シューベルトを聴く ごく個人的な手記
■ シューベルトのピアノ曲
私にとってシューベルトといえば長い間ピアノ曲の作曲家であった。ブレンデルが弾くピアノソナタ第13番の虜であったからである(2000年1月21日の「WHAT'S NEW?」ご参照)。
今もってこのCDに対する私の評価は変わらない。ところが、あまりに聴き馴染んでしまうのはよくないらしく、この曲に関する限り、どうしてもブレンデル盤を基準にして比較する習性がついてしまった。隅から隅まで演奏を覚えてしまっているのだからどうにもならない。もちろん私の中ではこれがベスト盤である。
もう一つ、私が愛好するシューベルトのピアノ曲がある。後期の3大ソナタでも、「楽興の時」でも、「さすらい人」幻想曲でもない。「即興曲」である。
即興曲はシューベルトの傑作だと思う。最長でも10分程度の曲の中に、作曲家の溢れんばかりの歌心とピアノの機能が理想的な形で結合している。最近の愛聴盤はツィマーマンである。
■ 最近の愛聴盤とはいうけれど
シューベルト
4つの即興曲 作品90 D.899
4つの即興曲 作品142 D.935
ピアノ:クリスティアン・ツィマーマン
録音:1990年2月、ビーレフェルト
DG(国内盤 POCG-20066)ツィマーマンの演奏は繊細さを保ちながらも剛毅で、ダイナミックである。特に作品90でそうだ。こうした演奏を聴けるのは楽しい。
が、ここで白状してしまうが、この曲の場合、ピアノソナタ第13番とは別の症状を持っていて、私はどのようなCDを聴いてもそれなりに満足してしまうのである。感動するとまではいかないが、ほとんどの演奏に満足する。我慢できなくなって途中でCDをストップさせたのはPHILIPSから発売されている世評の高い女流ピアニストの1枚くらいである。
どのような演奏にも満足してしまうのは、なぜなのか。もしかしたら私はこの曲の本質を理解していないのではないかと心配している。自分で楽しめて、満足しているのなら、それで問題はないとも考えられるだろうが、この曲の上辺しか見ていないのではないかと自問自答することしきりである。そんな矢先、本を読んでいたら感動癖がある人についての文章にぶつかった。以下に引用する。
・・・
私は、感動とは、思考の後に生じるものだと思っている。音楽を聴く。なぜ作曲家はこのようにしたんだろう。なぜ、演奏者はこうしたんだろう。なぜ、こんな歌詞なんだろう。それを理性的に考える。それをしてこそ、物事を理解できる。それをしないで、ただ感情に身を乗せていたら、ものを考えることはできない。
かなり考えた後、それでも優れた芸術には、思考以上のものがある。、どんなに考えてもわからない、自分の能力を超えたものがある。そこに感動する。
はじめから感動している人は、何も考えずにいるということにほかならない。「頭がいい人、悪い人の話し方」樋口裕一著、PHP新書
なんとまあ、これは私のことか、と思ってしまった。私はシューベルトの即興曲を何の思考も交えずに聴いて美しいと思うし、このような美しい曲を聴けることを幸せだと思っている。しかし、どの演奏を聴いても満足してしまうのは、私が重大なものを完全に見落としている証拠なのではないかと思われてならない。
一方、音楽の鑑賞をするのにはあまり理屈はいらないというのが私の基本的な考え方である。いろいろな周辺知識があれば、より深く鑑賞できる。それも分かっている。しかし、美しいものを聴いて、美しいと感じ、それに満足しているようではいけないのか。ちょっと開き直るが、音楽評論家でもなく、単純に感想文を書き連ねているだけの私としては、本質などをもっと知りたいと思う傍らで、「一リスナーにあまり無理を言わないでくれよ」と言いたい気もする。現時点では、時間が経てば理解が深まることを期待するしかなさそうである。
話が大きく横道に逸れてしまった。シューベルトのピアノ曲に戻る。
私はピアノソナタ第13番と即興曲を特に愛好しているが、これはクラシック業界では奇妙な組み合わせではないらしい。ピアノソナタはピアノソナタ同士で1枚、即興曲は全8曲で1枚が普通かと思っていたが、そうではなく、以下のような組み合わせが実際に存在するので紹介しておく。ただし、即興曲についての演奏のコメントはあえて書かない。私の備忘録だと思ってほしい。
■ ケンプ盤
シューベルト
ピアノソナタ第21番 変ロ長調 D.960
楽興の時 D.780
即興曲集 作品90 D.899
即興曲集 作品142 D.935
ピアノソナタ第13番 イ長調 作品120 D.664
ピアノ:ヴィルヘルム・ケンプ
録音:1965-67年
DG(国内盤 UCCG-3349/50)グラモフォンのOIBPリマスタリングCD。2枚組で、2枚目は即興曲とピアノソナタ第13番が収録されている。
我が家は3階建てで、各階でCDを聴けるようになっているが、私はこのCDを2枚買い、1階と3階に置いていつでも聴けるようにしている。このような買い方をしたのはこのCDが初めてである。
■ アラウ盤
シューベルト
ピアノソナタ第13番 イ長調 作品120 D.664
即興曲集 作品90 D.899
ピアノ:クラウディオ・アラウ
録音:1980年、1978年、スイス、ラ・ショードフォン
PHILIPS(国内盤 PHCP-20284)即興曲は作品90の4曲しか収録されていない。作品142は、ピアノソナタとなるべきものを楽譜の売れ行きを考慮して「即興曲」と命名されたとも言われているから、別の作品と見なすのが普通のなのだろうか? 私も最初の4曲と後の4曲は続けて聴かないことが多いが、これは学術的な視点からそうしているのではなく、単に休憩を入れたいだけである。このCDの組み合わせを考えたのは、アラウなのか、プロデューサーなのか。興味は尽きない。
■ 付録
即興曲の録音で忘れられないものがある。カーゾンの演奏による作品142の第2曲、変イ長調である。
リスト
- ピアノソナタ ロ短調 S.178
- 愛の夢 第3番 S.541-3
- 忘れられたワルツ 第1番 S.215-1
- 小人の踊り S.145-2
- 子守歌 S.174
シューベルト
即興曲 変イ長調 D.935-2
ピアノ:クリフォード・カーゾン
録音:1963年9月(リスト)、1971年2月(シューベルト)
DECCA(POCL-4514)リストのCDの余白に使われた1曲である。カーゾンはなぜ即興曲のこの曲だけを選んだのか。 かつてサヴァリッシュが自宅でこの曲を弾いている映像を見たことがあるが、老大家が過去を振り返りながら演奏するという趣があった。この曲をカーゾンの演奏で聴いていると、そんな雰囲気を思い出す。
この曲は録音に特色がある。リストと違い、この曲の録音だけややお風呂場的なのだが、収録したエンジニアは、ケネス・ウィルキンソンだ。おそらくカーゾンはこうした音で演奏したのであろう。夢のようにはかなくも美しい演奏と録音である。
(2004年10月10日、An die MusikクラシックCD試聴記)