ベートーヴェンの「エロイカ」
コンセルトヘボウ盤の聴き比べ(文:青木さん)
ベートーヴェン
交響曲第3番 変ホ長調 作品55 「英雄」■ ウィレム・メンゲルベルク指揮
録音:1942年3月5日、コンセルトヘボウ、アムステルダム(LIVE)
(輸入盤:Audiophile Classics APL 101.540)メンゲルベルクの「英雄」は1940年11月11日のスタジオ録音(テレフンケン)と1943年5月6日のライヴ録音があるようですが、ワタシが持っているのは数年前に出た廉価盤”CONCERTGEBOUW SERIES”のもので、それまで未出だった録音とのこと。
テンポを細かく動かすあたりはいかにも、といった感じですが、金管のフレーズをブツ切り風に演奏する箇所がいくつもあり、妙な味わいの演奏です。感銘を受けるには至りませんでした。録音は、楽器間のバランスやティンパニの音色など不自然な部分もあるものの、全体としてはかなり聴きやすくされています。
■ エーリヒ・クライバー指揮
録音:1950年5月、コンセルトヘボウ、アムステルダム
デッカ(国内盤:ユニバーサルミュージック UCCD6003)上記のCD番号は「デッカ・レジェンド」シリーズのもので、輸入盤で出た際に伊東さんが「クラシックCD試聴記」で採りあげておられます(2000.10.10.)。
演奏内容については、そこでの記述にまったく同感。自然体のなかに生き生きとした躍動感が全編にあふれる密度の高い名演であり、コンセルトヘボウ管もたまらなく美しい音色で絶妙の合奏美を聴かせます。モノラル録音ではありますが、これは大推薦です。
そのCDでは第1楽章の演奏時間が13:57で、提示部のリピートは当然ありません。ところがレコ芸の『レコード・イヤーブック』によると1996年7月に「グレイト・モノフォニック・クラシックス」シリーズでキングレコードから出たCDではそれが16:53となっていたため、クーベリックのブラームスのように「もともとあったリピートをCD収録時間の関係でカットしたのでは…」という疑惑が浮上。その後キング盤CDを入手し、ジャケットの表記ミス(クライバー指揮ウィーン・ウィル盤のものを記載)と判明しました。また、2004年9月に「DECCA75周年記念モノラル名盤」シリーズでユニバーサルミュージックから出た紙ジャケットCDは、間違った回転数で収録されている欠陥商品ですので、購入しないよう注意が必要です。
■ エドゥアルト・ファン・ベイヌム指揮
録音:1957年5月5日、コンセルトヘボウ、アムステルダム(LIVE)
NTS(輸入盤:Q Disc 97015)放送音源を集めたCDセットに附属のDVDです。これもおすすめですが、ボックスを買わないと観られないのが難点。内容についてはこちらを。
■ オイゲン・ヨッフム指揮
録音:1969年5月、コンセルトヘボウ、アムステルダム
フィリップス(輸入盤:Philips 426066-2)交響曲全集の中の一枚。バジェット・プライスの”CONCERT CLASSICS”シリーズで1989年にCD化されて以来、輸入盤・国内盤ともに再発された形跡がなく、長らく入手困難となっています。
全体としてはモントゥー盤に似ており、ある種の大らかさを加えたような演奏。テンポは遅めですがそれを少し揺らせている部分があって、全体としては端正なだけにちょっとした茶目っ気を感じさせます。そして第4楽章で急に引き締まった雰囲気に変化するように聴こえるのですが、ここだけ別の日の録音だったのでしょうか。今回聴き比べたヘボウのCDで、第1楽章提示部をちゃんと繰り返していたのはヨッフムだけでした。とにかく一聴の価値はある演奏だと思いますので、中古盤などで見かけたら迷わず買うべきでしょう。
なおヨッフムとヘボウの「英雄」には1970年代後半の放送録音もあり、TAHRAからCDが出ています。スタジオ盤に比べるとインテンポですが全体に遅くなっており、全曲に55分を要しています。
