クーベリックの「幻想交響曲」を聴く
文:松本武巳さん
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ベルリオーズ
幻想交響曲 作品14
ラファエル・クーベリック指揮
バイエルン放送交響楽団
録音:1981年9月(ミュンヘン、ヘルクレスザールライヴ)
ORFEO(輸入盤 C499 991B)
(参考盤)ベルリオーズ
幻想交響曲 作品14
ラファエル・クーベリック指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1959年11月4日(モントゥルー音楽祭ライヴ)
輸入盤■ クーベリックのページ
このページは、1999年に管理人伊東さんにより創設されたページであるのだが、管理人の伊東さんが更新困難になり、2003年7月に不肖松本がその後引き継いだものである。ところが当の松本も更新に決して熱心であったとは言えず、創設後18年近くにもなる当ページは、この試聴記でようやく通算44件目の試聴記となるのである。この責任の大半は松本にあることは言うまでもないが、実は今回取り上げるベルリオーズの幻想交響曲こそが、このページの第1回の試聴記として、伊東さんが1999年4月4日にアップされた記事なのである。
この幻想交響曲の試聴記を、今回クーベリックのページ第44回として、松本により再度取り上げることとしたいのである。すでにお気づきかも知れないが、私がひたすら「4」にこだわっているのは、当該録音が、あまりにも恐怖や死を想起させる、まさに恐るべき演奏であるからに他ならない。星の数ほどもある幻想交響曲の録音の中でも、これほど終楽章に向かって、この曲の本質を異様なほど深く抉りながら突き進むディスクは他に決してないと言えるだろう。まるで死に神に取り憑かれたような恐怖の演奏と言っても差支えないほどに、底知れぬこの曲の本質をまさに抉り出すように刻んだ空恐ろしい演奏の、記念碑的なライヴ録音なのである。■ 第1回の伊東さんの試聴記より
81年のライブ。解説によると、クーベリックが幻想交響曲を演奏した最後の演奏会であったらしい。肝心の演奏について。クーベリックは、おそらくスタジオ録音ではこんな大胆な幻想交響曲は演奏しなかったに違いない。世の中にあふれるスマートな幻想交響曲とは一線を画しており、あちこちに聞き慣れない妙な響きが出てくる。実にスリリングな演奏で、これを聴けば、従来のクーベリック像は吹き飛んでしまうだろう。最初から最後まで一瞬も聴き逃せないのはもちろんだが、クーベリックのボルテージは音楽の進行とともにどんどん高まっていき、空前の第5楽章に至る。しかし、実は第1楽章冒頭から、怪しげな雰囲気が漂っているのが重要で、聴き手は知らず知らずのうちに演奏にのめり込んでしまう。ライブらしい緊張感の高さに加え、クーベリックの音楽作りは非常に高密度で、どの音にも生命が息づいている。適当に演奏されるフレーズがどこにもない。それだけでもすばらしいのだが、やはり異様な雰囲気を生々しく表現した第3楽章後半から第4、第5楽章が圧巻である。幻想交響曲が持つ不気味な感じがこれほど迫真的に表現されたケースは珍しい。
第3楽章、最後の部分で聞こえる雷の音(ティンパニ)のあたりから、ただならぬ雰囲気がしてくる。空恐ろしい雰囲気が持続する中で第4楽章「断頭台への行進」が開始されると、そこはもう異次元の世界で、悪魔があたりに徘徊してきそうな感じになる。この異様な雰囲気を言葉で説明できないのが残念である。オケの音色も普段とはひと味違って聞こえてくるから不思議だ。金管楽器の咆哮などすさまじいの一語に尽きる。第5楽章に入ると、さらにすごい。「こんな音が幻想交響曲の中にあったの?」という音が蔓延。私はかねがね、「クーベリックの音楽はバランスの良さが身上で、特定の声部が妙に浮き上がったり、突出して聞こえてくることはない」と考えていたのだが、この演奏を聴いて考えを改めてしまった。確かにバランスは良いのだが、何かに憑かれたように最強音でおぞましい音響を聴かせる金管楽器群やティンパニーの強打を聴いていると、ライブではバランスなどあえて無視していたのではないかとも思えてくる。(伊東さんの試聴記より抜粋引用)
