、興行的には十分成功だったと言えるのではないでしょうか。

 

CD2007年4月4日(水):写真は語る?

CD試聴記」に「CDジャケットに見る演奏家の表情 小山実稚恵さんの場合」を追加しました。

松本さんの文章に追記するつもりで書いたのですが、本当に蛇足になってしまいました。ちょっと情けないですが、何卒ご容赦下さい。

 

CD2007年4月3日(火):仲道郁代さんと小山実稚恵さん

あなたもCD試聴記を書きませんか」のコーナーに「2人の同世代日本人女性による《ショパンのバラード全集》聴き比べ」を追加しました。文は松本武巳さんです。

うむむ・・・・。An die Musikでもいよいよ日本人演奏家の出番が増えてきましたね。

 

CD2007年4月2日(月):女性デュオ

あなたもCD試聴記を書きませんか」のコーナーに「二組の女性デュオ・アルバムを聴く」を追加しました。文はゆきのじょうさんです。ゆきのじょうさん、原稿ありがとうございました。

ゆきのじょうさんが取りあげるCDはいつも格好いいですね。目の付け所が違うという感じがします。

 

(An die MusikクラシックCD試聴記)