■ キリル・コンドラシン指揮
録音:1979年3月11日、コンセルトヘボウ、アムステルダム(LIVE)
フィリップス(国内盤:日本フォノグラム PHCP3476〜8)コンドラシンとコンセルトヘボウ管の放送音源シリーズの一枚。ライヴ録音で、このシリーズが最初にLPで出たとき、国内盤の帯には”REAL LIVE”と書かれていたので、おそらく無修正なのでしょう。CDは三枚組「コンセルトヘボウの名指揮者たち」に入っており、輸入盤は一枚モノでも出ていました。
内容ですが、決して悪い演奏ではないものの、個人的には何度聴いてもピンとこないのです。オーケストラをグッと引き締めてストイックな響きを生み出しており、そういう方向性にも対応できる柔軟性はさすがと思わせる反面、ワタシがコンセルトヘボウ管に期待する要素が打ち消されてしまっていることが、共感できない原因でしょう。これは完全に好みの問題ですけど。
■ ベルナルト・ハイティンク指揮
録音:1987年5月、コンセルトヘボウ、アムステルダム
フィリップス(国内盤:日本フォノグラム 30CD820〜5)ハイティンクにとってヘボウ時代の最後の仕事となった交響曲全集の中の一枚。その全集の中でワタシが唯一不満を持つ曲が、この「英雄」なのです。理由は、フレーズ末尾の収め方など細部の処理の詰めが甘い箇所のあることと、全体に推進力が足りなくてダレ気味になることで、特に後者はハイティンクの録音に時々感じる問題点。ある瞬間だけをとらえるとオーケストラは最高の合奏美でもって鳴っているのに、その各瞬間を時系列で連続させた時間軸の中ではどうも流れがよろしくない、と感じたことがありませんか?
速いテンポで畳み掛けていく曲調の場合や緩徐楽章などではあまり表面化しない要素ですが、「英雄」の第1楽章には積極的に推進させていく明確な意思が必須だと思います。ハイティンクの長所であるバランス感覚と構成力は、空間的な側面では最大限に発揮されるものの、時間的な側面で弱点を持っていて、ここではそれが露呈してしまっているように感じられてなりません。
全集国内盤の解説書に掲載されたインタビューの中で、ハイティンクは「(まだ録音していない)エロイカでもリピートをするつもりだ」と語っていますが、実際には反復はカットされています。推進力の欠けた演奏で繰り返しをされても、余計にだらけるだけでしょう。ハイティンクが自己の弱点に気づいて前言を翻したのではないか、あるいは録音されたリピート部分をプロデュサーの判断でカット編集したのではないか・・・などと妄想してしまいます。
というわけで、よくないのは第1楽章だけでして、第2楽章以降は(第3楽章トリオのホルンが弱いことを除けば)特に問題はなく、優れた演奏だと思います。交響曲や協奏曲で第1楽章に不満があっても、その先入観を振り捨てて続きに接することが肝要ですが、漫然と聴いているとそれができないことも多く、注意が必要です(自戒を込めて)。
■ ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮
録音:1993年6月5〜12日、コンセルトヘボウ、アムステルダム
EMI(国内盤:東芝EMI TOCE9041-45)これも交響曲全集の中の一枚。その全集をかつて「コンセルトヘボウの名録音」で採りあげましたが、久しぶりに聴き返しての感想はその時と同じ、いや、さらなる感銘を受けました。サヴァリッシュの内に秘めた情熱のようなものが感じられる、充実感ある「エロイカ」です。前半二楽章はテンポが遅めなので、熱演のせいで浮き足立つこともなく堂々たるスケールが創出され、終楽章でテンポを速めて盛り上げる。重量感と躍動感のバランスが絶妙です。オーケストラも鳴り切っていて、それをよく収めた録音も見事。ぜひ、まっさらな気持ちで聴いてみてください。
■ 他のCDの聴き比べ
