カペレ唯一の「わが祖国」を聴く

文:松本武巳さん

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CDジャケット

スメタナ作曲「わが祖国」全曲
パーヴォ・ベルグルンド指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
録音:1978年3月6-13日、ドレスデン・ルカ教会
東芝EMI(国内盤 TOCE-4094)

 

■ 名盤? 珍盤?

 

 シベリウスの交響曲で数多くの名盤を残しているパーヴォ・ベルグルンドが、1978年春にカペレとの共演で残したスメタナの「わが祖国」は、ベルグルンドファンもカペレファンも、たぶんノーマークであろうと思われる。しかし私はここで単に紹介だけをしようと思っているのでは決してない。この盤は珍盤では決してないどころか、相当な名盤であると信じるからこそ、紹介しようと思ったのである。

 

■ 演奏の基本スタンスと聴き手としての基本スタンス

 

 私は楽曲の演奏に際して、常識に近い様式なるものが、ある程度は存在するとしても、たとえば『ベートーヴェンはかく演奏すべき』だとか『こんなバッハは受け入れがたい』等々の考えをあまり持たない人物である。いつかどこかで書いた記憶があるが、たとえばバッハのマタイ受難曲であれば、メンゲルベルクもカラヤンもリヒターもオリジナル楽器での演奏も、要するに感動できる部分とか、共鳴できる部分があれば、すべてを受け入れる方向で楽曲を楽しんでいる。音楽を聴く場合の第一の要素は、「楽しむ」ことに尽きるので、スコアを見ながら聴くこともほとんどしないし、よほどのことが無ければ、予習してからコンサートに出かけることもない。以上は、聴き手としての私の確固たるスタンスである。もちろん、私はたまに弾き手側に立つことがあり、また分析側に回ることもあるが、音楽を聴く楽しみは、そもそも別の次元(まさに、『難しい音楽理論を知らなくても、楽器の演奏ができなくても、音楽は楽しめます。An die Musikは、理屈抜きに音楽を楽しみたい音楽ファンのためのホームページです。』に深く共感しています)にあるのだから・・・

 

■ ベルグルンドとは信じがたいオーケストラドライヴ

 

 本当に、あのシベリウスの交響曲を何度も録音したベルグルンドの指揮なのだろうか。このように思うほどに、オーケストラを自由にドライヴし、大きな意志のもとに引っ張っている。強引になる寸前まで思い切ってテンポを揺らしたり、大きなうねりを引き出したりしているのだ。これは通常言われる用語を拝借すれば、フルトヴェングラー様式であるとされている範疇の演奏である。まずはその点に驚かされる。

 

■ カペレがオケであったことの幸運

 

 私はこの「わが祖国」のような完全な「標題音楽」で、かつ標題の意味が明確である楽曲に関しては、ある種の様式の縛りがかかることは、上記の発言にかかわらずやはり当然だと思っている。作曲家が明確にそのように願っている上に、その意志が一般的に捉えても明確であるからである。しかし、私はこのディスクは決して様式を逸脱していないと思うのだ。そしてその部分への貢献は、まさにカペレがオケであったことに尽きると信じている。彼らはあまりチェコ音楽を演奏しないし、録音も残していない。この「わが祖国」も唯一の録音である。このことを私はかつて以下のように書いたことがある。

ドレスデンのオケは、近隣の国であるチェコ出身の名作曲家であったドヴォルザークに敬意を示しつつ、ドレスデン自らは多くの録音を残しておりません。チェコとは極めて近くにあるドレスデンは、本場にあくまでも敬意を示して、多くを語らなかったのであろうと、そのように私は信じます。一方でその事実は、少なくともドヴォルザークの第8番に関しては、手中に納めたレパートリーでは無いことも同時に意味しているのです。ところが、レヴァインは、ドレスデンのオケに、ドヴォルザークの本場ものとしての演奏を期待したのかどうかは判りませんが、オケに重要な部分の解釈を委ねてしまっていて、きちんとした細かい指示を与えておらず、一方のオケは極めて当惑しつつ演奏を続けているのですね。

 もう私のこのディスクで言いたいことは理解して頂けたと信じる。まさに、かつて書いた上記のディスクの反対のことが、指揮者とオケの間で起こったのである。

 

■ 結果として残された録音の価値

 

 私は、やはりベルグルンドの指揮とオーケストラドライヴ自体は、若干強引であったと思う。しかし、カペレにとっては、隣国の音楽である「わが祖国」の演奏であるから、カペレの団員は、指揮者の演奏に対する意志と、この楽曲に込められた音楽の内容を、うまくカペレが斟酌して融合させることに成功したのだと思う。この事実は、かつてヴァーツラフ・ノイマンが最初に録音した「わが祖国」でも見られる事実である。ノイマンは初の「わが祖国」全曲の録音を、ライプツィヒ・ゲヴァントハウスで行ったのであるが、彼の残した多くの「わが祖国」の中で、たぶん唯一と言っても良いであろう、ノイマン自身の強い意志が見える演奏として録音が残されているのだ。

 

■ 偶発的な名盤なのか?

 

 以上の理由から、私はカペレが唯一残した「わが祖国」の名盤を、偶発的な名盤であるとは捉えていない。しかし、この種の名盤は、数多くの録音を手がけると、逆に生まれにくくなることを宿命としているのだ。今後もカペレは、たまにチェコの音楽を演奏したり録音したりして欲しいと念願している。そもそも、カペレは、商業主義から一線を画することで、カペレたり得ていると考えている私にとって、彼らには「浮世離れ」しない程度に活躍して欲しいと念願している。彼らのディスクが多く出ないことこそ、カペレのカペレらしさを存分に発揮できるのだと願っている。私がカペレへのエールを贈るとすれば、この言葉がもっとも適切だと信じてやまないこのごろである。

(2007年7月16日記す)

 

伊東のレビューはこちらです。

 

(2007年7月17日、An die MusikクラシックCD試聴記)