■ 松本による追加的な情報
実は、クーベリック唯一の正規音源である81年録音盤の他に、正規録音ではあるものの関係者配布のみで、現時点で一般発売が一度もなされていない、1959年11月のコンセルトヘボウ管弦楽団との、モントゥルー音楽祭におけるライヴ録音が別途存在しているのである。最近この録音を聴く機会がたまたまあったので、これを契機として今回、クーベリックのページに久しぶりに執筆しようとした次第である。
要点を先に書いてしまうと、この1959年のコンセルトヘボウとの録音でも、クーベリックの幻想交響曲の演奏は、第1楽章から第5楽章までの全体的な流れに関して、ほぼ軌を一にしているのである。第4楽章から第5楽章にかけて、まさに悪魔的な世界を描き出していることも、ほとんど同じなのである。つまり、クーベリック固有の解釈として、幻想交響曲の演奏に際しては、第1楽章から第3楽章の途中までは穏当にバランスよく演奏を進め、第3楽章終盤から第4楽章に至ると、態度を豹変させて凄みのある音楽へと一変させているのである。このように、もとよりクーベリックの確固たる幻想交響曲の固有の解釈であり、決してライヴ録音ならではの爆演でも、全体のバランスを崩した金管の炸裂でもないのである。ただし、伊東さんは引用させて頂いた試聴記において、『しかし、実は第1楽章冒頭から、怪しげな雰囲気が漂っているのが重要で』と、はっきりと記されており、単なるライヴ録音故の偶発的名演ではないことを、当時からきちんと示唆されているのだ。
さらに、録音自体は放送局に正規に残され、過去に地域限定ではあるが音源が放送された経緯もある、そんな未発売の幻想交響曲の録音が、他に1961年と1974年2月の2種類、存在が確認されているのである。前者はバーデン=バーデンの放送局オケで、後者はバイエルン放送響である。そう言えば、クーベリックの孫であるヴァイオリニストのレネ・クーベリック(ボーデン湖畔コンスタンツェ在住)は、ここで紹介したバーデン=バーデンのオケの第1ヴァイオリン奏者を現在努めている。この事実はまさに奇遇と言えるのかも知れない。■ 幻想交響曲の隠れ名盤
このクーベリックによる幻想交響曲のディスクは、クーベリックの引退後にオルフェオからライヴ録音として世に出たこともあって、いわゆる著名な録音であるとは言い難い。しかし、この録音がクーベリックの隠れた名盤の一つであることは、発売当時も今も変わらず、ほぼ確立した知る人ぞ知る評価でもあるのだ。それはもちろん、クーベリックにこれまでスタジオ録音が一切残されていない楽曲であったことや、ライヴ録音とはいえ1981年の非常に優れた音質の優秀録音であったこと、等々の事情もあったであろう。
しかし私にとって、この幻想交響曲の録音はたまたま同年に演奏されて、一時期「ライヴの人クーベリック」としてもてはやされるきっかけともなった、アウディーテ・レーベルから発売されたマーラーの交響曲第5番のライヴ録音ディスクと比べてみても、幻想交響曲の録音の方がはるかに発売を待ち望んでいた録音なのであった。ようやく発売された当時は、まさに連日のように聴き込んだことを、今も懐かしく思い出すのである。
その割に、このディスクの紹介が大きく遅れてしまったのはなぜなのだろうか。一連の試聴記の記事一覧を見つめて今思うことは、私が本当に感動したディスクの多くは、現時点でその多くが未紹介であるという事実である。どうも私には本当に書きたいものを後回しにする癖があるようだが、そもそもそんな悠長なことを言っているほど、私に残された時間は、果して多く存在しているのだろうか?そんな危惧をも感じ始めているこの頃でもある。(2017年1月4日記す)
An die MusikクラシックCD試聴記 2017年1月4日掲載