別のオーケストラのCDも聴いていきましょう。指揮者ではなくオーケストラ別という聴き方をするのが、ワタシの癖でして。
まずはウィーン・フィル。この楽団のエロイカがいくつあるのかと「フォルカーの部屋」で調べますと、公式盤で10種類以上あるようです。そのうち手元には3種類ありました。
ショルティはウィーン・フィルをギュッと締め上げているような演奏で、聴いていてちょっと疲れるほど。オーケストラの持ち味はほとんど生かされていませんが、ホルンのトリオの部分だけ唐突にウィーン情緒が漂い、異色。
これに対してS=イッセルシュテットはもっと自然で、個性は弱いものの、オケの持ち味を引き出した佳演でしょう。何かの本に「中型」とありましたが、スケール感にも不足ありません。
バーンスタインはライヴ録音ですが、客席ノイズや拍手は除かれています。その編集の過程でライヴ感も失われたかのようなノリの悪さがあり、ワタシにとってはどうにも居心地のよくない演奏でした。世評は高いようですけど。その他には、ヘボウ盤との比較の意味でもクライバーとモントゥーを聴いてみたいところです。
シカゴ響のエロイカは、ショルティの新旧全集以外には、ライナーのモノラル録音しかありません(ブートレグではクーベリックのライヴがありますが)。マーラーやバルトークはシカゴで録音する指揮者たちも、ベートーヴェンには別のオケを使いたがるのです。たしかにショルティの旧盤を聴くと、コンセルトヘボウやウィーン・フィルとはまるで異なる味わいで、これではあまり一般受けしないのかもしれません。しかし実に剛毅で引き締まった力感漲る演奏は、これはこれでたいへんな聴き応えがあります。第3楽章中間部で朗々と吹きまくる三本のホルンが明晰に分離されて聴こえるあたり、凄すぎて笑ってしまうほど。サー・ゲオルグの音楽作りはいたってまっとうで、第1楽章コーダのトランペットもちゃんと欠落(?)していますしリピートも完璧。新録音もほとんど同じ内容ですが、硬質感が薄れて聴きやすくなっています。ライナー盤もオーケストラは同傾向ながら、テンポが速いのにセカセカせず、鋼のような力強さと風格を滲ませており、実に立派な名演といえるでしょう。数年前に出た国内盤CDはかなり低音を強調したリマスタリングで、輸入盤の方はもっとソリッドな音になっています。
デイヴィス指揮シュターツカペレ・ドレスデン盤 最後はシュターツカペレ・ドレスデン。すでに持っていた3枚に今回購入したデイヴィス盤を加えた4枚を、録音順に聴きました。コンヴィチュニー盤は古いモノラルの録音で、オーケストラの音色も驚くほど古風です。しかしチープさや埃っぽさはなく、ただただ魅力的なサウンドに聞き惚れてしまいます。がっちりとした演奏もなかなか聴きごたえがあり、ドイツ風という月並みな表現がぴったりかも。
これに比べるとさしものブロムシュテット盤も個性が薄まって聴こえます。そんな比較をしなければカペレらしさをちゃんと引き出した佳演だと感心できるのですが。
若杉盤はさらに伸び伸びした演奏で、オケも各楽器が柔らかく溶け合いながらたっぷりと鳴っています。ただ、柔らかいだけで芯がしっかりしていない印象があり、これはソニーの録音の限界だったのかも知れません。
デイヴィス盤はフィリップスだけにそのようなこともなく、手ごたえのある密実な美音はこれ以上が考えられないほどですし、演奏がまた凄い。じっくりとしたテンポで進めつつもテンションは途切れず、淡々としているようで内面には熱い気合いが漲っています。まさに彫琢の限りを尽くしたとでもいうべき充実ぶりで、いやもうまったく素晴らしいですねこれは。うるさく鳴っているわけではないのに終始雄弁に活躍するティンパニの魅力がまた驚異的。たいへんな名演です。他の8曲もすぐに聴かねば・・・
というわけで、コンセルトヘボウの名盤でスタートした聴き比べ、またしてもカペレの逆転勝利で終わってしまいました。
(2005年6月24日、An die MusikクラシックCD試聴記)