リヒャルト・シュトラウス「パンアテネの行列」を聴いてみて、弾いてみる

文:松本武巳さん

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LPジャケット

R.シュトラウス
 左手のためのピアノ協奏曲集
1.家庭交響曲へのパレルゴン作品73
2.パンアテネの行列作品74
ペーター・レーゼル(ピアノ)
ルドルフ・ケンペ指揮シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1976年1月、ドレスデン・ルカ教会
ETERNA(旧東独 826856)LP

 

(スコアの冒頭2ページ分=パブリックドメイン)
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■ ゆきのじょうさんとの会話から生まれた産物

 

 いったいいつのことであったのだろうか。たぶんもう15年近く前のことであると思うのだが、当サイトの管理人伊東さんとゆきのじょうさんとオフ会を開いていた時のことであったと記憶しているが、カペレとケンペの話の延長線上で、ゆきのじょうさんから「アテネの大祭」(ここでは、後日出版された2台のピアノ編曲版楽譜の輸入元に合わせ「パンアテネの行列」と表記する)の話が出たのだが、日ごろピアノ曲やピアノ協奏曲に関しては、それなりに知識を有しているつもりであったことも相まって、全く未知の楽曲の話題であったためかほとんど呆然としてしまい、その日の会話に全くついていくことができなかったのである。

 その後、2台のピアノ版スコア、さらには総譜を入手したものの、長年完全に放置していた。しかし、運悪く私も偶々右手を故障して数年前からピアノを弾けなくなり、加えて近年は高校の授業も担当しなくなったため、自室で手を伸ばせばいつでも鍵盤に届く環境にありながら、長年ピアノを弾くことが全くなくなってしまったのである。そんな折、An die Musikで最も重要なコンテンツである「シュターツカペレ・ドレスデンのページ」に於いて、現在99本の原稿が掲載されていることに気づき、この経験談的な試聴記兼試弾記を、100本目の記念として書こうと突如思い立ったわけである。

 

■ ケンペのリヒャルト・シュトラウス全集最後の録音

 

 シュターツカペレとケンペ最大の遺産であると言って過言ではない、彼らによるリヒャルト・シュトラウス全集は、実は完全全集ではない。それにもかかわらず、このコンビによる最後の録音として、ほぼ無名(家庭交響曲へのパレルゴンは、パンアテネの行列と比べると、多少聴く機会がある)の2曲の収録が行われたのである。しかも、この録音が行われたわずか3か月後にケンペは病死してしまっているのである。そのため、この珍しい楽曲が故郷ドレスデンでのケンペの最後の録音となったのである。

 当時は将来を嘱望された若手ピアニストであったペーター・レーゼルも、東京の紀尾井ホールでベートーヴェン全曲連続演奏会の挙行とソナタ全曲録音を残した上で、先年演奏家としてはついに引退してしまったのだが、どうやらまだ非常に若かったレーゼルがこの曲を取り上げたいという希望を持っており、それに対して直接かレコード会社を通じてか等は不知だが、ケンペが応じたのがこの奇跡的な録音の経緯のようである。ただし、当時のレーゼルはピアノ界ですでに華々しい活動を開始しており、わずか30歳でありながらすでに多くの録音を残していたことを附記しておきたい。かつ、当時のレーゼルの立ち位置は、希望すればなんでも録音できる恵まれた立場でもあったようだ。年の離れた二人のドレスデン生まれの演奏家が偶然起こした奇跡と言っていいだろう。

 

■ 左手のためのピアノ協奏曲の一種

 

 この曲は、華やかでかつ規模が大きめの音楽でありながら、現在でもほぼ無名の楽曲であると言えるだろう。それは、変奏曲の宿命でもある楽曲全体の冗長さと、オーケストラとピアノのバランスの悪さが起因していると思われる。一方で、著名なヴィットゲンシュタイン(ラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲初演者)による委嘱作品であることからも分かることだが、技巧的には難曲の多いリヒャルト・シュトラウスにしては、意外なほど演奏が容易なのである。もしかしたら、ヴィットゲンシュタインの能力に忖度した楽曲であったのかもしれない。ヴィットゲンシュタインの技巧に関しては、ヘボウのアーカイヴにラヴェルの協奏曲が残されているが、残念ながらヴィットゲンシュタインの手に余る楽曲であったようで、技巧面でプロのピアニストのレベルではなかったのは確実である。

 最後に、遊び半分で、このパンアテネの行列の全体を譜読みし、ピアノで試弾してみたところ、むしろ2台のピアノ版の方が、ピアノの華やかさが浮き出てくるように思えたこと、それから、思った以上に同じパッセージが繰り返し現れてくるためか、弾いていて残念ながら途中で少し飽きてしまったのである。ただし、技巧的には、彼のピアノソナタ他と比べるまでもないくらい比較的容易であるので、曲のつまみ食いをするには美しい箇所も多くあることから結構楽しい楽曲であると言えるだろう。つまり、仲間内で楽しむ分には、この曲はもっと広がりを見せても良いように思われるのである。

 ところで、最近になって駅に設置されているストリート・ピアノが、諸々の揉め事の端緒となるような報道がいくつかなされているが、音楽は外部に向けてのパフォーマンスだけでは決してない。むしろこのような楽曲をそっと自宅で弾いて楽しむような、そんな環境も徐々に広がることを切に願っている。私にとってリヒャルト・シュトラウスの音楽は、対外的なパフォーマンスではなく、意外なほど内向けのささやかで私的な音楽なのである。この曲を知るきっかけとなった、冒頭のオフ会でのゆきのじょうさんとの会話に、今なお感謝を捧げたい。

(2023年10月16日記す)

 

2023年10月16日、An die MusikクラシックCD試聴記